西沢正太郎 (内務官僚)
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西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1863年10月21日〈文久3年9月9日〉[1] - 1910年〈明治43年〉2月2日[2])は、日本の内務官僚。官選県知事。号・靖軒、獅牢[3]。
経歴
[編集]信濃国埴科郡鼠宿村(現・長野県埴科郡坂城町)で、西沢陽左衛門の息子として生まれる[4]。慶應義塾に学び[4]、1890年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業[4]。同年11月、内務省試補となり会計局に配属された[5]。
1891年5月、警保局に転じ、同年10月、宮崎県参事官に就任。以後、新潟県参事官、香川県警部長、香川県・滋賀県・大阪府・兵庫県・京都府の各書記官などを歴任[1][3]。
1904年11月、青森県知事に就任[1]。1908年6月、福島県知事に転じ、産業振興に尽力したが、盲腸炎および肺炎により[6]在任中に死去した。漢詩を嗜んだ[3]。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 赤羽篤ほか編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。