神奈川大学

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神奈川大学
横浜キャンパス
横浜キャンパス
大学設置 1949年
創立 1928年
学校種別 私立
設置者 学校法人神奈川大学
本部所在地 神奈川県横浜市神奈川区六角橋3-27-1
北緯35度29分6秒 東経139度37分14秒 / 北緯35.48500度 東経139.62056度 / 35.48500; 139.62056座標: 北緯35度29分6秒 東経139度37分14秒 / 北緯35.48500度 東経139.62056度 / 35.48500; 139.62056
キャンパス 横浜(神奈川県横浜市神奈川区)
湘南ひらつか(神奈川県平塚市)
学部 法学部
経済学部
経営学部
外国語学部
人間科学部
理学部
工学部
研究科 法学研究科
経済学研究科
経営学研究科
外国語学研究科
理学研究科
工学研究科
歴史民俗資料学研究科
法務研究科(法科大学院)
ウェブサイト 神奈川大学公式サイト
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神奈川大学(かながわだいがく、英語: Kanagawa University)は、神奈川県横浜市神奈川区六角橋3-27-1に本部を置く日本私立大学である。1949年に設置された。大学の略称神大(じんだい)を大学が公式に使用しており、「神大/JINDAI」を併記したいわゆる二段併記商標として2000年に商標登録(日本第4372633号および第4404030号)されている[1]

目次

概観[編集]

大学全体[編集]

神奈川大学は横浜、湘南ひらつかにキャンパスをもち、7学部20学科2プログラムと大学院9研究科14専攻を擁する総合大学。 前身の旧制横濱専門学校は勤労青年の為の夜間部を設けた横浜初の高等教育機関であった。また、地方入学試験および給費生制度を戦前以来導入している。 横濱専門学校以来の卒業生は約21万人を数え、国公私立780余りの大学の中で15番目の位置を占める(2016年時)[2]

校風は、歴史的には蛮カラ愛国心郷土愛が強く、かつてはイデオロギー政治思想社会思想)により過激な新左翼(日本の新左翼参照) や極右民族派の活動が盛んであったが、自治会なき後はノンポリで特に際立った政治的思想的傾向はない。在校生は地方出身者や勤労学生も多く、横浜4大学(神大・市大・国大・関東)の中では最も横浜駅周辺の繁華街に近く、地元の六角橋は戦前からの住宅地として横浜の古き良き面影が残る町で、学生たちは卒業後も横浜に愛着を持つ者も多い。

建学の精神[編集]

建学の精神は

  • 質実剛健
  • 積極進取
  • 中正堅実

創設者の昭和初期の政治家・衆議院議員米田吉盛は、1927年の金融恐慌により、農村は深刻な不況に見舞われ、1928年田中義一内閣の下での共産党党員の一斉検挙、治安維持法の改正など混乱した社会の中で、民主主義制度を運用する精神を伴わせる必要性から「民族の危機」を感じ、「自分と志を同じくする中正堅実な青年を一人でも多く育成する」という使命感を持ち1928年、29歳で前身となる横濱学院を創立する。米田吉盛は太平洋戦争戦時下の1942年4月第21回衆議院議員総選挙で、大政翼賛会の推薦候補制度が導入される中、「政府が選挙に介入することは公選精神に反する」とし、非推薦で立候補、当選し、中正堅実を実践している。

また、学風は横濱専門学校校歌(作詞:土井晩翠 作曲:岡野禎一 編曲:坂下滉)の歌詞にも、「一、近代日本の文化の曙光、初めてまばゆく照しゝ港、港に基おく吾等が母校、榮えよ 横濱専門学校 二、基は新たに昭和の御代に、四海の思潮の寄せくる時に経世実用めあてとなして榮えよ 横濱専門学校 三、狂と暗とは暫しの悩み正義は世界の力の本と信じて勉むる健兒のやどり榮えよ 横濱専門学校、四、祖国の誉と世界の平和、目指して日に日に希望にみちて向上無窮の使命に進む榮えよ 横濱専門学校」などと歌われている。

民主主義制度を運用する精神[編集]

米田吉盛の云う「民族の危機」とは、明治~昭和初期にかけての日本国には民主主義制度が導入されたが日本国民には民主主義制度を運用する精神が伴われて居ない事による「民族の危機」を指す。米田吉盛は1950年4月の新制神奈川大学発足完了の新年度を迎えて、次の様に所信を表明している。 「今、国内至る所、凡ゆる方面に亘り民主主義の制度が実施せられましたが、形式のみは民主主義制度であっても、之を運用する精神が伴って居らぬ為、随所に矛盾と無秩序を抱いております。即ち旧い制度がなくなって之に代わる新制度を採用したが新制度の妙味は未だ発揮し得ない為に御互は不自由と不安に泣いている現状があります。利己主義、背徳、怠惰、無責任、綱紀紊乱、ボスの跳梁、犯罪等・・・社会悪は増大し正義感は衰へ公明正大の風は失われ、文化国家には凡そ縁遠い世相になりました。此現象は自らの社会は自らの責任で維持経営すると云う自治に対する連帯の責任の完遂が不十分であるからでありませう。教育の目的が人格の完成を目指し、平和的国家及び社会の形成者としての真理と正義を愛し個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期すものである以上教育により、よりよき人間を完成し一日も早く理想の社会建設を見ねばなりません。」

建学精神の神髄解明[編集]

1963年には「本学の建学精神の神髄解明」とし、米田吉盛は学部長、教員らに意見を求め、当時、神奈川大学法経学部教授としての縁のある高山岩男京都学派四天王と呼ばれる京都学派哲学を代表する学者の一人)がそれを纏めている。それによれば、「中正堅実」とは極右でも極左でもない中正堅実な青年を育成する事だとし、第二に「質実剛健」とは、民主主義社会の中で陥りやすい付和雷同に対して時流に巻き込まれる事なく、良心に忠実に、思想堅固で正しい信念を貫く事だとし、正しい意味の保守精神に通じるとしている。第三に「積極進取」とは、文化は絶えざる創造の集積であるから、文化の進歩、創造には各人の積極的努力が必要になるが、わが国国民の欠点として急進的に左右に激動する欠点もある事から、第二の「質実剛健」と第三の「積極進取」とがダイナミックに調節される事により、真の進歩が齎されるとする。

学風および特色[編集]

創立当時の学科は法学科(法学部)と、商業理財科(商経学部)である。建学の精神の一を質実剛健とし、また横濱専門学校校歌に経世実用めあてとなしてとあるように実学経世致用の学、その先駆けは中国明朝末の東林学派の主張に見られ、明朝滅亡に伴い、朱舜水が日本に亡命し水戸藩水戸学にも影響を与える)と実践力を重視する学風である。[3]、創設者の米田吉盛は自らも苦学した経験から、給費生制度を設け勤労学生を援助した。また「教育は教員にあり」という信念を持っており、中央大学の恩師・当時司法次官だった林頼三郎を横浜専門学校初代校長に招いた。当時、中央大学の講師として米田と知り合った樋貝詮三から資金面の援助を得た。一橋大学系会計学者太田哲三からは商業系の学科を開設するにあたって援助を得た。法律系の教授陣は米田の母校中央大学の教員と裁判官、そして、商業系の教授陣は東京商科大学(現、一橋大学)の教員が主流をしめていた。

創設者米田吉盛[編集]

創設者昭和初期の政治家・衆議院議員米田吉盛は、翼賛選挙で非推薦で当選し、終戦直後の選挙では「私のすべての政策は如上の天皇制擁護と国民協同自治の理念から出発する」とし天皇制擁護と国民協同自治の理論を提唱、経済的に窮地に立つ農村は安い肥料で支え、中小企業の振興等の政策を提唱し、また戦後日本の教育を考え衆議院文教委員会で活躍した人物として知られる。保守中道の政治家であり1957年岸信介内閣改造に伴い厚生政務次官に就任している。横濱専門学校創設の際の教員集めでは、林頼三郎太田哲三の紹介する人物に対して三顧の礼をもってあたった。建学にあたっては徹底した実学主義と、大量教育の排除(マスプロ教育を排除してゼミナールによる少人数教育を推進)を目指し、1950年のヨーロッパ視察でイギリスの教育制度に学びケンブリッジ大学オックスフォード大学の例に鑑み、寮制度を充実をさせチューター (tutor)システム・カレッジを構想していた。

横濱専門学校初代校長林頼三郎[編集]

横濱専門学校初代校長林頼三郎は、昭和初期、日中戦争から太平洋戦争に突入する時代背景において司法次官検事総長大審院院長、司法大臣等を歴任した人物であり、特に治安維持法の制定、施行に関与し「思想犯の社会からの隔離」を提言した人物として知られる。これは後の1941年(昭和16年)の新治安維持法において、行刑や思想犯保護観察法も絡め、予防拘禁として盛り込まれた。刑法を専門とする法学者であり、著書に『刑事訴訟法要義』、『刑法総論』。

横濱専門学校初代理事樋貝詮三[編集]

横濱専門学校初代理事樋貝詮三は、恩給局書記官、法制局参事官内閣恩給局長、保険院長官、第37代衆議院議長皇室典範委員会委員長、国務大臣賠償庁長官などを歴任した人物である。樋貝は資金面の援助のほか、用地選定には米田と同道し助言をしている。樋貝詮三は米田吉盛の最大の理解者であり米田は樋貝を兄のように慕っていたという。

横濱専門学校法人評議員太田哲三[編集]

一橋大学系会計学者太田哲三は、中央大学、一橋大学で教鞭をとる。1929年には米田吉盛の依頼で横濱専門学校(神奈川大学)の商業理財科の創立に協力。商業系の講師(教授)を米田に紹介した。公認会計士の資格では、1950年(昭和25年)2月に公認会計士太田哲三事務所を開業。この事務所は1967年(昭和42年)に日本国初の監査法人となる。一橋大学を退官後の1948年4月、長浜ゴム工業株式会社(のちに三菱樹脂株式会社に商号変更)の社長に就任(1950年(昭和25年)まで)。著書に『商業簿記』

また、横浜の財界人、上郎清助(貴族院議員)、渡辺利二郎(渡辺銀行取締役)、綿貫音次郎、渡辺金三、横打弥太郎らも資金面で協力し、評議会顧問に、馬場鍈一(貴族院議員、大蔵大臣、内務大臣日本勧業銀行総裁)、山川端夫(貴族院議員、海軍・外務官僚、国際法学者)、評議員に小林一郎(中央大学教授)、西川一男(中央大学教授)、新保勘解人(大審院判事)、吾孫子勝(大審院判事)なども参画した。

草創期の主な講師陣[編集]

草創期の講師陣は主に次の通り

  • 吉田久(民法を担当・翼賛選挙無効判決宣告で知られる。裁判官、貴族院議員)
  • 平井彦三郎(刑法、著書に『刑事訴訟法要論』等)
  • 風早八十二(社会政策、日本における、所謂、マルクス主義法学の先駆者の一人。「生産力理論」を提唱し、1938年には近衛文麿の最高政治幕僚組織「昭和研究会」に参加。)
  • 三浦義道(商法。著書に『獨逸簡易生命保險論』『保険法論』(1922年))
  • 神川彦松(政治学、国際政治学者。著書に『世界大戰原因論』等)
  • 中山伊知郎(経済原論。一橋大学系経済学者。日本における近代経済学の導入に貢献)
  • 山口茂(銀行論、経済学者。金融関係を中心とした和書810冊、洋書977冊の旧蔵書「山口文庫」)
  • 上原専禄(経済史、一橋大学系、専門は中世ヨーロッパ史、著書に『史心抄』『独逸中世史研究』等)
  • 向井鹿松(市場論。著書に『取引所の理論的研究』(1926年)、『配給市場組織』(1928年)、『経営経済学総論』(1929年)、『綜合取引所論』(1932年)、『流通総論―マーケティングの原理―』(1963年))
  • 太田正孝(財政学、大蔵官僚、政治家。大政翼賛会政策局長に就任。その後翼賛政治会常任総務、衆議院議員、参議院議員)、米田吉盛が衆議院選挙に立候補する際に、「君の考え(翼賛体制時に政府が選挙に介入するべきでないとした考え)は広く市民に訴えるべき」と助言したとされる。
  • 美濃部亮吉(マルクス経済学者、政治家。東京都知事(第6・7・8代)、参議院議員(全国区)、本学では商工経営を担当)
  • 高柳賢三(貴族院勅選議員。大正・昭和期の代表的英米法学者、新憲法擁護論者、本学では商法を担当〉
  • 朝比奈宗源(1934年~1942年まで倫理学を担当。鎌倉円覚寺臨済宗)の禅僧。1974年、生長の家開祖谷口雅春神社本庁総長篠田康雄 らに呼びかけて「日本を守る会」(のちの日本会議)を結成。)
  • 江本茂夫(陸軍歩兵中佐、1936年4月~1941年まで本学教授、英語を担当。台風の暴風雨の中、ふんどし姿に軍服を丸めてそれにサーベルを通して肩に担いだ異様な姿の軍人は「軍人の英語は弾丸の飛雨する中でもよく通らなければならぬ!」と横専学生を英語で叱咤激励したとされる。著書教材『Emoto's Vivid English(1936)』)

貿易科[編集]

1930年、貿易科を設置。米田が設立時から構想していたもので、当時としてはユニークな学科であった。現代ビジネス学科となる。

横濱専門学校奨学会[編集]

1933年、米田は給費金の返還を必要とせず、卒業後の進路について一切拘束しないという魅力ある給費生制度を創設、給費母体の「横濱専門学校奨学会」の設立に奔走、政治家、財界等から錚々たるメンバーの参加を得る。この給費生制度は戦争中も途絶えることなく継続し、今日に引き継がれる。

商経法学会[編集]

教員の研究面も充実を図り、1938年「横濱専門学校商経法学会」を設置。研究紀要『商経法論叢』を創刊、若手の教員陣が論文を多数発表する。創刊時の論文を発表した教員は主に次の通り

  • 園田寛(経済原論。副校長、法経学部長、理事など歴任。『社會科學への道ーヒルファーヂング金融資本論解析』等)
  • 沼田嘉穂(会計学。特に簿記学の研究。文部省検定の中学校教科書『商業簿記』『工業簿記』『会計学』『簿記会計(I)(II)(III)巻』 その他著書に『固定資産会計』等)
  • 久武雅夫(商業数学。横濱専門学校初の専任教師。著書に『数理経済学序説』、『会計の数学』等)

商経法学会は法学部、経済学部の分離に伴い、法学会と、経済学会に分離し『商経法論叢』は『神奈川法学』と『商経論叢』になり今日に至る。 

工学三科の設置[編集]

横濱専門学校工学科(機械工学、電気工学、工業経営の工学三科)は、1931年の満州事変、1937年盧溝橋事件勃発と、日本が中国との泥沼の全面戦争に踏み込み戦争に伴う軍需工業と重化学工業の需要が高まる中、日本政府は工業技術者養成機関の大拡張政策を推進する状況の中で、当時、法学部の産業管理及び能率論の講師だった経営学者上野陽一フレデリック・テイラー科学的管理法能率学と名付け、端緒的研究者)の提言により、「国策遂行ノ為メ、生産力拡充ノ要ハ焦眉ノ急ナリ、然ルニ斯界ノ実状必ズシモ安恕タリ得ズ、之本校ガ微力ヲモ顧ミズ増設ヲ発起セシ所以ナリ。」という政府の要望に答える形で、「日支事変による時局進展と共に各工業部門の拡大と相俟って必然的に問題化されてきた技術員特に、高等技術員の不足を補充し併せて専門学生として人格を陶冶し国体観念を涵養する目的」(「横専学報」第81号)をもって設置し、横浜高等工業高校(現、横浜国立大学工学部)の有力教員を引き抜いて構成された。

教育および研究[編集]

歴史民俗資料研究[編集]

  • 日本で唯一の歴史民俗資料学研究科が大学院に設置されている。政治思想の研究では中島三千男元学長の日本近現代思想史研究等がある。
  • 神奈川大学非文字資料研究センターでは歴史民俗資料(非文字資料)をデータベース化しており、戦前、日本帝国の「勢力圏」拡大に伴い、日本国や日本人によってアジア太平洋地域に建てられた海外神社(その跡地)もデータベース化しており、満洲国建国忠霊廟、建国神廟(満洲国皇帝愛新覚羅溥儀天照大神を祀るために帝宮内に建てた宗廟)をはじめとする海外神社の写真等の非文字資料も見ることができる。[4]
  • 網野善彦は民俗学から日本史学にアプローチする(但し、戦後左翼思想の影響あると批判もある)。網野史観は日本人の単一民族性を疑問視する。宮崎駿の映画『もののけ姫』の民俗描写に影響を与えた事等でも知られている。

外国語学部[編集]

  • 外国語学部英語英文学科、中国語学科、スペイン語学科、国際文化交流学科がある。国際文化交流学科は、異文化交流・日本文化発信・外国語の三つの力を総合的に養成。中国語学科は日中の交流発展に長く安定して寄与できる人材を育成する。
  • 英語英文科は歴史的には前述の陸軍語学将校江本茂夫中佐を名物教授とし、佐々木高政、長谷川松治などの当時極めて優れた講師陣が集まっていた。江本中佐の授業は英字新聞などを教材としユーモアや諺、時事問題などを交えた機関銃の様なListening、Speaking、ProductivePowerを鍛える「横専方式」英語の授業であった。

法学部[編集]

  • 法学部、経済学部、経営学部は創立当時より法経学部教授山口茂の熱心な勧めによりゼミナールを重視している。
  • 初代校長は刑法学の権威・林頼三郎であり、刑法の教授に、内田文昭、山火正則等がいた。
  • 法学部には、1978年設置された法学研究所、また1995年に設置された自治行政学科があり、2004年(平成16)年度には「地方自治センター」が開設された。[5]「地方自治センター」は“地域密着型”を一つの特色として打ち出すことを企図して構想されている。
  • 実際に自治体の行政に携わってきた実務経験者を講師に招いて講義を行っており就職では国家公務員、地方公務員、自衛官、警察官、消防官となる者も多い[6][7]また、新司法試験2006年合格者は4名、2015年合格者は8名であった。

経済学部[編集]

  • 現代ビジネス学科(旧貿易学科)では英語科目必修のほかに経済専修英語や貿易コミュニケーションなど実践的で生きた英語を学び、航空貨物や海運貨物など貿易にかかわる物流関係に就職する学生が多い。会社の規模別就職状況では学生の約半数が大企業に就職。[8]
  • 経済学科では社会政策論等を学ぶ福祉・環境・公共政策を学ぶコース、金融論等を学ぶ市場・企業・産業を学ぶコース、世界各国の経済論を学ぶ国際経済と社会を学ぶコースを選択できる。
  • 兼子良夫学長(経済学・地方財政学、2016年4月より学長)は新自由主義経済の弊害について指摘し、新自由主義的資本主義がもたらしたグローバル化の中で、神奈川大学の学生には「人間の尊厳」を守る社会を構築する義務と責任を果たしてほしいと説く。[9]

経営学部[編集]

  • 1987年の経営学部創設には松岡紀雄教授(株パナソニック松下幸之助の下でアメリカPHP研究所初代代表)が「海外広報論」を開講。
  • 北岡正敏(工学博士・経営工学)が「韓国のベトナムにおける戦争犯罪」[10]を研究し、常石敬一(経営学部・科学史)の731部隊研究、毒ガス生物化学兵器研究など、軍事史分野を研究する教授がいる。

工学部[編集]

  • 工学部は前述の軍需産業の需要増に応える為に設置された工学三科が礎であるが、現在では、情報システムや生命化学など時代に対応した先端テクノロジーの分野の学科を設置している。宇宙エレベータープロジェクトでは1000mの昇降記録を達成、宇宙エレベーターチャレンジでは優勝経験もある。また宇宙ロケット研究等も行う。[11][12]
  • 桜井邦朋(日本の宇宙物理学者。太陽物理学、高エネルギー宇宙物理学の学者)が学部長、1997年より神奈川大学学長であった。
  • 工学部には素粒子物理学の学者三田一郎教授もいる。
  • 神奈川大学プロジェクト研究所のマルチモーダル研究所はQOL向上を志向する生活環境整備に関する基礎・応用研究を行う。
  • プログラミング科学研究所ではプログラムの仕様が正しい(妥当である)ことを確認する過程を研究。
  • 物質生命化学科ではNMR(超伝導核磁気共鳴装置)などの分析機器が設置されており、様々な化学研究が行われている。

工学部建築学科[編集]

  • 工学部建築学科は東京工業大学(東工大)出身の教授が多く、谷口吉郎(東工大)の弟子の白濱謙一教授(故)が1965年の学科創設時に着任。清家清(東工大)の弟子篠原一男特任教授(故)等がいた。様々なコンペティションで賞を受賞している。デザインコース作品集『RAKU』。
  • 工学部建築学科では構造システム系教員を中心として、学術フロンティアについては学外共同研究者、 産官学プロジェクトについては7社のもとに、 建築学科の教務技術職員および大学院工学研究科建築学専攻の大学院生の協力も得てTEDCOMプロジェクト(地震・台風災害の制御低減研究)などの研究を行っている。
  • また建築学科では東アジア4国際都市の脆弱地区の調査、ならびに環境社会再生への方法の探求として、横浜(日本)、台北(台湾)、水原(韓国)、哈爾浜(中国)4都市の脆弱地区の課題・背景を調査し、相互比較した上で、その再生戦略についても相互比較し、国際的討論を深め、再生計画のアジア的計画論を構築する山家京子教授の研究などもある。

理学部[編集]

  • 理学部の近年の研究では人工細胞の研究などが注目される
  • 光合成水素生産研究所(理学部生物科学科井上研究室)では光合成微生物シアノバクテリアを遺伝子工学的に改良し、水素発生効率を世界最高水準に高める事に成功。光合成を利用したクリーンで再生可能なエネルギー源の技術開発を目指す
  • 理学部の上村大輔教授の海洋生物・海綿から癌や肥満に効くとされる新薬、新成分の研究等もある。
  • 神奈川大学の特許出願件数は2016年20件(取得10件)(公報(公開特許公報,特許公報)に基づく)であり、比較的健闘している。[13]

人間科学部[編集]

  • 人間科学研究科臨床心理学研究領域が臨床心理士資格認定協会の実施視察で「A評価」を取得している。(「A評価」を受けた第1種指定大学院は全国約150大学のうち1割にも満たないとされている)

沿革[編集]

初代横浜専門学校校長林頼三郎司法次官思想検事系列の検事総長治安維持法の制定施行に関与。大審院長司法大臣を歴任。
創立時の費用を援助した樋貝詮三衆議院議員、第37代衆議院議長皇室典範委員長、第三次吉田内閣の国務大臣、賠償庁長官、法学者
評議会顧問に就任した馬場鍈一。貴族院議員。広田内閣大蔵大臣で積極財政主義、第一次近衛内閣内務大臣、日本勧業銀行総裁、農村金融の充実に尽力。
評議会顧問に就任した山川端夫。貴族院議員。法制局長官。日本海軍・外務官僚、政治家、国際法学者。パリ講和会議全権委員随員、ロンドン海軍軍縮会議全権委員随員など。
澁澤敬三のアチック・ミューゼアム・ソサエティ(日本常民文化研究所)は1982年に神奈川大学に移設、研究が引継がれる。第十六代日銀総裁、第49代大蔵大臣として戦後の預金封鎖、新円切り替え、財産税導入など激しいインフレーションの処理に当たる。民俗学者
戦争協力の廉で公職追放された高山岩男は法経学部教授として神奈川大学に在籍。建学精神の神髄解明を纏める。京都学派四天王京都学派哲学者

略歴[編集]

1928年米田吉盛が横浜市中区桜木町に、林頼三郎樋貝詮三太田哲三らの協力を得て、横濱学院を開設した。その後、1929年専門学校令によって横濱専門学校となる。横濱専門学校は、勤労青年の為の夜間部を設けていたが、これは高等教育機関としては横浜初のことであった。所在地は横浜市中区桜木町であった。1930年、当時東急東横線の開通で発展の見込まれた横浜市神奈川区六角橋の字・宮面の丘陵に移転し、現在に至る。移転当時、付近は田畑の広がるのどかな田園地域だった。

現在の校名は第二次世界大戦後の学制改革による大学昇格時に決定した名称である。横濱専門学校と官立の新制大学(前身は横浜経済専門学校横浜工業専門学校神奈川師範学校神奈川青年師範学校)と横浜市立の新制大学(前身は横浜市立経済専門学校)がともに「横浜大学」を名称として申請したため、3校において協議を行うこととなった。その結果、各校が譲歩し「横浜大学」の名を使用しないことを決定した。その際、官立の新制大学は「横浜国立大学」、横浜市立の新制大学は「横浜市立大学」とすることとなり、横濱専門学校は「神奈川大学」を名乗ることとなった。

年表[編集]

  • 1928年 米田吉盛が横浜市中区桜木町に横濱学院を開設
  • 1929年 専門学校令により横濱専門学校(法学科、商業理財科)を開設
  • 1930年 六角橋校地(現在の横浜キャンパス(横浜市神奈川区六角橋)へ移転
  • 1930年 初代配属将校鈴木辰之助陸軍少佐着任
  • 1935年 米田吉盛学監、学生の就職支援の為振興満州国視察、満州諸会社との連絡
  • 1936年 陸上競技部東京箱根間往復大学駅伝競走初参加
  • 1936年 林頼三郎校長司法大臣就任
  • 1939年 興亜青年勤労報国隊(文部省計画)には横浜専門学校からも学生派遣。朝鮮半島、チャムスク、牡丹江を経由し満州国綏陽県などで軍役作業
  • 1939年 工学系の3学科(機械、電気、工業経営)を新設
  • 1943年 11月19日横濱専門学校学徒出陣壮行会
  • 1945年 GHQによって一時的に六角橋校地が接収されたため、大倉山大倉精神文化研究所三ツ沢県立第二横浜中学校(現横浜翠嵐高校)にて授業を再開する(翌年まで)
  • 1949年 学制改革により新制神奈川大学(商経学部、工学部)に移行
  • 1950年 商経学部を法経学部に改称。短期大学部(商科、法科)開設
  • 1951年 横浜専門学校最後の卒業式を行い、廃止
  • 1959年 第二工学部を新設
  • 1965年 外国語学部を新設。法経学部を法学部と経済学部に分離、独立
  • 1967年 大学院法学研究科、経済学研究科、工学研究科を開設
  • 1969年 短期大学部の商科を商学科、法科を法学科に改称
  • 1985年 神奈川大学附属中・高等学校開設
  • 1986年 創立60周年記念事業として平塚キャンパスの建設に着手。その準備として国際経営研究所と知識情報研究所(現・総合理学研究所)を設置
  • 1988年 外国語学部に中国語学科を増設
  • 1989年 平塚キャンパス開設。経営学部国際経営学科、理学部情報科学科、化学科、応用生物科学科を開設
  • 1990年 大学院工学研究科機械工学、電気工学、応用化学、建築学専攻に博士課程開設
  • 1991年 大学院工学研究科経営工学専攻に修士課程開設
  • 1992年 大学院外国語学研究科英語英米文学、中国言語文化専攻修士課程開設
  • 1993年 大学院歴史民俗資料学研究科歴史民俗資料学専攻、理学研究科情報科学専攻、化学専攻を開設、生物科学専攻修士課程、大学院工学研究科経営工学専攻博士課程を設置
  • 1994年 工学部の工業経営学科を経営工学科に名称変更
  • 1995年 大学院経営学研究科国際経営専攻、理学研究科情報科学専攻、化学専攻、生物科学専攻、歴史民俗資料学研究科歴史民俗資料学専攻博士課程設置。法学部に自治行政学科を増設。短期大学部に専攻科商学専攻を増設
  • 1998年 創立70周年記念事業として横浜キャンパス再開発計画を開始
  • 2001年 平塚キャンパスを湘南ひらつかキャンパスに改称。理学部の応用生物科学科を生物科学科に、工学部第一部・第二部の電気工学科を電気電子情報工学科に名称変更
  • 2002年 横浜キャンパス再開発計画完了。短期大学部、同専攻科廃止
  • 2003年 大学院工学研究科の電気工学専攻を電気電子情報工学科に名称変更
  • 2004年 法科大学院法務研究科法務専攻開設。地方自治センター設置。みなとみらいエクステンションセンターを開設
  • 2006年 人間科学部人間科学科、外国語学部に国際文化交流学科、理学部に総合理学プログラムを増設。経済学部の貿易学科を現代ビジネス学科に、工学部の電気電子情報工学科を電子情報フロンティア学科に、応用化学科を物質生命化学科に、経営工学科を情報システム創成学科に名称変更。第二部は募集停止。法学部と経済学部は昼夜間教育制度を導入
  • 2006年 工学部全学科、JABEE認定
  • 2008年 湘南ひらつかキャンパス内建物の番号を1号館からの通し番号に変更(4月1日より実施)[14]
  • 2012年 理学部に数理・物理学科、工学部に経営工学科と総合工学プログラムを増設、工学部電子情報フロンティア学科を電気電子情報工学科に名称変更
  • 2016年 2017年度入試より給付型の奨学金「神奈川大学予約型奨学金」を新設すると発表 [15]

歴代学長[編集]

役職名称 氏名 在職期間 専門 備考
横濱専門学校
校長
校長 林頼三郎 1929年4月1日~1947年6月2日 法学 刑法
校長 米田吉盛 1947年9月6日~1951年3月31日 法学 政治家
神奈川大學
学長
学長 米田吉盛 1949年4月1日~1968年3月18日
学長 津村利光 1968年3月18日~1968年11月30日 工学 機械工学
学長代行 福田實 1968年12月1日~1969年9月5日 戦後思想研究
学長代行代理 長倉保 1969年5月1日~1969年9月5日 経済学 元禄期の江戸積酒造業研究
学長代行 丹羽邦男 1969年9月6日~1969年12月5日 経済学 明治政府の社寺支配過程の総合的研究
学長代行 神川正彦 1969年12月6日~1970年7月26日 哲学 比較文明学・ 日本文明の多元性
学長代行 黒田覚 1970年7月27日~1971年1月31日 法学 憲法、純粋法学ハンス・ケルゼンに師事、君主象徴論、カール・シュミット制憲権論を修正した黒田制憲権論
学長代行 浜野裕司 1971年2月1日~1971年12月12日 工学部 酸化還元
学長事務取扱 宮川武雄 1971年12月13日~1974年3月31日 経済学 経済思想史、独占および寡占理論の研究
学長 勝田千利 1974年4月1日~1976年3月31日 建築工学 東工大系
学長 飯田耕作 1976年4月1日~1978年4月30日 外国語学部 D・H・ロレンス研究
学長事務取扱 児玉敏 1978年5月1日~1978年7月11日 法学
学長 山邊武郎 1978年7月12日~1981年7月11日 工学 分析化学、海水淡水化
学長 三宝義照 1981年7月12日~1984年7月11日 工学 解析電力系統工学
学長 荻原昤二 1984年7月12日~1987年7月11日
学長事務取扱 安盛岩雄 1987年7月12日~1987年7月28日 物理化学
学長 荻原昤二 1987年7月29日~1990年7月28日
学長 藤本盛久 1990年7月29日~1993年7月28日 建築工学
学長 三宅三郎 1993年7月29日~1994年3月31日 物理学 神岡鉱山にて宇宙線ミュー粒子およびニュートリノの研究
学長事務取扱 清水嘉治 1994年4月1日~1994年7月6日 経済学 欧州経済学
学長 内田文昭 1994年7月7日~1997年7月6日 法学 刑法
学長 桜井邦朋 1997年7月7日~2000年7月6日 物理学 太陽物理学、高エネルギー宇宙物理学
学長 山火正則 2000年7月7日~2007年3月31日 法学 刑法
学長 中島三千男 2007年4月1日~2013年3月31日 歴史学 国家神道体制の確立過程研究、海外神社研究
学長 石積勝 2013年4月1日~2016年3月31日 経営学 国際政治学
学長 兼子良夫 2016年4月1日~現在 経済学 地方財政学

基礎データ[編集]

所在地[編集]

  • 横浜キャンパス(神奈川県横浜市神奈川区)
  • 湘南ひらつかキャンパス(SHC; 神奈川県平塚市)

各キャンパスの詳細についてはキャンパスの項を参照

象徴[編集]

  • スクールカラーは紫紺色である。もともとは「プラウドブルー」の呼称はなく、神奈川大学でも紫紺色と広報してきたが、箱根駅伝の実況でプラウドブルーと連呼された結果、現在では大学公式サイトでも「プラウドブルー」も表記されるようになった。クラブ活動では蒼弓会や、蒼碧法律会の様に色の表現に「蒼」を使う事もある。
  • 神奈川大学の英名略称であるKUを図案化したシンボルマークは各種学生スポーツ、大学施設案内などで使用されている。
  • 校章は古くは紫紺色地に六角菊であり、六角菊の紋章は現在でも一部の部活の団旗に使われ、附属学校の校章は緑地に六角菊の紋章を使用している。応援指導部の毎年11月に行われる演舞披露の行事は濱菊祭と称する。
  • 大学のマスコットキャラクターは「Mr.JIN」(JINDAIのJIN)と「Ms.KANA」(神奈川大学のKANA)。神奈川県の鳥「カモメ」をイメージしたもの。

校歌[編集]

横濱専門学校校歌

作詞:土井晩翠作曲:岡野禎一編曲:坂下滉。創設者米田吉盛の横濱専門学校設立の願いが込められている

神奈川大学校歌

作詞:神保光太郎 作曲:高田三郎 編曲:真島俊夫。 創設者米田吉盛の「国際的な世界市民の養成」の願いが込められている。 「岩を打ちとどろに返す真白なる波のゆくえよ~」や「空あおく涯(は)てなくあおく船は航(ゆ)く遠きわだつみ」のフレーズは開国以来の国際都市-横浜らしい航海を連想する。「世界は呼ぶ(繰り返し)」のフレーズで多くの卒業生の記憶に留まる。

第一応援歌「久遠の覇者」(くおんのはしゃ)

作詞:松村祐一 作曲:川上博正。 昭和22年頃、当時の應援団長の提案で、学生自治会が学生から公募して生まれた応援歌であり、神奈川大学校歌が制定されるまでは校歌の代わりに歌われていた。(一部では第二の校歌とも呼ばれる。)

第二応援歌「力と技を」

作詞:河原正信 作曲:陸軍戸山學校軍楽隊。 陸軍戸山學校軍楽隊作曲による勇壮でリズミカルな応援歌

第三応援歌「勝利に進め」

作詞:丹羽高志 作曲:真島俊夫。 神奈川大学創立60周年を記念して作られ、歌詞は学生から一般公募された

応援歌「ノーエ節(のうへいぶし・のーえぶし)」

作詞:神奈川大学應援團 作曲:静岡民謡。 静岡県三島市民謡として知られる「農兵節(のうへいぶし・のーえぶし)」が元、農兵の訓練にも使われた曲を神大生の心意気の歌詞に変えた歌

逍遥歌「宮面ヶ丘寮歌」(みやもがおか りょうか)

作詞・作曲:中濱基夫。 歌の前には口上があり、「富貴名門の乙女に恋するを純情の恋であって裏町の廊屋に住める貧しき乙女に恋するを不情の恋であろうと誰が云う。(「そうだ!」と一同が相ノ手を入れる。後続の各センテンスも同様)…(略)酒は飲むべし、これ百薬の長。女は買うべし、これまた人生無上の快楽なり。胡蝶美人の膝枕、昨夜の未練さらさらなし。我は浮草 根無し草 明日の命を誰が知ろう。いざ高らかに唱わんかな神奈川大学宮面ヶ丘寮歌」 と口上を述べた後に歌う。 かつて宮面ヶ丘(現在のグランドの向こうの丘陵)に建っていた宮面寮寮生の歌。選手を送り出す際に円陣を組んで日本酒を回し飲みしながら斉唱していた。

駅伝応援歌「箱根の山」(「滝廉太郎作曲の「箱根八里」の変え歌)

作詞:;鳥居枕 作曲:滝蓮太郎、岩河三郎。 歌の前に口上があり「臥竜こうだ(行蛇?)の夢破れ、巨頭逆巻く太平洋、黒雲天に漲れど、魏臥天を突き、風雪に耐え、寒暖に耐え抜く、箱根の山、空に輝く陽を浴びて、宮面ヶ丘に我ら立つ、若き吾等が團員の狂い猛し舞う前に、意気打ち添ふる敵は無し、いざ高らかに唱わんかな貴やか(あてやか)に舞わんかな、神奈川大学名物、箱根の山」の口上の後、「箱根の山は天下の瞼~」と歌う。「臥竜こうだ(行蛇?)の夢破れ」とは、神奈川の地名の由来、の古神道神奈備の川、神奈川(一説には蛇行の激しい暴れ川で水害の多い川であった帷子川(かたびらがわ))や多摩川鶴見川相模川などの河川を大蛇または竜(八岐大蛇九頭竜)に見立て太平洋に流れ込む様子か

「神奈川大学應援團 團歌」

作詞:神奈川大学應援團、作曲:永井建子「元冠」。 軍歌「元寇 (軍歌)」(1892年)の替え歌
一、神大学徒をこぞる 我が応援団の
   精鋭ここにあり 春に夏に闘わん
    何ぞ恐れん我に 鍛えし力あり
     積極果敢の名 一喝して世に示す
二、宮面ヶ丘の勇士 そは我が応援団
   意気地なき奴は 共に天を戴かず
    いでや進みて日々に 鍛えし我が腕
     神奈川大学の 底力試しみん
三、心一つに重ね 我が道を行く
   神大ここにあり 秋に冬に闘わん
    勝ちて錬磨の成果 誓いし剛健の
     かちどき轟かす 勝負魂潔し
四、真理求める道は 難行苦行待つ
   果てなき天空か 相手にとって不足なし
    踏まれて再び立たん 神大の名誉かけ
     勝ちて凱歌あり 月に涙輝かん

「横浜學生應援團連盟歌」

作詞・作曲:横浜學生應援團連盟

教育および研究[編集]

組織[編集]

学部[編集]

大学院[編集]

日本で唯一の学科である。第16代日銀総裁、民俗学者でもあった澁澤敬三が1921年に創立したアチック・ミューゼアム・ソサエティを母体

短期大学部(廃止)[編集]

詳細は

短期大学部は2002年度に廃止された。

附属機関[編集]

  • 付属機関
    • 法学研究所
    • 経済貿易研究所
    • 国際経営研究所
    • 人文学研究所
    • 言語研究センター
    • 総合理学研究所
    • 工学研究所
    • 日本常民文化研究所
    • 図書館

学会[編集]

  • 学会
    • 神奈川大学法学会 研究紀要『神奈川法学』
    • 神奈川大学経済学会 研究紀要『商経論叢』
    • 神奈川大学人文学会 学会誌『人文研究』
    • 神奈川大学国際経営学会

プロジェクト研究所[編集]

世界及び地域に貢献する教育・研究を推進するために、本学では各種研究のプロジェクトチームを結成。

  • プロジェクト研究所
    • 光合成水素生産研究所 井上 和仁理学部・教授 2008.4.1~2017.3.31(9年間)
    • 光機能性材料研究所 山口 和夫理学部・教授 2008.10.1~2017.3.31(8年6ヶ月)
    • 天然医薬リード探索研究所   上村 大輔特別招聘教授 2011.4.1~2017.3.31(6年間)
    • グローカル環境政策研究所 日野 晶也理学部・教授 2012.4.1~2017.3.31(5年間)
    • プログラミング科学研究所 木下 佳樹理学部・教授 2013.6.1~2018.3.31(5年間)
    • マルチモーダル研究所別  斎田 真也人間科学部・教授 2014.4.1~2019.3.31(5年間)

日本常民文化研究所[編集]

日本常民文化研究所は、澁澤敬三が1921年に創立したアチック・ミューゼアム・ソサエティを母体として設立された研究機関で1982年に神奈川大学の附属機関となった。日本の民衆文化や市井の生活を調査分析する研究機関として民俗学の研究家の間では高い評価を受けている。

図書館[編集]

横浜図書館
横浜キャンパス図書館の自習スペース。撮影者(オープンスクールに娘と来たOB)に気軽に手を振る在校生が居る

神奈川大学の図書館は横浜キャンパスに横浜図書館が、湘南ひらつかキャンパスに平塚図書館が設置されている。2010年4月現在で、横浜図書館には約100万冊、平塚図書館には約18万冊の蔵書が存在している[16]。互いの図書館の書籍を借りることもできる。

  • また、横浜図書館には金融関係を主にした約2,400冊から構成される「山口文庫」が存在しており、現代の日本では他の大学図書館にはあまり存在していないフランスの原典が含まれている。
  • 神奈川大学横浜図書館には徳川光圀編『朱舜水先生文集』(正徳5年(1715年)、朱舜水研究の最重要文献)が所蔵されている。
  • 神奈川大学横浜図書館にはパリ・コミューンカリカチュア 関連資料コレクションも所蔵されている。

平塚図書館は湘南ひらつかキャンパス開学時には平塚図書室として設置されたが、11号館建設とそれに伴う1号館のリニューアル工事に伴って拡張されたことにより、2010年4月から現在の名称に変更された。

神奈川大学学術機関リポジトリ[編集]

正式名称は神奈川大学学術機関リポジトリ。学内の教育成果や研究結果、研究論文などを電子化し、まとめた上で学外へ広く発信することを目的としており、2008年度頃から本格的に機能している。国立情報学研究所委託事業・次世代学術コンテンツ基盤の共同構築にも採択されている。学術雑誌の購読数の減少、それによって研究者が各々必要とする学位論文を読むことが困難になった現状、文部科学省「科学技術・学術審議会学術分科会、研究環境基盤部会、学術情報基盤作業部会」の報告などを背景として設立された。登録された教育成果や研究結果、研究論文等(同機関内では「知的生産物」と総称)は、GoogleJAIRO・OAIster(ミシガン大学電子資料ポータルサイト)などから検索可能となっており、インターネット環境下の全ての人間を対象とした情報の無償公開を行っている。 登録されたデータはより多くの研究者達の目に留まりやすくなり、自らの研究結果を広範囲に発信できるほか、知の発信による社会貢献責務のある大学にとっても有意義なシステムであるとしている。 登録データは、それぞれ学術雑誌論文、学位論文、紀要、研究調査報告書、学会発表資料、レポート、プレプリント、図書、貴重書、教育資料、その他の合計11に分類される。

神奈川大学デジタルアーカイブ[編集]

2012年度より神奈川大学の日本常民文化研究所、大学資料編纂室の所蔵・収集資料、非文字資料研究センター、図書館等の諸機関が所蔵する歴史・民俗資料、学術資料、研究成果の公開と保存管理のために構築。大学史資料もデータ化されている。

研究[編集]

21世紀COEプログラム[編集]

21世紀COEプログラムは以下が採択されている。

  • 採択1件
  • 2003年
学際・複合・新領域
人類文化研究のための非文字資料の体系化

文部科学省支援 研究プロジェクト[編集]

  • 「太陽光活用を基盤とするグリーン/ライフイノベーション創出技術研究拠点の形成」

文部科学省「平成24年度私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」

平成24年~28年度(5年間)
事業規模総額約4億5千万円
  • 「高度に秩序化された無機ナノ構造体と精密構造有機高分子との融合による高機能性材料の創製」

文部科学省「平成25年度私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」

採択年:平成25年度から平成29年度(5年間)
工学部・理学部
事業規模総額 約4億円

私立大学学術研究高度化推進事業[編集]

私立大学学術研究高度化推進事業は文部科学省が平成8年度(1996年)から平成19年度(2007年)まで行っていた大型事業、私立大学に重点的かつ総合的な支援を行い、私立大学における研究基盤の整備および研究機能の高度化を図ることを目的としていた。

  • 学術フロンティア推進事業
  • ハイテク・リサーチ・センター整備事業

特色ある共同研究拠点の整備の推進事業[編集]

文部科学省公募「平成21年度人文学及び社会科学における共同研究拠点の整備の推進事業」(平成22年度から「特色ある共同研究拠点の整備の推進事業」)* * 日本常民文化研究所「国際常民文化研究機構」(共同研究拠点の代表者:経済学部教授・日本常民文化研究所長 佐野賢治)が共同研究拠点として採択

平成25年度まで活動

学生生活[編集]

横濱専門学校草創期に社会政策の講師に就任した風早八十二。日本を代表するマルクス主義法学者。1932年~1935年治安維持法違反で検挙入獄。1938年には一転して近衛文麿の最高政治幕僚組織「昭和研究会」に参加。「之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者(近衛上奏文)」として、彼の生産力理論は大政翼賛会創設の推進力となる。

学生生活[編集]

横濱専門学校時代(戦前・戦中)[編集]

  • 横濱専門学校(神奈川大学)は、校長が治安維持法の父とも言える思想検事系列の検事総長等を歴任する林頼三郎であり、1930年に配属将校鈴木辰之助大佐(1944年レイテ島にて玉砕)が着任。岩佐俊少将、配属将校磯田泰大佐、配属将校佐分利大佐、配属将校正木兼三大佐、配属将校教練科教官成瀬懿光少佐、前述の英語教授で語学将校江本茂夫中佐などの軍人の関係者も多くおり、軍事教練等で軍隊式規律を教えていたので蛮カラバンカラ)な校風でもあった。(現在の神奈川大学應援指導部(應援團)はその流れを汲んでいる。但し、1980年代に應援團が新左翼学生の自治会と対立し、新左翼学生は右翼化を嫌い應援團を禁止した為、現在の應援團の活動は低調)。
  • 多くの人材を輩出し1934年の第一回給費生となった増田猛夫は総代で卒業し伊藤忠商事に入社後に同社副社長、伊藤忠燃料の社長会長を務め、1937年入学の占部都美は卒業後東京商科大学を経て神戸大学教授となり戦後日本の経営学の先頭と称されている。
  • 1938年国家総動員法が公布され横濱専門学校でも国民翼賛体制の確立の一環として、1941年に横濱専門学校報国団が結成され団長に林頼三郎校長が、副団長には米田吉盛が就任した。
  • 太平洋戦争の戦局が悪化する中、日本政府は1943年10月2日に「在学徴収延期臨時特例」を交付し学生の徴兵猶予を停止し「教育ニ関スル戦時非常措置方策」を閣議決定し、文科系学生は20歳で徴兵対象となった。横濱専門学校でも1943年11月19日に出陣学徒壮行会が行われた。

横濱専門学校時代(戦後)[編集]

横濱専門学校(神奈川大学)は東京専門学校(早稲田大学)を意識していた風潮があり横専対東専と称して対抗していた。伝統的には風早八十二(マルクス主義法学者)、美濃部亮吉(マルクス経済学者)等が草創期の講師であり、夜間(Ⅱ部)に勤労学生が通っていた事から自然に左翼化する土壌があった。(米田吉盛は、思想の左右を問わず教員を集めていた様である。)

全学連運動[編集]

1960年代後半、世界的なベトナム反戦運動等の社会運動の潮流は神奈川大学にも及び、横濱専門学校校歌に狂と暗とは暫しの悩みとあるが、図らずして未曾有の混乱に巻き込まれる。神奈川大学の学生運動は全学自治会を社青同解放派(ヘルメット(ゲバヘル)は青色に、反帝学評の文字、手には角材ゲバ棒)、竹竿)が握る。塩川喜信(全学連運動中期、元全日本学生自治会総連合(全学連)委員長、東大農学部助手、神奈川大経済学部非常勤講師, トロツキスト)またその妻塩川啓子(けいこ、全学連委員長)が60年代末、神奈川大学の非常勤講師であり新左翼の影響を受け、神奈川大学は70年代に、藤本陽一、北條秀輝全学連委員長を出すなどマルクス主義の復権を目指す社青同解放派全学連の最大拠点校の一つであった。神奈川大学の学生運動は、解放派の拠点としては東京大学法政大学と比べて約10年遅く1968年~1970年代の反戦争青年委員会活動からであり新左翼解放派、極右民族派共に東京大学の思想の流入、影響を受けているのが特徴である。

  • 1968年1月 原子力空母エンタープライズ (CVN-65)寄港阻止支援カンパ問題(佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争)から学生運動が起こり、教授団と学生が討論会を開く。
  • 1968年2月 米田吉盛学長「学生諸君が指摘した事は首肯に値するものがあり、学生諸君の純心な心情を察知するに十全でなかった事、最終責任者としての責任、これらの責任を痛感する」とする学長声明を発表して学長を辞任。
  • 1971年9月 全国社青同再建大会が神奈川大学において開催される。
  • 1973年5~6月川口大三郎事件を切っ掛けに、解放派はブントと共にWAC(早大行動委員会)に助太刀する。 早稲田大学で革マル派全国部隊を3度にわたり粉砕。
  • 1973年 9月14~15日 深夜、新学期の直前、早稲田解放闘争(第3次早大闘争)の継続を恐れた早稲田大学生等の革マル派150名が「九・一五ミッドウェイ (空母) (USS Midway, CVB/CVA/CV-41) 横須賀母港化反対闘争」の為に神奈川大学3号館と宮面寮に泊り込んでいた解放派部隊約50人に4時間にわたり夜襲をかける(警察は介入しない、黙認?)。この結果、解放派部隊のほとんどが入院という大きな打撃を受け、反撃され捕縛された革マル派レポ東京大学生・金築寛(23歳)と元国際基督教大学生・清水徹志計2名が死亡(神大内ゲバ殺人事件)。この事件で解放派を指揮していた北條秀輝全学連委員長、永井啓之幹部(東大教育中退、革労協狭間派ナンバー2、革労協元幹部内ゲバ殺人事件で内ゲバ死亡)が指名手配される。
  • 当時の内ゲバ事件の目撃者には当時学生の歌手浜田省吾(法学部・中退)もいた。火炎瓶が飛び交い、傷ついた学生達がキャンパス内に転がり、多くの死傷者を出した暴動を朝まで見続け「もうすべてが終わった」と実感したという。尚、浜田省吾は後に楽曲『遠くへー1973年・春・20才』で歌っている。
  • 1974年 横浜国大内ゲバ殺人事件では神奈川大学の学生が中核派らに鉄パイプバールで殴打され内ゲバの被害者になっている。(立花隆著『中核vs革マル』)
  • 70年代後半、学費値上げ阻止闘争の大衆団交で「学生運動初、値上げ決定後に白紙撤回」を勝ちとった。このため公立大学より学費が安い(なんと文系なら年間10数万-月額¥10,000程度-ソロバン塾か!?)事態となり、当然ながら大学は破産に瀕し潰れかけた。学費は'80年代はじめ新入学ごとに毎年ほぼ倍増ペースで値上がりし「学費なら早慶にも負けない(当時の在学生の常套句)」ほどになり、たちまち立派な図書館が建ち、以前の古ボケた小規模な図書館しか知らないOB達を驚かせた。
  • 1978年(S.53年)度末試験はロックアウトのため実施できずレポート提出になった。当時は申請上限青天井の年度履修単位申請制度(他学部の講義も取り放題で法学部なら専門C群の単位に認定)だったので、野放図に単位申請していた学生達は、この試験だけで一気に卒業に必要な単位をアラ稼ぎした。
'70~'80年代のサークル長屋は駐輪場と歩道に…
  • 80年代初頭(70年代後半?)まで、校舎内には「ボックス」と称する学生が自由に使える部室が存在し政治色ある各派閥(セクト)やサークルが入居していた。
    • 8号館2階・・・Ⅱ部(夜間部)自治会「学友会」が入居。ノンセンクトで「黒ヘル」。機関紙『夜の戦線』
    • 6号館横・・・通称「サークル長屋」は2階建てで、危なっかしい橋を渡り上の各部室に入り、いくつかの塀沿いの急な板張りの階段を下りジメジメした下の部室に至る、細長く奥行きのない違法建築の見本のような建物だった。写真研究部、社会科学研究会、中国研究会、エスペラント研究会、Ⅱ部劇団等、2ケタ以上のサークルが蝟集していた。
    • 7号館地下・・・解放派系の全学自治会の大学祭実行委員会
    • 3号館地下・・・Ⅱ部自治会「学友会」の仕切る分裂大学祭実行委員会
    • 3号館ワキ・・・Ⅱ部学生のサークル連絡会議や音楽系サークルのボックス
    • 10号館地下&2階・・・解放派の拠点。「全学自治会」「社会思想研究会」「新聞会」「部落解放研究会」等が入居。薄暗い。政治スローガンが廊下の壁にペンキで大書され、ビラが無数に貼られていた
    • 23号館周辺・・・学生法学会
    • 19号館・・・神奈川大学生活協同組合
  • 1981年 狭間派と労対派の分裂により、執行部は狭間派が握るが、通称:4.20グループら学内多数派が滝口弘人(東大教育編入・労対派)らのグループにつくことで弱体化
  • 1987年頃、朝鮮系カルト偽装サークルが公然と大学に介入しようとしまた学内で自治会の学生運動を潰そうとする。それに反発し阻止。久々の機動隊出動。
  • 1996年 内ゲバ殺人事件に絡む機動隊の強制突入により全学自治会は潰される。

民族派[編集]

神奈川大学の民族派学生に影響を与え、民兵組織楯の会を組織した三島由紀夫。小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。1970年三島事件で自決。

一方、極右民族派としては「全国学生自治体連絡協議会」(全国学協)に参加し、1970年三島由紀夫(東大法卒・ 小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者)と共に三島事件を起こし、戦後日本の在り方に疑問を持ち、日本建国の精神・源流を取り戻し、GHQ(アメリカ合衆国)から押しつけられた憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた「楯の会」の伊藤邦典(1期生)、古賀浩靖(2期生、法学部)、小賀正義(2期生、工学部)、田村司(4期生)、向井敏純(4期生)らもいた。古賀浩靖は神奈川大学法学部に改憲論者の教授が居た為に入学を決めたという。神奈川大学は民族派学生の拠点校でもあった。

その後[編集]

  • 自治会は前述の1996年過激派解放派)による國學院大學横浜たまプラーザキャンパスで起こった革マル派学生への内ゲバ殺人事件に絡む機動隊の強制突入により、全学自治会が大学内から追放されて以来、大学によって結成を禁止されている。
    • そのため、現在部活・サークルを統括する団体は体育系の部活が所属する体育会本部のみ存在する。
  • 六角橋商店街では4月の第3土曜日に「神大ナイト」と称した、神奈川大学の学生によるイベントが行われていたことがある。
  • 湘南ひらつかキャンパスでは1997年2007年に、後述の平塚祭の他、障害者を招待して毎年3月に「交流祭」を開催していた。

部活動・クラブ活動・サークル活動[編集]

  • 神大フェスタ実行委員会-全学自治会がない神奈川大学では学園祭の実行委員会が存在
  • 吹奏楽部1963年以降、全日本吹奏楽コンクール大学の部で金賞を23回受賞している。また、神奈川大学吹奏楽部の演奏を収録したCDも一般のレコード店で販売されている。また海外での活動も行っており全米吹奏楽指導者協会のクリニックに招待されているほか、欧州を舞台に公演実績を持っている。
  • 神奈川大学ポピュラー音楽部、軽音サークルN.M.Kからは9mm Parabellum Bullet等のバンドが卒業している
  • 神奈川大学落語研究会 今はない。山本文緒が所属していたという
  • 神奈川大学漫画研究部 神大フェスタ内でイラスト展示、似顔絵を企画。尚、漫画研究部OBには『エルフェンリート』作者岡本倫がいる。
  • 神奈川大学プロレス研究会(KUWF)-創設30年!!尚、神奈川大学出身のプロレスラーに蝶野正洋(殆ど通学せず中退)

スポーツ・体育会[編集]

2016年サッカー天皇杯では、J2町田ゼルビアを破り ジャイアントキリングを達成し、J1ジュビロ磐田と善戦するなど強豪である。 また、神奈川大学・横浜FC・神奈川区共催で「親子サッカークリニック」とし小学生らにサッカーを教えるイベント等開催。 2009年には㈶日本サッカー協会と神奈川大学が包括連携協定を締結。同協会が大学と包括協定を締結するのは初であり、日本サッカー協会川淵三郎名誉会長と神奈川大学中島三千男学長(当時)がそろって会見を開いた。

  • 女子サッカー部 神奈川県リーグ戦、クリスマスカップ等に参戦。OGには、なでしこジャパンロンドン五輪銀メダル矢野喬子松岡実希岡山湯郷Belle)等
  • 水泳部には北京五輪競泳平泳ぎ100m、200mと400mメドレーリレーの3種目で代表・種田恵(経済)などがいる。
  • 合気道部  全日本合気道演武大会等に出場
  • 空手道部  全日本大学空手道選手権大会、関東大学空手道選手権大会 神奈川県大学空手道選手権大会等に参戦
  • 弓道部 全日本学生弓道選手権大会、関東学生弓道選手権大会秋リーグ、神奈川県学生弓道連盟リーグ等に参戦
  • 剣道部 全日本学生剣道オープン大会、関東学生剣道大会等に参戦
  • 硬式庭球部 関東大学テニスリーグ 等に参戦
  • ゴルフ部 関東大学リーグ等に参戦
  • 山岳部 2009年には山岳部および山岳部OBが、南極大陸最高峰ビンソン・マシフ峰(4892m)登頂、単一大学による七大陸最高峰を初踏破(セブンサミッツ)達成。山岳競技ボルダリング等に取り組んでいる
  • スキー部 全日本学生スキー選手権大会(インカレ)等に参戦
  • スケート部(アイスホッケー部門)関東大学アイスホッケーリーグ戦に参戦
  • スノーボード部「Snowy」全日本学生スノーボード協会(略称SSBA)所属 全日本学生スノーボード選手権大会参戦
  • 体操部 東日本学生体操競技グループ選手権大会、16大学対抗体操競技交流大会霜月杯等に出場
  • 卓球部 全日本大学総合卓球選手権大会等に参戦
  • テコンドー部 東京都テコンドー選手権大会等に参戦、OBにK-1選手尾崎圭司等がいる。
  • トライアスロン部 カーフマンジャパンデュアスロングランプリに参戦
  • 軟式庭球部 関東学生リーグに参戦
  • 軟式野球部 東都学生軟式野球リーグ戦等に参戦
  • 男子バスケットボール部 2016年関東総合バスケットボール選手権大会(オールジャパン予選)」優勝!祝!天皇杯出場

第92回天皇杯全日本総合バスケットボール選手権大会(オールジャパン2017)出場決定(初)-神大初戦は、2017年1月3日国立代々木予定

  • バドミントン部 関東大学春季、秋季リーグ等に参戦
  • バレーボール部 関東大学バレーボールリーグ等に参戦
  • 女子バレーボール部 関東大学バレーボールリーグ等に参戦
  • ボディビル部 関東学生パワーリフティング選手権大会等に出場
  • ヨット部 関東学生ヨット選手権大会、全日本学生ヨット選手権大会等に参戦 江ノ島、葉山で活動
  • 男子ラクロス部 関東学生リーグ戦に参戦
  • 女子ラクロス部 関東学生リーグ戦に参戦
  • レスリング部 東日本大学レスリング・リーグ戦等に参戦
  • 應援指導部 応援歌ノーエ節等の伝統的な演舞を箱根駅伝などで披露している。毎年11月にカレッヂ・サウンズ・オーケストラ、チアリーディング部と共に濱菊祭と称する演舞会を開催している。
  • チアーリーディング部「WILDCATS」 関東チアリーディング選手権大会等に参戦
  • フラメンコ部 「LOS GATOSロス・ガトス」ヨコハマ大学まつり等で舞踊を披露

大学祭[編集]

神奈川大学では他大学が「学園祭」と呼んでいるイベントを「大学祭」と総称している。大学側としては、学年暦に含まれる祭を「大学祭」と称し、大学側公認前の祭を「学園祭」と区別していたことがある。そのため、本記事ではかつて開催されていた学園祭とは別であることを示すために節名を「大学祭」としている。後述のとおり1996~1998年は横浜キャンパスでの学園祭が中止され、湘南ひらつかキャンパスのみで学園祭が行われていた。

神大フェスタ[編集]

横浜キャンパスで開催されている大学祭である。 横浜キャンパスでは古くから「海神祭」(わだつみさい)の名前で学園祭を11月3日前後に開催されていたが、前述の全学自治会追放により、1996年より開催が中止されている。 その後横浜キャンパスの学生で組織される神大フェスタ実行委員会が結成されて、1999年より学生主体のイベントとしてスタート、2005年には大学公認イベントとなった。湘南ひらつかキャンパスとの交流を考慮して、後述の平塚祭とは別日程を組んで開催されている。

  • イベント
    • 毎年人気のある恒例企画と、時代の流れに沿った新企画の二つに分けることができる。新企画の中から恒例企画に変わったものも数多い。
    • 恒例企画

神大スター決定戦、ミス&ミスター神大コンテストin横浜キャンパス、飲食店、サークル・ゼミ発表、フリーマーケット、ウォークラリー、バンド祭り等を実施。第8回のスタンプラリーは第18回平塚祭のスタンプラリーと連携して、両大学祭のスタンプラリーを制覇した人に対してスペシャル景品がプレゼントされた。

  • マスコット

KANA☆RIN

一見、小鹿か犬の様な容姿だがカナリンという独自の種別、性別はメス、言葉を使う時に語尾に「りん」を付けて話すのが口癖。2002年に当時の地元小学生からのアイデアによる。

平塚祭[編集]

湘南ひらつかキャンパス開設と共に大学の協力も得て立ち上げた大学祭、湘南ひらつかキャンパス学生により結成される平塚祭実行委員会により運営、実行されている。1992年開催の第4回まで「どんちゃん祭」と称し、1993年の第5回から現在の名称となる。2005年より大学公認となった。

1993年以降は平塚祭期間中に湘南ひらつかキャンパス卒業生・湘南ひらつかキャンパス教職員経験者を招待する「ホームカミングデー」(2008年までは「ホームカミングパーティー」と呼称)を開催している。2009年は湘南ひらつかキャンパス開設20周年式典が開催された関係で、式典出席者を交えた懇親会が「ホームカミングデー」を兼ねて開催された。期間中の1日昼間に開催している。

  • テーマ・開催日(どんちゃん祭)
    • 不明
  • テーマ・開催日(平塚祭)
  • イベント

お笑いLIVE、 綱引き大会、スタンプラリー、理学部オープンラボ、 子ども企画、ビンゴ大会、平塚祭花火大会等を実施

    • 第20回頃から花火大会を開催するようになり、ビンゴ大会終了後に約10分間打ち上げられる。花火大会開催時間帯は5号館(クラブ棟)・7号館(第二クラブ棟)~3号館(体育館)エリアが立入禁止となる。

各種コンテスト[編集]

本学が主催で各種コンテストを開催している。

神奈川大学全国高校生俳句大賞『17音の青春』[編集]

1998年に神奈川大学創立70周年を記念して創設。日本の伝統的な短詩型文学「俳句」を通して、高校生、受験生に独自の感性で表現する機会を提供し、高校生文化発信に寄与することを目指す。これまでの選考委員は、宇多喜代子大串章金子兜太長谷川櫂復本一郎黛まどか等俳壇を牽引する俳人である。日本全国の高校生からの応募がある。最優秀賞(5作品)、入選(65作品)、一句入選した作品は『17音の青春』として編集、出版される。

神奈川大学「高校生理科・科学論文大賞」[編集]

上記の俳句大賞の理系版の賞として高等学校の理科教育を支援するとして2002年に創設。全国の高校生を対象に、理科・科学に関する研究や実験、観察、調査の成果についての論文を募集し、各賞(大賞・優秀賞・努力賞・指導教諭賞・団体奨励賞)を選ぶ。 3月の授賞式では、受賞者の表彰のほか、受賞者による「論文発表」の場を設ける。審査委員による基調講演も実施。受賞作品集『未来の科学者との対話』を出版

学内奨学金[編集]

  • 米田吉盛教育奨学金
    • 給費生
    • 大学院給費生
    • 法科大学院給費生
    • 新入生奨学金
    • 地方出身学生支援奨学金
    • 修学支援奨学金
    • 自己実現・成長支援奨学金
    • 大学院研究・社会活動支援奨学金
    • 指定資格取得・進路支援奨学金
    • 海外活動支援奨学金
    • 外国人留学生授業料減免制度
    • 神奈川大学出身者支援奨学金
  • 村橋・フロンティア奨学金
  • 激励奨学金
  • 神奈川大学後援会給付奨学金
  • 一般社団法人神奈川大学宮陵会給付奨学金
  • 一般社団法人神奈川大学宮陵会大学院給付奨学金
  • 一般社団法人神奈川大学宮陵会奨学金

箱根駅伝[編集]

箱根駅伝は東京~箱根神奈川県を通過するスポーツイベントである事から、地元の神奈川大学では一大イベントとなっている。神奈川県では神大を応援するファンも多い。スタート、ゴールでは盛大に応援が行われるが、神大の幟が目印となっている。 神大の主な応援ポイントは次の通り。

スタート地点(東京大手町読売新聞社前) 、ゴール付近京橋~中央通り~日本橋~東京大手町読売新聞社前 、品川駅高輪口前、東神奈川駅東口、国道15号線沿い(東神奈川~横浜までの約2.0㎞)、横浜駅東口横濱プラザホテル前、戸部駅前、保土谷駅前、権太坂頂上付近、矢沢歩道橋付近、原宿 (横浜市)交差点、遊行寺、高砂交差点 、茅ヶ崎第一中学校、 国道134号線沿い(平塚~小田原までの間、湘南海岸公園付近 、大磯駅前、国府津駅前大磯寄り、小田原西湘法律事務所前、箱根湯本駅前、宮ノ下温泉富士屋ホテル前等。[17]

大学関係者と組織[編集]

大学関係者組織[編集]

同窓会は「宮陵会」(きゅうりょうかい)と称す。また、保護者組織としての後援会がある。

他大学の様にはっきりとした学閥「蒼門会?」形成は見られない(中正堅実の精神の為、公平性に鑑み学閥は形成しない?)が前述の通り、2015年警察官採用で全国4位であり警察関係者OBの大学訪問などがある。横浜の企業、銀行、貿易系旅行系などに多少の学閥

  • 建築学科のOBOG会は「かんな会」と称し活動している。
  • 「神奈川大学フロンティアクラブ」平成9年12月、大学当局の賛同を得て設立。積極進取の精神(フロンティアスピリッツ)を維持する為の各界各分野で活躍する卒業生有志の会。
  • 英国(ロンドン)、アメリカ合衆国(ロサンゼルス)、中国(上海)、タイ(バンコク)在住者のOB会宮陵会もある

大学関係者一覧[編集]

施設[編集]

キャンパス[編集]

横浜キャンパス公開空地と1・8号館
オープンキャンパスに訪れた女子高生と通用門横の石碑
横浜キャンパス中庭 中央縦の構造物は外付けエレベータ

横浜キャンパス[編集]

  • 旧称は「六角橋校地」
  • 使用学部:法学部、経済学部、外国語学部、人間科学部、工学部、第二法学部、第二経済学部、第二工学部
  • 使用研究科:大学院法学研究科、法務研究科(法科大学院)、経済学研究科、外国語学研究科、工学研究科、歴史民俗資料学研究科
  • 使用附属施設:日本常民文化研究所および常民研参考室(歴史民俗資料学研究科)
  • 交通アクセス:
    東白楽駅からも13分程度で正門に到着できる。ただし、東白楽駅からの経路は起伏が激しく狭く複雑である上に最短ルートも無い(無数のルート-横浜の戦前からの住宅地の面目躍如-が有る)ため、大学の広報では白楽駅を最寄としてアナウンスしている。
    なお、東神奈川駅仲木戸駅および片倉町駅からは徒歩20分程度でキャンパスまで到着できるが、東神奈川駅・仲木戸駅からの経路は東白楽駅と同様に非常に複雑である。
    六角橋三丁目側の建物へは「神奈川大学入口」が、六角橋四丁目側の建物へは「六角橋西町」が近い。
  • 以下施設名称と機能
    • 1号館(本館)…事務局・8F展望ラウンジ(学生食堂)
    • 2号館…地下演習室
    • 3号館…神奈川大学展示ホール・教育支援センター(KUスクエア)
    • 5号館
    • 6号館…情報教育施設(コンピュータ演習室)
    • 7号館…情報教育施設(コンピュータ演習室)
    • 8号館…マップホール
    • 9号館…日本常民文化研究所
    • 10号館…学生食堂・道場・部室
    • 11号館
    • 12号館
    • 13号館…体育館
    • 14号館…心理相談センター
    • 15号館…図書館
    • 16号館…セレストホール(ギャラリー)・入試センター・宮陵会事務局
    • 17号館…室内プール
    • 18号館…就職課/就職資料室
    • 19号館…神奈川大学生協・LUX・保健管理センター
    • 20号館…語学演習棟・コンピュータ演習室
    • 21号館…マクドナルド・東日本大震災被災地支援室
    • 22号館…人間科学棟(健康科学スポーツセンター)・部室
    • 23号館…情報教育施設(コンピュータ演習室)
    • 24号館…法科大学院棟
    • 25号館
    • 26号館
    • 27号館…生涯学習棟(資格取得講座/生涯学習講座)
    • 28号館…学生相談室
    • 29号館…国際センター

湘南ひらつかキャンパス (SHC)[編集]

湘南ひらつかキャンパス入口 1号館正面と池
湘南ひらつかキャンパス入口
1号館正面と池
湘南ひらつかキャンパス11号館正面 ビオトープ
湘南ひらつかキャンパス11号館正面
ビオトープ
湘南ひらつかキャンパス構内にある「神奈川大学校舎前」バス停 平10 急行・平塚駅北口行
湘南ひらつかキャンパス構内にある「神奈川大学校舎前」バス停
平10 急行・平塚駅北口行
  • 1989年4月開学時~2001年3月は「平塚キャンパス」と称していた。
  • Shonan Hiratsuka Campus の頭文字を取ってSHCとも略されている。
  • 使用学部:経営学部、理学部
  • 使用研究科:大学院経営学研究科、理学研究科
  • 使用附属施設:ハイテク・リサーチ・センター
  • 併設施設:「土屋の杜」自然緑地
  • 交通アクセス:JR東海道本線平塚駅から神奈川中央交通バスで約30分、小田急小田原線秦野駅から神奈川中央交通バスで約20分
    • 平10 平塚駅北口(※)~急行(南河内・神奈川大学のみ停車)~神奈川大学校舎前
    • 平37 平塚駅北口(※)~古花水~公所~中沢橋~神奈川大学~神奈川大学校舎前
    • 平38 平塚駅北口(※)~古花水~坂間~中沢橋~神奈川大学~神奈川大学校舎前
    • 秦38 秦野駅北口(1番線)~南平橋~遠藤原~神奈川大学~神奈川大学校舎前
    • 秦39 秦野駅北口(1番線)~南平橋~土屋橋~神奈川大学~神奈川大学校舎前
    • 平76 平塚駅北口(2番線)~中沢橋~神奈川大学~上井ノ口~秦野駅南口(1番線)
      • 平76系統を除く全系統が大学構内まで、土休日を含めて終日乗り入れている。正門前のバス停は「神奈川大学」、大学構内にある1号館前のバス停は「神奈川大学校舎前」と称している。
      • (※)=平10・37・38系統の平塚駅北口乗り場は始発から13時までが11番線から、以後は1番線から発車する。
      • 平76系統は中井町を経由するため、秦野方面からのアクセスには適しておらず、大学側でも秦野駅からのアクセス手段としては案内していない。
      • オープンキャンパス時等には、平塚駅・秦野駅から臨時直行バスを運行することがある。
      • 湘南ひらつかキャンパスのバス通学生に対しては、キャンパス内で大学補助による割引価格の「神奈川大学学生専用バス通学定期券」を販売している。[18]
  • 車によるアクセス:
    湘南ひらつかキャンパスでは車による通学が認められており、学外からの来訪者も無料で駐車場を利用できる。
  • 以下施設名称と機能
    • 1号館…図書館・講義室・研究室・学生ラウンジ・イングリッシュラウンジ・紀伊国屋ブックセンター・FabLab Hiratsuka
    • 2号館…理学部実験室・研究室
    • 3号館…体育館・トレーニングルーム・道場
    • 4号館…学生食堂・ベーカリーカフェ・銀行ATM
    • 5号館…部室
    • 6号館…講義室・演習室・理学部実験室・研究室
    • 7号館…部室・合宿所
    • 8号館…コンビニエンスストア(ファミリーマート)・休憩所・教育支援センター(KUスクエア)
    • 9号館…高度先端技術研究施設(ハイテク・リサーチ・センター)
    • 10号館…演習室
    • 11号館…事務局・就職資料室・保健管理センター・学生相談室・サーカムホール
    • 12号館…理学部 藻類培養施設
    • 13号館…研究室

保健管理センター[編集]

横浜キャンパス場所:19号館2階 湘南ひらつかキャンパス場所:11号館

健康科学スポーツセンター[編集]

神奈川大学の学生、教職員、地域の方々の健康増進、また本学スポーツ活動の興隆に資することを目的として設置。

  • 横浜キャンパス・トレーニングルーム(22号館)

トレーニングルームには、ベンチプレス・レッグエクステンションなど筋力アップ効果のあるマシーンのほか、ランニングマシーン、エアロバイクなどの持久力アップのマシーンなど各自の健康管理に役立つ設備が充実。

  • 横浜キャンパス・室内プール(17号館)

25M温水プール×6コース(水深:1.1M~1.5M) 太陽熱を利用した温水の室内プール、曲線を描くガラスの天井から自然光が日中降り注ぐ。

  • 平塚キャンパス健康科学スポーツセンター(3号館)

ベンチプレス・レッグエクステンションマシーンのほか、ランニングマシーン、エアロバイク等。

その他[編集]

神奈川大学では以下のサテライトキャンパスを設置している。

なお、附属学校や大学野球場・大学ラグビー場などがある場所を中山キャンパス(旧称「台村町校地」)と呼んでいる。

福利厚生[編集]

食堂[編集]

オープンキャンパス時の横浜キャンパス食堂 窓の外は中庭
  • 食堂・購買部の運営に関して、横浜キャンパスでは「神奈川大学生活協同組合」の手で、湘南ひらつかキャンパスでは「丸紅コミュニティ株式会社」の手で行われている。
    • このうち、横浜キャンパスの食堂は各種大学ランキング本の食堂部門で上位ランクされることがあり、マスコミの取材もしばしば行われている。
    • 湘南ひらつかキャンパスの食堂は2012年現在、株式会社無洲が請け負っている
    • 湘南ひらつかキャンパスの購買部は2007年9月よりam/pmが請け負っていたが、2011年9月よりファミリーマート化され、現在は「ファミリーマート 神奈川大学湘南ひらつか店」と名乗っている。

保養施設[編集]

  • 箱根保養所

1981年12月竣工。神奈川県箱根町の箱根金時山の麓、仙石原にある、神大の卒業生や教職員等及びその家族を対象とした保養施設。 大浴場(温泉)の泉質は硫酸塩水(アルカリ性)、レストラン(朝食、夕食)、宴会場、卓球場、マッサージコーナー、ラウンジ、囲碁将棋麻雀などのプレイルームも備える。 利用対象者:本学教職員(法人役員も含む)およびその家族、本学を定年退職した教職員およびその家族、宮陵会・後援会・緑会会員および会員同伴の家族、専任教職員を申込み責任者とした学外者 など[19]

講堂[編集]

セレストホール[編集]

横浜キャンパスにはもともと、現在の1号館のある付近に大講堂があったが、再開発によって取り壊されている。再開発中に16号館が建設され、同館内に「セレストホール」と称する講堂を開設した。

サーカムホール[編集]

湘南ひらつかキャンパスには開学当初講堂がなく、1号館の円形講義室を講堂代わりに使用していたが、大学80周年記念事業によって2009年8月に11号館が新設された際に、「サーカムホール」と称する講堂を同館内に開設した。

[編集]

大学では「学生マンション」と称して以下の施設を提供している。

  • 横浜キャンパス周辺
    • 神奈川大学中丸棟男子
    • 神奈川大学白楽寮
    • 神奈川大学中丸棟女子
    • 神奈川大学二本榎棟
    • 神奈川大学国際寮
    • フィールド・フジ
  • 湘南ひらつかキャンパス周辺
    • 湘南スズキコート
    • 湘南平塚コート
    • 湘南宮川ビル

宮面寮[編集]

戦後から宮面の山腹(現横浜キャンパス・グラウンドの山側)に、「宮面寮」(みやもりょう)という自治会が運営する大学公認の寮があった。1980年代頃、寮食堂のダルマストーブには常時みそ汁の鍋が乗っていて、学生達の小腹と懐を慰めた、誰でも無料だった。宮面寮は長い間、解放派学生運動の一大拠点だった。革マル派との党派闘争の激化のなかで、寮の最上階は党派の軍事施設の様相を呈していた。90年代に取り壊されている。

モニュメント・施設他[編集]

  • クライミングウォール

2011年9月に横浜キャンパスグランドの一角に完成、山岳部の「セブンサミッツ」(七大陸最高峰踏破)達成を記念して作られたクライミング施設。高さ12m、幅5m

  • KUスタジオ

2013年4月に横浜キャンパス1号館8階に開設された、学生による学生のための映像や音声が編集できるスタジオ。

  • パピルス端末

神奈川大学で導入している内田洋行製の証明書自動発行機の名称で、正式な商品名は「PAPYRUS MATE(パピルスメイト)」。

  • マップホール

横浜キャンパス8号館2階にあるラウンジ。壁一面に世界地図が描かれている

  • MIYAMO-NET(みやもねっと)

横浜・平塚・中山(附属)すべてで使える、神大総合情報ネットワークの総称。略称はMNS。

  • メビウス

横浜の1号館学生掲示ホール脇にある噴水の中心に聳え立つモニュメント。”永遠”。 2002年設置1998年の創立70周年記念事業で宮陵会及び後援会より寄贈

  • 公開空地

2002年の横浜キャンパス再開発工事完了と同時に、旧3号館跡地に設けられたフリースペース。 一面整備された草の緑に覆われ、神大生のみならず地元民に解放。

対外関係[編集]

自治体との協定[編集]

  • 学術に関する協定
    • 大和市スペイン語通訳補助インターンシップ協定(2004年締結)

-神奈川大学外国語学部スペイン語学科の学生が大和市役所の窓口補助員として週2回の実務を実施する協定。

    • 大磯町-地域社会の発展、学術文化研究の振興及び人材の育成に寄与することを目的とする。
    • (一社)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会-2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会連携協定
  • 図書館利用に関する協定
  • 教育に関する協定
    • 横浜市 神奈川区-(1)こども・青少年育成プロジェクト(2)青少年・スポーツ・健康づくりプロジェクト(3)産業・まちづくりプロジェクト(4)エコ・環境プロジェクト(5)人材・育成プロジェクト
    • 神奈川県立総合教育センター-包括協定
    • 横浜市教育委員会
  • 防災に関する協定
    • 横浜市4町会(中丸町内会・六角橋南町内会・斎藤分北部自治会・斎藤分南部町内会)大規模地震発生時の減災応援協力に関する覚書
    • 横浜市-大規模地震等の災害時における避難施設の提供協力に関する協定
  • 学生U・Iターン就職促進に関する協定(括弧)は締結年月
    • (2012.07)山梨県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2013.11)群馬県 ※Gターンクラブに加盟
    • (2014.03)長野県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2014.04)愛媛県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2014.12)新潟県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2015.07)石川県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2015.07)栃木県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2015.08)茨城県 ※大好きいばらきUIJターン・定着応援“くらぶ”に加盟
    • (2016.02)福島県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2016.02)熊本県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2016.05)山形県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2016.10)静岡県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2016.12)秋田県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2017.03)山口県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
    • (2017.03)福岡県 学生U・Iターン就職促進に関する協定
      • 神奈川大学には地方出身の学生が多いことからUIターン就職を支援するための協定を上記の各県と締結している。

他大学との協定[編集]

日本国内[編集]

日本国外[編集]

神奈川大学では2017年1月現在、以下の26ヶ国、85の協定校ならびに15の提携校と活発な交流を行っている。 学生交換が行われている協定校は62校。 地域別の協定校数(()内は学生交換校)は以下の通り。

  • アジア 44校(29校)
  • オセアニア 2校(2校)
  • 北アメリカ 10校(5校)
  • 中・南アメリカ 4校(4校)
  • ヨーロッパ 24校(21校)
  • 中近東 1校(1校)
上記のうち主な国際・学術交流等協定校

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

中華人民共和国の旗 中国

台湾の旗 台湾

タイ王国の旗 タイ

イギリスの旗 イギリス

スペインの旗 スペイン

韓国の旗 韓国

エストニアの旗 エストニア

リトアニアの旗 リトアニア

部局間学術交流等協定校
  • 経営学部

カナダの旗 カナダ

中華人民共和国の旗 中国

高大連携[編集]

高大連携の推進は地元神奈川県をコアとし、高校教育と大学の教育に関する交流・連携を通じて相互に教育活動の理解を深め、それぞれの教育の実をあげることを目的とする。

  • 神奈川県立

麻生高等学校旭高等学校足柄高等学校厚木西高等学校厚木東高等学校綾瀬高等学校有馬高等学校磯子工業高等学校荏田高等学校追浜高等学校神奈川工業高等学校神奈川総合高等学校金沢総合高等学校上鶴間高等学校川崎高等学校岸根高等学校霧が丘高等学校港北高等学校相模田名高等学校相模原総合高等学校座間総合高等学校商工高等学校湘南台高等学校城郷高等学校新栄高等学校住吉高等学校逗葉高等学校、茅ケ崎高等学校、茅ケ崎西浜高等学校、津久井浜高等学校鶴見高等学校永谷高等学校新羽高等学校二宮高等学校秦野高等学校秦野曽屋高等学校氷取沢高等学校平塚湘風高等学校藤沢清流高等学校藤沢総合高等学校藤沢西高等学校保土ヶ谷高等学校舞岡高等学校三浦臨海高等学校弥栄高等学校山北高等学校大和東高等学校大和南高等学校横須賀明光高等学校横浜桜陽高等学校横浜旭陵高等学校横浜国際高等学校横浜修悠館高等学校横浜清陵総合高等学校横浜南陵高等学校横浜平沼高等学校、横浜明朋高等学校、横浜緑園総合高等学校

  • 横浜市立

東高等学校みなと総合高等学校横浜商業高等学校横浜総合高等学校

  • 川崎市立

商業高等学校橘高等学校

  • 横須賀市立

横須賀総合高等学校

  • 東京都立

晴海総合高等学校六郷工科高等学校

  • 静岡県

富士市立高等学校

  • 私立

神奈川大学附属高等学校鵠沼高等学校湘南学院高等学校捜真女学校高等学部東京実業高等学校東京横浜独逸学園三浦学苑高等学校横須賀学院高等学校横浜清風高等学校横浜創学館高等学校、横濱中華學院、横浜隼人高等学校

    • センター

神奈川県立総合教育センター

産官学連携[編集]

  • りそな銀行-「地域活性化・発展」のための包括的な連携に関する協定
  • 横浜銀行 - 地元・神奈川の地域・産業の活性化を目的とした連携を推進していくための包括協定
  • 平塚信用金庫-産業経済の振興と地域社会の発展を目的とした連携を推進する包括協定
  • 湘南信用金庫-産業経済の振興と地域社会の発展を目的とした連携を推進していくための産学連携協定
  • 横浜マリノス株式会社-「地域社会の発展」、「人材育成・教育の振興」、「地域産業経済の振興」に寄与することを目的として相互連携包括協定
  • 公益財団法人日本サッカー協会-包括協定


附属学校[編集]

社会との関わり[編集]

桜木会館[編集]

1927年(昭和2年)年4月、神大創設者である米田吉盛が中区桜木町の「桜木会館」内に「横濱学院」を設立した。桜木会館のオーナー若尾幾太郎(衆議院議員、ホテルニューグランド役員、横浜海上火災保険役員、江ノ島電気鉄道株式会社初代社長)と樋貝詮三が山梨の同郷であったから無料で借りていたという。 1927年(昭和2年)~1928年(昭和3年)の活躍期間はごく僅かといえど、境之谷に移転する前の桜木会館こそ神奈川大学始まりの地点と言える。建物は2008年解体されている。

境之谷公園[編集]

1976年(昭和51年)に開園した境之谷公園(横浜市西区境之谷105-1、さかいのたに、旧富士塚)は、神奈川大学発祥の地として知られる。1928年(昭和3年)に中区で開設された横濱学院が翌年この地に移り、神奈川大学の前身である横濱専門学校となる。校舎は木造平屋建てで、建坪231坪(762平方メートル)。材料は国からの払い下げの材料を利用して造られ、壁はボール紙製という、校舎としては粗末な建物であったが[20]、学生達は教育熱心で優秀な講師陣を誇りにしていたという。 学校が神奈川区へ移転した1930年(昭和5年)以降は専門広場と呼ばれ、1984年(昭和59年)に神奈川大学発祥の地として横浜出身の著名な彫刻家井上信道作の銅像「青年の像」が建てられた。現在では、境之谷公園として整備され、公園内にはこどもログハウス(ちびっことりで)が建つ。平日休日を問わず、たくさんの子どもたちが訪れる遊び場となり、いつも子どもたちの歓声が絶えない。

宮面ケ丘[編集]

横濱専門学校(現神大)は1930年(昭和5年)、以前から住宅地で商店街もあった六角橋のはずれ、丘陵地帯の一角である宮面ケ丘(みやもがおか)に移転した。江戸時代からの六角橋の名主山室周作が学校誘致活動を行っており、米田吉盛と樋貝詮三が現地視察したのち丘の上の土地が広大で最適であると判断し決定した。当時の宮面丘は、茅ぶき屋根の農家や畑が校舎の隣にあるほどの農村であった。横濱専門学校は「ヨコセン(蔑称:ヨタセン)」の名で白楽、六角橋の人々に親しまれた。昭和24年の学制改革では「神奈川大学」と改称し、いよいよ白楽の地に“大学”が誕生した。

三島事件[編集]

1970年三島由紀夫を隊長とする楯の会森田必勝早稲田大学)、小賀正義(神奈川大学)、古賀浩靖(神奈川大学)、小川正洋明治学院大学))の起こした三島事件は社会に衝撃を与え、今尚、憲法改正論議や、自衛隊の在り方議論について影響を与えている。

質実剛健[編集]

横濱専門学校草創期の倫理学の講師には鎌倉円覚寺住職、臨済宗円覚寺派管長禅僧朝比奈宗源がいた。また、英語主任教授には陸軍語学将校江本茂夫がおり、ユーモアの利いた軍人英語と軍隊式規律の「横専方式英語」を横専学生に教えている。校歌に「祖国の誉」と歌い、鎌倉時代武士団の元寇の戦いを歌う軍歌『元寇 (軍歌)』の替え歌や、『農兵節』の替え歌が応援歌である事、三島事件に参加した楯の会メンバーが在籍していた事、左翼の佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争、九・一五ミッドウェイ (空母) (USS Midway, CVB/CVA/CV-41) 母港化反対闘争等の反米活動、2011年からの東北震災のボランティア活動など伝統的な愛郷主義民族主義国家主義地域主義的な活動は質実剛健の校風を表す。

積極進取[編集]

神奈川大学では、国境や文化の差異を超えた国際交流の場を形成し、国際社会で活躍する人材を育成する教育や研究を展開するとともに、そこから得られた成果を広く国際社会に還元することを目指しており、地域と国際社会に開かれた大学として、国際化推進に関する方針を定め、1.国境や文化の差異を超えた国際交流の場を形成、2.教育の国際化、3.留学制度等の拡充、4.学術交流の活性化、5.国際化の成果の還元、6.国際化を推進するための情報の収集と発信等の活動を積極的に行っている。神奈川大学では世界各国の前述の協定校と留学生の交換を行っている。特に、海外からの学生が参加する短期集中型の語学プログラム「神奈川大学日本語・日本文化プログラム」として、年2回(夏季と冬季)受け入れを実施している。

KU東北ボランティア駅伝[編集]

2011年の震災直後より、神奈川大学は東日本大震災被災地支援活動「KU東北ボランティア駅伝」と称して、支援の襷をつなぎ続けている。これまで、3,666人(延べ人数16,655人)の学生・教職員らボランティアが被災地での支援活動に携わる[21] 尚、ボランティアの拠点となった岩手県遠野市は、神奈川大学出身の本田敏秋(法学部卒)が市長を務めていた。 2011年4月17日には中島三千男学長(当時)が、神奈川大学出身の佐藤雄平福島県知事(経済卒)を訪問し、佐藤知事は「夏休みを利用して、できるだけ多くの学生さん達がぜひ福島に合宿等で来てください。」「自分も頑張るから、神奈川大学も頑張ってください。」と述べた。[22]

エピソード[編集]

横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)
  • 入学式卒業式の会場は例年であれば横浜みなとみらい地区にあるパシフィコ横浜(横浜国際平和会議場)の国立大ホール。 野外ステージでJAZZ研究会等の演奏イベントが盛り上げる。
  • 東横線白楽駅は、2014(平成26)年春から、副駅名を「神奈川大学最寄駅」とし、車内アナウンスで「神奈川大学最寄駅です」と追加される。神奈川大学の最寄は、白楽駅だけではなく東白楽駅もあるが、校内通信『JINDAI Style』の企画で、駅伝部の選手が白楽駅と東白楽駅にむけてタイムを計ったがほとんど変わらなかった。白楽駅を最寄り駅としたのは「分かりやすさ」の為。[23]
  • 1975年の受験雑誌『蛍雪時代』(旺文社)のキャッチコピーでは日東専駒成成神(競馬になぞらえて二頭先駒斉整哉)の「神」として、神奈川大学は、早慶MARCHに次ぐ入試難易度の大学群の一校とされていた。1997年当時の受験雑誌などに掲載される偏差値は日東駒専と比較されていた。[24]

関連項目[編集]

神奈川大学を舞台とする作品[編集]

  • 『遠くへ-1973年・春・20才』浜田省吾の楽曲-神奈川大学での内ゲバ事件を歌っている。赤いヘルメットのあの娘とは、日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)か?共産主義者同盟赤軍?、中核派は白地に中核の文字、革マルならば白地にZ文字。
  • 二人の夏浜田省吾の楽曲、愛奴のデビュー・シングル-神奈川大学正門前の下宿に住んでいた頃の恋愛歌。
  • 路地裏の少年』『生まれたところを遠く離れて』『愛のかけひき』『キャンパスの冬』浜田省吾の楽曲 -田舎から上京しアルバイトをするなど、神奈川大学での学生生活を歌っている。
  • 『強奪 箱根駅伝』安東能明 (著)-神奈川大学駅伝チームの女子マネージャーが誘拐されるサスペンス小説
  • 『夢は箱根を駆けめぐる』 佐藤次郎(著)-神奈川大学の97年、98年、箱根駅伝連覇優勝のドキュメンタリー
  • 孤独のグルメSeason2』第五話-神奈川大学の白石教授(入江雅人)に呼ばれて白楽駅を降り、神奈川大学を訪れた井之頭五郎松重豊)は学食のカフェで「神大ソフトフルーツミックス」を堪能。その後、六角橋商店街「珈琲文明」の「仲見世ブレンド」、そして「キッチン友」で「スペシャル友風焼き」を頼む五郎だった。
  • 『カモメ』-2004年に神奈川大学の音楽サークルで結成されたバンド9mm Parabellum Bulletの楽曲。神大のマスコットと同じカモメ。
  • アニメ『がっこうぐらし! (SCHOOL-LIVE!)』2話では、図書館に神奈川大学の赤本が有る。


Wiki関係他プロジェクトリンク[編集]



脚注[編集]

  1. ^ 商標登録前からその商標を使用していた第三者には引き続き使用が認められる(先使用権)ので、例えば、神戸大学が「神大」という略称を使用することは商標権侵害には当たらない。また、二段併記商標であるので、第三者が「神大」と「JINDAI」を併せて使用した場合には商標権侵害となるが、「神大」と「JINDAI」のいずれか一方のみを使用した場合には商標権侵害にならない場合があり得る。
  2. ^ 神奈川大学学長からのご挨拶〈兼子良夫)より
  3. ^ 神奈川大学の目的より
  4. ^ 神奈川大学非文字資料研究センター海外神社跡地に関するデータベース
  5. ^ -神奈川大学法学研究所 地方自治センターについてより
  6. ^ 東洋経済オンライン調べ「専門職に強い大学」で2015年警察官採用は全国4位より
  7. ^ 神奈川大学-本学の情報-」学科別主な就職先企業(2015年度)より
  8. ^ -神奈川大学現代ビジネス学科(旧貿易学科)
  9. ^ -2016年度神奈川大学卒業式・学位授与式(一回目)兼子良夫学長式辞
  10. ^ -夕刊フジZAKZAK記事・韓国軍ベトナム大虐殺で新事実、神奈川大名誉教授ら現地調査、世界に“告発”へ『韓国の大量虐殺事件を告発する-ベトナム戦争「参戦韓国軍」の真実』(北岡正敏・北岡俊明著・展転社)
  11. ^ 神奈川大学宇宙エレベータープロジェクトより
  12. ^ 神奈川大学宇宙ロケット部より
  13. ^ -2016年発行公報(公開特許公報,特許公報)に基づく 特許ランキングより
  14. ^ 神奈川大学からのお知らせ「湘南ひらつかキャンパスの建物名称が変更されました」より
  15. ^ 神奈川大学プレスリリース「2017年度入試より給付型の奨学金「神奈川大学予約型奨学金」を新設します」より
  16. ^ 神奈川大学図書館「図書館の概要」より
  17. ^ ジンダイエキデンサイトより
  18. ^ 神奈川大学からのお知らせ「[湘南ひらつかキャンパス在学生対象]大学補助によるバス回数券の販売終了と定期券販売への移行について」より
  19. ^ 神奈川大学箱根保養所より
  20. ^ はまれぽ.com 神奈川大学はなぜ六角橋により
  21. ^ 神奈川大学「KU東北ボランティア駅伝」より
  22. ^ 神奈川大学「お知らせ2011.04.28中島学長、石積副学長が東日本大震災被災地を訪問しました」より
  23. ^ 東横線白楽駅のアナウンスに突如「神奈川大学最寄駅です」と追加されたのはなぜ?[はまれぽ.com]
  24. ^ 日東専駒成成神:日本大学東洋大学専修大学駒澤大学成城大学成蹊大学神奈川大学。1970年代後半に志願者急増を見せ、東の人気中堅私立大学群として1975(昭和50)年前後に造語された。1979(昭和54) 年当時の日東専駒成成神の難易度(偏差値)は日(法)52.3、東(法)51.2、専(法)55.3、駒(法)51.7、成城(法)58.5、成蹊(法)58.6、神(法)54.3。

参考文献[編集]

公式サイト[編集]