荒木義夫
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| 荒木 義夫 | |
|---|---|
| 生年月日 | 1894年6月17日(131歳) |
| 出生地 |
|
| 没年月日 | 1984年2月5日(89歳没) |
| 出身校 | 京都帝国大学法学部 |
| 称号 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
| 子女 | 大村トシ子(娘、大村襄治の妻) |
愛知県参事官 | |
福島県知事 | |
| 在任期間 | 1942年7月 - 1943年4月 |
| 在任期間 | 1940年12月3日 - 1942年7月7日 |
徳島県知事 | |
| 在任期間 | 1939年9月 - 1940年12月 |
荒木 義夫(あらき よしお、1894年6月17日 - 1984年2月5日[1])は、日本の内務官僚。県知事、台湾総督府警務局長。
経歴
[編集]兵庫県出身。荒木矩の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1919年京都帝国大学法学部法律学科卒業。伊藤忠に入り、1921年、内務省特殊財産管理局嘱託となる。1922年11月、高等試験行政科試験に合格し内務属となる。
以後、福井県警視、鹿児島県・福井県の各地方事務官、三重県工場監督官、山梨県書記官・警察部長、長野県書記官・警察部長、神奈川県書記官・警察部長、大阪府書記官・警察部長、警視庁警務部長などを歴任。
1939年9月、徳島県知事に就任。1940年12月に退任し、台湾総督府に転じ警務局長となる。1942年7月、福島県知事となり、1943年4月まで在任。以後、愛知県参事官などを務め、1943年に退官。戦後に公職追放となった。
親族
[編集]栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 二見直三 |
1940 - 1942 |
次代 山内逸造 |