池田徳治
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池田 徳治(いけだ とくじ、1891年8月20日 - 1965年4月1日)は日本の政治家。
経歴
[編集]1891年(明治24年)秋田市保戸野本町に生まれる[1]。秋田県立秋田中学校(旧制)、第二高等学校 (旧制)、東京帝国大学工科大学卒[1]。内務省東北土木出張所長、秋田県土木部長を経て[1]、秋田県初代公選知事蓮池公咲及び自由党・民主党の推薦を得て1951年(昭和26年)の県知事選挙に出馬、小畑勇二郎を破る。以後1期4年にわたり秋田県知事を務めた。在任中の1954年(昭和29年)、秋田県出身の衆議院議員石田博英同席のもと、当時の首相吉田茂と会談し、八郎潟干拓事業の早期着工を要請している[2]。知事退職後は、秋島建設会長、全建興業社長などを務める[1]。1965年(昭和40年)、心臓麻痺のため73歳で逝去。
脚注
[編集]- ^ a b c d 井上隆明監修、塩谷順耳ほか編『秋田人名大事典』(第2版)秋田魁新報社、2000年、p.37頁。ISBN 4-87020-206-9。
- ^ 今村都南雄 「過去の調査のフォローアップ」、公益財団法人 地方自治総合研究所 2010年のコラム
公職 | ||
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先代 蓮池公咲 |
秋田県知事 公選第2代:1951年 - 1955年 |
次代 小畑勇二郎 |