伊江朝雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007年5月14日)は、日本政治家自由民主党所属の元参議院議員(3期)。北海道開発庁長官沖縄開発庁長官などを歴任。沖縄県出身者初の国務大臣として知られる。

経歴[編集]

沖縄県那覇市出身。男爵伊江王子家当主。伊江御殿十三世伊江朝真次男・伊江朝睦の次男。伯父である貴族院議員伊江朝助の養子となる。

1945年、東北帝国大学法学部卒業[1]運輸省に入省。国鉄旅客局長、国鉄九州総局長、国鉄常務理事(営業担当)を歴任。

1977年の参議院議員選挙全国区から自民党公認で立候補し初当選した。伊江の当選を目指して多くの国鉄管理職が奔走したが、その結果、鉄道管理局部長、課長、駅長ら32人が選挙違反で逮捕された。国鉄は政府や政治家から干渉を受けていたが、国鉄自身も深く政治に関わっていたことが浮き彫りとなった[2]

沖縄開発政務次官、参議院大蔵委員長などの要職を歴任。1989年に3選。1991年宮澤内閣で北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官として入閣。1994年、参議院公式訪問団団長としてブルガリアを訪問。1995年の参院選で落選し政界を引退した。

議員在職中、弾劾裁判所裁判長第一代理、参議院賀詞案起草に関する特別委員長、参議院改革協議会座長、参議院国会等の移転に関する特別委員長、関東沖縄関係団体協議会会長などを務めた。

1995年に勲一等瑞宝章を受章[3]。1996年、琉球新報賞、1999年には沖縄タイムス賞、2000年には沖縄県功労者表彰をそれぞれ受賞した。

2007年5月14日、リンパ腫のためJR東京総合病院にて死去。85歳没。従三位

人物[編集]

  • 重要文化財の伊江御殿墓、沖縄県有形文化財に指定されている「伊江家文書」の所有者でもあった。
  • 国鉄時代は「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを展開し、観光ブームの火付け役を果たした。
  • 国鉄在職中、雑誌『鉄道ファン』の創刊に関わった。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 琉球新報ホームページ 人事・訃報
  2. ^ 第2節 国鉄外部からの過大な干渉一橋大学鉄道研究会
  3. ^ 「95年秋の叙勲 勲一等・勲二等」『読売新聞』1995年11月3日朝刊
公職
先代:
谷洋一
日本の旗 沖縄開発庁長官
第26代:1991年 - 1992年
次代:
北修二
議会
先代:
下条進一郎
日本の旗 参議院議院運営委員長
第40代:1991年
次代:
井上孝
先代:
戸塚進也
日本の旗 参議院大蔵委員長
1983年 - 1984年
次代:
藤井裕久