脇雅史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
脇 雅史
わき まさし
生年月日 (1945-02-02) 1945年2月2日(79歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都杉並区
出身校 東京大学工学部土木工学科卒業
前職 近畿地方建設局局長
参議院議員
所属政党 自由民主党額賀派→無派閥)
称号 工学士(東京大学・1967年

日本の旗 参議院議員
選挙区 比例区
当選回数 3回
在任期間 1998年7月26日 - 2016年7月25日
テンプレートを表示

脇 雅史(わき まさし、1945年昭和20年〉2月2日 - )は、日本建設官僚政治家。前参議院議員(3期)。

建設省道路局国道第二課課長、建設省河川局河川計画課課長、近畿地方建設局局長自由民主党参議院幹事長、自由民主党参議院国会対策委員会委員長参議院政治倫理審査会会長、参議院選挙制度協議会座長などを歴任した。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1945年2月、東京都杉並区にて生まれた[1]東京都立西高等学校を経て、東京大学に進学した[1]。東京大学では、工学部土木工学科に在籍し[2]土木工学を学んだ。1967年3月、東京大学を卒業した[2]

官界にて[編集]

東京大学を卒業後、1967年4月に技官として建設省に入省した[2]。建設省の地方支分部局においては、1974年4月より中国地方建設局の太田川工事事務所に赴任した[2]1979年からは、中国地方建設局の企画部において企画課の課長を務めた[1]1983年12月からは、中部地方建設局の三重工事事務所にて所長を務めた[2]1992年1月からは、関東地方建設局にて河川部の部長を務めた[2]。また、建設省の内部部局においては、1981年4月より河川局の開発課にて課長補佐を務めた[2]1985年12月からは、河川局の海岸課にて海洋開発官を務めた[2]1990年4月からは、河川局の治水課にて都市河川室の室長を務めた[2]

1993年6月、建設省の道路局にて、国道第二課の課長に就任した[2]1994年7月には、建設省の河川局にて、河川計画課の課長に就任した[2]1995年6月には、近畿地方建設局にて局長に就任した[2]1997年8月、建設省を退官した[2]

政界にて[編集]

1998年第18回参議院議員通常選挙にて自由民主党公認で比例区から日本建設業連合会の支援を受けて立候補し、初当選。以降2010年第22回参議院議員通常選挙まで連続3選[2]。初当選後、平成研究会へ入会した。2010年8月、鈴木政二の後任として自由民主党参議院国会対策委員長に就任した(2011年10月に再任)。

2013年7月、自由民主党参議院幹事長に就任した。そのほか、参議院においては、政治倫理審査会会長などを務めた[1][2]。また、自由民主党においては、政務調査会にて国土強靱化総合調査会や道路政策特命委員会にて顧問を務めた[2]2014年には額賀派を退会して無派閥となった[3]

参議院における一票の格差是正について、自民党の案について一票の格差是正が不十分だと反発し、2015年7月に参議院会派を離脱した(自民党籍は維持)。その後、参院自民党では青木幹雄森喜朗古賀誠の3者の引退した元大物政治家が目を光らせて組織運営に口出しする長老支配が続いていることを暴露している[4]

2016年7月の第24回参議院議員通常選挙には出馬せず引退。

政策・主張[編集]

参議院の位置づけ
良識の府とされる参議院に所属する議員は、閣内に入るべきではないと考えており、それを持論としている[5]。そのため、参議院で当選3回を数えるものの、旧政務次官大臣政務官副大臣国務大臣といった閣内の役職には一度も就いたことがない。第2次安倍改造内閣発足直前、自由民主党参議院会長溝手顕正から「あなたを閣僚として官邸に推薦したい。私の顔を立ててほしい」[5] と打診された際にも、「推薦するのは勝手だが、受けない」[5] と回答している。
選挙制度改革
参議院の選挙制度協議会の座長として、一票の格差を是正する改革案の取り纏めに尽力した。選挙制度協議会に対しては、参議院議長山崎正昭から、2014年中に改革案を取り纏めるよう求められていた[6]。また、同年中には、第23回参議院議員通常選挙の一票の格差に対して、最高裁判所が憲法判断を下すと予測されていた[6]。こうした経緯もあり、与野党を含めた各会派から意見を聴取し、自ら多数の合区など抜本的な座長案を提示するなど[7]、改革案の取り纏めに奔走した。この座長案では有権者の数が少ない選挙区を隣接区と統合することで一票の格差を1.83倍にまで低下させるとしており[7]、各会派に対して座長案への賛否の表明や対案の提示を要請していた[7]。しかし、自由民主党参議院会長の溝手顕正は改革案の取り纏めを2015年の統一地方選挙以降に先延ばしようと考えており[6]、党としての対案を提示しないなど[6]、消極的な姿勢を取り続けた。業を煮やした脇は「参院議長から年内に結論を出すように言われている。自民党だけ案を出していないのはおかしい」[6] と指摘したうえで、非協力的な態度をとる溝手について「来春の統一地方選後まで選挙制度の見直しをやらないという会長の考えには大変な誤りがある。自民党の信用を失墜させる行為だ。責任を取るべきだ」[6] と批判し、参議院会長の辞任を要求したが、溝手は辞任に応じず、12日に逆に脇が参院幹事長から更迭された[8]
2015年7月、自民党が4つの選挙区を2つに合区して合同選挙区を創設することを含めた「10増10減」とする案で野党4党と合意したことに是正不十分として反発。自民党会派を離脱した上で、10合区を含めた「12増12減」とする公明党案に賛成を表明しつつ[9]、「10増10減」とした改正案に反対票を投じた[10]

発言[編集]

選挙での候補者の選び方
2013年9月18日に行われた自民党女性議員の集会で「今の制度は政党の段階で候補者の選び方が未熟だ。政党が本当に正しい意味で国会議員を選べるか。これさえしっかりしていれば、あまり大きな声では言えないが、選ぶ人がアホでも、選ばれる人は立派だ」と発言し、その後も撤回を否定した[11]
一票の格差についての広島高等裁判所岡山支部判決
一票の格差が最大4.77倍だった同年7月の参議院選挙を無効と判断した広島高等裁判所岡山支部判決の一部について11月29日、「取り消してほしい。はなはだ変な判決だ」と批判した。また判決文で本質的協議が行われているとは認められないと指摘されたことに「裁判所に進行中の協議に言及する資格はない」とも述べた。政党幹部が判決の取り消しを求めるのは異例である[12]
普天間基地移設問題
2014年1月19日の沖縄県名護市長選挙で争点となったアメリカ軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題に関して、1月21日の記者会見で「(米軍)基地といった迷惑施設、例えばごみ焼却場とか、そういったものはたくさんある」と述べた[13]

略歴[編集]

インターネット配信[編集]

  • チャンネル桜「闘論!倒論!討論!」等、不定期にて出演中

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 「脇雅史(わきまさし)」『脇 雅史(わき まさし):参議院参議院2013年11月28日
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 参議院議員脇雅史2014年2月5日
  3. ^ 額賀派の求心力低下必至…田村、脇氏ら3人退会 読売新聞 2014年10月4日
  4. ^ 「参院自民党は死んだ…」脇雅史・前自民党参院幹事長 産経新聞 2015年8月24日
  5. ^ a b c 共同通信「参院選挙改革に自民内紛/更迭方針、離党でけん制」『Web東奥・政局・最前線東奥日報社2014年9月6日
  6. ^ a b c d e f 脇氏、溝手氏に参院会長辞任要求へ、選挙制度改革めぐり対立激化 - MSN産経ニュース産経デジタル2014年9月9日
  7. ^ a b c 「参院選『11合区』案――格差1.83倍、脇座長提示」『参院選「11合区」案 格差1・83倍、脇座長提示 - MSN産経ニュース産経デジタル2014年4月25日
  8. ^ “脇幹事長を更迭、後任に伊達氏 参院自民が特別総会”. 産経新聞. (2014年9月12日). http://www.sankei.com/politics/news/140912/plt1409120008-n1.html 2015年8月2日閲覧。 
  9. ^ 自民党前参院幹事長、会派離脱届を提出 10増10減案に反対 産経デジタル(2015年7月10日)2016年7月6日閲覧。
  10. ^ “参院選挙制度改革:「10増10減」案、脇氏は反対票”. 毎日新聞. (2015年7月25日). http://mainichi.jp/senkyo/articles/20150725/ddm/005/010/064000c 2016年7月6日閲覧。 
  11. ^ 「選ぶ人がアホでも」 自民参院幹事長、有権者軽視? 朝日新聞デジタル 2013年9月18日
  12. ^ 「取り消してほしい」と自民・脇参院幹事長 「本質的協議ない」との指摘に立腹 MSN産経ニュース 2013年11月29日
  13. ^ 米軍基地は「迷惑施設」=自民・脇氏 時事ドットコム 2014年1月21日

関連項目[編集]

党職
先代
溝手顕正
自由民主党参議院幹事長
2013年 - 2014年
次代
伊達忠一