亀山孝一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1979年3月25日)は、日本の内務厚生官僚政治家福島県知事衆議院議員

経歴[編集]

岡山県出身。内務官僚・亀山理平太、佐登夫妻の長男として生まれる。台北一中岡山一中第一高等学校を経て、1924年4月に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り内務属として衛生局に配属された。

1925年10月、地方警視岐阜県警察部付となり、山口県警察部特高課長、防疫官兼内務事務官・衛生局付、内務書記官・衛生局医務課長、計画局防空課長、愛知県書記官警察部長、兵庫県書記官・総務部長、企画院第三部長などを歴任。

1943年7月、福島県知事に就任。1944年4月、厚生省に転じ衛生局長となる。勤労局長を経て、1945年8月、厚生次官に就任。1946年1月まで在任し、同年9月に公職追放となる。1951年8月に公職追放が解除された。

1955年2月、第27回衆議院議員総選挙岡山県第1区日本民主党から出馬し当選(当選同期に愛知揆一田村元椎名悦三郎唐沢俊樹高村坂彦渡海元三郎丹羽兵助など)。第28回総選挙で再選されたが、1960年11月の第29回総選挙で落選。1963年11月の第30回総選挙で当選し、1972年12月の第33回総選挙まで連続3回、通算で6回の当選を果たした。1976年12月の第34回総選挙には出馬せず引退。

衆議院議員としては、衆議院地方行政委員長建設委員長などを務めた。自治族の重鎮であり「天皇」の異名で知られた。

1979年3月25日死去。享年78。

著書・文献[編集]

  • 『医師の業務上の責任及広告』医海時報社、1925年。
  • 『衛生行政法』松華堂書店、1932年。
  • 亀山孝一追悼事業実行委員会編『亀山孝一追想録』亀山孝一追悼事業実行委員会、1988年。

親族[編集]

  • 娘婿 柏原及也(内務省官吏)

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。


公職
先代:
中村敬之進
日本の旗 厚生次官
1945年 - 1946年
次代:
安井誠一郎