熊谷憲一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

熊谷 憲一(くまがい けんいち、1895年明治28年)10月2日 - 1956年昭和31年)10月9日)は、日本内務官僚政治家。官選県知事北海道庁長官、衆議院議員

来歴・人物[編集]

福岡県出身。裁判所吏員・熊谷澄の長男として生まれる。小倉中学第五高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格し、1920年10月、農商務省に入り農商務属となり工務局労働課兼工務課勤務となる。1922年11月、内務省に転じ内務省社会局属として第二部保険課に配属された。その後、保険部経理課長、社会局庶務課長、大臣官房会計課長、厚生省職業部長などを歴任。

1939年9月、岡山県知事に就任。1940年2月、内閣情報部長となる。同年8月、厚生省社会局長に就任。1941年4月から10月まで、大政翼賛会総務局長を務めた。1943年7月、山口県知事に発令され、さらに、1944年7月、防空総本部次長、1945年4月、北海道庁長官に就任。同年6月10日より同年10月31日まで北海地方総監を兼任した。

戦後、公職追放となり1951年8月に解除された。1952年10月、第25回衆議院議員総選挙福岡県第1区自由党から出馬し当選。1955年2月の第27回総選挙まで連続3期当選し、1956年10月9日に現職で死去した。享年61。この間、自由党政務調査会行政部長などを務めた。

著作[編集]

  • 『疾病保険論』巌松堂書店、1929年。
  • 『改正健康保険法精義』巌松堂書店、1935年。

栄典[編集]

勲章

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  2. ^ 『官報』第5029号「叙任及辞令」1943年10月15日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 『日本の歴代知事 第1巻』歴代知事編纂会、1980年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
議会
先代
坂千秋
北海道の旗 北海道庁長官
第27代:1945年
次代
持永義夫
先代
佐々木芳遠
山口県の旗 山口県知事
官選第25代:1943年 - 1944年
次代
上田誠一
先代
本間精
岡山県の旗 岡山県知事
官選第26代:1939年 - 1940年
次代
横溝光暉