藤原孝夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

藤原 孝夫(ふじわら たかお、1896年明治29年)11月20日 - 1983年昭和58年)5月8日)は、日本の内務官僚。官選県知事

来歴・人物[編集]

岡山県岡山市西古松に藤原祐三郎の長男として生まれる。岡山中学第六高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入り山口県属となり内務部農務課に配属。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。

以後、1922年(大正11年)6月富山県理事官・内務部学務課長、同県視学官1925年(大正14年)5月京都府内務部地方課長、岐阜県学務部長などを歴任し、1931年12月、復興事務局書記官・経理課長に就任した。1932年4月、内務事務官・大臣官房都市計画課勤務となり、さらに、衛生局保健課長、大臣官房会計課長を務めた。

1937年(昭和12年)7月7日、山梨県知事に任命され、以後、傷兵保護院計画局長、厚生省労働局長、内務省警保局長、千葉県知事、軍事保護院副総裁を歴任。1944年8月、神奈川県知事に発令され、1946年1月まで在任。同年9月に公職追放となった。

追放解除後は、厚生省中央環境衛生適正化審議会長、合同物産社長、学校法人東邦大学理事長などを務めた。1983年5月8日死去。享年86。

親族[編集]

著書[編集]

  • 『戦力増強と軍人援護』日本経国社、1945年。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 『日本の歴代知事 第1巻』歴代知事編纂会、1980年。
  • 『山梨縣政五十年誌』山梨縣編、昭和17年12月刊


学職
先代:
高木逸雄
学校法人東邦大学理事長
第4代:1964年 - 1969年
次代:
桑原章吾