焼肉

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焼肉(やきにく)とは、などの内臓たれをつけて、直火焼き炒め物にしながら食べる料理である[1]

概要[編集]

「焼いた獣肉」を意味する「焼肉」(『西洋料理指南・上』[2]より)

日本語の「焼肉」という言葉は大きく二つの意味を持ち、肉を焼いた料理全般を指す場合と、肉や内臓にたれをつけ焼きながら食べる特定の東洋料理を指す場合がある[1]

焼いた肉料理を指す「焼肉」という語の使用はより古く、例えば仮名垣魯文の『西洋料理通』(1872年明治5年〉)にはバーベキューの訳語として使用されている。同年出版の『西洋料理指南』[3]においても、獣肉を焼いた料理の意味で使用されている。また、張赫宙の『権といふ男』(1933年昭和8年〉)という小説では、朝鮮料理の焼肉が登場している。近年では水木しげるの漫画『墓場の鬼太郎』に鶏の丸焼きを指して「焼き肉」と呼ぶ台詞がある。

一方、後者の東洋料理を指す「焼肉」は現在広く使用されており、調理器具として主に鉄板や焼網を用いたものをいう。

一般的に「焼肉店」と称するレストランはこの料理を提供している。この場合、串焼きなどとは区別して呼称する。

日本総務省統計では「焼肉店」を東洋料理のものと限定しており、西洋料理(ステーキ店など)は含まない[4][注 1]

本項では、「肉を焼いたもの全般」「東洋料理の焼肉」をそれぞれ解説する。肉を焼く料理のうち、鉄板で焼く料理については「鉄板焼き」、串焼で提供するものについては「焼き鳥」を参照。

焼肉(肉を焼いたもの全般)[編集]

単純に肉を焼くという形式であっても、味付けや調理方法の違いによって世界で様々な料理がみられる。本項後半で解説する東洋料理の「焼肉」の他、ローストビーフローストポーク焼き鳥ステーキジンギスカン鍋バーベキューなどが挙げられる。

日本の焼肉文化[編集]

日本においても古くから獣肉食の歴史がある。一方で食用にする鳥獣の屠畜方法や肉の流通形態、下処理や調味・調理方法、使用する民具などによりそれぞれの文化や風俗の差異が確認できることはあるが、これらについても文献から明確な起源が判明していることは多くない。

最も一般的な説では江戸時代ももんじ屋などでひっそり続いていた食肉文化があり、これは鹿など各地方や食文化により多種多様な様態をもっていた。

彦根藩では第3代藩主井伊直澄の頃、反本丸(へいほんがん)と称して全国で唯一牛肉の味噌漬けが作られており、滋養をつける薬として全国に出回り、幕末まで江戸幕府や他藩から要求が絶えなかったという。これは近江牛が名産となるはしりとなった[5]。近江牛は開港期には東海道を徒歩で、のち汽船を使用し東京・横浜まで出荷されるようになる[6]

「焼肉」の風習は明治以前から既に存在しており、たとえば幕末開港期の横浜では、牛肉を串に刺して焼いたものを売り歩き客に食わせる料理があったとされる[7]

幕末の開国期には日本各地の開港場で日本国外の人向けとして食肉処理(屠蓄業)が始められ、当初は英国人米国人国人などが経営を行った。たとえば神戸では英国人キルビーにより最初の屠畜場が設けられて以降、9名の外国人により7箇所の屠畜場が設置された。彼らの屠畜方法は「神戸肉仕立て」といい、後の神戸肉ブランドを支える屠畜方法に大きな影響を与えたと言われる。

本郷浩二によれば、神戸における屠畜業は当初から外国人が大きく関与しており、近世期の伝統的な生牛の屠畜技術との連続性は相対的に希薄であるとする。日本人の屠畜は神戸の場合、宇治野村風呂ヶ谷の「穢多」が動員されたという記録がある。これは死牛馬勝手処理令や解放令以前の段階において、生牛の屠畜も穢多の役分としての延長に解釈されたことを推測させるものである。1870年(明治3年)には食肉需要が拡大するなかで商社の宇治野組は屠畜場を経営するに至ったとされる[8]。開花期の牛肉食は学生や一部の都市民が興味本位で口にするようなメニューであり、農村部や庶民にとっては忌避感を伴うものであった。これら一般大衆に牛肉食を普及させたのは何事にも西欧式を採用した軍隊であり、徴兵制度であった[9]日清戦争日露戦争期を通じて牛肉の消費は急激に拡大し、8歳頃まで成長した農耕牛を肥育に回して食肉用途として出荷する形体が定着した。

神戸の場合では被差別部落民とされた食肉加工事業者は明治期には既に裕福で、蔵や処理施設などを構える屋敷町を形成しており、周辺には港湾労働者らの貧民街が形成されており、その一部が食肉処理事業に従事していたという[10]。内臓などいわゆるホルモン焼きは枝肉(精肉)より鮮度の劣化が激しく、常温下で2~3日も経てば腐敗が進み、悪臭で食べられたものではなくなる。冷凍流通の存在しない当時としては肥料にでもするしか利用価値の無いものであったが、当日落としたような内臓部位については食肉加工場の周辺で売られ食材用として流通していた。精肉と内臓部位の流通経路は当初から明確に異なっており、江戸時代からの慣習[注 2]で内臓などは屠畜作業者の取分とされ[11]、これらを港湾労働者らに販売した売却益は屠畜作業者の重要な副収入となっていた。

朝鮮人労働者が屠場から牛や豚の内臓等を譲り受けて[11]食べていたことが朝鮮料理の日本での普及と関連してしばしば語られ、東京においても品川の屠場と朝鮮人の焼肉料理との関連を示唆する証言がある。芝浦の朝鮮人集住地を舞台とする村山知義の小説『或るコロニーの記録』には豚のを煮て塩で食べる朝鮮人の描写がある。東京においても朝鮮人と被差別部落民は近隣住民や同じ職場の労働者として、あるいは雇用者と被雇用者として関係を結んでいた[12]。これらのエピソードは屠畜業者と労働者である在日朝鮮人および被差別部落民との間に、牛や豚の内臓食を通して経済関係が生まれ、そのことが日本の焼肉料理にしばしば内臓食が含まれているという影響を与えた可能性を証言するものである。ただし筆者の外村大は、日本の朝鮮料理や朝鮮式焼肉料理の起源はこれだけに求めるべきではないとコメントしている[12]

そして第二次世界大戦後の深刻な食糧難の際に在日朝鮮人が料理屋として内臓類を調理して販売したところ瞬く間に好評を得て、安価な食材で店を繁盛させる事が出来る事に気付いた在日朝鮮人により「朝鮮料理」として全国的に店舗を拡大させた。しかし後に朝鮮戦争が勃発し、在日朝鮮人の中で韓国を支持して「韓国料理」と名を変える者と、北朝鮮を支持して朝鮮料理を主張する者の二派に分かれたが、主な客である日本人には理解されず、日本人にも理解し易い様、肉を焼くという意味で「焼肉」に統一され、これが戦後の日本で一般的に知られる焼肉のルーツと言われている[13]

日本人の食肉の供給量(消費量)は、かつて牛肉どころかそれに豚肉・鶏肉をあわせてもとても少なく、1960年時点で、1人1年当たり牛肉・豚肉・鶏肉をあわせた供給量でもわずかに3.5kgだったが、2013年はその10倍の30kgとなった[14]

牛肉消費形態については、1960年代半ばから、伝統的な形態以外の調理法による各種の牛肉料理が急速に広まり、その主要なものは「濃いタレ」をつけて焼く「焼肉」、ハンバーグなど各種挽き肉料理、カレーシチューなど煮込み料理であり、その背景には1960年代以降のグラスフェッド(草牧肥育)ビーフの輸入の増加や乳用種去勢牛の若齢肥育の本格化などによる肉質多様化をともなった牛肉消費の増大があった[15]

牛肉輸入自由化による牛肉の普遍化・焼肉チェーンの登場

日本の牛肉輸入自由化は1991年(平成3年)4月である[16]。以前は牛肉は国産のみの高級食品、焼肉屋は女・子供は入れないために男性ばかりのカルビ一人前1000円越えが基本の個人経営店舗のみであった。牛肉輸入自由化を受けて、1995年12月に焼肉きんぐを運営する物語コーポレーションの小林佳雄は焼肉食べ放題店焼肉きんぐの前身のカルビ一番第一号店を出し、大型店で1人前580円のカルビを筆頭に店舗増加・莫大な利益をあげた。その後、焼肉チェーンが多数参入・2003年からBSEによる日本国民の牛肉離れが起きた。2007年3月に「焼肉きんぐ」に改名し、自分で取りに行く形式が基本だった焼肉食べ放題ではなく、初のテーブルバイキング式の焼肉食べ放題チェーンとなった[17][18]

朝鮮半島の焼肉文化[編集]

李氏朝鮮の時代に既に宮廷料理として精肉(枝肉)を用いた焼肉料理が存在したが、これは庶民の口に届くようなものではなかった。李朝時代の焼肉は煖炉会と呼ばれソウル周辺の風習として記録されており、高級貴族が初冬の節会に屋外で楽しんでいたものである。李朝末期の風土記である洪錫謨の『東国歳時記』(1849) にはレシピが記述されており、前処理としてタレに漬け込んだ肉を鉄なべで野菜などと焼くもので、今日のプルコギないしはすき焼きに近い料理であった。肉の下処理なで、内臓(ホルモン)は用いなかった。

日本でみられる「韓国風焼肉店」の品揃えのうち、韓国・朝鮮式のものの一部はこの宮廷料理の調理方法を応用したものであり、前処理としてタレを揉み込み、あるいは漬け込むこの調理方法が次第に一般の焼肉店にも広がり採用されたものと考えられている。一方で焼き上がりをタレにつけ食べさせるスタイルは大阪市食堂園が始めたものとされ、韓国ではこの食べ方は一般的ではない。

現在、朝鮮語において「焼肉」を意味する語は「コギグイ고기구이)」(肉焼き)であるが、これは肉を焼いて調理する韓国料理の総称となっている[19]。コギグイの具体的なメニューとしては「プルコギ(불고기)」(火肉)、「カルビグイ갈비구이)」(カルビ焼き)、「サムギョプサル(三겹살、삼겹살)」(三枚肉)等がある。プルコギは日本のすき焼きに近い料理である。カルビグイやサムギョプサルは、後述する日本の焼肉(東洋料理)に近い料理であるが、それ単体を供する外食店は一般でなく、韓国ではメニュー名の一つとなっている。また韓国では、ホルモンをメニューとして提供する焼肉店は一般的でない。

韓国の牛肉消費量も、日本と同様にかつては少なく、1980年代時点の1人当たりの年間牛肉消費量はわずか2.6kgであったものが、1988年のソウルオリンピック開催で韓国国内経済が発展したことが大きな影響を与え、1990年には1人あたり4.1kgに増加し、2000年には8.5kgとなった[20]。つまり1980年→2000年の20年間で3倍以上の伸びを見せた[20]。なお、韓国の牛肉輸入自由化は2001年である[20]

焼肉(東洋料理)[編集]

本節では日本の「焼肉店」と称する店舗において提供されるような、肉を焼網などで炙って食べる料理について解説する。

一般的には、焼いた肉をたれ醤油を基本に砂糖ニンニクゴマなどを調合して作った配合調味料)や胡椒もしくはレモン汁などに付けて食する。同時に野菜も調理する場合もあるが、それらを含めて「焼肉」と呼ぶ。

材料には牛肉がよく用いられるが、焼肉店では豚肉、鶏肉などの獣肉、ウィンナーソーセージ魚介類、野菜、杏仁豆腐やフルーツカットなどのデザートも提供されている。また、キムチクッパビビンバ、朝鮮式冷麺など朝鮮の食文化を象徴するサイドメニューも豊富に提供されている。

肉を焼く方法には、直火焼き(網焼き、串焼き等)と鉄板焼きがある。直火焼きは、焼くときに脂が滴り落ち表面がカリッと仕上がるので比較的さっぱりとした味となる。また、火で直接炙るので焦げ目がつきやすく、落ちた脂による煙で多少燻されるので香ばしい風味となる。一方、鉄板焼きは脂が落ちにくく、直火で炙られることが無いため水分が飛ぶことが少なく、比較的シットリとしてコクのある食感となる。調理師により調理されたものを供(サービス)されるものやガスや電熱台などを使用するものよりも、七輪やグリルに木炭を使用し直火あぶりで各自が焼くものの方が野趣めいて好まれることがある。

起源[編集]

佐々木道雄は、明治以前から日本人は山間部を中心に鳥や猪などの肉を直火で焼いて食べていたこと、戦前から牛や豚の内臓を使ったモツ煮込みや、串に刺して焼いて食べるモツ焼きがあったことを指摘している[21]。一方で現代の日本における「焼肉料理」「焼肉料理店」は朝鮮と密接に関連していると述べている[21]。1930年代中頃、朝鮮南部から大阪の猪飼野に移住した朝鮮人によってカルビ焼きとプルコギが伝わり、これらが当時、既に存在していた朝鮮食堂に取り込まれて焼肉食堂に変容する[21]。そして、プルコギとカルビ焼きは当時流行していたジンギスカンの影響により、「客自ら焼いて食べる」形式を得る[21]。佐々木によればこれが「焼肉」[22]の誕生であり、この焼肉を在日韓国・朝鮮人らが、日本の料理文化に適応させながら発展させたという[21]。 また佐々木は、焼肉の誕生に直接関与したのは朝鮮人で、満州や朝鮮に広めたのも朝鮮人であり、従って「焼肉は日本で誕生した」というよりは「日本の大陸進出時に大阪・猪飼野に移り住んだ朝鮮人が生み出した」とする方が実態を表していると述べている[21]

佐々木によれば、現代日本の焼肉料理、焼肉店の精肉の“焼肉”も内臓の“焼肉”も発祥は朝鮮半島にあり、1940年前頃に日本に伝えられ戦争中に一時的に途絶えるが、戦後、精肉の焼肉は朝鮮料理店で、内臓の焼肉は朝鮮系の飯屋や飲み屋によって再開された[21]。その後両者が互いの焼肉を取り入れることで、今日における焼肉店の原型ができ、“焼肉”が隆盛を迎えると、朝鮮系の冷麺店、飯屋、飲み屋も焼肉店に商売替えしたという[21]

その他、『別冊BUBKA2006年(平成18年)7月号33ページでは、「焼肉」の起源は日本であるが、日本発祥といえども始めたのは朝鮮人であるという説が掲載された。戦前に捨てるか肥料にするかしていた臓物肉を朝鮮人女工がもらってきて焼いて食べたのがホルモン焼きの始まりであり、ホルモンを焼いて食べる習慣は朝鮮にはなく、ホルモン焼きは日本で始まった[23]。そして戦後、ホルモン焼きの屋台が「ホルモン屋」や「朝鮮料理屋」という名称になって行く中、新宿にミノやセンマイといったホルモンだけでなくロースやカルビなどの精肉を用いる店が出来る。この在日朝鮮人女性が経営する明月館が焼肉の祖であるとするのが同誌の主張である。

また同誌は、「焼肉」と呼称するようになったのは1965年昭和40年)に日韓基本条約が結ばれて以降、韓国籍を取得する者が増え、在日朝鮮人の主張した朝鮮料理屋と在日韓国人の主張した韓国料理屋との呼称論争を収拾する案としてプルコギを直訳した「焼肉」が用いられることとなったのだとの説を主張している。

ちなみにホルモン料理は大阪西心斎橋の「北極星」北橋茂男により提供され、昭和15年に商標登録されている。また、明治時代における朝鮮料理店は、東京などに高級店として数店が営業している程度であり、提供する料理は韓定食(「韓国料理」の項目を参照)などの正統派宮廷料理であり、現代のいわゆる焼肉料理店のようなものではなかった。

「焼肉店」は、既に1960年代に大都市圏に存在していたが、1970年(昭和45年)以降は次第に日本各地へ広まるようになった。1968年(昭和43年)にはエバラ焼肉のタレが発売された。2004年(平成16年)の統計では20997件[24]である。

道具[編集]

オガ炭
無煙ロースター

焼き網や焼肉専用プレートを使用するほか、鉄板フライパンなど)やホットプレートを使用することもある。

直火では焼き網を使うことが多く、他は鉄板、また石焼式がある。焼き網のかわりに、鉄板にスリットが入った鋳物のロストル(火格子)を使用することもあり、これはこびりつきが比較的少ないが、焼き網は焼きつき清掃の手間がかかるため、店舗においては使い捨ての場合もある(卸価格では網1枚十数円台である)。直火(特に炭火)で焼くと肉の表面がカリっと焼けるが、網や鉄板の下に水受けを設けたもので焼くこともあり、これで野菜を焼くと直火と比べて水蒸気の作用で乾燥しにくく、ふっくらと焼ける。

焼肉店の多くで普及している「無煙ロースター」は日本企業であるシンポの開発・特許である[25]

調理の熱源には電熱、ガス火、炭火(炭火式、セラミック炭式、溶岩炭式)が使われる。店舗での炭火焼きでは、備長炭のような性質を示し比較的安価なオガ炭がよく使われている。オガ炭は形状から練炭と誤解される場合も多い。

メニューの種類[編集]

店舗により違いはあるが、日本の「焼肉店」と称する店舗において提供されるメニューを記載する。以下、ウィキペディア上に単独記事の存在するものを中心に紹介する。

焼物[編集]

牛肉
豚肉
  • 豚ロース
  • 豚カルビ
  • 豚タン
  • 豚レバー
  • 豚トロ(Pトロ)
  • ハツ(心臓)
  • テング(鼻)
  • ミミ
  • ガツ(胃)
  • ホルモン(小腸、大腸、直腸の区別あり)
  • サガリ
  • コリコリ(血管[26]
  • ノド軟骨
  • 豚カシラ
  • 豚マメ(腎臓)
鶏肉
  • 鶏もも
  • 鶏皮
  • 鶏レバー
  • 砂肝
  • のど・首(ネックまたはセセリ)
  • 尾(ぼんじり、三角)
  • 鶏軟骨(やげん軟骨、膝軟骨)
  • 手羽先
  • 手羽中
  • 鶏ハート(はつ)
  • キンカン(未熟卵)
  • ヒモ(卵管)
  • 親モツ(ヒモとキンカン。別名チョウチン)
羊肉(ジンギスカン)
その他の肉
加工肉
魚介類
野菜
その他の焼物

サイドメニュー[編集]

生肉類(生肉生食提供には調理基準の制約あり)
飯類
麺類
汁物
その他


「朝鮮焼肉」という呼称[編集]

かつては「朝鮮焼肉」という呼び方があり、1967年(昭和42年)1月封切の東宝映画『社長千一夜』では、冒頭で秘書役の黒沢年男が勇み張り切って大声で挨拶するシーンがあり、森繁久弥から(息が臭うので)「何を食べたのか」と聞かれ、黒沢は「朝鮮焼肉を食べた」と言う内容のセリフがある。

また、『週刊平凡』の1967年(昭和42年)10月12日号104 - 105頁「人気タレントの好きな食べ物きらいな食べ物全調査」なる記事においては柳家小せん大形久仁子西郷輝彦の好きな食べ物として朝鮮焼き肉が挙げられている。

集英社より発行されていた『週刊明星』1969年8月17日号153頁では「スタミナには朝鮮焼きが最高。ときどきみんなで食べに行くんだ。」と当時ザ・スパイダースのメンバーであったかまやつひろしが語る記事がある。

近代映画社発行の『近代映画1970年7月号の118 - 119頁には「君にソッとおしえちゃおう!スターのたまり場、好きな店」なる記事があり、その中の「焼肉でヨイショッ!」欄では小畑実が経営する朝鮮風焼肉「六本木苑」は西郷輝彦が常連、また神宮前にある朝鮮焼肉「八角亭」[注 3]三田明水前寺清子布施明などが常連、「若い歌手やGS連中には人気があるが、店が渡したガムを噛んでも消えない強烈なニンニクの匂いに大人からは敬遠されている」以上の様な記述がある。同誌1970年10月号の95頁「舟木一夫スペシャルリポート」では「食べるものも、必ずといっていいほど同じもの。焼肉(朝鮮焼肉)は六本木にある「レストラン六本木」食べるのは、ロースの焼肉とロースの生肉をそのまま食べ、あとはユッケ(朝鮮風タルタルステーキ)です」といった記述もある。月刊食堂 柴田書店 1976年2月号 169頁の『パパママ開業指南』の第2回においては『日本で戦後総称されている朝鮮料理はそのほとんどが朝鮮焼肉といってもよい』といった出だしで始まっている。

全国焼肉協会とその活動[編集]

全国焼肉協会によって毎年8月29日が焼肉の日と制定され、(1993年〈平成5年〉)一般社団法人日本記念日評議会に公式認定された(2013年〈平成5年〉)。全国焼肉協会は8月29日に向けて全国でボランティア活動や様々なイベントを開催している。

2002年(平成14年)、全国焼肉協会の企画により焼肉のキャンペーンソング「GO!GO!!カルビくん」(作詞・作曲:OK-D、歌:太平サブロー & SiSTA)がシングルCDで発売された。2003年(平成15年)2月時点で売上8000枚(『日本経済新聞』夕刊2003年2月22日)。

文化[編集]

焼肉をメインに据える祭り[編集]

ギャラリー[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 産業分類は企業全体の主な事業の種類(企業全体の過去1年間の総収入額又は総販売額の最も多いもの)により分類している。参照:平成16年サービス業基本調査(確報)結果の概要1 一般飲食店の特色(2021年8月13日閲覧)。ただし これは統計上の分類であり「焼肉」の定義・語義を直接規定するものではない。
  2. ^ 死馬牛の引き取りはえたの役分であり対価の対象ではなかった。一方でそれを引き取り皮革を納め残余を始末し(ここまでが役務)、その加工を受け持つことなどで生計を成していた。
  3. ^ 現在は八角館として1階にロッテリア原宿表参道店、2階にはジョナサン原宿店と完全なテナントビル

出典[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 焼肉 デジタル大辞泉(2021年8月13日閲覧)
  2. ^ 敬学堂主人 著『西洋料理指南. 上』28頁 NDLJP:849073
  3. ^ 敬学堂主人 著『西洋料理指南. 下』13頁 NDLJP:849074
  4. ^ 総務省統計局HP[1]
  5. ^ 国宝彦根城築城400年祭「列伝 井伊家十四代 第8回」
  6. ^ 野間麻里子「滋賀県における牛肥育の形成過程 ―戦前期,役肉兼用時代の肥育論理―『農林業問題研究』Vol.46 (2010) No.1 P23-32 doi:10.7310/arfe.46.23
  7. ^ 横浜の老舗[リンク切れ]キリンビール
  8. ^ 本郷浩二「明治・大正期の食肉産業と被差別部落」『部落解放研究』NO.159 2004.8)[2][リンク切れ]
  9. ^ 真嶋亜有「肉食という近代:明治期日本における食肉軍事需要と肉食観の特徴」『国際基督教大学学報 III-A,アジア文化研究別冊11』2002年9月30日NAID 110000999448
  10. ^ 佐川光晴『牛を屠る』 (解放出版社・シリーズ向う岸からの世界史) ISBN 978-4-7592-6724-2
  11. ^ a b ヒョンミのおいしい焼肉「三河島と焼肉・在日」
  12. ^ a b 外村大「帝都東京の在日朝鮮人と被差別部落民」『部落解放研究』No.171 2006年8月[3][リンク切れ]
  13. ^ 宮塚利雄著『日本焼肉物語』知恵の森文庫
  14. ^ 「食肉の消費動向について」農畜産業振興機構
  15. ^ 吉田忠、「牛肉の生産・消費の国際比較:欧米とわが国」『農業計算学研究』1986年 18巻 pp.64-72, 京都大学農学部農業簿記研究施設
  16. ^ 過去に行われた輸入自由化等の影響評価農林水産省関東農政局
  17. ^ 本当に同じ店? 外装をどんどん変える「焼肉きんぐ」の狙い” (日本語). ITmedia ビジネスオンライン (2019年3月18日). 2021年10月7日閲覧。
  18. ^ 焼肉きんぐ FAN BOOKp42, (TJMOOK)
  19. ^ 韓国観光旅行ガイド ソウルナビ
  20. ^ a b c 韓国の牛肉事情独立行政法人農畜産業振興機構)
  21. ^ a b c d e f g h 佐々木道雄『焼肉の文化史』明石出版、2004年
  22. ^ 佐々木は以下の4点を全て満たしたものが焼肉だと言えるとしている。すなわち、
    1. おかずの一品としてではなく、肉を主体に食べる料理である。
    2. 複数の人がコンロを囲んで焼き、歓談しながら食べる形式を持つ。
    3. 店舗料理として発達した。
    4. 朝鮮の焼肉料理にルーツがある。
  23. ^ “戦後ホルモン焼きから誕生した焼肉 素材を生かし肉を楽しむ食べ方へ”. コリアワールドタイムズ. (2020年1月22日). https://www.koreaworldtimes.com/topics/news/6613/ 2020年7月15日閲覧。 
  24. ^ 平成16年サービス業基本調査 統計表一覧 総務省統計局(平成17年12月13日公表)
  25. ^ 無煙ロースターの特許を保有するシンポ株式会社のWebサイト[4][リンク切れ]
  26. ^ 鄭大聲『焼肉は好きですか?』新潮社、2001年7月20日。ISBN 978-4-10-603503-6

文献情報[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]