杏仁豆腐

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杏仁豆腐
Anninndofu-1-.jpg
杏仁豆腐
各種表記
繁体字 杏仁豆腐
簡体字 杏仁豆腐
拼音 xìngrén dòufǔ
発音: アンニンドウフ
広東語発音: hang6 jan4 dau6 fu6
日本語慣用読み きょうにんどうふ
英文 Annin Tofu
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杏仁豆腐(きょうにんどうふ、あんにんどうふ)は、中国発祥のデザート。またの名を「杏仁羹」(キョウニンカン)ともいい、「あんにんどうふ」(唐音)の呼び方が最も一般的である。

概要[編集]

薬膳料理の一種で、喘息乾性咳嗽治療薬であるアンズ類の種の中の「仁(じん)」杏仁 (きょうにん)を粉末にしたもの(杏仁霜)を、苦味を消すために甘くして服用しやすくした料理である。杏仁には薬品用の苦みの強い苦杏仁と食品用の苦みの弱い甜杏仁があり、杏仁豆腐に使用されるのは後者である。

杏仁を細かく砕き、さらにすりつぶして搾り取った白い汁を寒天で冷やし固めてから、菱形に切り、甘いシロップに浮かせて作るとあるほか、杏仁霜(杏仁の粉末)やミルク・アーモンドエッセンスなどで白い色や香りをつけた簡便な作り方の方がより一般には多く広まり、果物を混ぜ込んでフルーツポンチ風に華やかにしたものも多く、日本人になじみ深い。

中国の歴史[編集]

杏仁豆腐の歴史は、中国・三国時代(220~280年)まで遡れるとされており、当時、董奉(とうほう)という医師がいた。華陀、張仲景と共に「建安三神医(後漢の建安に活躍した3人の名医)」と称されている。

董奉は、廬山(中国南方の江西省九江市南部にある名山)で、毎日多くの病人を治療したが、治療費は受け取らず、「もし治ったら、杏子の木を植えてください」と言った。重病患者が治ると杏子の樹を5株、病状が軽い人の場合は1株植えてもらった。数年が過ぎると、一面は盛大な杏の林となっていた。そして、いつのまにか杏の木は数十万本にもなったとのこと。董奉は、「もし杏がほしい人がいたら、私にことわる必要はありません。一缶分の穀物を私の倉庫に置いていけば、同じ量の杏をもっていって結構です」という看板を杏の林に設置。そして、得た穀物をすべて貧しい人や旅人に提供した。時にわざと穀物を少なくし、杏を多く持って帰る者もいる。そのときは杏林の虎が追いかける。また、杏を盗む者は虎に噛み殺されてしまう。盗人の家族が董奉に詫びをいれると、董奉は盗人を生き返らせるのだ[1]

この伝説から「杏林」が道徳の高尚な医者の代名詞となったが、実は、杏仁豆腐も「董奉の杏林の杏種で生み出した」と言われている。杏の種は「杏仁(キョウニン)」と呼ばれ、『肺と腸を潤す働きがある』とされていた。咳止めや喘息、便秘に良い民間薬として今も用いられている。しかし、「杏仁(キョウニン)」を服用するにはひとつ問題があった。杏仁は苦味が強く、なかなか人々の口に合わなかった。そこで、粉末状にした杏仁に甘味や牛乳を加えて食べやすく加工した。それが「杏仁豆腐」のはじまり。薬膳デザートとしてその美味しさは全国的に広まり、宮廷にも伝わった。そして、清代には宮廷料理の最高峰「満漢全席」のデザートとして、皇帝や妃たちに供されるまでになった[2]

日本の歴史[編集]

戦国時代、多くのポルトガル人が宣教師として日本に渡ってきた際、布教活動に先立って自分たちが日本語を習得することが先決であると考え、「日葡辞書」という日本語・ポルトガル語の辞書を作った。その辞書で「杏仁」を引いてみると「Annnin」(アンニン)と「Qionin」(キョウニン)の2つの発音が認められる。ところが「Annnin」と「Qionin」は微妙に意味が異なっており、「Annnin」はアンズの核の中の仁(ジン)を指すが、「Qionin」はアンズの核の髄から作られる薬の一種としている。つまり、「Annnin」はアンズの実の中にある植物組織の一部をいうが、「Qionin」は薬用としての材料の名前をいう[3]

そもそも「杏仁」が日本の歴史上にその名を見せるのは室町時代から、貞治六年(1367年)に眼阿という僧侶が書いた「新札往来」上巻には「杏仁」が茶請けとして使われるのが当時の流儀と書かれている[4]

室町時代の半ばに書かれた「大草殿より相伝之聞書」には炒った「杏仁」は香辛料の一種として用いられていたとともに、食用としての「杏仁」は「アンニン」と言っていたことが分かる。室町時代の終わりごろ、山科言継という人によって書かれた「時継卿記」の永禄十二年(一五六九年)正月一日の条によれば、「杏仁」が咳止めの薬として使われていたと書かれている[5]

近代では、1921年の新聞紙上にて杏仁豆腐の枝豆和えの作り方が紹介されており[6]、大正時代には日本で杏仁豆腐が認知されていたことがうかがえる。また、1971年の新聞紙上では杏仁豆腐の作り方が紹介されており[7]、1970年代(昭和40年代)にはデザートとしての杏仁豆腐が日本に浸透していたことが分かる。

従来日本では「杏仁豆腐」といえば固めに作りひし形に切りフルーツと共にシロップに浮かべたフルーツポンチかみつまめに近いものが多かったが、2000年代以降、本格的な中華菓子の普及に伴って柔らかめに作ったプリン状のものも多く見られるようになった。

日本における杏仁豆腐の製品[編集]

森永乳業[編集]

1998年または1999年から発売開始。2000年まではカップ容器のソース入り(桃、みかん、パインアップル)杏仁豆腐を発売していた。その後2004年からはミルクリッチなカップ入り杏仁豆腐(ソース無しのタイプ)「濃いリッチ杏仁豆腐」を他社に先駆けて発売した。3連タイプの「コクと香りのとろける杏仁豆腐」は2007年から発売されている[8]。           

雪印メグミルク[編集]

2006年3月21日から発売開始。亜細亜デザートの市場拡大時期に合わせて、2006年にLL大口径デザートとして杏仁豆腐を発売したのがスタートである[9]

中国と日本の共通点[編集]

杏仁豆腐に使われている「杏仁」は日本でも中国でも食用としてだけではなく、薬としての効能も見出されていた。

中国と日本の相違点[編集]

中国の杏仁豆腐[編集]

「杏仁」を細かく砕き、さらにすりつぶして搾り取った白い汁を寒天で冷やし固めてから、菱形に切り、甘いシロップに浮かせて作るほか、杏仁霜(杏仁の粉末)やミルク・アーモンドエッセンスなどで白い色や香りをつけた簡便な作り方である。

日本の杏仁豆腐[編集]

果物を混ぜ込んでフルーツポンチ風に華やかにしたものが多い。

例えば、餃子の王将では杏仁豆腐に添えられる果物も地域によって異なるが、北陸・東海・関西・四国・中国・九州では上記のフルーツポンチ風である。 付け加えると果物はなんでも良いが、カクテルフルーツの大きい缶詰を使うと、簡単で取り合わせが綺麗になる。汁をたっぷり欲しいときは、砂糖で作ったシロップを冷たくして加える。アーモンドエッセンスは大人には好まれるが、子どもにはバニラエッセンスの方がなじめる。

ちなみに他の地域(北海道・東北・関東・信越)では、プリン状の杏仁豆腐が主流である。

原材料[編集]

中国の一般的な杏仁豆腐[編集]

杏仁、ゼラチン

日本の一般的な杏仁豆腐[編集]

砂糖、乳製品、植物油脂、粉あめ、ゼラチン、杏仁霜、糊料(増粘多糖類)、香料、乳化剤、メタリン酸Na

参考文献[編集]

  • 王者悦(主編)難波恒雄(監訳) 1997 『中国食文化事典』 エム・イー・ケイ
  • 久保田陽子 江上佳奈美(監修) 2001 『世界のおかし』 文小峰書店
  • 勝木言一郎 2000『アジア遊学』 勉誠出版
  • 嶋 典雄・孫 成順市川友茂 2009『よくわかる点心と中国スイーツ』 柴田書店
  • 劉向・葛洪、沢田瑞穂(訳) 1993『神仙伝』巻六「董奉」 平凡社ライブラリー 

脚注[編集]

  1. ^ 葛洪、1993、214‐219ページ
  2. ^ 杏仁豆腐のルーツは、三国志時代の名医にあった! | 【公式】グリコ (2017年6月12日閲覧)
  3. ^ 勝木、2000、80-81ページ
  4. ^ 勝木、2000、81-82ページ
  5. ^ 勝木、2000、82-83ページ
  6. ^ 「杏仁豆腐の枝豆和へ」『東京朝日新聞』(1921年8月30日付)
  7. ^ 「中国のお菓子二題」『朝日新聞』(1971年1月14日付)
  8. ^ 森永乳業へのメールでの問い合わせによる(2017年6月29日)
  9. ^ 雪印メグミルクへのメールでの問い合わせによる(2017年6月27日)

関連項目[編集]