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昭和の大合併

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日本の市町村別地図(1950年・1995年)
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昭和の大合併(しょうわのだいがっぺい)は、日本において1953年昭和28年)から1961年(昭和36年)にかけておこなわれた、政府主導の大規模な市町村合併である。日本には1945年時点で10,520市町村が存在したが、昭和の大合併を経た1961年には3,472市町村にまで統合された[1]

経緯

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背景

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昭和の大合併の背景としては、第一には合併による行財政力の強化への期待が挙げられる。当時の市町村財政は体制的赤字の傾向を示しており、合理化・効率化は急務となっていた。さらに、戦後復興にともなう経済の膨張によって、住民の生活圏は従来の市町村の単位を越えて展開されるようになっており、昭和の大合併にはこのことに対応する意味もあった[2]

1949年(昭和24年)のシャウプ勧告においては、租税体系を確立する上には、強力な地方自治体が必要であるとして、地方自治の強化が唱えられた[3]。1950年(昭和25年)には、同勧告に基づき設置された諮問機関である地方行政調査委員会議によって「行政事務再配分に関する勧告(神戸勧告)」がなされた。神戸勧告においては、市町村の規模合理化の必要性についても触れられ、自治体の規模は「おおむね人口七、八千人程度」とならない限り、新たに配分される事務はおろか現状の行政においても支障が生じうるとの見解が示された[4]

この数字について、同勧告の作成実務において中心的役割を果たした佐久間彌は、各市町村が中学校と福祉事務所を担うにあたって必要とされる人口規模として算出したものであると述べている[5]。これを検討した西川雅史は、当時の検証手続きには大雑把な部分も少なくなかったとしつつも、この数字は一人当たり支出を最小限とする規模としておおむね妥当であったと評価した[6]

当時の地方予算はドッジラインによる緊縮財政の影響を受けて大幅に削減されており、1951年(昭和26年)に地方自治庁から各都道府県知事へ向けて町村合併を促すための通知がなされたことなども影響して、一部の府県では国の合併政策に先んじて市町村合併の推進が行われた[7]。しかし、これらの合併自治体においては公共施設の再編や地方財政平衡交付金の減額といった問題も生じ、合併町村は1952年(昭和27年)に全国合併町村協議会を設立してこの是正を主張した[8]

町村合併促進法・新市町村建設促進法の施行

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全国町村会全国町村議会議長会を介した働きかけも影響して、政府は町村合併に関する法整備に取り組んだ[9]。1953年(昭和28年)には「町村が町村合併によりその組織及び、運営を合理的且つ能率的にし、住民の福祉を増進するように規模の適正化を図ることを積極的に促進し、もって町村における地方自治の本旨の十分な実現に資すること」を目的とする町村合併促進法が施行され、市町村の規模は「おおむね8,000人以上の住民を有するのを標準」とすることが定められた[1]。同法は8月8日に可決成立し、3年間の時限立法として10月1日に施行された[9]。これを受けて9月11日には「町村合併促進に関する件」が閣議決定され、自治庁長官を本部長とする町村合併促進本部が設置された。10月30日には町村合併促進基本計画が策定された。ここでは、3年間で町村数を従来の3分の1にあたる3,373にまで統合する計画が立てられ、各都道府県に対して管轄下の市町村の調査と合併計画の作成が指示された。同法失効までの3年間に、政府の基本計画の98%、都道府県の合併計画の89%の進捗率が達成された[10]

町村合併促進法が1956年(昭和31年)に失効したのち、同年にこれを引き継ぐかたちで新市町村建設促進法が施行された[1]。同法は5年間の時限立法であり、合併新市町村の建設と未合併町村の合併促進を目的としていた。同法においては未合併市町村に対する内閣総理大臣の勧告権が認められ、総理勧告後も合併を行わない町村は小規模町村に対して与えられる財政措置が受けられないこととなった。当時、合併計画に加え入れられながらも未合併であった861町村のうち552町村に知事からの合併勧告が行われ、319町村による201件の合併が成立した。残る542町村について、1958年(昭和33年)に町村合併最終処理方針が閣議決定され、各都道府県に対して未合併町村の調査と計画の再検討が指示された。これにより、同法が失効する1961年(昭和36年)6月29日までに、194町村が新たに合併された[10]。日本には1945年(昭和20年)時点で10,520市町村が存在したが、昭和の大合併を経た1961年には3,472市町村にまで統合された[1]

出典

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  1. ^ a b c d 新藤 2005, p. 93.
  2. ^ 新藤 2005, pp. 94–95.
  3. ^ 市川 2015, pp. 47–48.
  4. ^ 市川 1993, pp. 50–51.
  5. ^ 西川 2022a, p. 133.
  6. ^ 西川 2022a, pp. 147–148.
  7. ^ 西川 2022a, p. 129.
  8. ^ 市川 1993, p. 52.
  9. ^ a b 市川 1993, p. 53.
  10. ^ a b 市川 1993, p. 54.

参考文献

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  • 市川喜崇「「昭和の大合併」の再検討」『月刊自治研』第35巻第11号、自治労サービス、1993年11月、48-55頁、ISSN 1342-5021 
  • 市川喜崇「「昭和の大合併」再訪」『自治総研』第41巻第437号、公益財団法人地方自治総合研究所、2015年、30-88頁、doi:10.34559/jichisoken.41.437_30ISSN 0910-2744 
  • 新藤慶「「昭和の大合併」研究の動向と「平成の大合併」研究の課題」『地域社会学会年報』第17巻第0号、地域社会学会、2005年5月14日、91-108頁、doi:10.20737/jarcs.17.0_91ISSN 2189-3918 
  • 西川雅史「昭和の大合併を見直す(上)」『青山經濟論集』第73巻第4号、青山学院大学経済学会、2022年3月30日、125-155頁、doi:10.34321/22391ISSN 0385-6798 

関連項目

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