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岡喜七郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡喜七郎の肖像写真

岡 喜七郎(おか きしちろう、1868年5月15日慶応4年4月23日) - 1947年昭和22年)7月4日)は、日本の内務官僚政治家。官選県知事警視総監貴族院議員。旧姓・伊丹。

経歴

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備前国(後の岡山県御津郡)出身。農業・伊丹喜三郎の長男として生まれ、旧幕臣・岡敬孝の養子となる。岡山中学成立学舎大学予備門を経て、1891年7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年10月、高等試験に合格し、内務省試補となり警保局に配属され、さらに県治局へ異動した。

1893年11月、鳥取県参事官に就任。以後、青森県内務部長、内務書記官・警保局警務課長、大阪府内務部長などを歴任。

1904年11月、秋田県知事に就任。1905年12月、統監府に移り警務総長に就任。さらに、韓国政府農商工部次官兼統監府警務総長事務取扱、韓国内務次官を歴任した。

1910年6月、鳥取県知事に就任。1913年2月、内務省警保局長となり、1914年3月31日、貴族院勅選議員に任じられ[1]交友倶楽部に属し1946年5月18日まで在任[2]

1918年9月、原内閣の際に警視総監に就任し、1922年3月の二重橋爆弾事件を経て同年6月まで在任。戦後の1946年9月に公職追放となった。

栄典

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ 『官報』第501号、大正3年4月2日。
  2. ^ 『官報』第5804号、昭和21年5月23日。
  3. ^ 『官報』第3199号「叙任及辞令」1894年3月1日。
  4. ^ 『官報』第4552号「叙任及辞令」1898年8月31日。
  5. ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
  6. ^ 『官報』第5981号「叙任及辞令」1903年6月11日。
  7. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  8. ^ 『官報』第7581号「叙任及辞令」1908年10月1日。
  9. ^ 『官報』第362号「叙任及辞令」1913年10月11日。
  10. ^ 『官報』第558号「叙任及辞令」1914年6月11日。
  11. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  12. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。
  13. ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
  14. ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
  15. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。


公職
先代
創設
日本の旗 統監府警務総長
(事務取扱:1907 - 1910)
初代:1905 - 1910
次代
明石元二郎