湯崎英彦

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本来の表記は「湯﨑英彦」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
日本の旗 日本の政治家
湯﨑 英彦(湯崎 英彦)
ゆざき ひでひこ
生年月日 1965年10月4日(49歳)
出生地 広島県広島市佐伯区(旧・五日市町
出身校 東京大学法学部
アメリカ合衆国の旗 スタンフォード大学ビジネススクール
前職 通商産業省官僚
アッカ・ネットワークス[1]代表取締役副社長
所属政党 無所属
称号 経営学修士
法学士
親族 父・湯崎稔
公式サイト ゆざき英彦のオフィシャルサイト

Flag of Hiroshima Prefecture.svg 公選第7代 広島県知事
当選回数 2回
在任期間 2009年11月29日 - 現職
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湯﨑 英彦(湯崎 英彦、ゆざき ひでひこ、1965年10月4日 - )は、日本政治家。第7代広島県知事実業家経営コンサルタント、元通産官僚、アッカ・ネットワークス創業者。広島県広島市佐伯区出身。

父は原爆の社会的影響に関する研究家の湯崎稔広島大学総合科学部教授)。

略歴[編集]

広島県知事としての取り組み[編集]

  • 2010年10月19日、予定される第3子誕生後に、都道府県知事として初めて「育児休暇」を取る意向であることが報道された[4]。第3子が誕生した同月26日に最初の「育児休暇」を取り、「イクメン」首長のひとりとして注目されたが、橋下徹大阪府知事から批判の声があがるなど、反応は様々であった[5]。同年11月29日の県知事の定例記者会見で、10月26日から11月25日までの1カ月の間に取得した育児休暇は、計12日間でのべ約20時間であったことを公表し、育児の重要性をPRするうえでの効果があったとの自己評価を示した。一連の「休暇」取得を終え、通常の執務体制に戻した[6]日本放送協会11月19日から3日間に行った、広島県内に住む無作為抽出の20歳以上の男女を対象にした電話世論調査では、知事の育児休暇について「賛成」が53%。「反対」が22%。「どちらともいえない」が21%[7]
  • 2010年10月に2011年度以降、県の管理職には年俸制を適用すると発表した。これは全国の都道府県初の試みである。湯崎知事自身は官僚出身であるが、民間企業経営の経験もあり、民間の成果主義を県政にも反映させようとしている。
  • 前任の藤田雄山前知事は広島市秋葉忠利市長と非常に仲が悪く、広島県知事と広島市長のトップ会談は長らく開催されていなかったが、湯﨑知事は就任早々、広島市長の秋葉と会談し、関係改善を進めていくことを約束した。秋葉氏の後継である松井一實市長とも同じ様に県と市の連携を深めていくことで合意している(湯崎知事は父が原爆の研究者、松井市長は被爆二世ということもあり、平和活動・核廃絶活動でも協力していくことを確認した)。
  • 県内外各地に直接視察に行くことが多い。現場第一主義を掲げている。2010年の広島東洋カープの春季キャンプを視察した際にはジャージ姿で選手と一緒にランニングする姿もあった。福山市鞆の浦景観訴訟に関しても知事就任早々に現地に赴き、現地住民の意見を聞いていた[要出典]

人物像・エピソード[編集]

  • 趣味はスキー、キャンプ、マウンテンバイク、トレッキング[8]
  • 座右の銘は「志と覚悟」[8]
  • 高校時代、高校交換留学にてアメリカのカリフォルニア州サクラメントに1年間留学[8]
  • 高校3年生の時には体育祭団長を務めた[8]。(広島大学附属高校は体育祭が盛んなことで知られ、体育祭を高等学校生活における一番の思い出として挙げる卒業生は多い[要出典]。)
  • 若い頃は女性にモテたらしく、女子高の文化祭でライバル進学校の生徒だった"吉川晃司に睨まれた"を自慢にしている[9]
  • 河野俊嗣宮崎県知事は高校の1年先輩であるが、当時校内で交流があったかどうかは不明。
  • 「その時々にやるべきことをやり遂げる」が信念[10]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
藤田雄山
広島県知事
公選7代:2009年 -
次代: