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林紀子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林紀子
はやし としこ
生年月日 1940年2月27日
出生地 日本の旗 日本 群馬県
没年月日 (2022-01-25) 2022年1月25日(81歳没)
死没地 日本の旗 日本 広島県広島市
出身校 群馬大学学芸学部卒業
前職 ラジオ関東社員
所属政党 日本共産党
選挙区 比例区
当選回数 2回
在任期間 1989年7月23日 - 1995年7月22日
1998年7月26日 - 2004年7月25日
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林 紀子(はやし としこ、1940年昭和15年〉2月27日 - 2022年令和4年〉1月25日)は、日本共産党所属の政治家、元アナウンサーである。参議院議員(2期)。群馬県前橋市出身[1]群馬大学学芸学部卒業。

人物

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1940年、職業軍人であった父の赴任先の中国東北部で生まれる[2]群馬大学卒業後の1962年ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)に入社[3]労働組合の婦人部副部長を務める[3]。その後、退職。

1974年に広島へ移り住み、新日本婦人の会広島県本部事務局長を務めた[3]

1983年第13回参議院議員通常選挙比例代表で立候補するも落選。1986年第14回参議院議員通常選挙比例代表でも落選となった。

1989年日本社会党(当時)のマドンナ旋風で話題となった第15回参議院議員通常選挙で日本共産党の比例代表として初当選した。1994年新日本婦人の会中央委員となる[3]1995年第17回参議院議員通常選挙比例代表では落選。

1998年第18回参議院議員通常選挙比例代表で2期目の当選を果たした。2004年第20回参議院議員通常選挙には立候補せず、政界から引退した。

2022年1月25日4時44分、筋萎縮性側索硬化症のため、広島市の病院で死去[4]81歳没

政策

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  • 被爆地である広島県を地盤とする政治家として、被爆者援護法の制定[5]、被爆者の全容特定[6]原爆遺跡の保存・原爆ドーム世界遺産登録[7]、核兵器廃絶[8]などに取り組んだ。
  • 選択的夫婦別姓制度導入を支持。「今、IT化というのはどこの会社も大変進んでいて、IT、ITというかけ声でやっているため、データベースが一元化される。今までは各部がばらばらにやっていたので、そこでは通称使用ができたが、データベースが一元化されて通称と戸籍名の使い分けが逆に大変困難になっていることもある。通称利用の拡大も大切だが、選択的夫婦別姓制度の導入は急務。」と述べる[9]

脚注

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  1. 林紀子さん死去 元共産党参院議員:東京新聞デジタル”. 東京新聞デジタル. 2025年12月6日閲覧。
  2. 林 1995, pp.7-8,後付.
  3. 1 2 3 4 林 1995, 後付.
  4. 林紀子氏死去 元共産党参院議員 - 時事ドットコム 2022年1月27日
  5. 林 1995, pp. 35–53.
  6. 林 1995, pp. 54–69.
  7. 林 1995, pp. 83–90.
  8. 林 1995, pp. 92–94.
  9. 第151回国会 法務委員会議事録 第7号 平成十三年五月二十四日

参考文献

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  • 林紀子『平和への願いをこめて―被爆から50年、ヒロシマの心を国政へ―』参議院議員林紀子事務所、1995年5月1日。doi:10.11501/12760704 (要無料登録要登録)

関連項目

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外部リンク

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