今松治郎
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今松 治郎(いままつ じろう、1898年7月25日 - 1967年10月14日)は、日本の政治家。総理府総務長官(初代)、自由民主党衆議院議員。
来歴・人物[編集]
愛媛県北宇和郡二名村(現・宇和島市)出身[1]。1922年、東京帝国大学法学部法律学科仏法科を卒業後、内務省に入省(中曽根康弘元首相や後藤田正晴元法相は後輩にあたる)。主に警察畑を歩み、1940年、和歌山県知事、1943年、静岡県知事となる。戦後は公職追放(1946年 - 1951年)を経て、1952年の第25回衆議院議員総選挙で旧愛媛3区から当選する(当選同期に大平正芳・黒金泰美・内田常雄・丹羽喬四郎・灘尾弘吉・宇都宮徳馬・植木庚子郎・加藤精三・重政誠之・町村金五・古井喜実など)。1957年第1次岸内閣 (改造)で初代の総理府総務長官に就任した。
岸信介に私淑し、1962年の岸派分裂後も最後まで岸派に残った。1967年10月14日、死去。享年69。
元内閣総理大臣の森喜朗は元秘書。森を今松の後継者として愛媛から1969年の衆院選に出そうという動きがあったが、森は結局地元の旧石川1区で立候補した。その際、森は自民党からの公認を得られていなかったにもかかわらず、岸の秘書中村長芳に応援を要請。岸は、森が今松の元秘書だと聞いて、わざわざ小松市まで足を運んだ。この選挙で森は初当選を果たした。
1970年4月に胸像を建立[1]。
脚注[編集]
外部リンク[編集]
公職 | ||
---|---|---|
先代 新設 |
![]() 初代:1957年 - 1958年 |
次代 松野頼三 |
官職 | ||
先代 清水重夫 |
![]() 官選第31代:1940年 - 1941年 |
次代 広瀬永造 |
先代 橋本清吉 |
![]() 1941年 - 1942年 |
次代 三好重夫 |
先代 藤岡長敏 |
![]() 官選第32代:1943年 - 1945年 |
次代 菊池盛登 |