公明党

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日本の旗 日本の政党
公明党
Komeito
New Komeito Party Headquaters.JPG
公明党本部
代表 山口那津男
副代表 北側一雄
古屋範子
幹事長 井上義久
参議院議員会長 魚住裕一郎
成立年月日 1964年(昭和39年)11月17日
本部所在地
〒160-0012
東京都新宿区南元町17
北緯35度40分44.4秒 東経139度43分16.9秒 / 北緯35.679000度 東経139.721361度 / 35.679000; 139.721361
衆議院議席数
35 / 475   (7%)
(2014年(平成26年)12月14日現在)
参議院議席数
25 / 242   (10%)
(2016年(平成28年)7月26日現在)
都道府県議数
207 / 2,675   (8%)
(2015年(平成27年)12月31日現在[1]
党員・党友数
451,426人
(2014年(平成26年)12月31日現在[2]
政治的思想・立場 中道主義[3]
機関紙 公明新聞
政党交付金
30億5187万 円
(2016年(平成28年)8月31日決定[4]
公式サイト 公明党
シンボル 赤い太陽
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公明党(こうめいとう、英語: Komeito)は、日本仏教宗教法人創価学会[5]を母体として、中道を目指して結成された日本の政党自由民主党自公連立政権を形成する与党第二党である[6]。略称は公明。1字表記の際は、と表記される。

旧党名は公明新党(こうめいしんとう)、公明(こうめい)、新党平和(しんとうへいわ)、黎明クラブ(れいめいクラブ)。

概要[編集]

1961年(昭和36年)、衆議院進出を目指し、創価学会・池田大作第3代会長(当時、現:名誉会長)によって[7][5]公明政治連盟」が結成される。1964年(昭和39年)、「公明政治連盟」を改組し、宗教政党[8]公明党」を創立[9][10]

1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)にかけて、創価学会と公明党が自らを批判する書籍の出版・流通を阻止・妨害するために働きかけていた(「言論出版妨害事件」)ことが公になり、日本国憲法第21条で保障されている「言論の自由」を侵すものとして社会的批判を受けた。また、この問題を通して、創価学会と公明党との密接な関係が憲法第20条に規定された「政教分離原則」に反するという批判も強くなり国会で議論されるようになった。国会での追及が公明党と創価学会を制度的に明確に分離することを約束し、「国立戒壇」という表現は将来ともに使わないこと、「国立戒壇」を国会で議決することを目標にしないことなどを約束、党の綱領から「王仏冥合」「仏法民主主義」などの用語を削減するなど、宗教色を控える方針転換を図った。

これ以降、自由民主党日本社会党二大政党がしのぎを削っていた「55年体制」の中にあって、保守でも革新でもない「中道路線」の立場をとる。1973年(昭和48年)以降、社公民を軸とする「反自民」の「中道革新連合政権構想」を提唱したが、1970年代後半に、地方の首長選では自公民の選挙協力を取るようになる。一方で日本共産党とは1974年(昭和49年)に相互不干渉を約束、「創共協定」を結ぶが1年ほどで死文化した[11]

長らく中道路線を取りつつ、1990年代には、自衛隊の海外派遣を認める「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(PKO法)制定に賛成して外交政策を転換。1993年(平成5年)には、非自民・非共産連立政権である細川連立政権に参加。結党以来初めて与党の側につき、郵政大臣労働大臣総務庁長官環境庁長官などの国務大臣のポストを得た。その後、新進党の誕生による分党期(1994年(平成6年)12月5日 - 1998年(平成10年)11月7日)や1998年(平成10年)の新進党解散を経て「公明党」を再結成する。1999年(平成11年)からは自民党(小渕内閣)の要請を受け、連立に参加(自自公政権)。以後10年に渡り連立を組み(自公保・自公連立政権)、一時は民主党への政権交代に伴い下野するも、2012年(平成24年)から再び自公連立政権を形成している。

2010年(平成22年)の第22回参議院議員通常選挙では比例区の得票数・獲得議員数がみんなの党を下回ったが、2013年(平成25年)の第23回参議院議員通常選挙では比例区の得票数が全政党中2位に浮上するなど、現在も国会でキャスティング・ボートを握る政党のひとつであるとされる。

政党の英語表記は、結党時の1964年(昭和39年)から新進党合流時の1994年(平成6年)までは「Komeito」だったが、1998年(平成10年)、公明党再結成に伴い「New Komeito」に改めた。2014年(平成26年)9月25日、公明党結党50年を機に「Komeito」との英語表記を復活させた[12]

現在の党キャッチコピー「希望が、ゆきわたる国へ。」

略史[編集]

創価学会第2代会長・戸田城聖が前年の参院選で組織としての選挙投票依頼を受けたことを機に会に「文化部」を設置し、選挙の出馬予定者を部員に任命[13][14]
11月 第3回統一地方選挙に文化部の会員が出馬。
7月 第4回参議院議員通常選挙で3名が当選。
8月 戸田が『大白蓮華』に「王仏冥合論」を執筆し、創価学会の政治進出を理論づける[13]
6月27日 理事長・小泉隆が参議院大阪府選挙区の第3回補欠選挙において、買収行為を行なったとされ大阪府警察逮捕される。また、同年7月4日には渉外部長だった池田が会員に戸別訪問および買収を指示したとの嫌疑で逮捕、起訴された。
6月 第5回参議院議員通常選挙で6人が当選、参議院の総議席数は9議席に。
11月27日 公明党の前身「公明政治連盟」を発足。
7月 第6回参議院議員通常選挙において9人が当選。参議院の議席数は15議席に。自由民主党、社会党に次ぐ第3党となる。
1963年東京都知事選挙で、自民党が推薦する東龍太郎を支援[13]
11月17日 「公明政治連盟」を改組し、「公明党」を設立。
池田が『政治と宗教』(鳳書院)を出版。「王仏冥合」の理念をベースした政治論を訴える[13]
7月4日 第7回参議院議員通常選挙において11人が当選、参議院の議席数は20議席に。
衆議院選挙直前に、池田が「憲法擁護」「大衆福祉」「安保の段階的解消」などを含む公明党の方針を公表[13]
1月 第31回衆議院議員総選挙で25議席を獲得し、衆議院に初進出。その後の党人事で衆議院議員の竹入義勝矢野絢也がそれぞれ委員長と書記長に就任。党の比重を衆議院に重きを置くようになる。
7月7日 第8回参議院議員通常選挙で12名が当選、3議席増の23議席となるが、支持母体創価学会による集団替え玉投票事件が起き学会員14名が逮捕されるなど社会問題化する。
12月 「言論出版妨害事件」を巡り、「政教一致」に対する社会的批判を受ける。
12月27日 第32回衆議院議員総選挙では47議席を獲得、民社党を抜き、社会党に次ぐ野党第2党に。
5月3日 日本大学講堂における創価学会第33回本部総会において池田が「言論出版妨害事件」について謝罪。「国立戒壇」の教義の撤回、創価学会と公明党の役職の分離などを表明[13]
矢野が社会党書記長の江田三郎、民社党書記長の佐々木良作らと共に、社公民連合政権構想による『新しい日本を作る会』を結成。
6月27日 第9回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の議席数は1議席減の22議席に。
第一次訪中団を派遣[13]。日中復交五原則を提案。
6月 竹入を団長とする訪朝団が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問。北朝鮮の金日成国家主席との共同声明で、主体思想(チュチェ思想)を指針として、社会主義建設で大きな進歩をとげたこと取り上げた[15]
3月 竹入が東京都知事美濃部亮吉と会談し、都議会における与党入りに合意[13]
9月 「中道革新連合政権構想」を発表、「日米安保即時廃棄」に路線転換[13]
10月 創価学会と日本共産党の間で「創共協定」が締結。
民社党との公民連合政権構想に合意。
10月の衆院選において、公明党は57議席を獲得。日本社会党民社党連合の会新自由クラブの4党と選挙協力し、自民党を過半数割れに追い込む。
12月 民社党と「中道連合政権構想」で合意[13]
1月 社会党と「連合政権構想」で合意[13]
6月22日 ハプニング解散によって初の衆参同日選挙が実施。選挙期間中に大平正芳総理が逝去、自民党が分裂ムードから融和ムードへと変わったことから参議院においては12人が当選、参議院の議席数は26議席になったが衆議院では票が伸び悩み57議席から33議席へと議席を減らす惨敗を喫した。
8月25日8月9日 竹入を団長とする代表団が大韓民国を初訪問。大統領全斗煥をはじめ政府首脳と会談。
6月22日第13回参議院議員通常選挙において14人が当選。参議院の議席数は27議席に。
12月18日 第37回衆議院議員総選挙では58議席を獲得。
10月 自民党総裁選挙における二階堂進擁立に矢野らが協力[13]
再び衆参同日選挙となる。第14回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の議席数は3議席減の24議席に。第38回衆議院議員総選挙でも2議席減の56議席に。
12月 委員長に矢野絢也、書記長に大久保直彦が就任[13]
委員長に石田幸四郎、書記長に市川雄一が就任[13]第15回参議院議員通常選挙では自民党への逆風による批判票が社会党1党のみへ流れた為獲得議席は10議席。参議院全体で3議席減の21議席と議席を減らしたが選挙直後の総理大臣指名選挙では参院での決選投票で公明党は社会党委員長土井たか子を支持し自民党総裁海部俊樹を破る[16]
第39回衆議院議員総選挙では再び自民党への逆風、批判票が社会党1党のみへ流れた為公明党は45議席へと議席を減らす。
4月 「4野党連合政権協議」を凍結[13]
2月 湾岸戦争に対する90億ドルの追加支援に賛成[13]
4月 1991年東京都知事選挙において、自民党と共に磯村尚徳を擁立したが、自民党都連が推した現職の鈴木俊一に敗北[13]
6月 PKO協力法成立に協力[13]
7月 第16回参議院議員通常選挙において一部の選挙区で初めて自民党と選挙協力を行なう。また議席は24議席へ。
8月 細川護熙日本新党党首を首班とした非自民・非共産連立政権である細川連立政権に参画し4人が入閣。
4月 羽田孜副総理を首班とした非自民・非社会・非共産の羽田連立政権に5人が入閣。
6月 総理大臣指名選挙で海部俊樹支持も社会党委員長村山富市に敗北。村山内閣自社さ連立政権)の成立により野党に転落。
12月4日 自民党が参議院特別委員会に池田大作名誉会長の参考人招致を画策、公明党員が委員長室前でピケを行い抵抗。その後、池田の招致は見送られ、創価学会第5代会長の秋谷栄之助参考人として出席。「政治に大衆の声を反映していく政治の実現を願って公明党の支援をして来た」、「政党が政権を目指すというのは当然のこと」、「政治によって何か利益を得るとか政治の力を借りて布教をするとか、自分達の宗教を国教化しようなどということは毛頭考えていない」などと述べる[17]
12月5日 「公明党」を解散し、政党助成法に基き「公明新党」と「公明」に分党。
12月10日 公明新党が新進党へ合流。
1995年東京都知事選挙石原信雄を与野党相乗りで推薦したが青島幸男に敗北、同日に行われた大阪府知事選挙でも推薦候補が横山ノックに敗北
7月23日 第17回参議院議員通常選挙で新進党として初選挙に臨む。新進党は比例区第1党になり比例区で新進党は18人当選。選挙区でも躍進し自民党の単独過半数を阻止。
1月18日 自民党が運動方針の中に、「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していることである」という内容を盛り込む[18]
10月20日史上初の小選挙区比例代表並立制による第41回衆議院議員総選挙で新進党は議席を減らし政権交代に失敗、最大の敗因は(池田大作に対する訴権の濫用に関して池田を証人喚問しようとした)自民党総務局長白川勝彦と自民党組織広報本部長亀井静香による政教分離・反創価学会キャンペーン、旧民主党結党による非自民・非共産の票割れ。しかし幾つかの選挙区で「小選挙区は人物本位」の方針により公明、創価学会は自民党候補を支援したことが明らかになる。
5月 旧・公明党系議員らが新進党内に党内グループ「公友会」を設立[19]
12月27日 新進党両院議員総会で分党が決定。
1月4日 新進党から分党して新党平和、黎明クラブ(参議院議員が所属)が発足した。
1月6日 新進党の存続政党・小沢自由党に公明系から8人が参加
1月18日 公明が黎明クラブと合併し、参議院は公明に一本化される。
7月12日 第18回参議院議員通常選挙において9人が当選。議席数は前回と同数の22議席に。直後の総理大臣指名選で菅直人初代民主党代表を支持し参議院では小渕恵三自民党総裁を破る
11月7日 「公明」と「新党平和」が合流し小沢自由党結党参加の議員も加わり「公明党」を再結成
1998年沖縄県知事選挙で自民党推薦の新人稲嶺恵一を推薦し、現職大田昌秀を破る。
1999年東京都知事選挙で自民党が擁立した明石康を小沢自由党都連と共に推薦も石原慎太郎に完敗。
10月5日 自民党と自由党の連立政権に加わり、自自公連立政権(小渕内閣 (第2次改造))が成立。続訓弘が初入閣
4月1日 連立離脱の小沢自由党から保守党が分裂し、自公保連立政権となる。また同日小渕が病に倒れる。
4月5日 森内閣が成立。
6月25日 第42回衆議院議員総選挙で初めて与党側として選挙に臨む。議席は31議席と大きく減らしたが連立政権の過半数は維持
1月6日中央省庁再編で省庁が減少。坂口力厚生労働大臣に就任
4月26日 第1次小泉内閣成立。
7月29日 第19回参議院議員通常選挙では圧倒的な小泉フィーバーの中で議席を1議席増やす。
11月 第43回衆議院議員総選挙で初の「マニフェスト」を発表。議席は34議席となる。
11月19日 保守新党解散に伴い麻生内閣まで自公連立政権となる。
第20回参議院議員通常選挙では11議席を獲得。議席は24議席となる
9月11日 第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)では自民党に圧倒的な追い風が吹くも連立を組む公明党へは追い風が吹かず、獲得は自民党の296議席に対し公明党は31議席と逆に議席を減らした。
9月22日 首相就任直前の安倍晋三が池田と極秘裏に東京都内の創価学会の施設で会談し、次回の参院選での公明党や創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したと日経・毎日・朝日・読売の各紙、『週刊文春』が詳細を報じた。
10月11日公明党代表太田昭宏は、安倍と池田との会談について「全く承知していない」と語り、安倍は国会で池田との面会の事実を全面否定した。[20][21]
9月26日 安倍内閣成立。
9月30日 第6回公明党全国大会において、公明党代表太田昭宏無投票当選、幹事長に北側一雄が就任。
2月9日 公費を使って海外を視察した公明党福岡市議団が、大半の文章をウェブサイトから盗作して視察報告書を作成し提出していたことが発覚[22]、公明党福岡市議団は報告書を翌月再提出し公費負担の視察の自粛を表明。
7月29日 第21回参議院議員通常選挙では公明党も自民党批判の逆風の影響を受け票が伸びず選挙区での落選を含め当選は9議席と惨敗。議席は20議席となる[23]
9月26日 福田康夫内閣成立。
1月13日 太田が第44回衆議院議員総選挙にて選挙カーの給油量を水増しして申請し東京都選挙管理委員会から燃料代を不正に受け取っていたと報じられる[24]、翌日、太田が事実を認め謝罪[25]
9月16日 公明党代表選で太田が無投票で再選[26]
9月24日 麻生内閣成立。
8月30日 第45回衆議院議員総選挙では、民主党による政権交代の風を受けて、代表の太田昭宏、幹事長の北側一雄など選挙区候補の8人が全員落選、衆議院進出以来最低の21議席の惨敗となった。連立を組む自民党も119議席と大敗。
9月8日 臨時全国代表者会議で山口那津男の新代表就任を決定。新幹事長に井上義久を指名した。
9月16日 民主党中心の民社国連立政権が誕生し、約10年間続いた政権与党から下野。自公連立を解消。
7月11日 第22回参議院議員通常選挙では9人が当選。議席は2議席減の19となり当選人数、比例での得票数も民主党、自民党、みんなの党に次ぐ4番手に後退。しかし山口と谷垣禎一総裁率いる最大野党・自民党との選挙協力が実り連立与党の過半数獲得は阻止。
6月15日 公明党が議員立法として提出した違法ダウンロードへの刑事罰導入を盛り込んだ著作権法改正案(親告罪適用)が可決[27]
6月18日 民主・自民との消費税増税を基本とした三党合意を党として了承[28]
12月16日 第46回衆議院議員総選挙で31議席を獲得。自公政権が復活し、3年3か月ぶりに与党となる。また、同日投開票の2012年東京都知事選挙では推薦候補の猪瀬直樹が圧倒的多数の得票数で当選を果たした。
7月21日 第23回参議院議員通常選挙で11議席を獲得。非改選議席を含めると20議席となった。
2月9日 2014年東京都知事選挙で都本部の推薦候補・舛添要一が当選。
6月24日 憲法解釈変更による集団的自衛権の行使を限定容認。
9月21日 党全国大会で党の執行体制、議決体制を明確化。中央幹事会と常任役員会の役割を立て分け、中央幹事会を常設の議決機関に、常任役員会を最高執行機関にそれぞれ変更した[29]
12月14日 第47回衆議院議員総選挙で35議席を獲得。
4月24日 前期補欠選挙投開票(北海道第5区京都府第3区[30][31]。このうち、北海道5区では自民党の公認候補・和田義明を支援し[32]、無所属で民進・共産らが支援する野党統一候補との接戦の末、約12000票差で当選[33]
7月10日 第24回参議院議員通常選挙において公認候補者を擁立した7つの選挙区(埼玉・東京・神奈川・愛知・大阪・兵庫・福岡)で全勝。これは、公明党が参院選選挙区で獲得した議席として歴代最多である。また比例では7議席を獲得し、合わせて14議席を獲得した[34]。これにより非改選議席と合計して、25議席となる。
7月31日 2016年東京都知事選挙で自民党や日本のこころを大切にする党と共に増田寛也を推薦したが、増田は小池百合子に大差で敗北した。

組織[編集]

  • 最高議決機関は党大会で代表を選出し、活動方針、重要政策、綱領及び規約の改正、予算決算など重要案件を決定する。大会が開かれていない間は代表者会議が大会の権限を代行する。国会議員は両院議員総会を作る。党の最高執行機関は中央幹事会で、代表、副代表、幹事長を置く。代表以外の主要役員は代表が指名してから大会の承認を得ることになっており、より下級の役員は上からの指名によるので、規約上は代表の権限が強い。
  • 「言論出版妨害事件」以降、党組織の一定の改革もなされ、中央幹部会を議決機関の中央委員会と執行機関の中央執行委員会への分離と党大会代議員の下部からの選出等が行われた。

党員[編集]

1970年(昭和45年)以前の創価学会文化部時代は、創価学会員でなおかつ文化部員としての手続きをしなければ参加することができなかった。言論出版妨害事件以後の組織分離により学会員以外にも開放され、現在は党規約4条に「党の綱領及び規約を守り政策および諸決議を実現するために党活動に参加しようとする18歳以上の人は国籍を問わず」[35]党員として入党することが出来ると定めている。

入党の手続きは地元の党所属議員を経由する方法の他、創価学会員であれば支部・地区・区本部といった末端組織を通じて紹介を受けることができるが、学会員だからという理由で強制的に入党させられることはない。入党希望者は既存党員2名の紹介を付けた所定の入党申込書に本人が自筆で記入し、初年度の党費を添えて支部または総支部長に提出する。支部長はこれを都道府県本部に送り、都道府県代表の承認を受けることにより手続きが完了する[36]

年額3,000円の党費支払いの他に、機関紙を購読することが規約7条で推奨されている[4]

なお『公明新聞』、『月刊公明』、『公明グラフ』の配達と集金は聖教新聞販売店に委託されており、聖教新聞と公明新聞の両方を取っている党員には、それぞれ別々の領収証が発行される。

本部[編集]

党本部は東京都新宿区南元町の公明会館にあり、公明会館に近い別のビルに公明新聞編集局が所在する。

議員団[編集]

公明党所属の国会議員衆議院参議院両院でそれぞれ、地方議会議員は各議会ごとに議員団を編成する。これら組織の連絡機関として、全国議員団会議[37]および全国地方議員団会議[38]が存在する。

地方組織[編集]

公明党の地方組織は、ブロックに相当する方面本部(ほうめんほんぶ)[39]、都道府県本部[40]、総支部[41]、支部[42]の4段階からなる。

方面本部[編集]

方面は創価学会の制度に準じたもので、他の政党にない公明党独自の地域概念である。関東地方は東京方面(東京都および山梨県)、東海道方面(神奈川県静岡県)、関東方面(東京・東海道両方面に属しない関東5県、埼玉県千葉県群馬県栃木県茨城県)の3つに分けられ、福井県関西方面に属し、沖縄県九州の他の県と違って単独で方面を持つなど全部で13の方面本部があり、衆議院比例代表選挙のブロック分けとも異なる。

党所属の国会議員は、出身または活動拠点としている都道府県が属する方面に関与することを義務付けられる[43]

都道府県本部[編集]

自民党の都道府県支部連合会、民主党の総支部連合会に相当する組織が、この都道府県本部となる。必要に応じて、傘下に選挙区連合会や総支部連合会、支部連合会といった中間組織を設けることもできる。

総支部[編集]

公明党の総支部は、国会議員の選挙区を基本とする民主党のそれとは異なり、むしろ日本共産党の地区委員会に近いものと位置付けられる。このため東京23区では各区ごとに設置されているが、他の政令指定都市では複数の行政区を統括している場合もある。都道府県・政令市・東京23区の区議会議員は基本的には総支部を拠点とする。

支部[編集]

党内最末端組織となる支部は、自民党の地域支部、民主党の行政区支部に近いといえる。一般市ないしは町村議会の議員は支部を基本として活動する。

人事[編集]

  • 2年に一度開催される全国大会で、代議員によって公明党代表が選出されることになっているが、結党以来、委員長・代表などの交代の際に対立候補が出たことはこれまで一度もない[44]。選出された代表が幹事長、代表代行、副代表などを指名。党本部の役員その他の人事については、中央幹事会で決定・承認される。
  • 党の内規では「任期中に66歳を迎えない」ことを選挙における公認条件としており、事実上の定年制を設けている。しかし、幹部を務める議員は例外扱いされることがある。
  • 創設者・池田大作はこれまで、党役員はもとより党員にもなったことはない[45]
  • 北側一雄池坊保子など数名存在するものの、自民党民進党に比べると世襲議員の割合は少ない。

政策[編集]

憲法[編集]

  • 池田大作1999年(平成11年)に提言した「首相公選制」を2001年(平成13年)の参議院選挙公約に盛り込むことを内定していたが、内閣法制局が「首相公選制を導入するには、憲法改正を必要とする。」との見解を示したことを受けて見送った[46]
  • 憲法改正論議について、党内には改正論と慎重論の2つがあり、最終的に党がまとめた案は自民党民主党とは違い憲法9条は「加憲」という独自の立場である。なお、新テロ対策特措法再可決に消極的なのは、第二次世界大戦中に創価学会の初代会長牧口常三郎ら幹部が逮捕され、牧口が獄死した過去があるためとされる[47]

安全保障[編集]

治安[編集]

外交[編集]

  • 国内の政党ではいち早く北朝鮮に訪朝団を派遣している。1972年(昭和47年)には当時の国家主席金日成と会談。当時は、北朝鮮の人権弾圧政策『主体思想』を全面的に賛美していた[51]
  • 日韓関係の発展を目指しており、日本韓国と領有権問題で対立している竹島に関しては、軋轢を避けることを重視している。
  • 日中善隣友好協力関係の発展を重視しており、日中関係は最も重要な2国間関係であるとしている[52]

福祉[編集]

  • 結党以来、福祉に力を入れてきた側面があり「福祉の党」と呼ばれることもある。
  • 1999年(平成11年)、小渕内閣に「地域振興券」の発行を強く迫り実現させる.
  • 2003年(平成15年)、党のマニフェストで、少子高齢化が進んでも現役世代の平均収入の50%以上を保証する「年金100年安心プラン」を発表する。
  • 2005年(平成17年)、自民党とともに、介助や援助を必要としている障害者に対して、福祉サービス利用料として一律1割の負担を求める障害者自立支援法を成立させる。
  • 2010年(平成22年)7月に行われる予定の参院選に向けて発表したマニフェストで、うつ病児童虐待など、日本が抱える新しい福祉問題(「新しい福祉」)の解決に重点的に取り組む姿勢を見せている。また、民間・公共住宅の空家をリフォーム、非正規労働者年金生活者などの住宅困窮者に低家賃で提供する「セーフティネット住宅100万戸供給作戦」の実施を明言している[53]
  • 地方行政においては公明党が与党入りすることも珍しくないため、支援者のために生活保護の受給を行うよう市の職員に要請することも多い。2004年(平成16年)、宮城県多賀城市議会議員根本朝栄が自身の母親の生活保護申請を行うため市職員に圧力をかけたという疑惑が浮かび、多賀城市では該当者の生活保護受給を打ち切り、根本市議や親族に対して受給された生活保護の返還命令を出したという事例が存在する[54]

男女共同参画[編集]

男女共同参画を強く推進している。内閣府男女共同参画局や各自治体の男女共同参画課の施策に対して、予算を獲得することに主導的な役割を果たしており、政権時には男女共同参画関連予算増額などを求めていた[55]

選択的夫婦別姓[編集]

夫婦の各個人の姓を同じ姓にするか改姓せずに済むようにするか選択出来るようにする選択的夫婦別姓制度の法制化の推進を行っている[56]。2015年(平成27年)2月には、「党として法改正の検討に着手する」と政調会長の石井啓一が表明した[57]。同年12月には同党の参議院会長の魚住裕一郎が「国会で議論をまきおこしたい。」とも述べている[58]。さらに、代表の山口那津男は、2016年(平成28年)1月に「国会で議論を深め、時代に応じた立法政策を決めていくのが政治の責任だ。」と述べている[59]

一方、連立政権の足並みの乱れを生じさせたくないため、この問題について連立を組む自民党を積極的に説得していない、とも2015年(平成27年)12月に報道されている[58]

皇室[編集]

皇室典範の改正に積極的であり、2005年(平成17年)に小泉政権が国会で行った「皇室典範改正論議」に党として女系天皇の即位を容認していた[60]

行政[編集]

税制[編集]

  • 特別会計の廃止を含めた合理化を提唱[65]
  • 消費税増税に賛成の立場をとるが、弱者への配慮から消費税への「軽減税率」の導入を政策の柱の一つとしている。軽減税率の制度は、2012年(平成24年)6月13日の衆議院の公聴会において、SAPジャパンのコラムニストであった田淵隆明が制度設計を提案して話題となった。公明党は田淵隆明の意見を軽減税率の制度設計に取り入れた[28]
  • 公明党が自民党に執拗に軽減税率の対象に新聞を含めようと主張してきたことについて堀江貴文TOKYO MX5時に夢中!に出演した際、「公明党がなんでそんなに言ってるかっていうと、支持母体の聖教新聞(にかかる消費税)が8%から10%になったら、激減すると思うんですよ、契約が。」と指摘した。司会者が軽減税率は食品が中心ではないかと聞くと、堀江はさらに「新聞が本命なんですよ、絶対にそうだと思う。」と力説した。[66]

教育[編集]

  • 教育基本法改正において、「愛国心」という言葉を盛り込むことに反対した。自民党案の「郷土と国を愛し」という文言に対し「戦前国粋主義を連想させる」と反対し、「郷土と国を大切にし」との表現を盛り込ませた。

選挙[編集]

  • 自公選挙協力の中、自民党候補者の後援会名簿が創価学会側に渡ったという事実が明るみとなり、自民党選挙対策関係者や支持者はショックを受けたという[67]
  • 支持母体創価学会の会員による電話投票依頼(通称:F取り)や創価学会の会館を使用した政治活動は公職選挙法に抵触するのではないかと国会で議論されたこともあるが、結論は出ていない。なお、電話投票依頼にかかる通話料金や、候補者の選挙区へ出向き選挙運動をした際に発生した費用はすべて学会員の自己負担である(通常選挙運動で発生した料金は候補者や政党が負担している)。
  • 池田大作が早くから「日本における外国人参政権」を認めるべきだと主張してきており[68]、創価学会を支持母体とする公明党も積極的に推進している。

経済[編集]

論議のある問題[編集]

創価学会との関係、政教分離問題[編集]

公明党の草創期はあくまで創価学会の所轄内にあったことや創価学会と一体となった活動がおこなわれた経緯から、憲法に定めた「政教分離原則」に反し“公明党と創価学会は政教一致”という批判がマスコミや有権者からあがった。1970年(昭和45年)言論出版妨害事件に端を発した公明党と創価学会との政教一致批判に対し制度的分離を明確化して以降(詳細は下記参照)も同様の批判はある。一方で日本国憲法の定める「政教分離」とは、国家の宗教的中立性を定めたもので、宗教団体の政治活動を否定したものではない、ということには留意を要する[70]

  • 政教分離を明言した1970年(昭和45年)5月3日の池田の講演では、「創価学会の役職を兼任している公明党議員では創価学会の役職は段階的にはずすなど、創価学会と公明党を制度の上で明確に分離していく。」、「会員個人の政党支持について、会員の自由意思には、全く干渉しない。」、「選挙活動は党組織の仕事とし、創価学会は支持団体として『地域ごとの応援』をする。」ことなどの方針を明らかにした。同年の党大会では政教一致を意味すると見られてきた「王仏冥合」という言葉を党綱領から削除した。しかし、創価学会員による選挙違反の摘発、逮捕がたびたび発覚していることから批判者の間では上記条項が守られていないのではという批判がある。
  • 1993年(平成5年)、細川内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得したと池田が発言したことで、池田が細川内閣の人事に影響力を及ぼしているのではと国会で問題となる[71]。当時創価学会会長であった秋谷栄之助は国会で、「当日の新聞の閣僚予想記事の内容を話したのであって、党から何か事前に連絡や相談があったのではない。」という旨の説明をした[17]
  • 公明党の元委員長の竹入義勝1998年(平成10年)9月、『朝日新聞』に連載した回顧録、『秘話・55年体制のはざまで』において、「公明党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなくて、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う。」、「委員長を引き受けるときから人事権は(創価)学会にあると、明確にされていた。」、「公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。」などと述べた。この連載の直後、機関紙「公明新聞」で『竹入義勝の謀略と欺瞞』と題する連載で反論と竹入批判を始めた。
  • 羽田内閣総務庁長官を務めていた公明党委員長の石田幸四郎は国会で、公明党の最高人事は池田の意向、指示で決まるのかとの質問に「公明党の人事は公明党でやっており、池田からの指示はない。」「人事、政策というのは党大会を通して決める。」と答弁した[72]
  • 内閣法制局は「政教分離原則は宗教団体が政治的活動をすることを規制しているものではない。」旨の答弁をしている[73]
  • 選挙期間になると、創価学会信者が組織的に選挙活動に動員され、創価学会の関連施設が活用されることに対し、国会で幾度か問題視されたことがある[74]
  • 2007年(平成19年)10月16日の参議院予算委員会で、民主党の石井一議員が公明党と創価学会が表裏一体ではないかと指摘、石井議員の発言では元公明党所属の議員から得た情報として国政選挙で公明党議員が当選した場合、衆議院議院は300万円、参議院議員は600万円の献金がなされると発言、その献金がどこへ入ったかは不明になっているとも指摘。公明党議員等からの創価学会への献金(P献金)や公明党の歴代の代表が結党以来40年以上にわたり投票が行われず毎回無投票で決まっていたことについても言及。また創価学会の関連施設で法敵菅直人が来たなどという政治的活動が行われていたとも指摘。証拠となる録音テープを予算委員長に提出した。代表で答弁した山口那津男議員は質問に抗議、冬柴大臣も「P献金」「創価学会関連施設での政治的活動」をともに否定した[75]
  • 2014年(平成26年)6月、内閣官房参与飯島勲内閣官房参与は、公明党と同党の支持母体である創価学会の関係が憲法の「政教分離原則」に反しないとしてきた従来の政府見解について、「もし内閣が法制局の答弁を一気に変えた場合、(公明党と創価学会は)『政教一致』が出てきてもおかしくない。」と述べ、従来の政府見解が変更される可能性に言及した[76]

創価学会員による選挙不正[編集]

支持母体創価学会の会員によって選挙の際、法律に抵触する問題行動が行われ、創価学会はたびたび逮捕者を出しており、国民やマスコミから批判を受けている。中には創価学会や公明党の幹部、名誉会長池田大作の指示があったのではないかと疑われたものもある。一部を抜粋する。

大阪事件[編集]

1957年(昭和32年)4月に参議院大阪地方区の補欠選挙が行われた際、創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者達に候補者名の氏名の入ったタバコ現金を渡したとして幹部だった小泉隆、池田大作を含む創価学会員ら47人が公職選挙法違反で逮捕され池田は無罪となったが45人に有罪判決が下された。有罪となった会員45名は戸田会長の名で会員除名処分を受けた。

東京都議会議員選挙替え玉投票疑惑[編集]

1965年(昭和40年)7月に行われた東京都議会議員選挙で大敗した自民党が投票日直前に都内の郵便局に選挙用紙の未配達連絡や投票用紙の再発行が行われたことから、組織的な不正投票が行われた恐れがあるとして再調査、および再度の議会解散を要請した。

新宿替え玉事件[編集]

1968年(昭和43年)に行われた参議院議員選挙で創価学会が不在者投票を悪用し本人になりすまし投票を行ったとされる選挙違反事件。創価学会員14人が逮捕され、14人全員に有罪判決が下された

投票所襲撃事件[編集]

1969年(昭和44年)7月に行われた東京都議会議員選挙において、創価学会員が投票時間が過ぎたため、投票不可を選挙管理委員会から通達されたところ学会員が逆上、百数十人の学会員が投票所を取り囲んで襲撃、女性・高齢者を含む投票立会人四人に集団暴行を加えて流血させた事件。学会員数名が自首し逮捕された。この事件の首謀者として後の公明党書記長市川雄一の名が一部で挙がっている。また、1970年(昭和45年)5月、国会で公職選挙法改正に関する調査特別委員会が行われ共産党の青柳盛雄が質問に立ち、この事件について内閣に意見を求めている[77]詳細は「練馬区投票所襲撃事件」参照。

住民票異動疑惑[編集]

創価学会員が組織的に選挙前に住民票を異動し公明党候補へ投票しているという疑惑。古くは新宿替え玉事件で逮捕された学会員の供述から創価学会本部の指示で選挙前に意図的に住民票を異動したものがいるとの内容を警察が得たことにある。また、1981年(昭和56年)に行われた沖縄県那覇市市議会選挙では那覇市の選挙権を持った市民が那覇市に在住しておらず居住実態がなかったことから調査が開始された。調査により浦添市民の学会員11名が選挙前になると那覇市と浦添市の間で住民票の異動を繰り返していたが、実際那覇市には一度も居住していなかったことが発覚、那覇市の選挙管理委員会は対象の学会員11名を選挙人名簿から削除した[78]沖縄タイムス琉球新報は紙面で創価学会の行動を厳しく非難した[79][80]

高齢者や認知症患者などへの投票干渉[編集]

参議院比例区の投票が非拘束名簿方式になった2001年(平成13年)以降、公明党を支持する創価学会員が公職選挙法違反で検挙されるケースが多数発生。下記のように高齢者認知症患者などに公明党や友党の自民党候補者氏名を書いたメモなどを渡していたとして逮捕、書類送検をされたケースなどが存在する。

2001年(平成13年)参議院選挙[編集]

2001年(平成13年)の参議院選挙で創価学会は全国各地で逮捕者を出し、各地方新聞に掲載された[81]佐賀新聞が報じたケースでは、逮捕された学会員が不在者投票所の入り口で『公明党の候補者名を書くように言ってある。メモを持たせてある』などと佐賀市選挙管理委員会職員に直接話したのを佐賀警察署の署員が聞いていた事も明らかになっている。また埼玉新聞は羽生市の介護福祉士が自身の勤める老人介護施設の利用者に公明党の埼玉選挙区と比例代表の特定候補者2人の名前を記したメモを持たせて投票させ、投票に干渉した疑いで逮捕されたことを報じた。[82]。ただし、同容疑で自民党民主党の支援者も同様の行為を行い逮捕者も出ている[83]

2010年(平成22年)参議院選挙[編集]

2010年(平成22年)の参議院選挙で宮崎県で検挙されたケースにおいては、知人の複数の高齢者の手の平に「選挙区の自民候補と比例代表の公明候補の名前をペンで書き投票を誘導した疑いが持たれている[84]

2012年(平成24年)衆議院総選挙[編集]

2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙では、愛媛県で「比例代表は公明党、選挙区は塩崎恭久氏(愛媛1区、自民党)」というメモを判断能力に欠けた高齢女性(認知症患者)に持たせて投票させた容疑 [85]で検挙者が出た。また大阪府では、街頭で声をかけた20代の女性を期日前投票所まで一緒に連れて行き、比例代表で公明党に投票するよう促した疑いが持たれている。さらに鹿児島県奄美市略式起訴されたケースでは、介護施設の職員が自身の入所者に対して「自民党の候補者の名刺に公明党と書いた紙片を付けて渡し、それぞれ選挙区と比例代表に投票」させようとしていた疑いが持たれている[86]

しかしながら、このように表面化したケースは氷山の一角であると考えられている。信者が投票を指示したという具体的な物的証拠が少なく、判断能力の低下した認知症などに罹患した高齢者が標的にされているケースも多く、犯行の証言を得ることが難しいからである。投票所の監視を強化してもイタチごっこであると、警察など捜査関係者は頭を悩ませている[87]。また1965年の参院選で創価学会が選挙違反者を出した時にも、竹入は「このまま捜査を拡大させるようだと、警視庁の予算、とくに機動隊の予算を、大幅に削るぞ」と警察首脳に脅しをかけ捜査を強制終了させ逮捕者を出さなかった経緯も存在する[88]

電話による投票依頼[編集]

公明党は支持母体の創価学会が中心となり友人、知人に対し公明党への電話による投票依頼が行われている。これは創価学会が政界へ進出してから行われており長い歴史がある。最近では携帯電話の普及もあり友人、知人へ直接投票依頼が行われるようになった。この現象は「F取り」や「F作戦」(F=friend)と呼ばれている。実際には、電話による投票依頼は日本の政党すべてで行われているが、創価学会と他の政党との違いは、他の政党の投票依頼はボランティアが候補者の選挙事務所から行い、通信費用は候補者や政党が全額負担なのに対し、創価学会の投票依頼は候補者から委託されたわけではなく、学会員が各々の家庭の固定電話や携帯電話から通話し通話費用も全額自己負担であるという点である。ただし、公明党のボランティアが候補者の選挙事務所から電話するケースもある。

生活保護不正受給の口利き問題[編集]

生活保護の受給に関し公明党の市議やが口利きを行っていた事実がある。その中では不正受給も認定されている。例として1999年(平成11年)5月から2003年(平成15年)6月にかけて公明党市議の母親が生活実態がないにもかかわらず、生活保護を申請し生活保護費を不正に受給していた。本件では申請を行う際、公明党市議が自ら市職員に口利きを行ったことが確認され、受給後市の担当者が、公明党市議の母親の1年問の水道や電気の使用量を調べた結果、一般的な一人暮らしの数か月分しかなかったため不正受給とみなし多賀城市議会は、公明党市議や親族に対して生活保護を打ち切った上で、市議会において返還請求訴訟を起こすことを賛成多数で可決した[89]。全議員22名のうち反対は公明党議員2名だけだった[54]。また週刊ポストの調査では公明党市議の母親は以前居住していた塩竈市でも同様の手口で生活保護費を受給していた事が確認されたが受給された生活保護費がどのように使われたかは全く不明としている。最後に決議に反対した公明党議員へ(党籍が同じというだけで)は返還請求訴訟に反対するのであれば公明党は党全体で生活保護の不正受給を容認していると締めくくられている[54]

ある地方自治体議員は、取材で「生活保護に議員の口利きなど不正は付きものだ。多賀城市の件は氷山の一角にすぎない。」と指摘する。不正受給は詐欺罪になるが、現実には政治家の不当な行政への介入により、全国の自治体で不正が幅広く行なわれているのが実態だ。まして騙し取られているのが国民の血税である以上、単に受給者のモラルや行政の怠慢などで済ませられる問題でほない。と答えている[90]

韓国大統領選挙介入疑惑[編集]

朝鮮日報社は『月刊朝鮮』において、1997年(平成9年)に行われた韓国大統領選挙前に候補者のウリ党金大中候補が日本で秘密裏に公明党幹部と面会し、(日本の公明党の影響下にある)韓国創価学会から支持を得られるように依頼、友人を通じて公明党幹部が了承したとされる事実があることを明かしている[91]。選挙は金候補がハンナラ党の李会昌候補に約30万票の僅差で勝利したが、当時の韓国創価学会の有権者は60 - 80万人程であり創価学会の応援要請が事実なら韓国大統領が日本の公明党の協力で誕生したことになると月刊朝鮮は締めくくっている。

66歳定年制[編集]

公明党は独自に66歳定年制度を導入、任期中に66歳を超える場合は党として公認しないというスタンスを取っている。公明党が例外を認めているのはほぼ男性の国会議員のみであり公明党の女性国会議員は、池坊保子を除き[92]、以前代表を務めた浜四津敏子をはじめ例外なく制度を順守し引退している。

公認料[編集]

通常政党からの公認で立候補をする場合、公認料は通常政党から立候補者へ支払われるものであるが公明党のみ立候補者が公明党に公認料を収めている。これは2007年10月16日参議院予算委員会で当時大臣であった冬柴鉄三が民主党石井一の質問に対し「立候補者は(公明)党に公認料として2カ月分の議員報酬を収めている。」と発言したことから公になるが、国会の場で公認料のお金の流れ等は議論がなかった。実際、公職選挙法には公認料についての記載はなく、公認料を政党から候補者へ渡しても、逆に候補者が政党へ収めても、法律上特に問題はない。

マニフェストと実際の行動[編集]

党としては官僚天下りに反対の姿勢を貫いているが、国土交通大臣だった冬柴鐵三から天下りを容認する意見が繰り返し出たりしたため、党の方針と閣僚の意見とが一致していないため矛盾との声があった。そのため[要出典]衆議院予算委員会で同じ公明党の富田茂之が冬柴に「官僚の天下りに対して追及する民主党議員の行動は正しい」などと指摘した[93]

自公政権発足後は地域振興券フェミニズム関連予算、そして高速道路料金大幅引き下げなどバラマキ重視の姿勢、またこれらの政策を自民党に受け入れさせるためのバーターとして自民党が進める公共工事を受け入れた結果[独自研究?][94]、国の借金が1998年(平成10年)は約408兆円だったのに対し、2008年(平成20年)には約607兆円と約1.5倍に膨れ上がった[95]。その一方で、サラリーマンには上記の財源を確保するため、健康保険の本人負担増(2割→3割)を実施させ、サラリーマンに対する増税への支持、[要出典]さらにはホワイトカラーエグゼンプションの支持[96]を表明した。

池田大作に対する配慮[編集]

『週刊実話』によれば、公明党内では、創価学会名誉会長池田大作日本国内の勲章をひとつも授与されていないことから、公明党所属の国会議員(党首経験者や閣僚経験者含む)は旭日大綬章など勲章の受賞リストに名前が挙がった段階で、池田に配慮し自ら受賞を辞退するという慣習が存在していたという[97][98]。 ただし、公明党・創価学会と対立した場合は別で、委員長経験者である竹入義勝(1996年(平成8年)・旭日大綬章)や矢野絢也(2010年(平成22年)・旭日大綬章)は受章している。週刊実話の記事では、この受賞に対し支持母体創価学会では「恩知らず」「裏切り者」という罵詈雑言が起こっていると掲載された。

1995年(平成7年)11月27日の参議院「宗教法人等に関する特別委員会」で、自民党の関根則之は、当時の創価学会事務総長原田稔(現:会長)が外務省官房長の小和田恒皇太子徳仁親王妃雅子の父)に宛てて「本年1月末より2月中旬にかけて、池田大作(創価学会名誉会長)一行が教育文化交流のため、香港並びにASEAN3ヶ国(タイマレーシアシンガポール)を約2週間にわたり、(下記の日程で)訪問する予定です。何卒宜しくお願い申しあげます。」といった内容の手紙を送り、外務省が創価学会や池田に配慮や便宜を図ったのではないかと発言した。池田大作および長男の池田博正の証人喚問を要求し、審議されたが、外務省、宮内庁、創価学会ともに根拠のないとして否定した上、池田の証人喚問は見送られた。

批判本の掲載について[編集]

2000年(平成12年)夏、東京都内の公明党所属の区議会議員が区議会において、公明党と創価学会の批判を載せている雑誌の排除を要求していたことが明らかになり問題となる。大田区議会では2000年(平成12年)3月13日、田口仁議員が「週刊誌は人のことを中傷している。」、「私は不愉快だから何とかしてもらいたい。」として「『週刊新潮』、『週刊文春』、『文藝春秋』を大田区の全図書館から排除してもらいたい。」と要求した[99]中央区では、同年3月の区議会で、区立図書館に公明党と創価学会を批判した本が多数あることに言及し、図書の選定を問題にし、「図書館の職員の適切な人事異動をしていただきたい。」と要求した。3年前の1997年(平成9年)3月7日にも別の公明党の区議が区議会で「図書館、区の施設、待合室、ロビーなどに置いてある暴力的、人権侵害週刊誌はき然として排斥するべきだ。」と求め、中央区は出版社系雑誌の購入を止め、雑誌コーナーを廃止していた[100][101][102]

政党交付金[編集]

  • 2009年(平成21年) - 26億1871万円
  • 2010年(平成22年) - 23億8900万円
  • 2011年(平成23年) - 22億7534万円
  • 2012年(平成24年) - 22億7916万円

支持母体[編集]

カテゴリー 団体
宗教団体
  • 創価学会政府政教一致ではないという認識で一致している。歴代の首相も「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が、政治的活動をすることをも排除している趣旨であるとは考えていない。」[103]、「政教分離は宗教法人の政治的活動を排除する趣旨でない。」などと答弁している[104]。一方で、過去、創価学会員による選挙違反事件・大阪事件新宿替え玉事件が発生したこともある。2007年(平成19年)10月16日、参議院予算委員会での代表質問で石井一(当時、民主党)は「創価学会施設内で政治的活動が行われている。」と発言[105]した、自民党神道政治連盟統一教会国際勝共連合)、民主党は崇教真光といったように宗教団体から支援を受けている政党は数多く、現在にも過去にも国内外で宗教政党(代表的な例:ドイツキリスト教民主同盟)は多く存在しており、こうした批判は的外れであるとの見方は多い。

エピソード[編集]

  • 警察庁長官で、その後政界入りした後藤田正晴は晩年の回顧録で、警察官僚時代を振り返り、社会党民社党警察庁のマークの対象外だったとし「社会党ほどダラ幹(堕落した幹部)の党はない。民社党は記憶にない。あれは何をしておったのだろう。危ないと思うのは、共産党と公明党だ。この国への忠誠心がない政党は危ない。共産党は前から徹底的にマークしているからいいが、公明党はちょっと危ない。」と述べている[106]

党役員[編集]

常任役員会代表(党代表) [編集]

中央幹事会[編集]

常任役員会[編集]

代表 山口那津男
副代表 北側一雄
古屋範子
幹事長 井上義久
中央幹事会会長 漆原良夫
政務調査会長 石田祝稔
参議院議員会長 魚住裕一郎
参議院幹事長 西田実仁
選挙対策委員長 斉藤鉄夫
国会対策委員長 大口善徳
機関紙委員長 新井秀男
総務委員長 佐近康昌

全国議員団会議[編集]

議長 太田昭宏

常任顧問・顧問[編集]

常任顧問 神崎武法
顧問 草川昭三
白浜一良
松あきら
特別顧問 市川雄一
坂口力

閣僚経験者[編集]

党勢の推移[編集]

衆議院[編集]

選挙 当選/候補者 定数 備考
(結党時) 0/- 467
第31回総選挙 ○25/32 486
第32回総選挙 ○47/76 486
第33回総選挙 ●29/59 491
第34回総選挙 ○55/84 511 追加公認+1
第35回総選挙 ○57/64 511 追加公認+1
第36回総選挙 ●33/64 511 追加公認+1
第37回総選挙 ○58/59 511 追加公認+1
第38回総選挙 ●56/61 512 追加公認+1
第39回総選挙 ●45/58 512 追加公認+1
第40回総選挙 ○51/54 511 追加公認+1
第41回総選挙 ●42/51 500 新進党での選挙
第42回総選挙 ●31/74 480
第43回総選挙 ○34/55 480
第44回総選挙 ●31/52 480
第45回総選挙 ●21/51 480
第46回総選挙 ○31/54 480
第47回総選挙 ○35/51 475

参議院[編集]

選挙 当選/候補者 非改選 定数 備考
第4回通常選挙 ○3/6 - 250
第5回通常選挙 ○6/6 3 250
第6回通常選挙 ○9/9 6 250
(結党時) 15/- - 250 公明党改称時
第7回通常選挙 ○11/14 9 250
第8回通常選挙 ○13/14 11 250
第9回通常選挙 ●10/10 13 252
第10回通常選挙 ○14/45 10 252
第11回通常選挙 ○14/15 11 252
第12回通常選挙 ○12/14 14 252 追加公認+1
第13回通常選挙 ○14/23 13 252
第14回通常選挙 ●10/21 14 252 追加公認+1
第15回通常選挙 ●10/22 11 252
第16回通常選挙 ○14/23 10 252
第17回通常選挙 ○13/0 11 252 新進党57と統一会派で同改選期を議席維持)
第18回通常選挙 ●9/20 13 252 公明、追加公認+2
第19回通常選挙 ○13/22 10 247 改革クラブ1と統一会派)
第20回通常選挙 ○11/20 13 242
第21回通常選挙 ●9/24 11 242 (後に繰り上げ当選により+1)
第22回通常選挙 ●9/24 11 242
第23回通常選挙 ○11/21 9 242
第24回通常選挙 ○14/24 11 242

(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店岩波新書ISBN 4-00-430904-2

  • 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
  • 第4回、5回参議院通常選挙は、結党前で創価学会組織内無所属の実績。
  • 第6回参議院通常選挙は、「公明政治連盟」の実績。
  • 第17回、18回参議院通常選挙は、「公明」の実績。
  • 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、2003年(平成15年)まで)1 各会派所属議員数及び役員一覧(衆議院、2005年(平成17年))、(2) 参議院(2002年(平成14年)まで)(2) 参議院(2004年(平成16年)まで)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はない。

所属国会議員[編集]

地方政治[編集]

政党収入額[編集]

  • 2010年(平成22年) - 212億6,127万円

脚注[編集]

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  2. ^ “平成26年分政治資金収支報告書の要旨(平成27年11月27日付け官報)” (プレスリリース), 総務省, (2015年11月27日), http://www.soumu.go.jp/main_content/000392762.pdf 
  3. ^ “公明党綱領” (プレスリリース), 公明党, (1998年10月24日), https://www.komei.or.jp/komei/platform/ 
  4. ^ “平成28年分政党交付金の変更決定” (プレスリリース), 総務省, (2016年8月31日), http://www.soumu.go.jp/main_content/000436673.pdf 
  5. ^ a b 公明党結党50年・自公協力15年——その曲折と妥協の歴史”. nippon.com. 一般財団法人ニッポンドットコム (2014年11月7日). 2016年10月21日閲覧。
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  8. ^ 島田裕巳 『創価学会』(新潮社 2004年6月20日) ISBN 978-4106100727
  9. ^ 広辞苑創価学会】の項に1964年、宗教政党公明党」を結成とある。
  10. ^ 公明新聞2009年1月26日[リンク切れ]
  11. ^ 公明党(創価学会)も日本共産党も庶民層をターゲットとしており、支持層が重なることもあり、対立が続いて来た。自民党は創価学会を反共主義のための防波堤にしたいと考えていたと見る向きもあり(『週刊宝石』1981年11月7日号)、創価学会が多くの信者を得たことで、日本は共産主義革命を免れたという主張もある。
  12. ^ 池尻和生 (2014年9月25日). “公明、「NEW」とります 結党50年機に英語表記変更”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/articles/ASG9T410LG9TUTFK007.html 2014年9月26日閲覧。 
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  14. ^ 大白蓮華1954年5月号20 - 22ページより引用
  15. ^ 公明新聞』(1972年6月7日付)
  16. ^ 日本国憲法における衆議院の優越により最終的に総理は海部俊樹に決まる
  17. ^ a b 第134回国会 参議院 宗教法人等に関する特別委員会 第8号 平成7年(1995年)12月4日(議事録
  18. ^ 創価学会党化した自民党 ─ 6 『フォーラム21』(2007年4月1日 通巻123号)
  19. ^ 山田直樹 『創価学会とは何か』(新潮社 2004年4月15日)
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  21. ^ 第165回国会 参議院 予算委員会 1号 平成18年(2006年)10月11日(議事録)、第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号 平成19年(2007年)2月13日(議事録)(「インターネット審議中継」での亀井静香の安倍晋三への質疑の動画)
  22. ^ J-CASTニュース : ネット検索「ドンピシャリ」盗作判明 公明党福岡市議団の海外視察報告書』(ジェイ・キャスト2007年3月16日)。
  23. ^ 後に松あきら議員が繰り上げ当選する
  24. ^ 北林慎也・野村雅俊「公明・太田氏が不適正請求――05年総選挙ガソリン代――伊藤元金融相らも」(『朝日新聞』43730号、朝日新聞東京本社2008年1月13日、31面)
  25. ^ 太田昭宏『衆院選における選挙用燃料費について2008年1月14日[リンク切れ]
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  93. ^ 2008年2月28日衆議院予算委員会議事録
  94. ^ 2010年(平成22年)11月7日放送分の『NHKスペシャル』では自公政権発足後に予算要求額が急に増えたと関係者が証言しているが、公明党の関与や自民党との「バーター」の関係は明らかになっていない。 [2][リンク切れ]
  95. ^ 我が国の1970年度(昭和45年度)以降の長期債務残高の推移[3][リンク切れ]
  96. ^ 公明新聞2006年3月24日付記事。但し、国民の大多数が反対である事を知ると、選挙への配慮から同法案の凍結(反対ではない)を主張するようになった[要出典]
  97. ^ 創価学会内にも似たような慣習が存在する
  98. ^ 週刊実話2010年11月10日号等
  99. ^ 山田直樹『創価学会とは何か』(新潮社 2004年4月15日)
  100. ^ 公明区議、週刊誌排除迫る(しんぶん赤旗2001年5月31日付)
  101. ^ 公明区議の図書館への圧力(しんぶん赤旗2001年6月5日付
  102. ^ 『週刊現代』2001年6月16日号
  103. ^ 佐藤栄作内閣総理大臣、内閣衆質63第2号
  104. ^ 第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号 平成7年(1997年)11月27日(議事録)
  105. ^ 第168回国会 参議院 予算委員会 第2号 参議院2007年(平成19年)10月16日、民主党石井一議員の代表質問(議事録
  106. ^ 『情と理―後藤田正晴回顧録』(講談社1998年)
  107. ^ a b 公明党/ 所属議員検索

関連項目[編集]

外部リンク[編集]