下稲葉耕吉
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下稲葉 耕吉(しもいなば こうきち、1926年4月29日 - 2014年2月17日)は、日本の警察官僚、政治家。法務大臣(第64代)、警視総監(第73代)、自由民主党参議院議員(2期)を歴任。
来歴・人物[編集]
鹿児島県出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)、第七高等学校造士館 (旧制)を経て1948年東京大学法学部政治学科(旧制)卒業。[1]
内務省に入省後、警察畑を進み、徳島県警察本部長、内閣総理大臣秘書官、警視庁警備部長 、大阪府警察本部長、内閣調査室長、警察庁次長、警視総監を歴任した。特に警視庁警備部長時代は70年安保闘争の時期にあたり、東大安田講堂事件等の指揮を執ったことで知られる。
1986年には参議院議員に転じ、文教委員長、議院運営委員長を歴任。1997年の第2次橋本改造内閣で法務大臣を務めた。約10ヶ月の法相在任中、3人の死刑囚の死刑執行を命令した。1998年の参議院選挙には立候補せず、政界を引退した。同年、勲一等瑞宝章受章[2]。
警視総監時に1度、参議院議員時にも1度、家に泥棒に入られている(総監の家には臨時のポリスボックスが設置される)。
ウルトラマンが好きで「正義を行えばただ単純に賞賛されるのはいいなぁ」とよく語っていた。
2014年2月17日午後1時31分、敗血症のため東京都中野区の東京警察病院で死去。87歳没。
略歴[編集]
- 1947年:内務省入省
- 1964年3月:徳島県警察本部長
- 1967年2月:内閣総理大臣秘書官(佐藤内閣)
- 1968年 - 1971年:警視庁警備部長 - 70年安保闘争など警備担当
- 1975年8月:大阪府警察本部長
- 1977年8月 - 1979年2月:内閣官房内閣調査室長
- 1981年 - 1982年:警察庁次長
- 1982年 - 1984年:警視総監
- 1986年7月:第14回参議院議員通常選挙比例区(自由民主党)で初当選
- 1992年7月:第16回参議院議員通常選挙比例区(自由民主党)で再選
- 1997年 - 1998年:法務大臣(第2次橋本改造内閣)
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 法務大臣 下稲葉耕吉 - 首相官邸ウェブサイト
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