橋本聖子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本の旗 日本の政治家
橋本 聖子
Seiko Hashimoto 081222-A-8552S-495.jpg
生年月日 (1964-10-05) 1964年10月5日(53歳)
出生地 北海道勇払郡早来町(現:安平町
出身校 駒澤大学附属苫小牧高等学校
前職 富士急行社員
スピードスケート選手
自転車競技選手
現職 参議院議員会長
所属政党 自由民主党細田派
公式サイト seiko-hashimoto.com

選挙区 比例区
当選回数 4回
テンプレートを表示

橋本 聖子(はしもと せいこ、戸籍名:石﨑 聖子(いしざき せいこ)、1964年10月5日 ‐ )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(4期)、自由民主党参議院議員会長(第29代)。公益財団法人日本スケート連盟会長、公益財団法人日本自転車競技連盟会長。公益財団法人日本オリンピック委員会副会長。スピードスケートおよび自転車競技の元選手でオリンピック日本代表として出場。アルベールビル冬季オリンピックスピードスケート女子1500m銅メダル。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事[1]

略歴[編集]

北海道勇払郡早来町(現:安平町)出身。現在は千葉県在住。4人兄弟の末子。

実家は養牛で知られ、父の善吉はマルゼン橋本牧場を経営し「のハシモト」として世界に名を知られた牛の仲買商。後にサラブレッドJRA顕彰馬マルゼンスキーの生産者としても知られる。

1964年東京オリンピックの直前に生まれ、聖火にちなんで「聖子」と名付けられた[2]。このことから、後にマスコミで「五輪の申し子」と呼ばれる[3]。父親の方針で3歳でスケート開始。小学3年の時、腎臓病にかかり、2か月間入院。2年間スポーツを禁止される[4]

中学3年の時、全日本選手権を初制覇の後、駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学。全日本スプリント、全日本選手権で優勝。以後、10年間にわたって全日本選手権を制覇。高校1年で世界ジュニア選手権の日本代表に選ばれる[要出典]

原因不明の呼吸器系の病気にかかり生死をさまようが、後に全日本選手権で「4種目完全制覇」を達成。

1983年、高校卒業後、富士急行株式会社へ入社。

1994年、富士急行株式会社退社。1995年第17回参議院議員通常選挙比例区に自民党から立候補し初当選。国会議員とスポーツ選手の二足のわらじを履き、午前3時に起きて自転車に乗り、昼間に国会議員としての活動をして、夜9時すぎから2時間のウエイトトレーニングという日課を繰り返し、の地方講演には自転車で移動をするなどして練習に充てていた。1996年には現職国会議員としてアトランタオリンピックの自転車競技2種目に出場するも、12位と9位に終わる。現役スポーツ選手続行の体力があると自負していたものの、国会議員としてのオリンピック出場が政界とスポーツ界の両方から批判をされたことを理由に「両方の世界を傷つけた」としてスポーツ選手としての現役引退を決意する[5]

2000年8月、園田天光光以来51年ぶり、現役国会議員として2人目、参議院議員としては初の出産。これに先立ち、妊娠判明後の同年3月、出産による本会議欠席を認める参議院規則改正が行われ、事実上、国会議員の産休が制度化する。橋本は直前まで議員活動をし、入院後2時間で初の出産。現在、三男三女あり(実子3人)。

政治活動[編集]

選挙歴[編集]

当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第17回参議院議員通常選挙 1995年7月23日 比例区 自由民主党 ' ' ' - 第13位
第19回参議院議員通常選挙 2001年7月29日 比例区 自由民主党 265,545 ' 6/27 - -
第21回参議院議員通常選挙 2007年7月29日 比例区 自由民主党 221,361 3.7 11/35 - -
第23回参議院議員通常選挙 2013年7月21日 比例区 自由民主党 279,952 6.4 5/29 - -
当選回数4回 (参議院議員4)

スポーツ活動[編集]

オリンピック[編集]

オリンピック
日本の旗 日本
女子 スピードスケート
1992 アルベールビル 女子 1500 m
  • 1984年、サラエボ冬季オリンピック出場。当時スピードスケート女子全種目の4種目に出場したが、いずれも8位以内(入賞)には届かなかった(500m11位、1000m12位、1500m15位、3000m19位)。
  • 1988年カルガリー冬季オリンピックではスピードスケート女子全種目の5種目に出場し、全ての種目で日本記録を更新の上、入賞を果たす(500m5位、1000m5位、1500m6位、3000m7位、5000m6位)。但し3000mでは、同走の選手にクロッシングゾーンで本来譲られるべき走路(ほぼ同走時はアウトからインに入るコースの選手が優先権)を妨害されてしまい、その選手と接触するアクシデントがあった(同走の選手は走路妨害で失格)。さらに最後の出場種目だった5000mでは、レース終盤に苦悶の表情ながらも懸命に滑り続け、そして最後は完全に力尽きてしまい転倒してのゴールとなった(後に橋本本人は「あのゴール直後の転倒は私自身非常に恥ずかしく、スケート人生の中で一番悔いの残るレースだった」と語っている[7])。
  • 同1988年、ソウル夏季オリンピックに自転車の代表選手として出場した。このため、関ナツエとともに、日本人として男女を通して史上初めて冬・夏両方のオリンピックに出場した[要出典]
  • 1989年、世界オールラウンドスピードスケート選手権大会において、500m優勝を含む日本人初の総合銀メダル。
  • 1992年アルベールビル冬季オリンピックも女子スピードスケート全5種目出場。女子1500mでの橋本は、序盤から中盤まで積極的に飛ばし続け、終盤ラップタイムが落ちたものの屋外リンク自己記録の2分6秒88をマーク。結果3位入賞を果たし、日本人女性としては史上初となる冬季オリンピックで銅メダルを獲得する快挙を達成した[8]。1000mは5位入賞だった(他500m12位、3000m12位、5000m9位)。
  • 1992年、バルセロナオリンピック出場(自転車競技)。女子3000m個人追抜で11位。
  • 1994年、リレハンメル冬季オリンピック出場。日本選手団の主将を務め、女子スピードスケートでは500mを除く4種目に出場。特に3000mでは、600m付近で当時世界記録保持者のグンダ・ニーマンの転倒に巻き込まれ、橋本自らも転んでしまい左肘と左脇腹に打撲傷を負うハプニングがあった。その後橋本の再レースが認められ、約1時間経過後の再レースでは当時の日本新記録となる6位入賞を果たした。5000mでも8位入賞だった(他1500m9位、1000m21位)。
  • 1996年、アトランタオリンピック出場(自転車競技)。女子3000m個人追抜で12位、女子2万4000mポイントレースで9位。

合計7回(冬季大会4回・夏季大会3回)のオリンピック出場は日本最多記録である(女子では8回出場のヨセファ・イデムが世界最多記録)。

引退後[編集]

現役引退後は後進の指導に当たる。個人の芸能マネジメント事務所「セイコ・ハシモト・インターナショナル(SHI)」を設立し代表に就任。

その他、前述の通り父が馬主であったことから、日本競馬にも幼き頃より造詣があり、自由民主党の競馬推進議員連盟の会長にも就いている[23]

[編集]

オリンピック出場7回は女子として日本最多記録[要出典]

政策・政治行動[編集]

2013年参院選 毎日新聞候補者アンケートによると

支援団体[編集]

所属団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

論文[編集]

政治資金問題[編集]

橋本が代表を務める自民党支部が、2015年2月農林水産省補助金対象となった北海道内の2つの企業から計42万円の寄付を受けていたことが、2016年11月公開の政治資金収支報告書により判明。橋本は「補助金対象とは知らなかった」として、寄付金の一部を返還することとした[30]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 評議員会を開催 組織委員会新理事を選任 一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
  2. ^ 橋本 聖子さん Interview 「競馬というのは世界最高のエンターテイメントだと思うんです。」 2/7 日本馬主協会連合会 2016年6月17日
  3. ^ 1988年9月16日、朝日新聞朝刊、「『聖子』の由来、いま実感 橋本さん、念願の聖火リレー」
  4. ^ 政治家としての道―葛藤と決意 橋本聖子公式サイト
  5. ^ 政治家としての道―葛藤と決意 橋本聖子公式サイト
  6. ^ “橋本聖子氏、自民参院会長に無投票当選 初の女性会長”. 朝日新聞. (2015年7月26日). http://www.asahi.com/articles/ASJ7V3168J7VUTFK003.html?iref=comtop_list_pol_n05 2016年7月26日閲覧。 
  7. ^ 著書「聖火に恋して」より
  8. ^ Albertville 1992-Medals ceremony: BORNER J. (GER) 1st, NIEMANN G. (GER) 2nd, HASHIMOTO S. (JPN) 3rd.
  9. ^ “橋本聖子氏がJOC理事”. 朝日新聞. (2009年11月18日). http://www.asahi.com/olympics/news/TKY200911180224.html 2013年10月17日閲覧。 
  10. ^ “平成25・26年度JOC新役員を決定”. 日本オリンピック委員会. (2013年7月1日). http://www.joc.or.jp/news/detail.html?id=4130 2013年10月17日閲覧。 
  11. ^ “JOC会長、竹田氏8選 選手強化本部長は橋本聖子氏”. 朝日新聞. (2013年6月28日). http://www.asahi.com/olympics/articles/TKY201306280372.html 2013年10月17日閲覧。 
  12. ^ [1]
  13. ^ 橋本氏がJOC副会長就任へ時事ドットコムニュース
  14. ^ No.530 10月号 - 日本ハンドボール協会
  15. ^ “自民・橋本聖子氏、告発選手名の公表を/柔道”. 産経スポーツ. (2013年2月6日). http://archive.fo/ANGu0 2013年10月17日閲覧。 
  16. ^ “橋本聖子氏「告発選手名の公表を」”. 日刊スポーツ. (2013年2月6日). http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20130206-1081666.html 2013年10月17日閲覧。 
  17. ^ “柔道、匿名で告発に異議? 橋本聖子氏、後に釈明”. 朝日新聞. (2013年2月7日). http://www.asahi.com/sports/update/0206/TKY201302060380.html 2013年10月17日閲覧。 
  18. ^ “全柔連、副会長・専務理事も辞職へ 女性理事に谷亮子氏ら起用”. 日本経済新聞. (2013年6月25日). http://www.nikkei.com/article/DGXNZO56591720V20C13A6CR8000/ 2013年10月17日閲覧。 
  19. ^ [2]
  20. ^ [3]
  21. ^ 新会長に松丸氏=ライフル射撃協会時事通信
  22. ^ 新副会長に橋本聖子氏 日本ホッケー協会朝日新聞デジタル
  23. ^ 日本馬主協会連合会のインタビュー
  24. ^ “宮崎正弘の国際ニュース・早読み”. 宮崎正弘. (2007年12月8日). http://www.melma.com/backnumber_45206_3927357 2013年10月17日閲覧。 
  25. ^ 世界日報 2001年11月9日
  26. ^ 2012年1月11日朝日新聞
  27. ^ 2013参院選 自民党 橋本聖子
  28. ^ “参院選で自民候補支援の宗教団体、靖国参拝に賛否”. 朝日新聞. (2013年8月16日). http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201308150478.html 2013年10月17日閲覧。 金曜日朝刊第3面記事
  29. ^ a b 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
  30. ^ 補助金企業、橋本聖子氏の支部に寄付…一部返還 読売新聞 2016年11月25日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
市川一朗
日本の旗 参議院文教科学委員長
2001年 - 2002年
次代:
大野つや子
公職
先代:
伊藤信太郎
山本一太
日本の旗 外務副大臣
伊藤信太郎と共同
2008年 - 2009年
次代:
武正公一
福山哲郎
党職
先代:
溝手顕正
自由民主党参議院議員会長
第29代:2016年 -
次代:
(現職)
先代:
世耕弘成
自由民主党参議院政策審議会長
2012年 - 2013年
次代:
山谷えり子
名誉職
先代:
喜岡淳
最年少参議院議員
1995年7月 - 1998年7月
次代:
鶴保庸介