青山繁晴

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日本の旗 参議院議員 青山 繁晴
前職 シンクタンク経営者
所属委員会 総務委員会
予算委員会
東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会
世襲
選出選挙区 比例区
当選回数 1回
所属党派 自由民主党
会館部屋番号 参議院議員会館 1215号室
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あおやま しげはる
青山 繁晴
Topaoyamashigeharu.JPG
青山繁晴(TCR懇話会にて)
生誕 青山 繁晴
(あおやま しげはる)

1952年7月25日(64歳)
日本の旗 日本 兵庫県神戸市長田区
住居 日本の旗 日本 東京都
国籍 日本の旗 日本
教育 学士
出身校 早稲田大学政治経済学部
職業 シンクタンク経営者
安全保障および国家政策研究員
作家
活動期間 1998年 - 現在
団体 独立総合研究所
テレビ番組 FNNスーパーニュースアンカー
たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜
青山繁晴が答えて、答えて、答える!
肩書き 参議院議員
前独立総合研究所代表取締役社長
近畿大学経済学部客員教授
任期 2002年4月1日- 2016年6月30日
後任者 青山大樹
配偶者 青山千春
子供 青山大樹(長男)
次男
青山 繁晴
(あおやま しげはる)
生誕 1952年7月25日(64歳)
国籍 日本の旗 日本
教育 早稲田大学政治経済学部
慶應義塾大学文学部中退
職業 政治部記者
活動期間 1979年 - 1997年
肩書き 共同通信社政治部記者

青山 繁晴(あおやま しげはる、1952年7月25日 - )は、日本政治家参議院議員安全保障および国家政策研究員作家。前独立総合研究所代表取締役社長、近畿大学経済学部総合経済政策学科客員教授(国際関係論)。夫人は水産学研究者・水産学博士で、同研究所取締役自然科学部長の青山千春、長男は同研究所社長の青山大樹[1]

来歴[編集]

生い立ちから就職以前[編集]

兵庫県神戸市長田区生まれ。3人兄弟の末っ子[2]として育った。青山家の祖先は、結婚式を挙げた港区南青山の青山墓地周辺の沼地で関東武士で強盗団であった。また、怪談『播州皿屋敷』に登場する青山鉄山が先祖と父親から聞かされ、家系図からも確認していることを公言している[3]。父親は8人兄弟の末弟で、青山が生まれた当時は実家の家業である青山織物株式会社[4]の神戸支店に勤務していたが、上の兄達がアクシデントに見舞われたことで、社長に就任するために会社のある加西郡泉町(現:加西市)へ戻ることになり、青山も家族と共に転居。高校卒業まで同地で過ごした[5]。また、青山が転居前に通っていた日本キリスト改革派教会付属長田幼稚園は、拉致被害者の一人である有本恵子と同じ幼稚園である[6][7]

1971年3月、淳心学院中高等学校を卒業。同年4月慶應義塾大学文学部に入学するが、1974年2月に中退。同月中に早稲田大学政治経済学部を受験し合格。同年4月、入学[8]

以前から天職と考えた記者になるべく、毎日新聞社から内定を貰っていたが、作家になる方向も考えていたので辞退。しかし、卒業間際に大学の就職課に貼ってあった共同通信社の追加募集の求人票を見つけた女友達(のちの千春夫人)から勧められ、学生課職員に問い合わせ、採用試験を受験し合格[9]

1979年3月 早稲田大学政治経済学部を卒業[10]

共同通信記者時代[編集]

1979年4月、26歳で共同通信社に入社[10]。2か月の新人研修後、徳島支局へ赴任、徳島県警の事件記者を担当。徳島大学病院不正事件等の記事を配信していく。新人研修が終わり同期社員が全国に散る前の同年5月25日、港区青山にて妻千春と結婚[11]

1983年6月に京都支局へ異動、京都府警キャップの任に就く。その後、途中数か月間、宗教記者を担当し、再び、京都府政を担当。

1984年4月、大阪支社経済部に異動。証券繊維財務金融業界を担当[12]

1987年4月、東京本社政治部に異動。首相官邸記者クラブでは第3次中曽根内閣の最後の1年間、竹下内閣の組閣後半年間、中曽根康弘竹下登内閣総理大臣総理番を担当。自民党では三木派、河本派を担当。民社党社民連法務省検察労働省連合防衛庁の担当を歴任。

1995年12月、外務省サブキャップを担当。1996年12月、ペルー日本大使公邸占拠事件発生直後にペルー入りし、共同通信ペルー特派員として半年間ペルーに滞在して事件の一部始終を取材した。1997年12月31日、共同通信社を依願退社。

三菱総研研究員、独立総合研究所設立以降[編集]

1998年1月1日付で株式会社三菱総合研究所に入社、国家戦略立案の専門研究員となる。

2000年4月 学生時代から目指していた物書きとして、小説第1作「夜想交叉路」で第90回 文學界新人賞にノミネートされた、しかし90回の新人賞は該当者無しとなる。その後、シンクタンクの仕事に加え、メディアへの参加(出演)で、日々のスケジュールが逼迫してしまい、小説を発表してこなかったが、11年3か月ぶりに小説を脱稿した。[13] 同年5月、中川暢三市長時代の兵庫県加西市の「加西市総合計画特別審議員」を委嘱される[14]。 同年6月には関西テレビの選挙解説者を委嘱される。2015年3月に至る迄、選挙解説、ニュース解説として『スーパーニュースアンカー』に番組参加(出演)していた。

2002年4月1日、三菱総研時代の仲間数人と独立して、有限会社独立総合研究所を設立。代表取締役社長兼主任研究員に就任。同年5月には経済産業省の総合資源エネルギー調査会の専門委員に任命される。2006年1月、カタールの中東戦略会議に参加。間に招待されない年もあったが、2012年も日本から1人の参加となった。[15] 研究者としては主に安全保障・危機管理外交・政治を専門分野とし各所で講演・講義を行っている。専門分野はエネルギー安全保障、危機管理、国家安全保障、国際関係論、国家戦略立案。 2006年7月 経済産業大臣の諮問機関「総合資源エネルギー調査会」の原子力安全・保安部会原子力防災小委員会 危機管理ワーキンググループ委員[16]に四たび任命(現職)。2006年12月 内閣総理大臣の任命により原子力委員会・専門委員(原子力防護専門部会所属)に就任。 2007年1月 海上保安庁の公式政策アドバイザーに就任(現職)[10]。2007年4月 近畿大学経済学部・国際経済学科の客員教授[17](国際関係論)に就任(現職)。

2013年9月26日、レギュラーコメンテーターとして番組参加(出演)していた、『ザ・ボイス そこまで言うか!』(ニッポン放送)の青山が出ていた放送回が「平成25年度 日本民間放送連盟賞 番組部門ラジオ教養番組」で優秀を受賞。

2016年6月20日大阪市北区帝国ホテル大阪にて記者会見を行い、通算8回目の出馬依頼を受諾し、第24回参議院議員通常選挙自民党公認で比例区から出馬する事を表明[18][19]し、比例区全体の6位である48万1890票を獲得し当選を果たした[20]。 また、選挙結果の当落関係無く、独立総合研究所の社長職を退任する事を発表したが、一個人の研究員として独研からの業務委託で政策研究、情報発信、また作家、メディアでの活動を続ける事も明言している。

人物像[編集]

東京で開催されたTCR懇話会にて

座右の銘は「脱私即的」(私を脱し、本来の目的に付くと言う意味)で、早稲田大学を卒業してから共同通信へ入社するまでの26歳の頃に、自身の体験から考案した造語である[21]。著作のサインに書き記したり、自身のPCの天板にも座右の銘のステッカーを貼っている[22]

他にも、「深淡生」(深く淡く生きて死す。即ち≪思い切り自由に、深々と謙虚に、淡々と強靭に、命のまんなかは真実でいよう≫の意)も座右の銘として挙げている。

また、「武士道精神」を重んじ、『葉隠』を愛読している[23][24]

肩書きについては、新聞、テレビ等で「ジャーナリスト[注 1]」、「評論家」、「タレント」などと誤って紹介されることが多いため、そのたびに「実務家」であると訂正している。2002年4月に独立総合研究所を設立して以降は、自身の第一の肩書は「独立総合研究所 社長」としている[25]

エピソード[編集]

  • 小学5年の時に、近所の悪ガキたちと「Z団」を立ち上げ、自宅の屋根の日の丸掲揚台に画用紙で「Z」と書いた旗を揚げていた。近所の人達から「青山さんの所は新興宗教でも始められたのですか?」と指摘された母親から叱責された[26]。 Z団のことで母親に叱られ、その次に「何でも相談所」を立ち上げて、近所の曲り角から自宅の青山の部屋まで至る道なり全てにお悩み相談所までの矢印が書かれた紙を貼って行った。これを見た女性が青山の元まで辿り着き、母親を驚かせ、女性にはお引きとりして頂き、青山本人は母親から再び叱られた[27][28]
  • 高校卒業後は慶応義塾大学文学部に進学。その後、経済学を学び直すため経済学部への転部を希望したものの、当時の慶大には転部制度が無かったため、慶大を中退して早稲田大学へ入学した[29]
  • 共同通信への就職活動時、入社試験の過程で人事課職員に年齢制限で断られるも、何十度もコールバックし願書を取り寄せ、面接時には三次面接では、面接官の当時:国際局局長原寿雄と大喧嘩をし、最終面接時では当時社長であった渡辺孟次と「早稲田から慶応への転学なら分かるが、慶応から早稲田の転学は許せない」と再度喧嘩になったが、結局合格した。そのため実家に帰宅した際、母親から「逆転ホームランやな」と言われた[30]。但し、青山が共同通信を退職する際、最後まで反対したのは原であった[30]
  • 結婚式を挙げた際、父親が支援者となっていた渡海元三郎建設大臣が参列したが、招待したのに渡海の座席が無く秘書が慌てたり、渡海が挨拶しているにも関わらず参列者が誰も料理の手を止めなかったりといった扱いをしていた[31]
  • 徳島支局配属1日目で県警本部の目の前で起きた交通事故を取材活動をしている際に、調書を覗き込もうとして警察官に突き飛ばされた。その際に、毎日新聞徳島支局の平野幸夫(現:大阪本社論説委員)が警察官との間に入り、調書を見せるよう強引に迫った。この一件を県警本部広報官が公務執行妨害に該当すると記者クラブに警告している際に、先の記者がクラブ全体の問題にすると反論すると、広報官は引き下がった。この経験から、弱い立場の記者が団結するという記者クラブの利点を知った[32]
  • 1984年、日本レース株買い占め事件で許永中を追っている際に、当時住んでいた京都市伏見区の自宅に匿名の脅迫電話を受けたことがあるとしている。[33]
  • 政治部記者時代に、妻である千春が大学に戻る際、休学を経て退学から12年が経過し、「前例が無い」と考え、航海士の受験を認めない動きがあったので、青山の取材で出会っていた、関係省庁や国会議員に対し、「受験を認めない世の中等おかしい」と公憤で抗議をした。結果、千春は航海士試験の受験が認められ、合格したので大学に復学出来た[34]
  • また、大学に戻れた後、世界一周遠洋航海に出た際、子育てをするため上司にお願いをし、会社の社用車を使用し、自宅と会社と取材先を往復する日々を過ごした[要出典]
  • 政治部内で労働省担当し、連合山岸章初代会長を取材した。その後、山岸の記事が上司である政治部デスクによって、週刊誌へ売られたことがあった[要出典]
  • 記者時代から通して、過去7回、政治家への出馬を打診されたことが何度もあった。新党さきがけ担当時に代表幹事だった鳩山由紀夫や、自民党塩川正十郎から打診されたことがある。その時に母親に相談したが、背筋を正し「お前ね、政治家の如き汚らわしい職にするために、育てたのではないバカたれ!」と怒られたので、誘った政治家に母の言葉をそのまま伝えたらしばらく口を聞いてくれなくなった。また、第23回参議院議員選挙でも、自民党から出馬の打診はあったが、結局「家族の反対」を理由に断った[35]
  • 青山自身、ペルー日本大使公邸占拠事件後に共同通信を退社したが、その理由はペルー事件の取材手法で取材協力者について、橋本龍太郎総理大臣から当時の共同通信社長に問合せ、一切その手法を明かさなかった。以前の社風と変わったことも共同通信を退社する理由の1つになったと吐露している[29]。また、ペルー事件をキッカケに退職していなかったら、新聞労組所属の共同通信労組の書記長に就任する予定だった[36]
  • 青山自身、留学経験は無いが、2016年時点でも実務的議論が出来る程の英語力を持っている。共同通信社から転籍直後の初海外出張時、秘書から通訳を付けるかと尋ねられたが、実務的な議論をする上で通訳を挟むと相手の考えの取り違いをしてしまうことを咄嗟に考え「必要ない」と答え、海外に行って耳から聞いて覚え、滞在2日目に相手が何を話しているか理解できるようになりそのまま喋れるようになったと語っている。また、中国へ1人で行く前に成田空港にて「すぐ使える15ヶ国語」という本を使用し、北京の空港からタクシー乗車時に行き先はメモで伝えたが、「ゲオファキャオ(領収書ください)」をネイティブな中国語で話したことを人民解放軍の将軍に話したら大ウケして、会議の雰囲気が和んだと主張している[37]
  • 記者時代の生活より更に忙しい生活の中、仕事が軌道に載ると8〜10日位家に帰れない日が続いた。そのため、大手町の会社から神田の銭湯へ行き、会社の床にダンボールを敷いて会社に寝泊りしてレポートを纏める日々を過ごすようになった。また、三菱総研入社以降、2016年に至るまで休日を1日足りとも取得していないと主張している[38]
  • 参議院選挙期間中、公示日である6月22日に天王寺駅から大阪高島屋前へ移動中街宣車が交通事故を起こし、むち打ち状態で選挙戦を戦った[39]。また、週刊文春の2016年7月7日号にて前述のペルー事件を機に退社時、選挙出馬依頼等の流れを曲解した記事が掲載されたこと[40][41]を受け、7月2日に週刊文春の記者と文春を虚偽の記事を記載したことによる選挙妨害として、公職選挙法違反で東京地検特捜部に刑事告発した[42]
    また、選挙運動は既存の選挙戦セオリーを否定し、ウグイス嬢白手袋、党幹部からの為書き、選挙戦序盤はたすきすら使用していなかった。当選後は万歳三唱ダルマの目玉入れ、祝電、花束贈呈を拒否した。

趣味・嗜好[編集]

交友関係[編集]

健康[編集]

  • タバコについては、学生時代に長兄と同居時にKOOLを勧められて吸っていたが、後に金欠になり止めてしまった。また、栄養ドリンクについても効果が全くでない体質であると吐露している[55]
  • 過去、スキーを滑走している最中に足の骨を3回位折っているが、2009年2月27日、出張で訪れていた長野県内で2時間の空き時間中滑走していたら、ジャンプ台でジャンプして墜落。左側の腰椎横突起5本を骨折した。
    当時、消防大学校の講師をしていたため、自ら119番通報出来ず、人を介して通報し運ばれた。その後、入院中の病院から抜け出し仕事に復帰し、今では腰椎の筋肉が強化され以前より調子が良くなったと回想している[55][56]
  • 2010年11月3日、『FNNスーパーニュースアンカー』の番組参加後、関西テレビから近い病院に搬送され、尿路結石に罹患したことを明らかにした。1日わずか2時間の午睡時にも眠れないほどの激痛だったが、前年の2009年に出張で浜松駅に居た時にも同様の痛みがあったが、そのままにしていた事が原因としている[57]
  • 2010年11月1、2日の人間ドックで大腸にポリープが見付かり[58]、内視鏡での除去手術を受けた。その後、切除されたポリープを病理解剖に回し、検査結果が初期の大腸がんと診断され、2011年2月17日に切除手術を受け[59]、退院の間も病院を抜け出し仕事を行っていた[60]
  • 2011年3月7日の朝に腸閉塞に罹患したことを明らかにした。3月9日に腸が破裂する位の状態で青山の自宅近所の開業医から点滴治療を受けた後、番組参加する予定だった『FNNスーパーニュースアンカー』を休んで、腸が破裂する可能性があったのに関わらず、羽田空港から伊丹空港を経て大阪へ入り、番組内で告知した尼崎市内で催された講演会にて講演後、帰りの東海道新幹線車内のトイレの中で泡を吐き続けながら新大阪駅から品川駅まで戻り、大腸癌を切除した病院へ入院して事無きを得た[61]
  • 2015年、無呼吸症候群のため、口蓋垂を切除した[62]
  • 2015年時点で睡眠時間は1時間30分位が殆どのため、現在の秘書からスマートフォンアプリケーションで睡眠管理しており、睡眠の深さを確認することが習慣になっている[63]

主張[編集]

憲法[編集]

現行の日本国憲法連合国軍による占領下連合国によって作られたものとし、ハーグ陸戦条約にも抵触すると主張している[64]。また、改憲論者だが、自民党の憲法草案には反対で、大日本帝国憲法を含め、オリジナルの憲法を作り直すことが必要だと主張している。
  • 憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」については、「国連加盟国192か国それぞれ全ての国に、国別に192通りの公正と信義があるにもかかわらず、日本国憲法前文は、あたかも唯一の公正と信義があるかのような記述になっている。「国情により異差のある公正と信義」を認識していないのが日本国憲法前文であるとし、これでは日本国民を守ることは出来ないという見地に立っている。 故に、抑止のための軍事力は必須のものである」と主張[65]
  • 日本国憲法第9条については「『国家国民をどうやって守るのか?』ということが一切書かれておらず、改憲しないのであれば、未来を見据えて、どうやって守るのかが書かれた第三項または、九条のもとに安全保障基本法が必要だ」「九条と前文は対になっており、本来九条で書かれるべき国民を守る手段は前文(平和を愛する諸国民の…)に書かれているが、国際社会においては諸国それぞれの国益において信じる正義があって、あたかも唯一同一の『公正と信義』があるかのような認識の憲法では、本当に日本国民を守ることはできない」と述べている。また、以下のように主張している。
  • 1項は、戦争の反省に立った不戦の誓いであると同時に、過去の否定であるとの認識。自衛隊が出動するということは、例えば沖縄県を巡り中国国際紛争が勃発した際、憲法ではこれを禁じている。しかし自衛権を行使する時は、当然国際紛争になっているので、何故自衛権が必要なのだろうか。揉めているからこそ自衛権が必要なのであり、本来ならばこの項は「不当な侵略には用いない」と記述すれば充分とし、致命的な「武力による威嚇」も永久に放棄すると定めているという解釈をされるので、改正すべきと主張[66][要出典]
  • 2項には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあるが、「その他」の定義が何も無いので国民がどんな目に遭っても戦う手段が無く[67]、「その他の戦力」も認めないとなると、何でもない日常の生活道具が「その他の戦力」に変わってしまうので、文面通りだと四肢を切り落とさなければならないと指摘している[68]。「交戦権を持たない」と明記されているが、これも、帝国軍隊を持たないという過去の否定であると認識。我が国は、国の交戦権を認めていない。交戦権を認めていない日本を、フランスなどは信じられないという態度で認識しており、交戦権を認めないということは、具体的に言えば、国民が他国に拉致されても取り返しにいけないということだと解釈されており、9条は武装解除のための憲法だとしている[69]。また、今まで現行憲法と憲法英原文を比較する機会が隠されていたので、憲法を自分の言葉で作る機運が無かったと指摘している[70]。また、拉致被害者を取り返すために他国では自国の軍を使ってでも取り返すのに、日本は憲法9条の1項、2項の縛りがありできないので、今すぐにでも改憲をして取り返さないと拉致被害者と被害者家族の年齢を考えたら時間が無いと主張している[71]
  • 日本国憲法第65条 で、最終責任者について唯一触れているのが憲法65条のみであり、その内閣の物事の決め方は閣議での全会一致で、条文を「行政権内閣総理大臣に属する」という形に改正すべきだとし、これにより責任の所在が行政という曖昧なものでなく、首相に帰結する。それにより首班指名に直結する総選挙への有権者の意識も変わるし、首相自身の意識も変わると主張。
  • 日本国憲法第96条 改正条項に関連し、青山は共同通信社時代に憲法を作成した米国人への取材を行い、96条について質問したが「96条について全く当時は問題にならなかった」「日本人はいずれ憲法改正をするに決まっている、だから最初のハードルを高くしただけの話だ」とのコメントを得たことを紹介し、「この憲法を変えずに来たのは私たち自身なのだ」と述べ、96条を使って改正し、改正を重ね、広げ、最終的には全面的に新憲法誕生にこぎ着けるべきと主張している[71]

国防[編集]

  • 国民防衛を主眼とする「国民軍」の創設を主張している[72](志願制の国軍[73])。同じ敗戦国のドイツは1950年に新しい軍の創設を行い、1955年にドイツ連邦軍を発足ができたことを振り返りドイツが立派で日本が愚かという観点で考えず、世界は戦争に負けた時どうするかを考えて来て、日本は一度も戦争に負けて来なかった差があるという指摘をしている[74]
  • 日本固有の武士道の精神に基づき、戦いに無関係である一般市民を無差別に殺傷する核兵器の使用には、「世論が核保有に傾き、核保有反対が少数意見になろうとも、私は命ある限り核(兵器保有)に反対する」として一貫して反対の立場を貫いている。[75][76]

エネルギー問題[編集]

ウーマンズフォーラム魚全国シンポジウムで紹介されたメタンハイドレート。壇上スクリーン右下の人物が青山
  • エネルギー問題については、日本周辺の資源開発を進めるべきという立場で、メタンハイドレートが日本のエネルギー問題を解決する切り札と見ており、アジア諸国への安価で輸出の可能性があるので、メタンハイドレートは日本人のためだけでなくアジアの希望でもあると述べている[77]

原子力行政[編集]

  • 福島第一原子力発電所事故[注 4]が発生後、2011年4月15日、福島第一原子力発電所から20km以内が警戒区域に指定される直前に発電所周辺で、2011年4月22日には、原子力安全保障専門家としては初めて原発構内に立ち入って吉田昌郎福島第一原子力発電所所長と意見交換を行い、視察について吉田所長の対談映像を含めた詳細な報告をおこなった[78][79][80][81][82][83][84][85]。原子力委員会の専門委員を務めていることから、同年5月13日の参議院予算委員会に参考人として召致され答弁した。答弁で、「原子炉建屋は実は津波の直撃を受けた段階ではまだしっかりしていた」、「実際は事象、事故が始まった後の判断ミスなどによる対応の遅れによって水素爆発が起きて、放射性物質の漏えいの大半も、全てではありません、正確に申しますが、多くのものもその事後の言わば判断ミスや操作ミスによって起きた人災と考えるべき」などと主張した[86]。なおこの件に関しては政府、国会、民間の調査団体等が運転員の証言や運転日誌などの状況証拠に基づいていくつかの検証を発表したが[87][88][89][90][91][92]、2013年5月に最終的に東電が事故当時の発電機の起動状況を示す電流・電圧記録を公表し、2011年3月11日午後3時36分59秒に津波によって原子炉の電源が喪失していたことが明らかになり、青山らの説は否定された[93]

TPP[編集]

  • TPPについては、2011年初頭までは賛成の立場を示していた[94]。しかし、その後反対に転じて、その理由は、アメリカ国内の枠組みに日本の市場を奪われ、アメリカの基準で工業製品や農作物を製造、耕作することになり、日本の強みが無くなると示している。「日本の農業は輸出競争力があり、TPPが本当に公正な環太平洋地域の貿易自由化を志向しているのなら農業の振興につながるが、TPPの実態は日米の二国間交渉であって、従属的な対米関係のもと日本が米国と対等な二国間交渉を行った経験がない上に、米国はTPPによって日本の知的サービスの市場を席巻することを狙っている」として反対の立場をとった[95]

メディア[編集]

  • 日本のメディアのパターンとして、映画、テレビドラマの様に特ダネを求める記者像とは全然違い、特オチを気にしており、大手新聞社の東京最終版の一面に載っていない記事が出ないようにする、横並び体質を批判している[96]
  • 日本のニュースソースバリューとして、デスクが選ぶ記事が「それって、面白いの?」と言う観点からしか記事にしていない[97]。また、日本を褒める物は売れないと考えの違うメディアの人間との酒の席で言われることもあり何度もストレスが溜まると吐露している[98]
  • また、朝日新聞吉田調書ならびに吉田証言の記事取り消しの謝罪内容を聞いていると、自分たちは悪く無いと論点をすり替えていると見て取れる。押し紙等で実際の販売部数が幾ら減ってるか分からないが、記者、社員の給与水準見直しやリストラを加味する必要が無い位、2015年時点で購読者がいるから、体質が変わらずにいる。但し、青山自身は朝日新聞を宅配定期購読していることを常々発信し、その理由は「考えの違う相手の主張を確認し、記事の執筆手法でどの役所の官僚や政治家に取材したかが分かるため」としている。2015年からは、並行し産経新聞も宅配定期購読をしているが、官僚や政治家に電話で意見交換する場合のきっかけは朝日の場合が殆どだと指摘している[98]
  • ニュース番組ワイドショー情報番組に出演しているコメンテーターが専門的な知識を持っておらず、いい加減なことを論評しており、そのコメンテーター達の多くは芸能プロダクションと所属契約若しくは業務提携をしている大学教授作家がいる。その立場の人間が、「ウチの事務所は、強いので様々なテレビ局に顔が利く」と自慢げにし[99]、生活の糧にしている[100]。そのため、現行憲法の言い分をベースにしか発言することを実行してると指摘する[101]
  • また、ジャーナリストの定義に対し、売れる物と言う考え方を示しており、自身が組織に属した経験からフリージャーナリストに対し、大手メディア所属からするとマトモに取扱うことが殆どない[注 5]。また、フリージャーナリストの問題として、大手メディアが自分が取材した記事、映像、音源を買って貰いたいから、横との繋がりで徒党を組んで事の騒ぎを大きくし危険を冒すことがある。「ジャーナリスト」の呼称を使わないように心掛け、「(染まらない、利潤を追求しない)記す者」と意識しているとの見解であった[3]

対北朝鮮外交・拉致問題[編集]

  • 北朝鮮による日本人拉致問題は、「人道上の問題ではなく、国家安全保障上の問題である」とし、「拉致被害者を最後の一人まで取り返さない限り拉致問題の解決はない」としている。また、「決して北朝鮮側の都合で拉致被害者を選別させてはならない[102]」と強く主張している。日朝が再調査で合意した際も、「犯人が自分に都合のいい人選をしているに等しい行為」と北朝鮮及び日本政府の対応を非難している。
  • 拉致問題の解決のためには「金正日体制崩壊以外には無い」として北朝鮮に対する圧力路線を一貫して支持し、ブッシュ米政権による北朝鮮封じ込め路線、金融制裁も評価していたが、2006年ごろからのブッシュ政権による米国務省主導の融和路線に対しては強く批判している。特に、ヒル当時:国務次官補の外交政策は日本の国益に反するとして、「日本政府はヒル次官補の解任を要求すべきだ」と述べていた。
  • 安倍晋三の「拉致問題では絶対にぶれていない」として拉致問題の取組みに対し評価はしている。しかし、第2次安倍内閣以降の改造人事で、拉致問題担当大臣のポストが入替り、北朝鮮の朝鮮労働党との直接交渉出来るポジションではないことを嘆いている。安倍のほかに拉致問題に対し信頼できる政治家として与党では古屋圭司山谷えり子、野党では松原仁中山恭子を挙げている。[要出典]

歴史認識[編集]

  • 真珠湾攻撃は、米国によって巻き込まれた陰謀であり、ハル・ノートについてはシカとすべきだったと主張している[103][104]。また、奇襲攻撃と日本の多勢が示しているが、外務省の役人が宣戦布告文書をタイプライターでタイピングするのに時間が掛かり、アメリカ側に伝わるのが遅れたので奇襲攻撃では無いと言う主張をしている。
  • 北方領土返還については、「外交は話半分がセオリーなので2島4島で交渉しても意味が無い。」「また、「知床旅情」の歌詞は嘘で、知床半島国後展望塔から国後島まで26km程で遠く無い[105]。」「また、サハリン(南樺太)ユジノサハリンスクとメディアでもずっとそれだけ言っているが、日本は確かに本当は樺太豊原も含めて樺太の南半分(南樺太)は日本の町でサンフランシスコ講和条約で放棄したとされているが、その条約にソ連つまりロシアは加わっておらず[106]、現在でも日本と有効な条約はポーツマス条約の内容なので、ロシアの不法占拠状態(未決着地)で領土と決まっておらず、交渉のテーブルに千島列島含めて交渉して、初めて4島戻って来る。」と主張している。
  • 慰安婦に関するアメリカ合衆国下院121号決議に反対する意見広告THE FACTS)の賛同人として名を連ねている[107]。2015年12月の日韓合意については反対の立場を取り[108]、安倍にも合意すべきでない旨を伝えた[109]
  • 第1次安倍政権時、河野談話を肯定したことに対し、「村山談話はともかく、河野談話は認める必要があったのか」「アメリカ合衆国下院121号決議採択は、河野談話肯定が致命的な失策だった」と批判した。また、2015年4月29日の両院合同演説の草案作成時には、「今上天皇のお言葉(2003年12月18日のお誕生日に際しての記者会見)をもう一度読んで、内容を見直すべき」と内閣官房の当局者に意見をぶつけていた[110]
  • 731部隊が行ったとされる細菌実験や人体実験については、「その証拠が残っており、動かし難い事実である」との立場である。「中国は「南京大虐殺」の問題に決着が付いた後、次の歴史カードとして731部隊の問題を出してくる」とし、日本は先手を打って731部隊を議題にし、日中共同の歴史研究をもう一度やり直すべきであり、日本に都合の悪い部分も全部出すことによって、初めてカードを封じ込めることができると述べている[111]
当代栗林家当主と握手する青山(左)
  • 硫黄島については、以前から存在を知っており特には気に留めていなかったが、ワシントンD.C.へ出張時、ホテル自室でクリント・イーストウッドがインタビューされている番組で、「硫黄島の映画を作ったが、「アメリカの立場」と「日本の立場」で作り、日本人俳優の渡辺謙を起用した」とクリントが答えた場面を見て「日本の立場」と言う点に着目し、原則立入り禁止の硫黄島に上陸し自由に1日視察が出来る許可を防衛庁から得て、2006年12月9日、産経新聞・フジテレビ(フジサンケイグループ)が共同所有していた取材用ジェット機に搭乗し上陸[112][113]。上陸以後、2007年5月29日、第1次安倍内閣時に官邸での昼食懇談の席上[114]、安倍に対し、硫黄島の戦いのレクをして、安倍が激高したので「貴方はもうすぐ、失脚する。その理由は自民党内から足を引っ張られるので、「間違った呼称である「いおうじま」を止めさせて欲しい[注 6]」、「自衛隊基地の滑走路を引き剥がして、その下に残されている遺骨を収集して欲しい[注 7][115]」と二点を主張していた。
  • 共同通信社入社の1979年の夏休みに沖縄戦の戦跡を見るため沖縄県に行った際、現地のタクシー運転手の案内で「白梅の塔」を訪れ、塔の裏手へ回り、下部の扉を開くと中に真っ白な人骨がうず高く積まれているのを目にした[116]。その後、白梅同窓会と出会ってから交流を持つようになり、「沖縄には9つの学徒看護隊があるのに係らず、ひめゆりは観光地化されているのに、白梅は沖縄県民ですら忘れている存在なので、白梅の塔を訪問して欲しい」と主張している[117][118]
  • 靖国神社は私的な施設にしておくのではなく、国家護持にすべきと主張し、本殿隣に賊軍として祭られている鎮霊社の英霊も本殿の霊璽簿奉安殿で祀るべきと主張している。
    また、遊就館の展示内容については、「何故、戦争に負けたかと言う理由をフェアに明示べきだ」と主張している[119]

著作[編集]

単著[編集]

共著[編集]

連載コラム[編集]

現在[編集]

  • 『澄哲録片片』(Hanada)、2015年3月 - 2016年3月(月刊WiLL)、2016年4月 -

過去[編集]

参加(出演)番組[編集]

テレビ番組には出ているが、自分の考えを述べているだけで他の出演者と違い演じている訳では無いので、出演と言う言葉を使わない旨の発言をしている[120]

テレビ[編集]

過去の参加(出演)番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

単発・不定期番組[編集]

テレビ
ラジオ


公職[編集]

有識者委員[編集]

有識者委員及び官庁機関の講義の日当については、どの役所からも受取りを拒否し、無給で務めている事を強調している

講義[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 青山自身は共同通信社を退社した時点で記者人生を終え、以下「余生」としている。
  2. ^ 移動中もノートPCにて原稿を書いているため、非常にハードユースであると青山は述べている。また、青山がテレビ番組に出ている時は常々手元に置かれ、ニューズDEズバリのコーナーでも使用された。
  3. ^ 富士スピードウェイ開催の第1、2、5戦のエントリー
  4. ^ 青山は「福島原子力災害」と呼称
  5. ^ イラク戦争従軍時に、大手メディアの特派員、支局が撤収したらフリージャーナリストに委託する
  6. ^ この後に、前者については安倍政権により日本側の正式名称である「いおうとう」に再統一する指示が出され、2007年9月、国土地理院が硫黄島の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」に変更した地図を刊行した
  7. ^ 結果、官邸は予備費から事業費として数十億円を計上した
  8. ^ 後に『キュウコク』にて単行本化
  9. ^ 2012年3月28日までニュースの見方を担当
  10. ^ ※議員当選し、レギュラー降板
  11. ^ ※議員当選し、レギュラー降板
  12. ^ 『中西一清スタミナラジオ』からの継続参加(出演)
  13. ^ ザ・ボイスのパイロット番組
  14. ^ 2006年から2011年まで
  15. ^ 共同通信社時代から2016年時点まで講師を務めている
  16. ^ 2001年12月からの随時講義で2006年位まで担当
  17. ^ 2016年4月15日 -
  18. ^ 2004年12月の随時講義
  19. ^ 2007年4月に客員教授に就任(現職)

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外部リンク[編集]