続訓弘
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続 訓弘 つづき くにひろ | |
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生年月日 | 1930年9月14日(94歳) |
出生地 | 日本 熊本県 |
出身校 |
中央大学法学部 専修大学大学院法学研究科 |
前職 | 東京都副知事 |
所属政党 |
(公明党→) (公明新党→) (新進党→) (黎明クラブ→) (公明→) 公明党 |
称号 |
旭日大綬章[1] 法学修士(専修大学・1958年) |
第23-25代 総務庁長官 | |
内閣 |
小渕第2次改造内閣 第1次森内閣 第2次森内閣 |
在任期間 | 1999年10月5日 - 2000年12月5日 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1992年7月27日 - 2004年7月25日 |
続 訓弘(つづき くにひろ、旧字体:續 訓弘、1930年〈昭和5年〉9月14日 - )は、日本の政治家。東京都副知事、参議院議員(2期)、総務庁長官(第23・24・25代)を歴任した。
経歴
[編集]熊本県生まれ。中央大学法学部卒業、専修大学大学院修了。1953年8月、東京都庁に入庁した。東京都財務局主計部長、財務局長などの役職を歴任し、1983年5月に東京都知事鈴木俊一の下で東京都副知事に就任。1991年に副知事を退任した。
1992年、第16回参議院議員通常選挙に公明党公認で比例区から立候補し、初当選を果たした。1994年、新進党結党を控え、公明党が公明新党、公明に分裂した際は公明新党に参加し、その後新進党に参加した。新進党解党とともに黎明クラブを経て、公明に合流する。
1998年1月、公明代表浜四津敏子の下、政策審議会長に就任。第18回参議院議員通常選挙には公明公認で比例区から立候補し、再選を果たす。同年11月、新党平和、黎明クラブ、公明が合流し公明党が再結成され、公明党代表神崎武法の下で中央幹事、両院議員副会長を歴任。
1999年10月、小渕再改造内閣で総務庁長官及び中央省庁改革等担当大臣に就任し、初入閣を果たした。2000年、内閣総理大臣小渕恵三が脳梗塞で危篤に陥り、小渕内閣は総辞職する。続く第1次森内閣でも総務庁長官に再任され、12月の内閣改造で退任する。その後、公明党副代表に就任。2001年7月、党常任顧問に昇格した。
2004年の第20回参議院議員通常選挙には立候補せず、政界から引退。
人物
[編集]- 東京都副知事の任期は、慣例では知事選のたびに交代するため4年であるが、続は東京都知事鈴木俊一の下、8年間にわたり副知事を務めた。
- 公明党所属の国会議員の中では数少ない非創価学会員であった(非創価学会員ながら公明党に所属した国会議員は他に草川昭三、池坊保子がいる)。
脚注
[編集]- ^ “皇居で大綬章の親授式/赤松元文相ら15人”. 四国新聞社 (2003年11月5日). 2023年4月27日閲覧。
公職 | ||
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先代 太田誠一 |
総務庁長官 第23・24・25代:1999年 - 2000年 |
次代 片山虎之助 |
議会 | ||
先代 山下栄一 |
参議院行政監視委員長 2001年 |
次代 森本晃司 |
先代 竹山裕 |
参議院行政監視委員長 1998年 - 1999年 |
次代 浜田卓二郎 |
先代 新設 |
参議院外交防衛委員長 1998年 |
次代 及川順郎 |
先代 及川順郎 |
参議院法務委員長 1996年 - 1997年 |
次代 風間昶 |