松井春生
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日本の政治家 松井 春生まつい はるお | |
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資源局長官時代 | |
生年月日 | 1891年5月12日 |
出生地 | 三重県 |
没年月日 | 1966年10月1日(75歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
前職 | 大阪府知事 |
称号 | 従三位勲一等瑞宝章 |
配偶者 | 花(波多野承五郎次女)[1] |
選挙区 | 勅選議員 |
在任期間 | 1946年3月22日 - 1946年7月30日 |
松井 春生(まつい はるお、1891年(明治24年)5月12日 - 1966年(昭和41年)10月1日)は、貴族院議員などを務めた内務官僚。
来歴
[編集]1916年(大正5年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業して、高等文官試験に合格し、内務省に入る。東京府属を務めた[2]。
1918年(大正7年)から千葉県理事官視学官を務め、その後法制局参事官、資源局書記官兼法制局参事官、資源局総務部兼企画課長、内閣調査官兼内閣東北振興事務局長、資源局長官を歴任した。
1938年(昭和13年)10月に退官し、日本商工会議所理事、東京商工会議所理事、工業組合中央会副会長、全日本絹織物工業組合連合会理事長を務める。
太平洋戦争後の1946年(昭和21年)1月25日から同年6月8日まで、大阪府知事に就任した。在任中の3月22日に貴族院勅選議員となる[3]。このとき、正四位勲二等。6月8日からは東京都長官に転じて7月23日まで務めた。退任一週間後の7月30日に貴族院議員を辞職した。
1952年(昭和27年)、江東区有明の都有地に造成された東雲ゴルフ場の理事長となる。
1960年(昭和35年)に株式会社鉄道会館代表取締役に就任した。
1965年(昭和40年)11月8日に勲一等瑞宝章を受章する。
1966年(昭和41年)10月1日に死去。没後の10月4日 に特旨を以て位一級追陞し、従三位となった。
著書
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 東京都公文書館編『東京都職制沿革』東京都情報連絡室情報公開部都民情報課、1986年