山田春三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
山田春三

山田 春三(やまだ しゅんぞう、1846年7月31日弘化3年6月9日)- 1921年大正10年)9月13日)は、日本の内務官僚政治家県知事宮中顧問官貴族院議員。旧姓、村岡。

経歴[編集]

長州藩士・村岡忠治の二男として長門国阿武郡大屋村で生まれる。1874年11月、山田久允の養子となる。

1875年山口県第十二大区学区取締に就任。山口県属となり、萩の乱の功により、1877年、山口県十等属警部となる。以後、山口県警部長岩手県警部長岩手県権少書記官、山梨県奈良県愛知県佐賀県京都府の各書記官などを歴任。

1898年4月、福島県知事に就任。第2次山縣内閣の増税命令を実行しようとして県会と対立し、二度の県会解散を行った。1900年10月、埼玉県知事に転じた。1902年2月、静岡県知事となる。1904年1月、広島県知事に就任し、日露戦争の対応に尽力し、1907年1月まで在任した。

1906年12月15日、貴族院勅選議員に任じられ[1]研究会に属し死去するまで在任した。1912年9月4日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[2]

その他、宮中顧問官、久邇宮宮務監督などを務めた。

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第7041号、明治39年12月17日。
  2. ^ 『官報』第32号、大正元年9月5日。
  3. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  4. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。

参考文献[編集]

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。