嶋崎均
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嶋崎 均 しまさき ひとし | |
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生年月日 | 1923年3月28日 |
出生地 | 石川県 |
没年月日 | 1997年5月11日(74歳没) |
所属政党 | 自由民主党 |
親族 |
嶋崎譲(弟) 竹下登(義兄) |
選挙区 |
(石川県選挙区→) 比例区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1971年2月 - 1989年7月9日 1996年10月9日[1] - 1997年5月11日 |
内閣 | 第2次中曽根改造内閣 |
在任期間 | 1984年11月1日 - 1985年12月28日 |
嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 1997年5月11日)は、日本の官僚、政治家。参議院議員(5期)。石川県出身。
来歴・人物[編集]
第四高等学校 (旧制)を経て、1947年3月東京帝国大学法学部政治学科卒業後、大蔵省入省。
弟は社会党衆議院議員だった嶋崎譲で兄弟で与野党に別れる。夫人同士が姉妹のため元首相の竹下登は義兄に当たる。兄に雲井社長・嶋崎弘、弟に嶋崎丞(石川県立美術館長)、東方歩(東洋交通社長)、妹に嶋崎晶子(立正短期大学教授)。党内で宏池会(宮沢派)に所属。
経歴[編集]
- 1971年2月:参院補選・石川県地方区に自由民主党から出馬し初当選(当選5回)
- 1984年11月:第2次中曽根改造内閣の法務大臣として初入閣
- 1989年7月:参院選で連合型候補に敗れる。この選挙に関し、嶋崎に投票する意思のあった者が弟の譲の名前を間違えて記入し、その結果投票が無効になった可能性があるとして選挙結果の無効を提訴。
- 1990年5月:名古屋高等裁判所にて選挙無効請求を棄却される。
- 1992年7月:参院選では、返り咲きを目指し比例区から出馬するも落選。
- 1996年10月:山東昭子が衆院選出馬のため議員辞職したことから繰り上げ当選。
- 1997年5月11日;現職のまま脳梗塞のため逝去。74歳没
脚注[編集]
- ^ 『官報』第1994号、平成8年10月9日「平成4年7月26日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る欠員による繰上補充による当選人の住所及び氏名に関する件(中央選挙管理会告示第20号)」
関連項目[編集]
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