佐藤道夫

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佐藤 道夫(さとう みちお、1932年10月24日 - 2009年7月15日)は、日本政治家参議院議員(2期)、検察官弁護士

経歴[編集]

宮城県仙台市出身。仙台一高東北大学法学部卒業。司法試験に合格。1957年検察庁入り。札幌地方検察庁検事東京地方検察庁特別捜査部検事・同庁刑事部長・最高検察庁検事などを歴任。

東京地検特捜部では西山事件の捜査を担当し、起訴状を書いた。起訴状に記された「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」という起訴理由は、世論を国家が密約を結んだことの是非から、西山の私的なスキャンダルに向けさせた。後年、米国側の公文書公開で密約が明らかにされた後、テレビ朝日の『スーパーモーニング[1]に出演し、当時を振り返って「言論の弾圧といっている世の中のインテリ、知識層、あるいはマスコミ関係者なんかにもね、ちょっと痛い目にあわせてやれという思い」から起訴状の文言を考えたという感情論を述べた。

1991年札幌高等検察庁検事長に就任。1991年10月から1993年にかけて『週刊朝日』に「法談余談」を連載[2]した。

1992年9月、東京佐川急便事件において、金丸信政治資金規正法違反で20万円の罰金刑という比較的軽い処分で済んだ際には、出頭要請を拒む金丸に検察が事情聴取すらしなかったことを批判する文を『朝日新聞』に読者投稿して掲載され、現役の検事長による検察批判ということで話題を呼んだ[3]

1995年参院選に立候補するため、6月に札幌高等検察庁検事長を辞職。第二院クラブから比例1位で当選。二院ク代表を務める。1997年4月4日、オレンジ共済組合事件友部達夫参院議員に対する議員辞職勧告決議案が採決された際、自民党がかつてリクルート事件での藤波孝生元労相への辞職勧告決議案に反対したことと「友部被告は無罪を主張して争っており、推定無罪が司法の原則だ。藤波氏と比較してバランスを失する」として全参院議員の中で唯一、決議案に反対した。

オウム真理教への破壊活動防止法適用について、「破防法は共産党を取り締まるための法律。共産党員に適用するのは大いに結構だが、宗教団体であるオウムに適用するのは法の想定を超えている。」と否定的だった。しかし、団体の存在自体を(破防法適用以外の方法で)法的に規制・禁止すること自体は肯定した。

任期満了の2001年参院選では民主党に移籍。立正佼成会のバックアップを受けて再選した。北朝鮮による日本人拉致問題にも取り組み、2002年には石破茂中川昭一平沢勝栄上田清司西村眞悟らとともに新拉致議連の呼びかけ人となっている。2007年参院選は出馬せず、政界を引退。

政界引退後は弁護士として、実子で兄弟の佐藤貴夫弁護士と佐藤明夫弁護士が経営する佐藤総合法律事務所に在籍し活動した。また2007年6月から2009年6月まで京浜急行電鉄監査役を務めた。

2009年7月15日、肺炎により死去。76歳。

著書[編集]

  • 『検事調書の余白』 朝日新聞社 1993年、朝日文庫、1996年
  • 『検事調書の余白2 法の涙』 朝日新聞社 1995年、朝日文庫、2000年
  • 『法の心 ある政治家の法律論』 朝日新聞社、1997年
  • 『「この国のあり方」を問う!』 日新報道、1996年
  • 『「この国のあり方」を問う!2 「腐敗の根源」を衡く』 日新報道、1997年
  • 『「不祥事続出警察」に告ぐ』 小学館文庫、2000年
  • 『政官腐敗と東京地検特捜部』 小学館文庫、2001年
  • 『モラルハザードへの挑戦 ある政治家・法律家の提言』 近代文芸社、1999年
  • 『「参議院」いまだ「良識の府」に非ず!』 リベラルタイム出版社、2007年

脚注[編集]

  1. ^ 2006年3月8日放映。
  2. ^ 後に大幅加筆の上『検事調書の余白』(朝日新聞社ISBN 4-02-261305-X として単行本化
  3. ^ 『朝日新聞』2009年8月29日号。

関連項目[編集]