清野長太郎

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清野長太郎

清野 長太郎(せいの ちょうたろう、1869年5月12日明治2年4月1日) - 1926年9月15日)は、日本の内務官僚憲政会系官選県知事復興局長官。

経歴[編集]

香川県高松出身。高松藩士・清野彦三郎の長男として生まれる。第一高等学校を経て、1895年東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、高等文官試験行政科試験に合格。内務省に入り警保局属となる。富山県参事官神奈川県参事官、内務省地方局町村課長などを歴任。

1906年1月、秋田県知事に就任。同年11月、南満州鉄道理事に転じた。1916年4月、兵庫県知事に発令され、1919年4月まで在任。1924年6月、憲政会の加藤高明内閣が成立すると神奈川県知事に就任。関東大震災復興事業を推進した。

1925年9月、復興局長官に転じ、首都復興計画を推進し、現職で死去。

栄典[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『官報』第8257号、「叙任及辞令」1910年12月28日。
  2. ^ 『官報』第8608号、「敍任及辞令」1912年3月2日。
  3. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。

参考文献[編集]

  • 『日本の歴代知事 第1巻』歴代知事編纂会、1980年。
  • 神奈川県県民部県史編集室編『神奈川県史 別編1』人物 : 神奈川県歴史人名事典、神奈川県、1983年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。