牛タン

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皮を削がれる牛タン

牛タン(ぎゅうタン)は、部が食用に供される場合に用いられる名称。日本では「仙台牛タン焼き」を指す場合もある。

漢音の「ギュウ」に、英語で舌を意味する tongue英語発音: [tʌŋ] )に由来する「タン」からなり、漢語外来語から構成される合成語複合語)。

同部の人類による摂取は、旧石器時代にまで遡る。同部の中でも先端部と根部ではその肉質が異なる。脂肪含量が非常に高く、カロリーのほぼ75%が脂肪に由来している[1]とされる。

数十センチの長さがあり、主に皮を切除した内部の正肉様の部位が食され、日本では焼肉用に長軸に対して薄切りされたり、牛タン焼きのために厚切りされたりする。

調理[編集]

牛タンは玉ネギやその他の香辛料によって味付けされることが多く、その後茹でられる。調理後、皮が剥がされ、残りの部位が出される。牛タンを調理するもう一つの方法は熱水中で煮沸した後、皮を剥ぐ方法である。その後、ローストビーフと同様にローストし、肉汁はグレイビーを作るために使われる。

ベルギーでは、牛タンはマデラソース中でキノコと共に調理されることが多い。ポーランドドイツオーストリアでは、ホースラディッシュソースと共に出される。

料理[編集]

牛タンはメキシコ料理で広く使われ、タコスブリートの具材として目にすることが多い。また、ブルガリア料理ルーマニア料理ドイツ料理ポルトガル料理ブラジル料理ペルシャ料理インドネシア料理(スムール・リダー〈タンシチュー〉)、ニカラグア料理フィリピン料理アルバニア料理イギリス料理ロシア料理朝鮮料理(牛タンスライス)、日本料理(後述)、イタリア料理ピエモンテ州ジェノヴァでは一般的)で使われる。

北米においても、牛タンはタントーストオープンサンドイッチ)の主要な具材である。

料理の参考画像[編集]

日本における牛タンの消費[編集]

牛肉食文化が近代になって普及した日本だが、もとは畜産副産物として、牛解体時に生じる正肉以外の部分、モツ内臓)をも食べる習慣の広がりとも相まって、牛タンは既に広く親しまれた食材である。

先端部分(タン先)と裏側(さがり)などの固い部位を除いたタンを薄く輪切りにし焼いて食すのが一般的で、焼肉店でも提供されることが多く、塩味のタンは一般に「タン塩」と呼ばれる。塩ダレのまま焼いて食す他、焼肉のタレやレモン汁に浸けて食べる場合もある。

「仙台牛タン焼き」 の場合は、店員が塩味やタレをつけた牛タンを炭火等で焼いて出し、そのまま食べる。レモン汁はつけない。また、塩味とタレでは圧倒的に塩味が多い。

仙台牛タン[編集]

宮城県仙台市または仙台都市圏(以下「仙台」)の牛タン料理は、庶民の外食産業から発展したものであり、「仙台牛タン」の名称で名物として知られている。

戦後占領期仙台市街地における外食産業は、宮城県内に終戦後1ヶ月程度で約1万人にまで急増した、仙台空襲後の当地においては経済的に富裕層にあたる進駐軍GI(ほとんどが当時人口50万人程度(現在は150万人超)の仙台都市圏に集住)を主要な客として急激に発達したX橋周辺や苦竹キャンプ周辺の歓楽街以外にも、日本人向けに戦前からの和食・中華・洋食の店舗や小田原蜂屋敷の遊廓仙台駅前(西口)周辺に非合法ながら大規模に発生した闇市屋台の街、そして明治維新後に国分町に取って代わって繁華街となった東一番丁(現・一番町)の諸所にあった焼き鳥屋(ニワトリに限らずブタウシ正肉臓物も材料にした)など様々存在した。

このような中で東一番丁(現・一番町)の焼き鳥屋(主に夜に客が多い居酒屋)の主人・佐野啓四郎山形県出身)がその料理人人生から得た知識・技術を用い、当時の日本人の味覚に合う牛の舌部を用いた「牛タン焼き」および同尾部を用いた「テールスープ」を開発。さらに当時の日本人の食生活に合わせて定食屋(主に昼に客が多い)の一汁三菜型をならい、それらを含んだ「牛タン定食」を完成させた。進駐軍は解体された牛肉の正肉ばかり輸入していたため臓物の牛タンの供給元としては望めず、周辺県の屠畜場にまで牛タン等を求めた。

「牛タン定食」は、当時の食糧難(農地改革戦後開拓をしてもコメ不足)を反映した「麦飯」[注釈 1][注釈 2][2][3][4]、電気冷蔵庫[注釈 3]が普及する前の時代(「三種の神器」参照)に望むべくもない生鮮野菜に代わる「野菜の浅漬け」、同主人の出身地である山形県の伝統料理「味噌南蛮」、エネルギー革命前で都市ガスが一般化していなかった当時の燃料事情[注釈 4]を反映した炭火による牛タン焼き、そしてテールスープが構成要素となる。

「牛タン定食」は、同主人が1948年昭和23年)に移転・開業した仙台市都心部の「太助」において、1950年(昭和25年)に初めてメニューとして成立した。同主人は「太助」開業前から自身の店舗で牛タン料理を出しているため発祥年は不明だが、便宜的にこれらのどちらかの年号を用いて「仙台牛タン」の発祥年とする例が見られる。

因みに1950年(昭和25年)は、炉端焼きの発祥店「炉ばた」が同じ仙台市で開業した年である。炉端焼きも当時の食糧・エネルギー事情がその成立背景にある(当時は、外食券が必要な外食券食堂、あるいは、必要ない雑炊食堂でないと法的に外食を提供出来なかったが、両者がそのような食堂であったかどうかは不明)。

牛タン料理は後に「仙台名物」とまで称されるが、そこに至るまでは紆余曲折がある(「#歴史」参照)。また、1978年(昭和53年)に登録されたブランド牛肉仙台牛」(肉質等級が最高の「5」に格付けされないと呼称が許されないという、日本で最も基準が高い超高級ブランド牛肉[5])とは全く無関係に発展しているが、マスメディアも含めて混同も多い。当地の牛タン料理は、専門店であっても安価な米国産あるいは豪州産を使用しているが、仙台牛を用いた高級メニューが一部の牛タン専門店には存在する。

メニュー[編集]

牛タン焼き[編集]

仙台の牛タン料理専門店の牛タンは、スーパーや一般的な焼肉屋と比べると総じて厚切りであり、注文を受けると焼き台(炭火ほか)で片面ずつ、何度か返しながら加熱され、皿に並べて客に供される。

下処理では牛タンの皮の部分を削ぎ落し、やや厚めにスライスして、そのスライスした両面に浅く切り込みを入れてからコショウなどで下味を付ける。味付けは「塩」のほか「タレ(醤油タレ)」「味噌」も定番になっている。これを冷蔵庫で数日間取り置いて味を馴染ませてから用いる。

なお、牛の舌の付け根付近は、生育法によっては霜降り状になるので、その部分を「芯タン」・「トロタン」などと呼び、一般の牛タンとは別メニューで供する店もある。

牛タン定食・牛タン丼[編集]

ある牛タン専門店の牛タン定食の例。写真の中下に牛タン焼き、中に浅漬けとみそ南蛮、左上に麦飯、中上に卵入りのとろろ、右上にテールスープが並ぶ。

仙台の牛タン料理専門店では、以下のようなセットメニューを「牛タン定食」「牛タン焼き定食」と呼ぶことが一般的である。

牛タン定食
構成要素 説明 メニュー成立当時の事情
牛タン焼き 塩味・タレ(醤油)味・味噌味ほか エネルギー革命前のため炭火焼
麦飯 白米に少量の麦を入れて炊いたもの コメ不足[注釈 1]
脚気対策[注釈 2]
テールスープ 牛の尾部を塩味で茹で、刻み葱を入れたもの。 不明
みそ南蛮 唐辛子味噌漬け 佐野の出身地・山形県の伝統料理
浅漬け 複数の野菜(白菜・キャベツ・胡瓜など)が入る。 電気冷蔵庫[注釈 3]の普及前

なお正調では、みそ南蛮には山形産唐辛子を用いるともされる。サイドメニューとして、麦飯にかけるとろろ麦とろご飯)が用意されている店も見られる。

牛タン焼き等を載せたどんぶりめし(麦飯とは限らない)を「牛タン丼」として供する店もある。この場合、「牛タン定食」の全ての要素がセットされているとは限らない。

牛タン弁当[編集]

駅弁としても販売されている。「牛タン丼」のようにごはんの上に牛タン焼きが載せられている場合と、別々に分けられている場合とがある。

加熱式と非加熱式がある。加熱式の場合は、二重容器の底部に発熱剤が入っていて、紐を引くと弁当が加熱される。

その他[編集]

牛タン焼き以外のメニューとして、加熱した牛タンを用いるタンシチュー、牛タンカレーつくね、客が自分で加熱する牛タンしゃぶしゃぶ、さらに生のままの牛タンを用いたタン刺しや牛タン寿司などを取り揃える店もある(しゃぶしゃぶや生食メニューなどでは、仙台牛仙台黒毛和牛を用いる例も見られる)。ひつまぶしのように、牛タン焼きが載せられた御櫃から取り分けて、温泉卵をまぶしたり、だし汁等を加えたりするメニューもある。

お土産物用として牛タン焼きのほか、牛タンの燻製佃煮等がある。

歴史[編集]

第二次世界大戦後、仙台にもGHQが進駐した。その際、大量に牛肉を消費する駐留米軍が残したタンとテールを有効に活用するために、1948年(昭和23年)、仙台の焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎が、牛タン焼きの専門店を開業したことが 「仙台牛タン」 の始まりである。佐野は、1930年代に師事していたフランス人シェフより牛タンの旨さを説かれ、自ら研究を重ねていた[6]ことから、タンシチューから着想して、タンを薄い切り身にして塩焼きするという調理法を考案した(米軍の残り物説について仙台牛たん振興会は全面否定しているが、佐野はむしろ公式見解として認めており、自信のある元祖とイメージダウンを嫌う新規参入業者との間で見解の相違が生じている)。

仙台の牛タン専門店の推移[7]

佐野の牛タン焼きの発明から長らくは、牛タン料理はそれほど市民に人気があるわけではなかった。もともとが外食から生まれた料理であり、家庭で食べられることは殆どない。むしろ珍味の扱いで、一部の愛好者や酔客が「締め」に食べる程度だった。やがて高度経済成長期になって、他都市から仙台への転勤族や単身赴任者(仙チョン族)が増えると、昼食時や夜の街で仙台牛タン焼きの味を知り、仙台赴任からとりわけ東京に戻ったサラリーマンの間で仙台牛タン焼きは評判になった。また、牛タンの高蛋白質の割に脂肪が少ないことがマスメディア等で紹介され、ヘルシー志向の人たちのみならず国民全体に牛タンが受け入れられていった。このような流れに乗って仙台牛タン焼きも有名になっていった。

仙台牛タン焼きは、旅行の一般化によって観光客たちの食べるところとなり、また、外食の一般化によって仙台市民も食べるところとなったが、最大の転機は、1980年代半ばに広まった米国産牛タンやそのムキタンの利用である。以前は老舗タン焼き店の利用していた豪州産の骨付き皮付き牛タン(Short cut tongue)が主流であったが、霜降りかつ歩留まりがよい米国産の骨なしタン(Swiss cut tongue)や既に皮を剥いてカットするだけのムキタン(Peeled tongue)が主流になり、これ以後暖簾分けや新規参入がし易くなったため牛タン焼き店が増えた。また、同時期に仙台駅内のお土産販売や新幹線車内での販売が始まった事から一気に仙台名産となった。

ところで、誕生の経緯からも、庶民の味として安価に供するためにも、仙台牛タン焼きは、脂肪の付き具合いが良い米国産でなくてはならないという考え方がある。実際、材料の牛タンは、その殆どが輸入品である。しかし、農畜産物・水産物の地元での生産と消費(地産地消)を目指している宮城県で、輸入物の牛タンを名物と称するには疑問の声もある。そういう指摘もあってか、地元の高級和牛牛肉である仙台牛を使った牛タン焼きの店も出てきた。一方、頑なに伝統を守ってアメリカ産牛肉を使っている店の中には、「仙台名物」 という代わりに、料理法および食べ方が仙台での発祥なのだとして「仙台発祥」と表現している店もある。しかし、牛タンの原料供給の9割を米国からの輸入に頼っていたため、2004年、大手牛丼チェーンと同様、牛海綿状脳症(BSE)発生によるアメリカ産牛肉輸入停止の影響を大いに受けてしまった。アメリカ産に替えてオーストラリア産牛肉にシフトする店もあるが、頑なにアメリカ産に拘った店は、在庫不足に陥って、牛タン料理の提供を取り止めている店舗が生じている。中には支店を撤退させたり、廃業した業者もある。

輸入再開運動[編集]

米国産牛肉の輸入が停止して以降、焼肉店(チェーン)や輸入商社、精肉卸業者、加工業者など業界でつくる団体、米国産牛肉全面的早期輸入再開を求める会が輸入再開を求めて署名運動するなどの動きがあり、それに協調して仙台市内の牛タン専門店でつくる団体仙台牛たん振興会も、米国産牛肉の輸入再開を求めて署名運動を行った。その団体の見解としては、「米国産が禁輸になって以降、他国産(豪州産など)の価格が高騰している」、「仙台牛タンは脂肪の付き具合で米国産でなくてはならない」、「牛タンは危険部位ではない」というのがその理由とする。

年表[編集]

牛タンを題材にした作品[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ a b 麦飯を含んだ「牛タン定食」が成立した1950年(昭和25年)は、朝鮮戦争の勃発(穀類兵站として需要急増)もあり、闇米(「米#日本」参照)の価格が2倍になったとも言われ、米価が高騰していた(「米価の変遷」等参照)。それは、同年12月7日国会における池田勇人蔵相(当時)の発言が「貧乏人は麦を食え」と伝えられると、高い米価に苦しんでいた国民の反発を買う舌禍事件になるほどだった。1951年(昭和26年)以降の「実質米価」は、2010年(平成22年)を基準にして比べると概ね2倍以上だったとされる。しかし「実質米価」は、1980年(昭和55年)頃を境に大きく低下し、現在のようになったという。
  2. ^ a b 結核と並んで「二大国民病」と呼ばれた脚気も関係する(「日本の脚気史」参照)。大正期より、都市部を中心に白米主食とする食生活(副食が不充分)が広まると、脚気を患って死亡する者が増加した。同疾患の原因は、麦飯には含まれるビタミンB1オリザニン)が、白米食(副食が不充分)により欠乏するためと判明し、帝国陸軍などは白米食を止め、同栄養素が含まれる麦飯食に戻した。しかし、アリナミンとその類似品が社会に浸透する1950年代後半まで、脚気による死亡者は1000人/年を超えていた。なお日本国民は、食事から得られるエネルギーにおいて穀類(主食)が占める比率が7割以上を占めていた1970年以前と比べ、現在のそれは4割程度まで低下しており、脚気防止のためのビタミンB1摂取は主食からではなく副食からが主流となっている。そのため、(偏食をしなければ)わざわざ主食を麦飯にする必要性は、医学的にも栄養学的にも無い。因みに、栄養学的見地から様々な議論が続いていた白米は、1976年(昭和51年)より学校給食に導入開始された(「日本の学校給食」参照)。
  3. ^ a b 配達されるを用いた「冷蔵箱」は当時広く存在していたが、その庫内の冷却能力は「10 - 15℃」がせいぜいだった。1950年施行のJAS法によって、冷蔵の定義は10℃以下と規定された。「冷蔵箱」に替わって全国に普及した「電気冷蔵庫」の庫内は「2 - 6℃」であり、JAS法を満たす性能を持った。
  4. ^ 当時の仙台では、調理用のエネルギーとして亜炭仙台亜炭)・木炭等を使用していた
  5. ^ 仙台市道青葉1664号・国分町2号線 (延長545.4m、最小幅員4.64m、最大幅員11.35m)
  6. ^ かき徳の現在の住所は、仙台市青葉区一番町4丁目9-1。

出典[編集]

  1. ^ Calories in Beef Tongue: Cooked, Simmered”. Nutation and Health Facts. 2013年3月27日閲覧。
  2. ^ 米の小売価格の変遷(戦後昭和史)
  3. ^ 2014.11.04 米価は歴史的な低水準農業協同組合新聞「コラム:正義派の農政論」)
  4. ^ 調理と地域性農林水産省
  5. ^ 銘柄牛肉検索システム財団法人日本食肉消費総合センター
  6. ^ あのメニューが生まれた店 P.84
  7. ^ 「仙台牛たん振興会」調べ。10年毎の概数をプロットしたが、2000年以降は5年毎。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l 仙台はじめて物語(逸見英夫 著。創童舎、1995年8月15日 発行) pp.34-43
  9. ^ a b 「『仙台市史』 通史編8 現代1」16頁~19頁
  10. ^ 仙台市土地区画整理事業年表 (PDF) (仙台市)
  11. ^ むかしむかしのイナトラは?(虎屋横丁・稲荷小路親交会)
  12. ^ a b 宮城風土記 (2)(朝日新聞仙台支局 編。宝文堂、1985年4月1日 発行) pp.6-7
  13. ^ a b c 【肉道場入門!】仙台牛タン誕生の物語 米兵が持ち込んだ牛肉文化を「名物」に昇華させた商売人(zakzak by 夕刊フジ 2017年6月27日)
  14. ^ 宮城風土記 (2)(朝日新聞仙台支局 編。宝文堂、1985年4月1日 発行) p.66
  15. ^ 「『仙台市史』 通史編8 現代1」137頁~139頁
  16. ^ 喜助とは(味の牛たん喜助)
  17. ^ a b c d e 日米通商交渉の歴史(概要) (PDF) (外務省 2012年3月)
  18. ^ 仙台牛(日本食肉消費総合センター)
  19. ^ 仙台牛銘柄推進協議会とは(仙台牛銘柄推進協議会)
  20. ^ こばやしのあゆみ(株式会社こばやし)
  21. ^ a b 出願番号:特開平07-227200
  22. ^ 出願番号:特開平09-154537
  23. ^ 道路の愛称(仙台市)
  24. ^ 【LOVE LOVE あいしてる:トーク】 ゲストとのLOVE LOVEなトーク #054 HomePageだけの特別編集版 広末涼子編

参考文献[編集]

関連項目[編集]