阿武天風

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阿武 天風
(あぶ てんぷう)
Tenpu Abe.jpg
阿武天風
ペンネーム 髭の少尉
虎髯大尉(こぜんたいい)
阿武激浪庵
怒濤庵少尉
黒面中尉
黒面魔人
誕生 阿武 信一(あんの しんいち)
(1882-09-08) 1882年9月8日
山口県阿武郡三見村
死没 (1928-06-22) 1928年6月22日(45歳没)
東京市青山南町倉上病院
職業 軍人小説家編集者
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 海軍兵学校(32期)
ジャンル 冒険小説軍事小説
代表作太陽は勝てり
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阿武 天風(あぶ てんぷう、1882年明治15年)9月8日 - 1928年昭和3年)6月22日)は日本軍人小説家編集者。雑誌『冒険世界』の主筆を務めるなどして、冒険小説を多く発表した。代表作に『太陽は勝てり』など。

本名は阿武 信一(あんの しんいち)。別名義に「髭の少尉」、「虎髯大尉」(こぜんたいい)、「阿武激浪庵」、「怒濤庵少尉」、「黒面中尉」、「黒面魔人」などがある[1]。ただし、これら別名義に関しては、河岡潮風など阿武の周囲の人物が用いていた場合もあり、これらの名義で執筆された文章の全てが阿武のものであるというわけではない[1]

経歴[編集]

山口県阿武郡三見村(現・萩市)出身。1901年(明治34年)、萩中学校(現・山口県立萩高等学校)を卒業し、海軍兵学校32期)に入学。3年間の訓練ののちに少尉となり、千代田扶桑などの乗組員として日露戦争に参加する。1906年(明治39年)2月、左足を負傷したことから退職。

このころから文筆で生計を立てようと考えるようになり、冒険小説家の押川春浪と友人になったこともあって、押川が主筆を務める雑誌『冒険世界』(博文館)で小説や翻案を発表するようになる。天風というペンネームを使うようになったのは1908年(明治41年)からで、これはいくつかの案の中から押川がクジ引きで決めたものであった。

1911年(明治44年)、押川が「野球害毒論」に関して博文館上層部と対立してこれを退社し、新たな雑誌『武侠世界』を創刊することになったため、『冒険世界』の主筆となる。この時、押川や阿武の所属していた社交団体「天狗倶楽部」のメンバーにはこれが阿武の裏切りに映ったため非難を浴びたが、後に和解した[1]。『冒険世界』の主筆は1917年大正6年)まで務めたが、この年、追い出される形で博文館を退社。『武侠世界』へ移籍する[1]

1918年(大正7年)、『武侠世界』の特派員としてシベリアへ渡っている[1]。この頃の阿武については、その後ハルビンで新聞『西伯利新聞』を発行していたことが判明している程度で、詳細なことは分かっていない[1]

帰国後、1926年(大正15年)から『少年倶楽部』で日米未来戦争小説である『太陽は勝てり』の連載を開始したが、翌1927年(昭和2年)、病気のためこれを中断。そのまま回復することなく、翌1928年(昭和3年)6月22日に死去[1]。45歳。

作風[編集]

軍事的要素と「空中戦艦」などのSF的ガジェット、この二つを特徴にした軍事冒険小説が主であり、押川春浪の影響が強い[1]

長所として、従軍経験を活かし軍人の心理などがリアルに書かれている、短所として、科学知識に乏しかったためかSF的ガジェットに科学的な裏付けの要素が少ない、などといった点があげられる[1]

エピソード[編集]

  • 海軍兵学校時代の夏休みに、中耳炎に罹ったため広島で療養していたところ、露探(ロシアのスパイ)と間違われたことがある。
  • 酒癖の悪さで知られた。酔って高いところから落ちるのは日常茶飯事で、「落っこち居士」とも呼ばれた。
  • 酒による失敗があまりに多いため禁酒を誓ったその日、「最後の酒」として押川とさんざん飲み、帰り道で崖から落ちた。
  • 押川の飲み友達であった作家の吉井勇も、阿武と押川の酒癖に関して「この二人寄ると何をやりだすか分らないので、いつも私達は逃げ出してしまった」と書いている[2][3]
  • 永井荷風の『断腸亭日乗』には、カフェー・プランタンで押川春浪たちとケンカになったという話が出てくる[4]が、この時阿武もこのケンカに参加している。ただしこの事件は証言によって細部が異なっており、阿武・押川が実際にどのような行動をとったのか詳細は不明である。

著作[編集]

短編[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 上田信道阿武天風の軍事冒険小説 日米未来戦の系譜を中心に」、『国際児童文学館紀要』第10号、大阪国際児童文学館1995年3月31日
  2. ^ 吉井勇 『東京・京都・大阪 よき日古き日』 中央公論社、1954年
  3. ^ 吉井勇東京・京都・大阪 よき日古き日』 平凡社〈平凡社ライブラリー 581〉、2006年7月。ISBN 4-582-76581-5
  4. ^ 『断腸亭日乗』大14年1月16日付。なお、これは荷風の回想であり、事件自体は1911年(明治44年)に起きている。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]