水前寺清子

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水前寺 清子
出生名 林田 民子(はやしだ たみこ)
別名 チータ
生誕 (1945-10-09) 1945年10月9日(73歳)
出身地 日本の旗 日本熊本県熊本市中央区
学歴 洗足学園中学校・高等学校卒業
ジャンル 演歌歌謡曲
職業 歌手女優
担当楽器 歌唱
活動期間 1964年10月15日 -
レーベル 日本クラウン
(1964年 - 1980年、1989年 - )
RVC→BMGビクター
(1981年 - 1988年)
事務所 水清企画
公式サイト chita365.net

水前寺 清子(すいぜんじ きよこ、1945年10月9日 - )は、日本の女性演歌歌手女優。本名は林田 民子(はやしだ たみこ)。身長158㎝、血液型O型。

人物[編集]

熊本県熊本市中央区子飼商店街で生まれ、小学校まで同地で過ごす[1]熊本市立碩台小学校洗足学園中学校・高等学校卒業。

芸名の水前寺は故郷・熊本市の水前寺成趣園から、清子は熊本ゆかりの戦国武将・加藤清正からそれぞれ取られている。愛称の「チータ」は、小柄だった水前寺を作詞家の星野哲郎が「ちいさなみちゃん」と呼んだことに由来する[2]。動物のチーターとは直接の関係はないが、着物の柄などにチーターの意匠を用いることがある。過去には長年にわたってサンミュージックプロダクションに所属していた。

見得を切りながらの歌唱は「んーにゃっ!」という語尾ひねりによって物まねされることが多いが、本人の癖はそれほど強くない。しかし、自らの物まねを意識してあえてひねることもある。

15歳時に出場した「コロムビア歌謡コンクール」に出場し2位になる。そのときに星野哲郎が水前寺に声を掛けたことが後のデビューのきっかけになった。その後、歌謡コンクールを主催したコロムビアで11回もレコーディングをしたものの、レコードデビューすることはできなかった[3]。そこで、水前寺はクラウンレコードに移籍し、畠山みどりが歌う予定だった「袴を履いた渡り鳥」を畠山のキーのままで「涙を抱いた渡り鳥」とタイトルを変更した上で念願のデビューを果たした[4]

1970年からは民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%を記録したTBSのドラマ「ありがとう」に主演し、山岡久乃演じる母と娘(水前寺)の日常生活、石坂浩二との恋を演じた。プロデューサー石井ふく子はこのドラマを構想以来、水前寺がTBSに歌の仕事に来るたびに局内の女子トイレで待ち構えて口説き、歌手しかやらないという水前寺をついに出演させた[5]。しかし水前寺が歌手活動に専念したいとの意向で第3シリーズをもって降板し、第4シリーズは主演が佐良直美に交代となった。

1994年にサントリーフーズより清涼飲料水C.C.レモン」が発売となり、そのCMソング「C.C.レモン」(商品と同名タイトル)を歌ったことで話題になる。

プロサッカークラブのロアッソ熊本応援イメージソング 「HIKARI 〜輝く未来へ〜」を歌った縁から、ロアッソのファンであることを自ら公言している。

NHK紅白歌合戦」には1965年(16回)から1986年(37回)まで22回連続出場していた。その内紅組の司会を4回務めたことがあり、1960年代後半 - 1980年代にかけて、紅組内ではムードメーカー的存在であることが多かったが、トリを飾ったのは1983年(第34回)のわずか1回だけである。しかしながら、全盛を極めていた時代の紅白の象徴的な歌手であり、様々なエピソードが残されている(詳細は後述)。

また、健康日本21推進ウオーキング実行委員長、社団法人日本ウオーキング協会理事の役職も務めており、本業よりもそうした方面での活動も多くなっている。

2011年6月14日に広島で行ったコンサートでステージ中央の階段から落ち、左ひざをはく離骨折する大けがを負った。当日はそのまま公演を続けたが、翌15日に病院で診察を受けたところ、左ひざの骨折だけでなく、じん帯損傷も判明。担当医には「治るまでかなりの時間がかかる。絶対安静」と言われたという。自身のブログでは「大丈夫です。何とかいつものように、あちこちと動けるように努力してま〜す。あまり心配しないでください」とつづっている。

これまでに制作した衣装や着物などを自宅内に全て保管しておりごみ屋敷状態になってると、2015年10月5日放送の『私の何がイケないの?』で紹介されて、捨てずに整理する方法を提案されてから総勢13名が作業にあたり綺麗に片付いた[6]

和田アキ子とは、1970年代に確執が囁かれ、水前寺が和田のレギュラー番組から出演オファーがあった際、「アコが嫌いだから出演しない」とオファーを断り、それを聞き和田が涙をこぼしたと『女性自身』(1974年2月9日号)に報じられた。水前寺は2016年11月4日放送のフジテレビ『ダウンタウンなう』で、「週刊誌に(番組に)出てくれないんで、一晩中泣いたと書かれたんですよ。その時に、私はあの方が元気いいところを知ってましたんで、『泣くタマか!』と言ったのは覚えています。売られたケンカは買います。この事件は、(喧嘩を)売られたと思いましたから。私が全く知らないところでこういうことがあって、『一晩泣いた。どうしてくれるんですか?』って言われたんで。『泣くタマか』って言ったのは、今でも本当に申し訳なかったと思います。アッコちゃんは、本当に今はとってもよくしてくださるし、優しいです」と語った[7][8]

略歴[編集]

  • 前史…水前寺の父、林田壽は熊本市内で化粧品・洋品店を経営していたが、過大投資が祟って破綻し、一家は夜逃げ同然に「あさかぜ」で上京、歌のうまい民子に将来を託した。
  • 1964年10月15日 『涙を抱いた渡り鳥』でデビュー。
  • 1965年 NHK紅白歌合戦に初出場。以降、1986年まで22回連続出場。
  • 1968年三百六十五歩のマーチ』が100万枚の大ヒット。翌1969年3月開催の第41回選抜高等学校野球大会入場行進曲にも採用となる。
  • 1969年 『真実一路のマーチ』で第11回日本レコード大賞大衆賞受賞。
  • 1970年 ドラマ『ありがとう』(TBS) 主演
  • 1981年 『有明けの海』で古賀政男記念音楽大賞、日本作詩大賞に入賞。
  • 1989年 バックバンドのサックス奏者だった6歳下の小松明と結婚。2月28日、水前寺公園の中の出水神社で挙式。
  • 2000年 熊本市に老人ケアハウス「水清庵」を設立。また「水前寺清子一座」を旗揚げ、全国公演。
  • 2005年 期間限定再集結聖飢魔IIのミサにゲスト出演し、聖飢魔IIの演奏で『三百六十五歩のマーチ』をデーモン閣下と歌唱。
  • デビュー前、芸名は「東京マリ」にしようと自分で考えていた(もともとポップス歌手志望だった)が、演歌歌手としてデビューすることになり、恩師である星野哲郎やレコード会社ディレクターの提案によって芸名が「水前寺清子」になった。また、星野の葬儀では弔辞を読み上げた。

NHK紅白歌合戦でのエピソード[編集]

水前寺は1960年代半ば - 1980年代まで紅組トップバッター2回、紅組トリ1回、紅組司会4回、1981年よりチームリーダー制が敷かれてからは紅組リーダー4回(1983年は盟友である同期デビューの都はるみにその座を禅譲している)をそれぞれ務めた。

  • 1968年、第19回紅白で初の紅組司会を務める。冒頭の選手宣誓で「昭和43年」を「昭和33年」と言い間違えた。またこの頃は大抵、着流しやパンツルックなど、ボーイッシュな衣装でテレビに出ることが多かった彼女が芸者姿で司会をした。水前寺は「当日ドキドキで精神安定剤を飲んだらスーッと気持ちが落ち着いてきたから、『こりゃいいや』と思ってもう1錠飲んだらヘロヘロになっちゃって。選手宣誓の時、昭和43年を34年と言っちゃった」と話している。
  • 1971年、2回目の紅組司会を務めたが、紅組トリおよび大トリとなった美空ひばりの曲紹介を拒否したと噂されたことで、後日謝罪の記者会見を行い波紋を呼んだが、実際は、大トリだけは宮田輝が司会をするということが決まっていた。(フジテレビ系「ダウンタウンなう」に出演時の発言より)

翌1972年の紅組司会は佐良直美に変更となるも、その翌1973年は水前寺が同年3回目の紅白司会を務めている。

  • 1979年、4回目の司会を務めた紅白では、歌手としてよりも司会の方に重点を置く意思で司会に臨んだ。そのため、紅組出場歌手の意思を取りまとめるべく、特に初出場で緊張の極度にいる歌手に対しては激励の言葉をかけ続けたり、各歌手のいい部分を最大限すくい上げようと司会者面談をいつも以上に念入りに行うなど、努力を惜しまなかった。
  • 1982年の入場行進は、それまでの五十音順での行進という鉄則を破って、意表をつく組み合わせでの入場となった。この時に同期の都はるみと共に入場した相手は当時のトップアイドル、近藤真彦田原俊彦だった。
  • 1983年、「あさくさ物語」で出場19回目にして初の紅組トリを務める。しかしこの年、紅白の直前に、最大の理解者であった父親が死去。彼女のたった1回の紅組トリは、終始涙を浮かべての悲しみを押し殺してのステージとなった。紅組司会の黒柳徹子は「天国のお父ちゃん、聞こえますか?」と曲紹介時に述べた(黒柳の言葉を聞いた水前寺は父親に届いたと思ったという)。なお、水前寺は11月20日の時点で紅組トリ担当を知らされていたが、関係者や親族にもそのことを明かしてはならないとの注文がNHK側から付けられていたために、病床の父親にもその事実を告げることができなかったことが心残りとなっていると言い、この事実を父親に告げていれば、紅白本番の時まで父親は生きていてくれたのかもと思っていると話す[9]。そして同年から1985年まで設けられた個人賞「銀杯」を獲得している(優勝チームの個人賞は「金杯」で、白組の沢田研二が獲得)。
  • トリ担当は1回限りだが、出場した他の回でもトリの有力候補に挙がったことは幾度もあったとされる。紅組司会についても実際選出回以外でも有力候補に挙がった回があると言われる。
  • 佐良直美や森昌子が歌手兼司会で出演した回では、当人の歌手出番の代理曲紹介を行ったこともある。
  • 1987年、紅白改革の嵐に巻き込まれる形で、出場22回にして落選という挫折を味わう。その際、番組側から水前寺に対し、「辞退した」と公に発表することを許可されたが、「(落選という)結果を正面から受け入れようと思いました。辞退は逃げだと思います」とこれを拒み落選をそのまま公表した。1990年代に入り、紅白でも懐メロが本格的に解禁されて再出場の機会は幾度となくあるものの、落選後は1度も出場できていない。紅白が50回を迎えた時のインタビューでは「今ではテレビで見る立場になってしまいましたが、お声がかかったり時代の流れに乗ればいつでも出るし待ってます」とコメントしている[10]。ただし、紅白の事前番組(『思い出の紅白・感動の紅白』など)にはコロッケらとほぼ毎年出演している。また、2009年11月に読売テレビ制作・日本テレビ系列『情報ライブ ミヤネ屋』にゲスト出演した際、紅白に初出場を果たした歌手が記者会見で「親孝行になった」と発言する姿が印象的だと話し、紅白を「若い歌手に是非出てほしい番組」と推奨していた。
  • 自身のブログでは、「紅白はヒット曲が出ない限りは出場しない。今は半卒業状態」だと綴っていた。

その他のエピソード[編集]

  • ペプシコーラCMソングに起用された「1+1の音頭」は、1970年11月までに26万枚を売り上げ[11]盆踊りの定番曲の一つとしても知られる[12]。水前寺が宣伝以外でこの曲を歌うのは2015年11月7日にトロント日系文化会館で開催されたチャリティーコンサート[13]が初めてだったという[14]
  • TBSのドラマ「ありがとう」に出演を拒んだ理由として、「私は歌手であり、女優をやったら歌が売れなくなってしまうから」と本人が語っている。しかし、石井ふく子の熱心な説得により出演し、結果的に高視聴率を獲得し、シリーズ化されるほどの人気を博した。しかし、「その後、歌が売れなくなった」と、本人は自虐的に語っている。
  • 実母の介護経験から、熊本市に老人ケアハウス「水清庵」を設立した。切っ掛けは、仲の良かった母親が認知症を患って、最初に水前寺の名前を忘れてしまいショックだった事と語っており、その時の経験を生かせないかと思い、設立を決意したという。
  • 夫である6歳下の小松明は、現在、水前寺のマネージメントに専念しているという。子どもはいないが夫婦仲は良く、自分の仕事よりも水前寺のマネージメントに徹して平身低頭で売り込む姿から、『水前寺清』と業界内で形容されているという。皮肉にも、この事が知られることとなったのは、同じく夫がマネージメントに乗り出した水前寺と同期で仲の良い小林幸子の独立騒動が切っ掛けであった。
  • デビュー時から現在まで一貫して世田谷区桜新町に在住。毎年4月の「さくらまつり」には毎年出演している。

音楽[編集]

シングル[編集]

# 発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲
1960年代
1 1964年
10月
涙を抱いた渡り鳥 有田めぐむ いづみゆたか
2 1964年
12月
娘田原坂 星野哲郎 いづみゆたか
3 1965年
2月
花の都の渡り鳥 星野哲郎 叶弦大 安田彫花
4 1965年
5月
女黒田節 星野哲郎 叶弦大 重松岩雄
5 1965年
7月
娘ざかり 中山大三郎 関野幾生 福田正
6 1965年
8月
女ごころの流し唄 星野哲郎 北原じゅん
7 1965年
10月
人生舞台 阿蘇健 叶弦大 安田彫花
8 1965年
11月
ゆさぶりどっこの唄 星野哲郎 北原じゅん
9 1966年
3月
その一言を待ってます 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
10 1966年
4月
女三四郎 並木ひでを 北原じゅん 福田正
11 1966年
5月
俺は天下のご意見番 良池まもる 北原じゅん
12 1966年
6月
人情一枚 星野哲郎 叶弦大 福田正
13 1966年
11月
いっぽんどっこの唄 星野哲郎 富侑栄 安田彫花
14 1967年
5月
いのち知らずにゃ敵がない 星野哲郎 安藤実親
15 1967年
8月
どうどうどっこの唄 星野哲郎 安藤実親
16 1967年
9月
いつでも君は[15] 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
17 1967年
10月
みそこなっちゃいけないよ 大矢弘子 叶弦大 安藤実親
18 1968年
1月
おしてもだめならひいてみな 星野哲郎 首藤正毅 安藤実親
19 1968年
3月
男でよいしょ 星野哲郎 安藤実親
20 1968年
6月
艶歌[16] 星野哲郎 安藤実親
21 1968年
8月
神様の恋人 星野哲郎 鈴木邦彦 小杉仁三
22 1968年
9月
ひとりでよいしょ 星野哲郎 安藤実親
23 1968年
11月
三百六十五歩のマーチ[17] 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
24 1969年
1月
人生男節 大矢弘子 野田ひさ志 -
25 1969年
2月
男じゃないか 星野哲郎 叶弦大 安藤実親
26 1969年
5月
にんげんどっこの唄 星野哲郎 安藤実親
27 1969年
8月
敦賀とてもすきすき 星野哲郎 山崎正清
28 1969年
8月
赤いトランク 大矢弘子 安藤実親
29 1969年
10月
真実一路のマーチ 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
30 1969年
12月
東京でだめなら 星野哲郎 首藤正毅 安藤実親
1970年代
31 1970年
3月
空手道 星野哲郎 安藤実親
32 1970年
5月
1+1の音頭[18] 星野哲郎 鈴木邦彦
33 1970年
5月
ありがとうの歌[19] 大矢弘子 叶弦大 小杉仁三
34 1970年
7月
三度笠だよ人生は 星野哲郎 安藤実親
35 1970年
10月
だめでもともと 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
36 1970年
11月
大勝負 関沢新一 安藤実親
37 1971年
2月
あゝ恋唄 星野哲郎 安藤実親
38 1971年
4月
ねんがら子守唄 星野哲郎 安藤実親 小杉仁三
39 1971年
7月
ああ男なら男なら 星野哲郎 安藤実親
40 1971年
9月
浪花太鼓 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
41 1971年
10月
青空浪人の唄[20] 関沢新一 安藤実親
42 1971年
12月
苦労買います おおがみとおる
関沢新一
安藤実親
43 1971年
12月
おどんが国は[21] 川添一郎 米山正夫 小杉仁三
44 1972年
2月
この手にとまれ 星野哲郎 市川昭介 小杉仁三
45 1972年
3月
柔の道[22] 関沢新一 安藤実親
46 1972年
9月
いつかは逢えるだろう 阿久悠 戸河万吉 竹村次郎
47 1972年
10月
大逆転のマーチ 星野哲郎 安藤実親 小山恭弘
48 1972年
10月
昭和放浪記 阿久悠 小林亜星 小杉仁三
49 1972年
12月
指言葉の歌 星野哲郎 鈴木邦彦 小杉仁三
50 1973年
6月
かあさん 阿久悠 小林亜星 小杉仁三
51 1973年
8月
大恋愛 大兼佳也 猪俣公章 坂下晃司
52 1973年
11月
望郷の詩 藤田まさと 遠藤実 斉藤恒夫
53 1974年
1月
どこかでありがとう[23] 星野哲郎 安藤実親 原田良一
54 1974年
4月
ハナハナハナ 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
55 1974年
5月
人生ブルース なかにし礼 浜圭介 -
56 1974年
7月
幸せ正面だーれ[24] 関沢新一 市川昭介 馬場良
57 1974年
8月
てっぺんまごころ 星野哲郎 安藤実親
58 1974年
10月
花の散りぎわ なかにし礼 浜圭介 -
59 1974年
12月
あたしのものよ[25] 松山善三 平尾昌晃 -
60 1975年
2月
大成功 関沢新一 安藤実親
61 1975年
4月
みつばちマーヤの冒険[26] 伊勢正三 小山恭弘
62 1975年
6月
同窓会 星野哲郎 山路進一
63 1975年
8月
君は青空を見たか 平岩弓枝 米山正夫 小杉仁三
64 1975年
10月
浮草 寺山修司 猪俣公章 -
65 1975年
11月
明日がござる[27] 平岩弓枝 米山正夫 小杉仁三
66 1976年
3月
しあわせ橋 星野哲郎 米山正夫 小杉仁三
67 1976年
3月
鬼面児 星野哲郎 安藤実親
68 1976年
7月
にっぽん流行歌 関沢新一 島津伸男
69 1976年
10月
お父さん 星野哲郎 はやし・こば
70 1977年
2月
お前のふるさとどこなんだ 杉紀彦 中村千里 -
71 1977年
3月
花染め音次郎 杉紀彦 米山正夫 -
72 1977年
11月
虚空太鼓 星野哲郎 島津伸男 池多孝春
73 1978年
2月
春らんまん 浅木しゅん 安藤実親 -
74 1978年
3月
我がふるさと 安永貞利 小川寛興 -
75 1978年
4月
岬にて[28] 有馬三恵子 米山正夫 -
76 1978年
7月
九州よかとこ 星野哲郎 安藤実親
77 1978年
8月
肥後の駒下駄 星野哲郎 島津伸男 小町昭
78 1979年
2月
カラスの歌 星野哲郎 鏑木創
79 1979年
5月
船橋手拍子音頭 福田克彦
星野哲郎
市川昭介 小杉仁三
80 1979年
5月
夢一番 星野哲郎 安藤実親 小杉仁三
81 1979年
8月
オアシス音頭 星野哲郎 市川昭介 小杉仁三
82 1979年
9月
昭和艶歌 星野哲郎 市川昭介 馬場良
1980年代
83 1980年
4月
あなたの光はどんな色 伊藤アキラ 鈴木キサブロー 馬飼野俊一
84 1981年
2月
さすらい情話 藤公之介 猪俣公章 斉藤恒夫
85 1981年
8月
有明の海 中山大三郎 京建輔
86 1982年
7月
命坂 白鳥園枝 遠藤実 京建輔
87 1983年
1月
花が咲いたらまた来るよ 水木かおる 山路進一 京建輔
88 1983年
8月
あさくさ物語 なかにし礼 森田公一 京建輔
89 1984年
4月
涙のマーチ 星野哲郎 十勝遙 馬飼野俊一
90 1984年
8月
浪花節だよ人生は 藤田まさと 四方章人 薗広昭
91 1985年
4月
人生夢三味線 山田孝雄 四方章人 池多孝春
92 1985年
10月
松五郎愛歌 なかにし礼 岡千秋 京建輔
93 1986年
4月
男三百六十度 伍路りょう 泉みどり
94 1987年
2月
玄海恋歌 荒木とよひさ 佐孝康夫
95 1988年
2月
今日から一歩 たかたかし 浜口庫之助 竜崎孝路
96 1989年
8月
こころの港 星野哲郎 原譲二 鈴木操
1990年代
97 1990年
8月
青空 星野哲郎 三島大輔 前田俊明
98 1991年
1月
曼陀羅華 池浦利彦 小杉仁三
99 1991年
11月
ハーモニー[29] つのだひろ 梅垣達志
100 1991年
11月
三百六十五歩のマーチ[30] 星野哲郎 米山正夫 松井忠重
101 1992年
3月
いまさら歌舞伎 石坂まさを -
102 1993年
1月
人生一路 星野哲郎 安藤実親 小杉仁三
103 1993年
7月
どすこい!!太郎[31] 麻倉弥生 山崎一稔
104 1993年
9月
結婚行進曲 星野哲郎 吉田正 小杉仁三
105 1993年
12月
おんな富士[32] 中谷純平 三島大輔 池多孝春
106 1994年
3月
星野哲郎 船村徹 南郷達也
107 1995年
2月
ブンブンビート阿波踊り[33] サンディー 久保田麻琴
108 1995年
7月
自慢じゃないが女だよ 中山大三郎 小杉仁三
109 1996年
6月
Oh!演歌だよ 間寛平 円広志 湯川徹
110 1996年
8月
尾張宗春音頭 山本孝之
神坂薫
中村典正 中村兼志
111 1997年
7月
C.C.レモン[34] じんましんや 佐藤直紀
112 1997年
10月
母・子守唄 星野哲郎 三木たかし 竜崎孝路
113 1998年
3月
おんなの街道 星野哲郎 安藤実親
114 1998年
12月
女の花道 関沢新一 安藤実親
115 1999年
7月
甲子園の詩[35] 阿久悠 三木たかし -
2000年代
116 2000年
8月23日
関東春雨傘 米山正夫 小杉仁三
117 2000年
11月1日
いきてゆく物語[36] サンプラザ中野 パッパラー河合
118 2002年
10月23日
涙をふいて[37] 康珍化 鈴木キサブロー J.Rover
119 2003年
8月21日
だめでもともと音頭 星野哲郎 原譲二 丸山雅仁
120 2003年
11月21日
キッカケサンバ[38] 箭内道彦 ヒダテモトハラ
藤巻浩
藤巻浩
121 2006年
5月10日
春雷 星野哲郎 三木たかし 若草恵
122 2008年
11月5日
よいしょ・こらしょ 川内康範 浜圭介 船山基紀
123 2009年
8月26日
日本人だね演歌だね 荒木とよひさ 弦哲也 桜庭伸幸
2010年代
124 2010年
1月1日
HIKARI
〜輝く未来へ〜
[39]
タケル 矢賀部竜成
125 2012年
5月16日
てっぺん! さいとういんこ 矢賀部竜成
126 2013年
4月3日
春の華 里村龍一 安藤実親 丸山雅仁
127 2014年
9月3日
人情 さいとう大三 叶弦大 京建輔

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

  1. 想い出の軍歌を唄う(1968年)
  2. 麦と兵隊~水前寺清子戦時歌謡を唄う 哀歓の戦時歌謡集(1968年)
  3. 戦友~水前寺清子哀愁の軍歌を唄う(1969年)
  4. 大利根月夜~水前寺清子 巷の唄ベスト12(1970年)
  5. ねんがら子守唄~水前寺清子 こころの故里を唄う(1971年5月)
  6. お控えなすって!チータです~水前寺清子 任侠歌謡を唄う(1972年)
  7. 時は流れる(1974年)
  8. 股旅(1978年)
  9. 徒然歌枕(1981年)
  10. やぁ!チータ(1984年)
  11. チータのカモナ・マイ・ハウス(1988年)※水前寺音楽出版より発売された自主制作アルバム。
  12. 水前寺清子歌手生活30周年特別企画 ありがとう30年(1994年10月21日)

ライブ・アルバム[編集]

  1. 素晴らしい冒険 チータ! -Suizenji Kiyoko Live In Tokyo-(1970年)
  2. 水前寺清子 リサイタル〜演歌人生応援歌(1982年12月)

ベスト・アルバム[編集]

  1. 泣いて笑ってひとり旅 あなたをゆさぶるチータの声(1967年)※ナレーションを含むベスト・アルバム
  2. 水前寺清子 ゴールデン・ヒット〜"涙を抱いた渡り鳥"から"艶歌"まで(1968年)
  3. 人生の応援歌(1977年)
  4. GOLDEN☆BEST 水前寺清子 RCAイヤーズ(2013年6月26日)
  5. 水前寺清子の世界(2013年11月2日)

出演[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1965年(昭和40年)/第16回 涙を抱いた渡り鳥 20/25 村田英雄(1)
1966年(昭和41年)/第17回 2 いっぽんどっこの唄 20/25 村田英雄(2)
1967年(昭和42年)/第18回 3 どうどうどっこの唄 01/23 舟木一夫 トップバッター(1)
1968年(昭和43年)/第19回 4 男でよいしょ 21/23 坂本九
1969年(昭和44年)/第20回 5 真実一路のマーチ 07/23 三田明
1970年(昭和45年)/第21回 6 大勝負 01/24 村田英雄(3) トップバッター(2)
1971年(昭和46年)/第22回 7 ああ男なら男なら 24/25 水原弘 トリ前(1)
1972年(昭和47年)/第23回 8 昭和放浪記 22/23 布施明 トリ前(2)
1973年(昭和48年)/第24回 9 いっぽんどっこの唄(2回目) 19/22 三波春夫(1)
1974年(昭和49年)/第25回 10 てっぺんまごころ 14/25 北島三郎
1975年(昭和50年)/第26回 11 大勝負(2回目) 10/24 村田英雄(4)
1976年(昭和51年)/第27回 12 鬼面児 16/24 村田英雄(5)
1977年(昭和52年)/第28回 13 虚空太鼓 14/24 北島三郎(2)
1978年(昭和53年)/第29回 14 肥後の駒下駄 14/24 フランク永井
1979年(昭和54年)/第30回 15 涙を抱いた渡り鳥(2回目) 15/23 三波春夫(2)
1980年(昭和55年)/第31回 16 三百六十五歩のマーチ 19/23 三波春夫(3)
1981年(昭和56年)/第32回 17 有明けの海 06/22 三波春夫(4)
1982年(昭和57年)/第33回 18 大勝負(3回目) 06/22 三波春夫(5)
1983年(昭和58年)/第34回 19 あさくさ物語 21/21 細川たかし(1) トリ
1984年(昭和59年)/第35回 20 浪花節だよ人生は 09/20 細川たかし(2)
1985年(昭和60年)/第36回 21 人生夢三味線 15/20 細川たかし(3)
1986年(昭和61年)/第37回 22 男三百六十度 15/20 チェッカーズ

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

テレビドラマ[編集]

その他のテレビ番組[編集]

他多数

映画[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ これまでに訪れた所 熊本県 - NHK ここはふるさと旅するラジオ(2014年4月19日閲覧)
  2. ^ “「ヒューマン」水前寺清子、汗かきべそかき半世紀”. サンスポコム (産経デジタル): p. 5. (2014年11月29日). http://www.sanspo.com/geino/news/20141129/int14112905050001-n5.html 2018年9月1日閲覧。 
  3. ^ 自然化粧品 サビーナ 水前寺清子さんスペシャルインタビュー
  4. ^ 合田道人『紅白歌合戦の真実』幻冬舎2004年
  5. ^ お宝TVデラックス』での石井・水前寺両者の証言より。
  6. ^ [1],goo
  7. ^ 水前寺清子 和田アキ子との確執報道語る「泣くタマか!」,デイリースポーツ,2016年11月5日
  8. ^ 水前寺清子語った大物歌手との確執 「売られたケンカは買う」,女性自身,2016年11月5日
  9. ^ 『紅白50回』
  10. ^ 『紅白50回』
  11. ^ 全日本CM協議会(編)、加藤秀俊(監修)『CM25年史』講談社、1979年、196頁。(『東京新聞』1970年11月12日)
  12. ^ 例として【イベント案内】8/16(金)「にしわき市・黒田庄夏まつり」開催のお知らせ☆、にっぽんまんなか紀行(西脇市観光協会)、2013年8月10日。
  13. ^ 観客に元気と感動を与えてくれた「チータ」水前寺清子チャリティーショー、e-Nikka、2015年11月12日号。
  14. ^ a b 心のエステ Session 23 水前寺清子さんから聞いた感動話、bits LOUNGE、2015年。
  15. ^ 第1回日本作詩大賞受賞曲。また、東京12チャンネル系テレビドラマ「いつでも君は」の主題歌として使用された。
  16. ^ 第10回日本レコード大賞・作詩賞受賞曲。また、日活映画「わが命の唄 艶歌」の主題歌として使用された。
  17. ^ 第11回日本レコード大賞・大衆賞受賞曲。
  18. ^ ペプシコーラのCMソングとして使用された。
  19. ^ 水前寺主演のTBS系テレビドラマ「ありがとう」の主題歌として使用された。
  20. ^ NTV系テレビドラマ「青空浪人」の主題歌として使用された。
  21. ^ NHKの音楽番組「みんなのうた」で使用された。
  22. ^ NTV系テレビドラマ「黒帯風雲録 柔」の主題歌として使用された。
  23. ^ 水前寺主演のTBS系テレビドラマ「ありがとう」の第3シリーズのED主題歌として使用された。
  24. ^ フジテレビ系テレビドラマ「東海道姉ちゃん仁義」の主題歌として使用された。
  25. ^ TBS系テレビドラマ「あたしのものよ」の主題歌として使用された。
  26. ^ チータとみつばち合唱団名義。NET系テレビアニメ「みつばちマーヤの冒険」のOP主題歌として使用された。
  27. ^ TBS系テレビドラマ「明日がござる」の主題歌として使用された。
  28. ^ フジテレビ系テレビドラマ「かあちゃんの勲章」の主題歌として使用された。
  29. ^ Chita名義。
  30. ^ 再録音バージョン。フジテレビ系テレビアニメ「丸出だめ夫」のOP主題歌として使用された。
  31. ^ NHKの音楽番組「みんなのうた」で使用された。
  32. ^ コナミのゲームソフト「がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス」のCMソングとして使用された。
  33. ^ M.C.チータ名義。
  34. ^ チータ名義。サントリーC.C.レモン」のCMソングとして使用された。
  35. ^ チータ名義。
  36. ^ 武田鉄矢とのデュエット。水前寺主演のTBS系テレビドラマ「教習所物語」の主題歌として使用された。
  37. ^ 三好鉄生の同名曲のカバー。
  38. ^ フジテレビのキャンペーン「きっかけは、フジテレビ。」のCMソング、及びフジテレビ系子供向け番組「ポンキッキーズ21」の挿入歌として使用された。
  39. ^ 配信限定シングル。ロアッソ熊本応援ソング。
  40. ^ 18年ぶりナマ司会!70歳・水前寺清子「体調は万全です」”. SANSPO.COM (2016年3月9日). 2016年3月9日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]