萩市

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はぎし
萩市
Hagi city.jpg
萩市
Flag of Hagi, Yamaguchi.svg
市旗
日本の旗 日本
地方 中国地方
山陽地方山陰地方
中国・四国地方
都道府県 山口県
団体コード 35204-7
面積 698.31km2
総人口 48,934
推計人口、2016年6月1日)
人口密度 70.1人/km2
隣接自治体 山口市長門市美祢市阿武郡阿武町
島根県益田市鹿足郡津和野町
市の木 ヒノキマツ
市の花 ツバキハギ
市の果樹 ナツミカン
萩市役所
所在地 758-8555
山口県萩市大字江向510番地
北緯34度24分29.2秒東経131度23分57秒座標: 北緯34度24分29.2秒 東経131度23分57秒
萩市役所
外部リンク 萩市

萩市位置図

― 市 / ― 町

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萩市(はぎし)は、中国地方の西部、山口県の北部に位置する、日本海に面したである。

概要[編集]

江戸時代に、毛利氏が治める長州藩の本拠地となった都市萩城下町)として有名である。

一方を日本海に面し、三方が山に囲まれた都市であり、道路鉄道港湾の整備も遅かったため、山陽側の市町村と比べると発展が弱かった(交通面では隣の長門市の方が発達している)。山陽新幹線博多駅開業時は観光客が増加し、人口も増加するが、その後は観光客の減少と共に人口も減少した。新制の萩市として発足後の2005年国勢調査においても、人口の減少が目立ち、特に合併前の旧町村での減少傾向が目立つ。

幕末から戦前にかけては政財界の大物を多く出すなど、かつては中央たる東京への指向が強かったが、最近では、進学就職なども九州本島への指向が強い。

司馬遼太郎の幕末小説である『世に棲む日日』や『花神』は、この街が舞台になっている。

萩市中心部は、日本有数の規模を誇るデルタ地帯に発展している。旧・川上村から流れる阿武川(あぶがわ)は川島地区で2つに分かれ、橋本川松本川となって日本海に注ぐ。また、両河川からは新堀川、藍場川といった小河川が分岐し、市街を流れている。

地理[編集]

地勢[編集]

萩市中心部。萩城下町の空中写真。画像左上の海に突き出した山が萩城のあった指月山。萩の城下町は東西を川に挟まれた三角州上に形成されている。1976年撮影の11枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

山口県北部の日本海に面し、東は島根県境から西は長門市まで、南は山口市美祢市に接している。離島として見島(みしま)、大島(おおしま)、相島(あいしま)、櫃島(ひつしま)、羽島(はじま)、肥島(ひしま)、尾島(おしま)があり、そのうち見島、大島、相島、櫃島は有人島である。見島を除く6つの島を、市内では総称して「六島(ろくとう)」もしくは「萩・六島村(はぎろくとうそん)」とも呼ぶことがある。

主な山岳としては標高532.8mの高山(こうやま)がある。

なお隣接する阿武町は、萩市に囲まれている。

気候[編集]

日本海側に位置しているが、大陸に非常に近いことや暖流である対馬海流の影響もあり、比較的温暖な気候である。

  • 気温 - 最高37.9℃(1994年(平成6年)8月12日)、最低-6.8℃(1981年(昭和56年)2月26日
  • 最大降水量 - 255.0ミリ(1999年(平成11年)9月21日
  • 最大瞬間風速 - 45.6メートル(1991年(平成3年)9月27日
  • 夏日最多日数 - 136日(2005年(平成17年))
  • 真夏日最多日数 - 64日(2010年(平成22年))
  • 猛暑日最多日数 - 14日(2010年(平成22年))
  • 熱帯夜最多日数 - 46日(2010年(平成22年))
  • 冬日最多日数 - 39日(1963年(昭和38年))
萩(大字土原字川島沖田)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 18.8
(65.8)
23.6
(74.5)
25.9
(78.6)
30.7
(87.3)
32.0
(89.6)
34.3
(93.7)
36.6
(97.9)
37.9
(100.2)
37.4
(99.3)
32.0
(89.6)
26.5
(79.7)
21.6
(70.9)
37.9
(100.2)
平均最高気温 °C (°F) 9.1
(48.4)
9.9
(49.8)
13.1
(55.6)
18.0
(64.4)
22.2
(72)
25.3
(77.5)
29.7
(85.5)
30.6
(87.1)
26.8
(80.2)
21.8
(71.2)
16.9
(62.4)
11.7
(53.1)
19.59
(67.27)
日平均気温 °C (°F) 5.4
(41.7)
6.0
(42.8)
8.6
(47.5)
13.3
(55.9)
17.8
(64)
21.5
(70.7)
25.9
(78.6)
26.7
(80.1)
22.8
(73)
17.3
(63.1)
12.4
(54.3)
7.9
(46.2)
15.6
(60.1)
平均最低気温 °C (°F) 2.1
(35.8)
2.2
(36)
4.2
(39.6)
8.5
(47.3)
13.6
(56.5)
18.3
(64.9)
22.8
(73)
23.5
(74.3)
19.7
(67.5)
13.2
(55.8)
8.2
(46.8)
4.1
(39.4)
11.7
(53.08)
最低気温記録 °C (°F) −5.8
(21.6)
−6.8
(19.8)
−3.9
(25)
−0.3
(31.5)
3.0
(37.4)
8.6
(47.5)
12.2
(54)
15.2
(59.4)
8.1
(46.6)
3.9
(39)
0.6
(33.1)
−3.8
(25.2)
−6.8
(19.8)
降水量 mm (inch) 90.0
(3.543)
79.0
(3.11)
124.2
(4.89)
118.8
(4.677)
147.5
(5.807)
227.2
(8.945)
265.0
(10.433)
139.2
(5.48)
207.3
(8.161)
92.7
(3.65)
91.6
(3.606)
75.7
(2.98)
1,658.2
(65.282)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 10.9 9.6 12.1 10.1 9.5 10.9 10.9 8.4 10.4 7.9 9.3 10.0 120
平均月間日照時間 77.6 89.8 136.7 178.6 197.8 146.0 168.4 204.0 152.6 160.1 119.6 87.4 1,718.6
出典: 気象庁

地名の由来[編集]

「市花であるツバキの「ツ」の字が省かれて、ハギになった」などの説がある。

人口[編集]

Demography35204.svg
萩市と全国の年齢別人口分布(2005年) 萩市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 萩市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
萩市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 77,962人
1975年 75,302人
1980年 74,846人
1985年 72,748人
1990年 68,999人
1995年 65,293人
2000年 61,745人
2005年 57,990人
2010年 53,760人
総務省統計局 国勢調査より

地区[編集]

指月山から臨む萩市街
「萩六島村」の大島櫃島

合併前の市町村は、旧萩広域市町村圏組合を構成し、消防、清掃などを広域で行っていた。

旧萩市中心部は平坦な地形が多いが、三見地区や旧町村部などは主に山間地にあり、特に旧旭村の佐々並地区、旧むつみ村、旧福栄村などは、標高100 - 400mの山に囲まれている。

旧市内(阿武川河口部周辺、離島)
阿武川の三角州に建設された城下町から発展した。山陰本線は三角州の外側を迂回するように走るが、幹線道路である国道191号は三角州中心部を経由し、下関方面へ向かっている。市内は旧城下町特有である碁盤目状の道路が多い。
三方を山、一方を海に囲まれており、中心市街地から周辺の市域・市町へ向かう際は必ず峠を越える必要がある。そのため、雨量が多い場合や積雪などで交通が遮断される場合が多々ある。萩城が建設された由来も、交通に不向きな地形を徳川幕府が気に入ったためといわれている。
大雪の時に国道191号線は鎖峠(くさりとうげ)を中心に、隣接する長門市三隅上の宗頭(むねとう)地区 - 山田地区までが遮断される。飯井(いい) - 玉江(たまえ)へ抜ける道は道幅は狭いものの雪が少ないことが多いが、凍結している可能性があるため要注意である。
旧萩市は三角州を含んで西から、「三見」(さんみ)→「山田」(やまだ)→「堀内」(ほりうち)→「江向」(えむかい)→「土原」(ひじわら)→「椿東」(ちんとう)→「大井」(おおい)の各地域に分けられ、南側は「椿」(つばき)、北は六島村となって幅が広い。その中で、太字の地域は三角州内にあるが三角州内はもっと細かく分かれることとなる。
見島や「萩六島村」の大島、櫃島などの日本海に浮かぶ離島群は萩港と定期航路で結ばれ、旧萩市の一部を構成していた。
川上地区(旧川上村
萩市中心部に隣接する山間部。中心部を阿武川が流れ、上流には阿武川ダムがある。
国道262号が地域の端を通り、中心部は県道萩川上線が通っている。山地と阿武川ダムの流域面積が多いために可住面積が少なく、集落は山地を縫うように点在している。
山間部のため冬季は積雪があり、集落間の移動が困難になる。
江崎地区・小川地区(旧田万川町
国道191号沿いの地域。山口県の最北端に位置する。
島根県益田市に接し、経済圏・生活圏としては萩市中心部よりも近接する益田市との結びつきが強い。日本海に面しており、気候は比較的温暖だが、益田市との県境は冬季積雪がある。産業は主に漁業と農業であり、東部の小川地区では梨や桃等、果樹の生産が盛んである。
吉部地区・高俣地区(旧むつみ村
萩市中心部と島根県津和野町のほぼ中間の山間部に位置する。気候は内陸部特有の気候であり、冬季は積雪、凍結などが多い。中心部からそれたところに国道315号県道萩篠生線が走っているが、県道萩津和野線で連絡している。主な産業は農業で、大根の生産では当地区の一角にある千石台地区が2013年(平成25年)度は出荷量は約3,200tで山口県内の出荷量約3,370tのうち約95%を生産している[1]。萩と津和野を結ぶ観光ルートであり、近年は道の駅(うり坊の郷 katamata)やむつみ昆虫王国の建設、観光牧場(秋川牧園)の開設など、観光にも力を入れている。
須佐地区・弥富地区(旧須佐町
隣接する田万川地域同様、益田市との結びつきが強く、生活圏は益田市に多くが依存している。
地域は日本海から東側に長く、海に面した須佐地区、山間部の弥富地区と鈴野川地区からなる。須佐地区は比較的温暖だが、山間地区は冬季に積雪もある。須佐地区に国道191号が、山間地区は国道315号が通り、交通状況は良い。
第一次産業が多く、観光地数が他の地域より比較的多い。
剣先イカの活イカ漁港として有名。近年ローカルブランドとして商標を取得し、「須佐男命いか」として県内外に知られている。
明木地区・佐々並地区(旧旭村
国道262号沿い、萩市中心部と山口市のほぼ中間の山間部にあたる。明木地区と佐々並地区の間に山地があり、明木地区は萩市中心部の、佐々並地区は山口市の経済圏になっている。
両地区ともそれぞれの300 - 400m級の山に囲まれているが、冬季は明木地区より佐々並地区の方が寒冷であり、積雪が多い。
明木地区で県道萩秋芳線が分岐しており、萩市中心部から山口市方面、小郡・美祢方面へ向かう交通の要所である。
福井地区・紫福地区(旧福栄村
中心となる福井地区には県道山口福栄須佐線と県道萩篠生線が、紫福(しぶき)地区には県道山口福栄須佐線が通っている。
山間の盆地に開けた土地であり、夏季は比較的暑く、冬季は寒冷である。
萩市でも屈指の米の生産地である。また、フライドチキン型のチーズケーキも地区内にある道の駅ハピネスふくえで売っている。

隣接する自治体[編集]

姉妹都市・友好都市ほか[編集]

姉妹都市[編集]

国内[編集]

国外[編集]

友好関係の都市[編集]

友好都市提携を拒否された都市[編集]

  • 会津若松市福島県
    • 会津戦争会津藩と敵対した長州藩の本拠地が萩市である事から。
    • 1986年に、萩市が「敵として戦った戊辰戦争から120年を記念してそろそろ和解を」と、会津若松市に友好都市提携を持ちかけたが、「時期尚早である」「我々は恨みを忘れていない」として、友好関係の締結は拒否された。ただし1996年(平成8年)の会津若松市市民アンケートで「こだわりはない」「どちらでもない」と答えた人は68%、「こだわりがある」と答えた人は32%程である。


歴史[編集]

顕義公園より市街を望む
指月山 萩城跡

中世から第二次大戦まで[編集]

戦後[編集]

行政[編集]

市政運営[編集]

広大な市域のため、旧町村部にはそれぞれ総合事務所を置き、それぞれに地域振興部門、市民窓口部門、産業振興部門の3部門を配し、行政サービスを低下させることなく従来の業務ができるようになっている。 また、離島の見島と大島にそれぞれ支所と出張所が設置されている。

  • 市長:野村興児(萩市長、元国税庁調査査察部長)
    • 任期:2013年3月27日 - 2017年3月26日
歴代市長[4]
氏名 就任日 退任日 備考
官選旧萩市長
1 豊田勝蔵 1932年(昭和7年)8月8日 1936年(昭和11年)2月11日
2 市川一郎 1936年(昭和11年)3月10日 1937年(昭和12年)6月7日
3 - 4 古屋武助 1937年(昭和12年)7月24日 1942年(昭和17年)12月29日 死去
5 藤田包助 1943年(昭和18年)3月19日 1945年(昭和20年)1月22日 死去
6 光尾芳人 1945年(昭和20年)3月7日 1946年(昭和21年)11月5日
公選旧萩市長
7 - 8 安村正人 1947年(昭和22年)4月5日 1955年(昭和30年)4月29日
9 山下誠一 1955年(昭和30年)4月30日 1959年(昭和34年)4月30日
10 - 15 菊屋嘉十郎 1959年(昭和34年)5月1日 1983年(昭和58年)2月10日 死去
16 林秀宣 1983年(昭和58年)4月25日 1987年(昭和62年)4月25日
17 - 18 小池春光 1987年(昭和62年)4月26日 1993年(平成5年)8月24日 死去
19 - 21 野村興児 1993年(平成5年)10月17日 2005年(平成17年)3月5日
萩市長
1 - 3 野村興児 2005年(昭和17年)3月27日 現職

医療行政[編集]

椿地区に医療機関と老人保健施設が併設した萩・健康維新の里(萩市民病院と福祉・複合施設かがやき)を、2000年4月に開設した。

また一時、萩医療圏から入院施設のある小児科がなくなるという事態があったが、住民の要望で市民病院に小児科を設置し、圏域で唯一の小児科病院となっている。また、離島や中心部から離れた旧町村部にはそれぞれ公立の診療所が設置されている。

なお萩市民病院は、山口県北部で唯一の結核医療機関である。

公立病院[編集]

  • 萩市民病院

公立診療所[編集]

旧萩市
  • 萩市見島診療所
  • 萩市見島診療所宇津分室
  • 萩市大島診療所
  • 萩市見島歯科診療所
旧川上村
  • 萩市川上診療所
旧田万川町
  • 萩市田万川歯科診療所
旧むつみ村
  • 萩市むつみ診療所
  • 萩市むつみ診療所高俣出張所
旧須佐町
  • 萩市弥富診療センター
  • 萩市弥富歯科診療所
旧旭村
  • 萩市明木診療所
  • 萩市佐々並診療所
旧福栄村
  • 萩市福川診療所
  • 萩市紫福診療所

警察署[編集]

  • 萩警察署
    • かつては江崎地区に江崎警察署があったが、現在は萩警察署に統合され、江崎幹部交番に格下げとなっている。

経済[編集]

産業[編集]

観光業農業漁業が多い。工業はほとんど発展していないが、山間のむつみ地区、旭地区、福栄地区では工業団地を造り誘致を行っている。しかし交通の利便性などの地理的条件から進出する企業は少ない。

観光業においては、東萩駅前にあった観光ホテルの廃業(現在は民事再生法手続きにより、以前からあった土産物屋に加え、貸自転車屋和食処居酒屋喫茶店カラオケボックスゲームセンターフィットネススタジオエステサロンテナントが入った新たな観光ホテルとして、経営を再開している)や中心商店街などの衰退・全盛期に比べ観光客減少の不況感が漂っており、それらは萩市の大きな課題となっている。

漁業[編集]

  • 大井漁港
  • 萩漁港
  • 玉江漁港
  • 三見漁港
  • 大島漁港
  • 相島漁港
  • 見島漁港
  • 須佐漁港
  • 江崎漁港


主な企業[編集]

学校[編集]

大学[編集]

私立

高等学校[編集]

萩市内には3校あり、いずれも中心部に設置している。

公立
私立

中学校[編集]

公立


私立

小学校[編集]

公立


私立

特別支援学校[編集]

専修学校[編集]

交通[編集]

交通網の整備は、山口県内では最も遅い地域であり、特に新幹線、高速道路網、空港へのアクセスが著しく不便である。

新幹線は山陽新幹線新山口駅を利用する人が最も多いが、萩駅 - 新山口駅間は路線バスのみしかなく、所要時間も1時間程度かかる。戦前には萩と岩国を結ぶ鉄道計画があり、当時の首相であった田中義一は萩出身ということで計画も前向きだったが、田中義一内閣の総辞職とともに頓挫、昭和40年代には鉄道で小郡(現在の山口市小郡)と萩を結ぶ「小萩線」の建設計画があったが、沿線町村の住民による反対や当時の国鉄の赤字路線整理の中で頓挫してしまった。

高速道路は、現在小倉方面へは中国自動車道美祢IC広島方面へは山陽自動車道防府東ICを利用する場合が多い。ただし、どの最寄インターも車で最短約40分以上かかる。しかし、2011年(平成23年)5月28日に美祢市にある小郡萩道路絵堂ICから同じく美祢市の中国自動車道と小郡萩道路上にある美祢東JCTまでが全線開通した為(調査区間は除く)絵堂ICから乗れば、美祢ICまで30分台で行けるようになった。

空路は山口宇部空港または石見空港を利用する。なお石見空港は愛称が「萩・石見空港」となっているが、利用者はあまり多くない。車を使用すれば山口宇部空港まで2時間、石見空港まで1時間かかる。

鉄道[編集]

  • 中心となる駅:東萩駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線が海岸沿いを東西に通るが、市街地の中心である三角州に乗り入れることなく、その南を迂回している。

バス[編集]

コミュニティーバス 「まぁーるバス」(萩バスセンター前)

東萩駅前と市中心部にある萩バスセンターを中心に、近距離、遠距離のバスが出ている。一般路線バスは市内全域を防長交通が、市中心部 - 旧旭村( - 山口駅)方面を中国ジェイアールバスが、旧須佐町・旧田万川町( - 益田駅)方面を石見交通が担当している。

長距離バス
主な一般路線特急バス
  • 新山口駅行き「はぎ号」(中国ジェイアールバス・防長交通)
  • 萩・石見空港連絡バス(防長交通・石見交通)
コミュニティーバス

道路[編集]

萩道路(山口県道32号萩秋芳線)

益田市より国道191号が海岸線に沿って南下して市内中心部を横断し、須佐で国道315号が、市中心部の土原で国道262号が、郊外の山田で国道490号がそれぞれ分かれている。国道191号は市内中心部では片側2車線の4車線になり、国道262号も現在改良工事が行われている。

高速道路網については、国道191号のバイパス道路、2011年(平成23年)9月23日に全線開通した萩・三隅道路山陰自動車道)、国道490号のバイパス道路として、まだ調査区間段階だが小郡萩道路の未開通部分である、絵堂IC - 萩IC付近までの事業着手が2014年度に決定した。

高速道路[編集]

高規格幹線道路(高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路

国道[編集]

  • 国道191号
  • 国道262号
  • 国道315号
  • 国道490号

主要地方道[編集]

一般県道[編集]


離島航路[編集]

離島航路は萩市が主に出資している萩海運が運営しており、離島の見島、大島、相島の三島と市内浜崎にある萩商港を結んでいる。

  • 萩 - 見島航路
  • 萩 - 大島航路
  • 萩 - 相島航路

なお、櫃島には航路がなく、島と本土の間の移動には住民所有の船舶を主に使用している。

観光[編集]

名所旧跡・観光地[編集]

松下村塾
松下村塾の講義室
山口県立萩美術館・浦上記念館
萩城下町

観光地としては、松陰神社松下村塾など幕末から明治維新にかけて活躍した長州藩の志士たちの史跡、萩焼窯元など伝統工芸に関する施設などが主である。多くが江戸時代から幕末にかけてのものであるが、旧郡部は自然を生かした観光地が多い。また古い町並みの保存・活用が盛んで、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定された地区が市内に4箇所あり、これは京都市・金沢市とともに全国最多である。

World Heritage Logo global.svg世界遺産

旧市内(阿武川河口部周辺)、離島部
川上地区(旧・川上村)
江崎地区・小川地区(旧・田万川町)
吉部地区・高俣地区(旧・むつみ村)
  • ひまわりロード
  • 昆虫王国
  • 秋川牧園(俗名・むつみ牧場)
  • 道の駅うり坊の郷 katamata
須佐地区(旧・須佐町)
明木地区・佐々並地区(旧・旭村)
福川地区・紫福地区(旧・福栄村)
  • 森田家住宅
  • 大板山たたら製鉄遺跡 World Heritage Logo global.svg-明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
  • 道の駅ハピネスふくえ

主な祭り・イベント[編集]

萩市は四季を通じて常にイベントを行っているが、伝統的な祭事はそれらのイベントの一部に組み込まれていることが多い。

例えば、山口県無形民俗文化財に指定されている「お船謡(おふなうた)」は夏祭りでのイベントの一つとして行われている。

特産品[編集]

萩市を舞台とした作品[編集]

メディア[編集]

萩市出身の有名人[編集]

明治から第二次大戦まで[編集]

戦後[編集]

出来事[編集]

萩市出身の幕末の3志士(吉田松陰・木戸孝允(桂小五郎)・高杉晋作)について、東京企業が、食品などさまざまな商品で商標登録を行っていたことが発覚、同市は特許庁に異議申し立てを行った。同市は、3人の名声に便乗した、商標権による利益取得が目的と主張している。

その他[編集]

周辺都市との距離[編集]

  • 山口市 45km
  • 下関市 105km
  • 益田市 60km

脚注[編集]

  1. ^ a b 川上敏文(2014年5月29日). “千石台大根:県内最大産地の萩で出荷始まる”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  2. ^ “「現代の薩長同盟」記念 萩市長らが鹿児島市でツバキ植樹”. 西日本新聞. (2016年2月10日). http://www.nishinippon.co.jp/nnp/kagoshima/article/223893 2016年2月12日閲覧。 
  3. ^ 川上敏文(2015年3月7日). “萩市:合併10周年記念式典 市の振興発展貢献など、個人90人と21団体表彰”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  4. ^ 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。『朝日新聞』。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]