コンテンツにスキップ

麒麟麦酒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キリンビールから転送)
麒麟麦酒株式会社
Kirin Brewery Company, Limited
麒麟麦酒株式会社本社
種類 株式会社
略称 キリン、麒麟
本社所在地 日本の旗 日本
164-0001
東京都中野区中野四丁目10番2号 中野セントラルパークサウス
設立
  • 1998年(平成10年)3月2日
  • (キリンホールディングス株式会社)
業種 食料品
法人番号 1010001098858
事業内容 ビール等酒類の製造
代表者 堀口英樹代表取締役社長
資本金 300億円
売上高
  • 6626億9200万円
(2024年12月期)[1]
営業利益
  • 248億4500万円
(2024年12月期)[1]
経常利益
  • 275億9600万円
(2024年12月期)[1]
純利益
  • 183億9600万円
(2024年12月期)[1]
純資産
  • 665億5100万円
(2024年12月期)[1]
総資産
  • 3992億7400万円
(2024年12月期)[1]
従業員数 3585名(2022年12月31日現在)
決算期 12月31日
主要株主 キリンホールディングス 100%
主要子会社 キリンビールマーケティング 100%
関係する人物
外部リンク https://www.kirin.co.jp/
特記事項:2007年7月1日、初代麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)の日本事業を承継。それに伴い、商号を2代目麒麟麦酒に変更。
テンプレートを表示

麒麟麦酒株式会社(きりんビール、: Kirin Brewery Company, Limited)は東京都中野区中野に本社を置く、日本の大手ビールメーカー。キリンホールディングスの連結子会社でもある。一般的な社名表記として、片仮名キリンビール株式会社も用いられる[2]三菱グループに属する。

概要

[編集]

参照:[3][4]

1870年(明治3年)、ノルウェーアメリカ人ウィリアム・コープランドが、日本初となる大衆向けにビール醸造販売会社の「スプリング・バレー・ブルワリー: SPRING VALLEY BREWERY)」を創業。同社は現在のキリンホールディングスと麒麟麦酒の起源であり、日本のビール事業の草分け的企業ともなった。しかしその後、スプリング・バレーが経営難に陥ってしまい、1885年(明治18年)7月21日には三菱財閥2代目総帥の岩崎弥之助や三井物産会社初代社長の益田孝、投資家の渋沢栄一らの出資により、「ジャパン・ブルワリー・カンパニー: The Japan Brewery Company)が発足しスプリング・バレーの事業を引き継いだ。そして、ジャパン・ブルワリー・カンパニーのジェームズ・ドッズ会長の引退決意と大日本麦酒による買収が話題となり、それに反発した明治屋2代目社長の米井源次郎は1907年(明治40年)、三菱財閥3代目総帥の岩崎久弥の援助を受け、麒麟麦酒を創設のうえでジャパン・ブルワリー・カンパニーの全事業を引き継いだ。

第二次世界大戦後は徐々に生産量を増やし、1954年(昭和29年)には年間庫出量でトップシェアを獲得し、国内ビール企業の地位を確固たるものにする。アサヒビールの「アサヒスーパードライ」の台頭までは、継続的に首位を守った。2009年(平成21年)はアサヒビールがビール類(ビール発泡酒第三のビール)「販売数量」首位となっており、新商品の投入合戦で熾烈なシェア争奪戦を繰り広げているが、発泡酒と第三のビールでは、キリンがトップシェアを獲得していることもあって、2009年(平成21年)のビール類「出荷量」市場シェアは、キリンビールが37.7%とアサヒビールの37.5%をわずかながらも抑え9年ぶりに首位に返り咲いた[5]

ビールの商品構成は多品種で品揃えは業界一、2010年(平成22年)2月時点で定番ビール11銘柄(ライセンス品含む)を製造・発売している。

1998年(平成10年)3月2日、初代麒麟麦酒の純粋持株会社移行に先立ち、会社分割の準備会社として、(旧)キリンホールディングス株式会社を設立。会社分割の準備と並行してキリングループの共通業務を担当した。

2007年(平成19年)7月1日、初代麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)の純粋持株会社移行に伴い、同社のビールなどアルコール飲料事業を吸収分割で承継。同時に、商号をキリンホールディングスから、2代目麒麟麦酒株式会社に変更した。

2012年(平成24年)1月1日、さらなるグループ再編の一環として「製販分離」を実施。本社営業部門を、キリンビールマーケティングとして新設分割。

2013年(平成25年)1月1日、グループ会社のキリンビバレッジメルシャンとともに、中間持株会社のキリン(キリングループオフィスから改称)の直接子会社となる。なお、2019年(令和元年)7月1日には、中間持株会社のキリンがキリンHDに合併されたことに伴い、再びキリンHDの直接子会社となった[6]

沿革

[編集]

参照:[7][8][3][4]

創立前

[編集]
  • 1870年(明治3年)
    • スプリングバレー・ブルワリー(: SPRING VALLEY BREWERY)を開設(上記)。
  • 1885年(明治18年)
    • 5月:新会社の設立準備委員会を開催。
    • 7月21日:新会社の「設立趣意書」を審議・採択(翌日発行)。それにより、英国統治下の香港法人のジャパン・ブルワリー・カンパニー: The Japan Brewery Company)が発足、。また、設立趣意書には新会社の土地・事務所、株式公募のことなどが記載されていた。
  • 麒麟のマーク
    1888年(明治21年)
  • 1889年(明治22年)
    • 1月15日:トーマス・グラバーの提案により、「キリンビール」ラベル図柄を変更。「麒麟」が大きく描かれた、現在に至るまで親しまれているデザインとなった。

初代麒麟麦酒

[編集]
  • 1907年(明治40年)
    • 2月:三菱財閥の資本を受け、麒麟麦酒株式会社を創立[9]。The Japan Brewery Companyの事業を譲受け。
  • 1918年(大正7年)
    • 4月:神崎工場完成(後の尼崎工場→1996年閉鎖)。
  • 1919年(大正8年)
    • 2月:「キリン黒ビール」発売(1998年製造終了)。
  • 1923年(大正12年)
    • 5月:東洋醸造を合併のうえで仙台工場を開設。
    • 9月:関東大震災。横浜山手工場が倒壊。
  • キリンレモンのブランドロゴ
    1928年(昭和3年)
  • 1932年(昭和7年)
    • 12月:「キリンスタウト」を発売(2008年製造終了)。
  • 1941年(昭和16年)
    • 8月:横浜の物流部門の原酉運送店を、原酉事業者運輸(現・キリングループロジスティクス)に改組。
    • 10月:関連会社の麟鳳商会(現・キリンエコー)を設立。
  • 1943年(昭和18年)
    • 3月:第二次世界大戦下、ビール事業が政府統制下におかれ「ビール」の商標廃止。メーカー各社のラベルは、「麦酒(家庭用・業務用)」に統一される[10]
    • 11月:麒麟科学研究所(現・キリンホールディングス株式会社キリン中央研究所等)を開設。
  • 1949年(昭和24年)
    • 酒類の自由販売が解禁。
    • 12月:「キリンビール」の商標復活、販売開始。
  • 1954年(昭和29年)
    • 6月:「キリンジュース」を発売(1970年、「キリンオレンジエード」にリブランド)。
  • 1963年(昭和38年)
    • 4月:自販機(清涼飲料販売)事業子会社の自動販売サービス(後のキリンレモン)を設立。
  • 静岡県御殿場市の富士御殿場蒸溜所正門前
    1972年(昭和47年)
  • 1973年(昭和48年)
  • 1976年(昭和51年)
    • 6月:大手農場運営の小岩井農牧と合弁で、乳業メーカーの小岩井乳業を設立。
    • 6月:オーストラリア法人として、K.B.B. Malting Co. Pty Ltd(後のKirin Australia Pty Ltd)を設立。
    • 9月:食品メーカーの長野トマト(現・ナガノトマト)と業務提携、「キリントマトジュース」発売。
  • 1979年(昭和54年)
  • 1986年(昭和61年)
  • 1988年(昭和63年)
    • 2月:大手広告代理店の旭通信社(現・アサツーディ・ケイ)と合弁で、キリンアンドコミュニケーションズを設立。
    • 2月:ドライビール「キリン生ビールドライ」と、麦芽100%ビール「キリンファインモルト」をそれぞれ発売
    • 3月:エンジニアリング事業部門を、キリンエンジニアリングに新設分割。
    • 5月10日:大手総合システムインテグレーターのエヌ・ティ・ティ・データ(現・NTTデータグループ)と合弁で、キリンビジネスシステムを設立。
  • 1989年(平成元年)
    • 「キリンビール」を「キリンラガービール」にリブランド。
    • 「キリン生ビール」が大幅に改良され、「キリンファインドラフト」にリブランド。
    • 麦芽100%のオールモルトドライビール「キリンモルトドライ〈生〉」、生ビール「キリンファインピルスナー〈生〉」を発売。
  • 1990年(平成2年)
    • 1月11日:エンジニアリング部門と検査システム開発部門を、キリンテクノシステム(現・オムロンキリンテクノシステム)に新設分割。
    • 3月:一番搾り麦汁を使用した「キリン一番搾り生ビール」発売。また、「キリンファインドラフト」が「キリンドラフト」に改名。
    • 4月:腎性貧血治療剤「エスポー」(EPO製剤)を発売。
  • 1991年(平成3年)
    • 松任谷由実の「DAWN PURPLE TOUR 1991-1992」に協賛。以降10年間に渡り、松任谷のコンサートツアーに協賛。
    • 1月:清涼飲料水部門を、連結子会社のキリンビバレッジ(旧商号のキリンレモンから変更)に吸収分割。
    • 1月:台湾法人として、台湾麒麟企画有限公司(現・台灣協和麒麟股份有限公司)を設立。
    • 2月:一番搾り麦汁を使用した熱処理ビール「キリンプレミアムビール」発売。
    • 9月:秋季限定の熱処理ビール「キリン秋味」を発売。
    • 10月:ドイツ法人として、Kirin Europe GmbHを設立。
    • 12月:好中球減少症治療剤「グラン」(G-CSF製剤)を発売。
  • 1993年(平成5年)
    • 8月:中国法人として、麒麟(中国)医薬有限公司(現・協和麒麟香港有限公司)を設立。
    • 9月:米国の大手ビールメーカーのAnheuser-Busch Companies, Inc.とライセンス契約、「バドワイザー」の生産販売を開始(2018年、製造販売を終了[12][13])。
  • 1996年(平成8年)
    • キリンラガービールが熱処理方式から熱処理しない「生ビール」に品質変更し、アルコール度数を4.5%から5%に引き上げた(ただし業務用の「キリンラガー樽詰」は1995年に一般向けに先行して生ビール化している)。味も従来より爽快感を高め、軽めに変更。しかし、ラガーは重さが特徴だったため、これまでのラガーユーザーは次々と離れてしまった。また、実質的な後継商品であるキリン一番搾り生ビールのヒット後も並行販売していた「キリンドラフト(旧キリン生ビール)」が販売終了となった。
  • 1998年(平成10年)
    • キリンラガービールが、生ビール化してからは初めての味の変更を行う。コクと苦味を高め、ラガーらしさを持ち直した。
    • キリン初の発泡酒「麒麟淡麗〈生〉」発売。この年の大ヒット商品となる。
    • キリングループ3社、サッカー日本代表のオフィシャルスポンサー単独契約。
  • 2000年(平成12年)
    • パッケージデザインに山本容子田中秀幸326を起用した数量限定ビール「キリン21世紀ビール」を発売。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月:「キリンクラシックラガー」を発売。ラガービール本来の熱処理方式であるオリジナルのキリンラガービールが5年ぶりに復活。当初は瓶ビールのみ。
    • 7月:缶チューハイ「氷結果汁」(のちの「氷結」)を発売。
  • 2002年(平成14年)
    • 2月:発泡酒「キリン 極生」を発売(翌年には黒色発泡酒「キリン 生黒」を発売)。
    • 4月:発泡酒「淡麗グリーンラベル」を発売。ライバルのサントリーダイエット生」とともに糖質オフ発泡酒の先駆け。
  • 2004年(平成16年)
    • 11月:「とれたてホップ一番搾り」を発売。
    • 12月:中国上海市に麒麟(中国)投資有限公司を設立。
  • 2005年(平成17年)
    • 4月:ビール風味のアルコール飲料「キリン のどごし〈生〉」を発売。
    • 9月:キリンブランド初の国産ウイスキー「キリンウイスキー 富士山麓」を発売。
  • 2006年(平成18年)
    • 7月12日:出荷統計量の発表で、キリンがビール関連飲料で一位に返り咲き。
    • 10月1日:
      • 大手乳酸菌飲料メーカーのヤクルト本社と、健康・機能性食品事業で業務提携。麒麟麦酒とヤクルト本社は合弁で、キリン ヤクルト ネクストステージを設立[14]
      • 略式株式交換で、キリンビバレッジを完全子会社化[15]
    • 12月26日 - 大手ワインメーカーのメルシャンの友好的TOBが成立、同社株式50.1%を取得[16]
  • 2007年(平成19年)
    • 3月:創業100周年。「キリン・ザ・ゴールド」の発売を皮切りに、ビール系の新商品を大量投入。また、「クラシックラガー」以来となる熱処理ビールの新商品を2点投入。発売されたビール・発泡酒・新ジャンル(すべて限定品は除く)は次の通り。
      • グランドエール(チルドビール、無濾過)
      • キリン・ザ・ゴールド(麦芽100%、熱処理ビール)
      • ニッポンプレミアム(麦芽100%、熱処理ビール)
      • 一番搾りスタウト(麦芽100%、生ビール)
      • 円熟黒(発泡酒)
      • 良質素材(新ジャンル、リキュール類)
      • スパークリングホップ(新ジャンル、リキュール類)
    • 2月14日:「ハイネケン」を缶ビールに限り、国内生産開始[17]
    • 4月3日 - 三菱グループ内の食肉関連事業の再編として、グループ会社・米久の全株式を5月1日より順次三菱商事へ譲渡することを発表。

2代目・麒麟麦酒

[編集]
  • 2007年(平成19年)
    • 7月1日:純粋持株会社に移行に伴い、キリンホールディングスの国内綜合酒類を吸収分割で承継(上記)。
    • 8月29日:缶カクテル「キリンカクテル スパークル」を発売。
    • 10月17日:新ジャンル「スパークリングホップ」を発売。同時に、新ジャンルとしては業界初となる瓶容器を使用。
  • 2008年(平成20年)
    • 2月20日:健康志向の発泡酒「麒麟ZERO」を発売。
    • 4月2日:メルシャンブランドのRTD全商品(「本搾り」「ギュギュっと搾った。」)を、キリンブランドに統合。
    • 4月9日 - メルシャンブランドの一部焼酎(「白水」の一部、「火唐」・「火の麦」全商品)を、キリンブランドに統合。
    • 6月24日:環境省の「エコファースト制度」に認定。
  • 2009年(平成21年)
  • 2010年(平成22年)
    • 1月15日:2009年度のビール類出荷量(課税ベース)で、キリンビールが2000年以来9年ぶりの首位と発表された[5][18]。ただし、販売数量ではアサヒビールが首位であり、統計で順位が異なるという初の「珍現象」が発生[5][18]
    • 2月中旬:キリンラガービールが、生ビール化してからは2度目の味の変更を行う。よりホップを利かせ、苦味と飲み応えを高めた。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日:東日本大震災により、宮城県仙台市宮城野区のキリンビール仙台工場が被災。屋外のビールタンク15基の内4基が倒壊するも、醸造設備など全体的に壊滅的な被害は免れたと発表。また、茨城県取手市のキリンビール取手工場でも震災の影響で建物の一部損壊が確認された。
    • 3月:「まっこい梅酒」を発売。
  • 2013年(平成25年)
    • 4月 - キリングループ各社の本社機能を、東京都中野区中野の再開発地域「中野四季の都市」に移転(5月までに登記上の本店も中野に移転)。
  • 2014年(平成26年)
    • 源流の「スプリングバレー」ブランドを母体に、クラフトビールブランド「SPRING VALLEY BREWERY」を立ち上げ。
    • 6月:ギフト専用商品「一番搾り プレミアム」を発売。
  • 2015年(平成27年)
    • 3月25日:LOG ROAD DAIKANYAMA内に、パブブルワリー「SPRING VALLEY BREWERY TOKYO」を開設。かねてからあった横浜(横浜工場)のパブブルワリーは改装再オープン[19]
  • 2017年(平成29年)
    • 3月:「ブルックリンラガー」の飲食店向け大樽と、家庭向け缶をそれぞれ発売。
    • 4月:ノンアル飲料「キリン 零ICHI(ゼロイチ)」を発売。
    • 6月:ハイボールブランド「ホワイトホース ハイボール」の展開開始。
    • 9月7日 - スプリングバレーブルワリー3店目を京都に開店[20]
    • 10月:「キリン一番搾り<黒生>」を発売。
  • 2018年(平成30年)
    • 3月:大麦を増量した新ジャンル飲料「本麒麟」を発売。
    • 3月:チューハイ・カクテル「キリン・ザ・ストロング」(現・麒麟特製)シリーズを発売。
  • 2019年(令和元年)
    • 10月:ダイエットをコンセプトにしたノンアルビール・テイストの「キリン カラダFREE」を発売。
  • 2020年(令和2年)
    • 4月3日:自然派ビールテイスト炭酸飲料「KIRIN GREEN'S FREE」を発売。
    • 4月21日:グレーンウイスキーの原酒のみを使用した「キリン シングルグレーンウイスキー 富士」を、全国の飲食店向けに発売。
    • 5月19日:国産ウイスキー「キリンウイスキー 陸」を発売。
  • 2021年(令和3年)
    • 3月23日 - パブブルワリー「SPRING VALLEY BREWERY」で提供してきた、クラフトビール「SPRING VALLEY 豊潤<496>」の缶商品を横浜工場を始め全国のキリンビール工場で製造し、全国のスーパー・コンビニ等で発売[21]。「496」は完全数の1つである。1から31の自然数の総和が496になることから「1か月、毎日飲んだとしても、飽きることがないビール」の意を含ませてある[22]
  • 2024年(令和6年)
    • 5月:『氷結』にて、フードロス削減のために規格外の素材を使うプロジェクト「mottainaiプロジェクト」を立ち上げ、第1弾として「キリン 氷結mottainai 浜なし」を発売する[23]
  • 2025年(令和7年)

ブランド名とラベルデザインの由来

[編集]

ブランド名

[編集]

「麒麟(キリン)」という名前の由来については諸説あるが、当時の記録によると、幹部の荘田平五郎の提案によるものであることがわかっている。

麒麟」は、空想の古代中国の聖獣(霊獣)で、縁起が良いとされており、命名当時、海外のビールで、動物名が多く用いられていたことにちなみ、かつ日本人に受け入れられやすい名称として導入したという説がある[24]

また、創業者コープランドの親しい友人の名前である「カリン」から来ているという説もある[要出典]

ラベルデザイン

[編集]
  • 「麒麟ビール」発売時に導入された初代ラベルは、朝陽を浴びて、駆け出そうとしている麒麟であった[25]スプリング・バレー・ブルワリー社時代に製造したボックビール(果実のような芳香や麦芽の風味を重視した高濃度のビール)のシンボルマークの山羊をヒントに、中国の聖獣「麒麟」を組み合わせたという説がある[要出典]
  • その後採用されたデザインは、1889年(明治22年)にT・B・グラバーの提案(彼は太宰府天満宮にある麒麟像を気に入っていた)でデザインされたと言われているもので[26]、現在のラガービールやクラシックラガーのラベルデザインの原型となった。戦中を除いて現在まで受け継がれている。
  • ビールや一部の清涼飲料のラベルに用いられている麒麟の絵の中には隠し文字、カタカナの「キ」、「リ」、「ン」の文字がデザインされている。同社によると隠し文字の発祥は「当時のデザイナーが遊び心でデザインしたという説」と「偽造防止説」があるが明確な理由は関東大震災で資料を紛失したため不明であり、導入された時期も不明瞭であるが大正時代の商品ラベルの一部には導入が確認されている[27][28]
    ※ 麒麟のひげは、創業に関わったグラバーのひげがモチーフだと言われている。
  • 現在使用されている麒麟にも、良く見ると少しずつ違いがある。ここでは、シルエットではなく、体に模様が描かれている麒麟の模様について触れる。
    • 瓶製品の麒麟には、毛の模様がしっかり描かれている。「キ」「リ」「ン」の隠し文字もはっきり書かれている。(ビヤ樽や、缶製品の一部にも、これが採用されている)
    • 缶製品の麒麟は、瓶製品と比べ、毛の模様が簡略化されているが、1998年(平成10年)以降のほとんどの缶製品の麒麟には、隠し文字もちゃんと書かれている。炭酸飲料のNUDAの麒麟は、これである。(瓶製品の場合でも、麒麟が小さい場合などに、これが採用される場合がある)
    • 1998年(平成10年)以前の缶製品は、模様がさらに簡略化されており、隠し文字が入っていない。現在も、麒麟がかなり小さい場合は、これが採用される場合がある(これも当時の瓶製品の一部でも採用されていた)。
    • それ以外には、1995年(1994年と同デザインであるが、側面の能書きを変更した際に、麒麟も変更した) - 1997年までの缶のキリンラガーには、毛の模様が、1998年以前の缶製品と同程度まで簡略化されているが、隠し文字の入っている麒麟が採用されていた。
  • 麒麟のデザインは、1889年(明治22年)に、広島県出身の漆工芸家である六角紫水が制作[28]、もしくは版画・洋画家の山本鼎の作ともいわれるが、諸説あり正確には判明していない[26]

キリン原宿旧本社ビル

[編集]
キリン原宿旧本社ビル

キリン原宿旧本社ビルは、東京都渋谷区神宮前六丁目26番1号に所在した、麒麟麦酒株式会社(以下「キリンビール」)の本社社屋である。ビルは明治通り山手線に挟まれた高台の、かつては穏田と呼ばれた地区にあり、約1,800坪の敷地に対して建坪は500坪に過ぎず、残りは日本庭園となっている[29]

このビルが竣工してキリンビールの本社となったのは1976年昭和51年)で、当時創立70周年を迎えたキリンビールは、他社によって建築中だったこのビルを土地ごと購入、改装して本社社屋としたものである[29]。このビルはもともと高級マンション仕様として設計・建築されており、余裕のある建物配置や内部構造はこの事情に由来している[29]

1995年平成7年)には一旦本社機能が中央区新川に移され、このビルは麒麟麦酒の医薬事業の事務所として使用されることになった。

しかしながら2009年(平成21年)8月には麒麟麦酒株式会社の本社はここに再移転、翌2010年(平成22年)2月にはキリンビバレッジ社の本社もこのビルに移転された[30]。これは、キリングループ内における飲料グループ同士のシナジー効果を図るという経営戦略に基づいたもので、この2社本社機能隣接の際には、キリン原宿旧本社ビル内の設備・設計も大幅に改装された[30]

ただキリングループの国内主要子会社の本社を一箇所に集約することになり、同ビルはその目的にはやや手狭であることなどから、2013年(平成25年)に本社機能を中野区中野セントラルパークサウスに移転した[31]。これに伴い当ビルは新川のキリンホールディングス本社などと共に売却され[32]2015年3月に一般社団法人 巨樹の会 原宿リハビリテーション病院が開業した[33]

コーポレート・スローガン、キャッチフレーズ

[編集]
  • 「衆議一決!ビールはキリン」(1949年) - 戦時中から中断していたビールの銘柄商標復活に伴い、社員募集によって選ばれたキャッチコピー。
  • 「品質本位のキリンビール」(1950年頃 - 1984年3月)
  • 「家中みんなキリン・キリン」(1960年代)
  • 「どういうわけかキリンです」(1971年頃)
  • 「生きてる限りキリンビール」(1970年代)
  • 「中位もいいさ(キリンビール中瓶)」(1970年代)
  • 「ビールの世界も、いろいろで」(1977年)
  • 「基本だな、キリンビール」(1980年代)
  • 「気分を洗う時間です、キリンビール」(1980年代)
  • 「21世紀へ乾杯 KIRIN」(1984年4月 - 1989年3月) - 昭和天皇崩御直後に各テレビ局へ出稿されたCMではキャッチフレーズの使用が自粛され、ブルーバックにKIRINロゴのみの表示へ差し替えられた。
  • 「一枚のラベルにロマンがある。キリンビール」(1985年)
  • 「BEER'S NEW 〜どこまでおいしくなれるだろう〜」(1989年4月 - 12月)
  • 「ラガーには味がある。キリンラガービール」(1989年) - 「キリンビール」の商品名だったラガービールが「キリンラガービール」に名称変更した際のキャッチコピー。
  • 「うまいが一番。」(1990年) - 「キリン一番搾り」発売当初のキャッチコピー。
  • 「新鮮な明日へ KIRIN」(1993年 - 2002年) - サウンドロゴでは、1997年1月 - 2月及び12月の「キリン一番搾り」同年4月 - 7月までの企業CM[注釈 1]、7月 - 8月の「キリンラガービール」は、長野オリンピックのロゴマークとの併用バージョン。
  • 「キレ味、だいご味。キリンラガービール」(1994年)
  • 「ラガーは生へ。味のある生へ。キリンラガービール」(1996年) - キリンラガーが熱処理しない方式のラガービールに品質改良する際のキャッチコピー。
  • 「ジョッキで飲もう。キリンラガービール」(1996年 - 1997年) - キリンラガーが熱処理しない方式のラガービールに品質改良直後のキャッチコピー。
  • 「ビールにも21世紀はやってくる」(1997年)-「うまい!キリン」は1997年12月17日朝刊にも使われていた。
  • 「この国には、キリンラガービールがあります。」(1998年)
  • 「うまい!キリン」(1999年 - 2002年) - 2000年以降は、サウンドロゴを表示しなくなった。
  • 「うれしいを、つぎつぎと。KIRIN」(2003年 - 2006年) - サウンドロゴは、どの商品にも公表している。
  • 「スキッと飲めて、ググッとうまい」(2005年) - キリン のどごし〈生〉のキャッチコピー。
  • 「時代は変わる、ラガーは変わるな、キリンラガービール」(2006年 - 2020年)
  • 「おいしさを笑顔に KIRIN」(2007年 - 2019年1月) - スポンサークレジットは『KIRIN キリンビール』に変更。キリンビバレッジなどグループ各社もこのスローガンに統一。サウンドロゴは2008年まではCMの最後に表示されていたが、2009年からは「キリン![注釈 2]」のサウンドロゴへのリニューアルと同時にCM冒頭に表示されるようになった(新聞などの広告では、バドワイザー・ハイネケン・アルカリイオンの水・小岩井・トロピカーナ・ボルヴィックでは使用されていない)。
  • 「親。子。人は続く。キリンビール」(2008年 - 2009年)
  • 「NIPPON ICHIBAN ニッポンを楽しもう。」(2009年 - 2010年) - 一番搾りのキャッチコピー。
  • 「ガツン!とくる。それがビール。キリンラガービール。」(2010年)
  • 「よろこびがつなぐ世界へ KIRIN」(2019年2月 - ) - 2019年2月14日に麒麟麦酒を含むキリングループ共通のコーポレートスローガンとして新たに制定。ちなみに、コーポレートロゴもマイナーチェンジされ、「KIRIN」ロゴの左隣に麒麟のイラストが追加された[34]
※ なお、コーポレート・スローガンやキャッチフレーズではないが、2006年10月から、全ての酒類系飲料のCMにおいて、『飲酒運転は法律で禁止されています。』という字幕がサウンドロゴに併記されるようになった。ただし、2007年から共通のサウンドロゴをキリンビバレッジ(アルカリイオンの水・小岩井・トロピカーナ・ボルヴィックの各ブランドを除く)でも使用する関係で字幕を外すことになり、代わってCM本編内に字幕を表示している[注釈 3]
  • 「いい風、吹け。」(2024年 - ) - キリンビール 晴れ風のキャッチコピー。

各地域のキャッチコピー

[編集]

キリンビールは全国各地に統括支社を設置し、その地域に合わせたキャンペーン活動を展開している。

商品

[編集]

事業所

[編集]

本部機能

[編集]
本社
東京都中野区中野4-10-2 中野セントラルパークサウス(中野四季の都市JR東日本中央線(快速)中央・総武緩行線東京メトロ東西線中野駅」北口より徒歩約5分。

かつて存在した旧原宿本社は、もともと医薬品事業の統括を行っていた事務所であり、持株会社制移行で新麒麟麦酒(キリンビール)が酒類に専念することとなったため、キリンファーマ本社を経て、協和発酵キリンの事業部などグループ企業が入居していたが、2009年平成21年)8月、キリンビール本体の営業本部が原宿に再移転した(登記上の本店は中央区新川に残る)。2013年(平成25年)5月までに本社・登記上の本店を中野に移転した後、原宿本社ビルと新川ビルは売却され、旧原宿本社ビル跡には、佐賀県に本部を置き九州を中心に医療施設を展開する一般社団法人巨樹の会による医療施設「原宿リハビリテーション病院」が2015年(平成27年)3月に開業した。

工場

[編集]
現行の工場一覧[35][36][37]
工場名 工場
番号
操業年 住所 飲食施設 備考
北海道千歳工場 31 1986年 北海道千歳市上長都949-1 ハウベ かつては清涼飲料専門工場であり、社内では「レモン工場」と呼ばれていた。
仙台工場 14 1923年 宮城県仙台市宮城野区港2-2-1 キリンビアポート仙台 1919年に仙台で創業した東洋醸造(フジビール)を買収し、1923年より同社工場を当社3番目の工場とした[38]。1983年に現在地に移転[38]仙台臨海鉄道仙台西港駅から専用鉄道が通じる。
取手工場 24 1970年 茨城県取手市大字桑原188-1
横浜工場 28 1926年 神奈川県横浜市鶴見区生麦1-17-1 SPRING VALLEY BREWERY YOKOHAMA(スプリングバレーブルワリー横浜)
キリンビアポート横浜
本社工場(山手工場、旧スプリング・バレー・ブルワリー)を関東大震災の被災のため移転[21]
名古屋工場 12 1962年 愛知県清須市寺野花笠100 BREWER'S HOUSE(ブルワーズハウス)
滋賀工場 17 1974年 滋賀県犬上郡多賀町大字敏満寺字犬掛1600
神戸工場 11 1997年 兵庫県神戸市北区赤松台2-1-1 丘の上のビアレストラン 尼崎工場(後述)の後継工場として操業。
岡山工場 15 1972年 岡山県岡山市東区瀬戸町万富678
福岡工場 61 1966年 福岡県朝倉市馬田字上原3601 キリンビアファーム

鉄道輸送

[編集]
麦芽輸送のイメージ】  粒状の化学樹脂や、各種類の穀物を牽引トラクターに特別に装備されている装置で、積載されたコンテナをそのままダンプカーのように持ち上げて、効率よく排出する。(岡山/倉敷市内)

麒麟麦酒は鉄道貨物との繋がりが深く、1984年昭和59年)2月「59・2」ダイヤ改正まではほとんどの工場で専用線を所有していた。この専用線を使って、ワム80000形貨車(ビール輸送専用番台)による製品輸送や、私有貨車国鉄ホキ9800形貨車)によるビール原料である麦芽の鉄道貨物輸送を行っていた。

その後、輸送に関わっていた従来の鉄道貨車は全て廃棄されて、現在は唯一専用線が残っている仙台工場のみ、鉄道コンテナによる製品出荷を行なっている。なお、従来ホッパ貨車で大量に輸送されていた麦芽は、国内産品は契約運送会社のバルク車で納入し、大半を占める輸入品は全量をコンテナ内部に大きな袋を吊るした海上コンテナを使い、全国の工場で納入されている。

営業関係の拠点は分社実施により全て新会社「キリンビールマーケティング」に移され、現在麒麟麦酒本体に残るのは商品の開発・製造に関係する拠点のみである。なお、両社とも本部機能は中野四季の都市に置く。

かつて存在した工場

[編集]

旧本社工場(現在の横浜工場)について

[編集]
  • 現在の横浜工場は、関東大震災で崩壊した旧本社工場(旧スプリング・バレー・ブルワリー、横浜市山手天沼=現在の中区千代崎町)を移転する形で開設された[41]。そのため、キリンビール関係者は横浜工場を「現存するビール工場としては日本で一番伝統がある工場である」「日本で最初のビール工場を引き継いでいる」と説明している。
  • 旧本社工場跡は、今は「キリン園」という公園と横浜市立北方小学校になっており、キリン園には「麒麟麦酒開源記念碑」と「文化遺跡 日本最初麦酒工場(横浜市建立)」の記念碑が建っており、小学校の校庭にはビール井戸が二つ残っている。
  • コープランドが旧本社工場用地を天沼に決定した理由は、山腹からわき出る清水の味からだと言われている[41]。スプリング・バレーの語源もそこから来ている。
  • 旧スプリング・バレー・ブルワリーで造られたビールは、当時の広告からは、上面発酵の 3種(ペールエール、ポーター、ジンジャエール)と下面発酵の3種(ラガービール、ババリアンビール、ボックビール)の計6種類であったことが確認されている。商品名としては、「ババリアンビール」、「ラガービール」、「横浜ビール」などとつけられていたが、当時の日本人には外国語はなじまなかった。そのため、「麒麟」ブランドが誕生するまでは、工場の地名にちなみ「天沼ビアザケ」と呼ばれていた。また、工場の横の道路は「ビアザケ通り」と呼ばれていた。
  • 旧スプリング・バレー・ブルワリーには、冷凍機がなかった。そのため、発酵温度を低く保たなければならないラガービールは10月から3月までの寒い時期に仕込みが行われ、夏季は醸造所敷地内の横穴で貯蔵し、主に夏から秋にかけて出荷された。
  • 横浜工場には旧スプリング・バレー・ブルワリーを再現した建物があり、1991年にオープンした。明治時代当時の資料を参考に作られた地ビール醸造設備があった(後に工場内の醸造設備として、近代化・大規模化した)。また、そこにある設備で醸造したクラフトビールを提供するビアレストラン(パブブルワリー)「SPRING VALLEY BREWERY YOKOHAMA(スプリングバレーブルワリー横浜)」が併設されている。
  • 2005年(平成17年)秋に現在のキリンビール創立100周年記念として、コープランド醸造の「ラガービール」(天沼ビアザケ)が約135年ぶりに横浜工場で復元され、2006年(平成18年)に横浜工場見学者限定の試飲キャンペーンを実施。2007年(平成19年)春季に非売品ながら瓶詰めとしてキャンペーンの当選者にプレゼントされた。
  • 横浜工場・横浜支社では、創業者のコープランドの命日(2月11日)と6月[注釈 7] に彼の墓前(横浜の外国人墓地)で、最新のビールを供え、会社の発展を祈る墓前祭を行っている[41]。2006年(平成18年)からは、コープランドが醸造したものを復元したラガービールも供えられている。なお、1902年(明治35年)のコープランドの葬儀の一切は、スプリング・バレー・ブルワリー社の後身でキリンビールの前身であるジャパン・ブルワリー社が取り仕切った。

グループ会社

[編集]

★は過去のグループ会社

外縁・関係会社

[編集]

広報活動

[編集]

スポーツ

[編集]

1995年よりサッカー日本代表公式スポンサーを務める。元々は前述のキリン原宿本社ビルが、山手線の線路を挟んで当時日本サッカー協会(JFA)が入居していた岸記念体育会館と向かい合わせだったという縁から、1978年にJFAが開催した「ジャパンカップ」に協賛したことがきっかけ。ジャパンカップは1985年に「キリンカップサッカー」と大会名を改め、現在に至るまで協賛を続けている。また2001年からはサッカー日本女子代表2007年からはフットサル・ビーチサッカー日本代表にもカテゴリーを拡大[42]、さらに2023年1月より日本代表のみならずJFAの全ての事業を支援するカテゴリー最高位の「JFAオフィシャルパートナー」契約を締結した[43]

日本オリンピック委員会のオフィシャルパートナーでもあったが、サッカーの国内プロ化以前から支援していたサッカーへのサポートに専念するため、2008年度(平成20年度)いっぱいで契約を打ち切った[44](その後、アサヒビールに変更)。また2007年(平成19年)まではバスケットボール男子日本代表のスポンサーでもあった。

芸術

[編集]

キリンアートアワード開催やKPOキリンプラザ大阪での展示会など、現代アートへの寄与を行っていた。2007年(平成19年)11月1日以降の芸術文化支援はキリンホールディングス株式会社が主体となっている[45]

パフォーミングアートのイベント協賛として、静岡県静岡市で毎年秋に開催される「大道芸ワールドカップin静岡」に、静岡支社(旧静岡統括支社)が第二回目から協賛している。

歴代キャンペーンガール

[編集]

1990年(平成2年)から2003年(平成15年)まで、自社のキャンペーンガールを選出していた。

CMキャラクター

[編集]

テレビ提供番組

[編集]

提供クレジットは2006年(平成18年)までは「KIRIN」だったが、2007年(平成19年)から「KIRIN キリンビール」と表示されるようになった。現在は、「(麒麟のイラスト)KIRIN」と表示されている。提供案内は「キリンビール・キリンビバレッジの提供でお送りします・しました」と言う。また、希にグループ会社のメルシャンの製品CMも流れることもある。

2013年(平成25年)10月から2015年3月までは、一社提供・大筆頭番組を除き、常時提供の番組は報道番組のみとなった。

現在
筆頭提供(大筆頭)の番組では「よろこびがつなぐ世界へ KIRIN」とクレジットされる。
一社提供
提供枠が1分
提供枠が30秒
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
  • 報道STATION ※月曜から木曜の後半のナショナルスポンサー。ただしPT扱い。かつては月曜のみで、30秒提供だが「キリンビール」のコールがあった。しかし、2017年4月改編で月曜は降板。火・水曜は提供継続。その後2019年4月改編で月曜は復帰したが、2022年9月をもって再び降板。水・木曜は提供継続もいずれも番組の前半か中間に移動[注釈 25][注釈 26]
    2007年3月26日付けで降板し、2007年4月以降は「日曜洋画劇場」へ移動、その後復帰し現在に至る。2012年10月 - 12月は一時的に降板していた。
  • サタデーステーション ※不定期で前半と後半の枠を入れ替え。ただしPT扱い。
  • ポツンと一軒家朝日放送テレビ制作) ※隔週で前後半入れ替え。
TBS系列
テレビ東京系列
フジテレビ系列
特別番組
  • SASUKE(TBS系、2020年以降年に1 - 2回)※最終ブロックの単独提供。最終ステージのセットには麒麟マークの垂れ幕が貼られている。
過去

ほか多数

ラジオ提供番組

[編集]

一方のラジオでの番組提供はほとんどプロ野球中継の曜日別スポンサーでの提供契約が多かったため10月-翌年3月はスポットでの広告展開になっていたが、いつかは不明だが、FMでも広告を出稿する様になってからは通年通しでラジオCMが流れるようになった。しかし、未成年の飲酒やドライバーの飲酒運転が社会問題へ発展し、テレビ同様ビール・酒造組合からビールCMの広告展開の見直しが現在要求されている。それを見越して、一部の放送局では提供番組をプロ野球中継から音楽番組へ切り替えている。

現在
過去

ディズニー

[編集]

テレビ番組

[編集]
  • 日経スペシャル カンブリア宮殿(テレビ東京)
    • 「真のNo.1企業とは?」(2007年4月9日)- キリンビール 社長 加藤壹康出演[48]
    • 巨大ビール会社を大改造せよ! 変化を恐れないキリンの挑戦(2020年11月26日、テレビ東京)- キリンホールディングス 社長 磯崎功典出演[49]

出身著名人

[編集]

トリビア

[編集]

スポーツ新聞の1頁目題字の段に、遅くとも1980年代の初め頃まで、キリンビールのビンの王冠の写真をデザインし、その上に「品質本位」という広告が掲載されてあった。

ビール瓶アルミ缶・流通用段ボール箱等の形について、国内の同業他社(アサヒ・サッポロ・サントリー)が基本的に共通規格のものを用いているのに対し、キリンビールは独自規格品を使用している。理由としては軽量化やコスト削減の他、ビール瓶については「伝統の『なで肩』を守る」という目的もあるという[51]

一般的な太さのアルミ缶は、1995年頃から上部の直径が狭い「204径缶」を日本で初めて採用[注釈 36] している。飲み口の幅が広い広口缶(キリンでの名称は「飲み口ワイド缶」)も、他社では2000年代から採用開始されたのに対し、キリンでは1997年より「ビール工場」と「LA2.5」で採用を開始し、1998年には135ml缶を除く全商品で採用している。社内には「パッケージング技術開発センター」が設けられており、瓶・缶の軽量化やCO2排出量削減を継続的に行っている[52]

三菱系の関連会社内部での宴会や接待等でのビールはキリンに限られるという不文律があった(社内で使用する文房具には三菱鉛筆の製品が選ばれる、住友系の関連会社内部での宴会や接待等でのビールはアサヒに限られるというのと同様)。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 花見編と野球編の2パターンで使用。
  2. ^ 30秒バージョンではコーポレートスローガンと同一で「おいしさを笑顔に キリン!」となる。なお、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で同年3月末まで一切の広告活動を自粛していたが、4月1日に再開してからは「キリン!」の部分を無音にしたバージョンに差し替えられた。
  3. ^ その後2014年1月1日深夜放送の「NNNニュース&スポーツ」(「NEWS ZERO」の年末年始休止による代替最終ニュース)のカウキャッチャーよりサウンドロゴが後ろに繰り下がってCM素材もそれに合わせてリニューアルされた。その後三が日明けより他局でも順次CMがリニューアルされている。なお、ラジオの提供番組では2014年1月よりサウンドロゴが消滅している。
  4. ^ 紀州弁で「一緒に飲もうキリン!」という意味。
  5. ^ 土佐弁で「(味や生き方など、いろいろと)薄いのは、駄目だ!」という意味。
  6. ^ 博多弁で「好きだ!福岡」という意味。
  7. ^ 6月のものはレストラン山手十番館のビアガーデンがオープンすることに合わせて、行われている。墓前祭の後にはコープランドビール祭りという懇親会が行われており、これは、キリンビールは後援者となっている。
  8. ^ 「キリングッドエール」のCMも担当。
  9. ^ 「麒麟特製 レモンサワー」のCMも担当。
  10. ^ 「ウイスキー 陸」のCMも担当。
  11. ^ 「淡麗グリーンラベル」のCMも担当。
  12. ^ 過去に「ラガービール」のCMも担当。
  13. ^ 過去に「一番搾り」のCMも担当。
  14. ^ 後にサントリーが販売する「サントリー生ビール」のCMに出演。
  15. ^ 作品・放送内容等によっては提供クレジットを自粛する場合やヒッチハイク扱いになることがある。
  16. ^ かつては同業者のサントリーアサヒビールが提供していた。
  17. ^ なお、2022年7月8日の『Nスタnews23緊急特別番組』の通常時間帯では、PT扱いがCM自粛拒否のためACジャパンに差し替え。2023年5月12日は、当初60秒特別CMを放映予定だったが、CMが放送中止になりACジャパンに提クレ表示もCM自粛拒否で差し替え
  18. ^ 年末年始の『NNN NEWS&SPORTS』(最終版 ※12月31日除く)のカウキャッチャーも提供。※但し、どちらもUMKを除く。
  19. ^ 別パートで同業者のアサヒビールも提供している。嘗てはキリンビバレッジも提供していた。2020年10月4日より絨毯つきのカラー表記。
  20. ^ 2022年7月10日放送分では、提クレ表示もCM自粛拒否のためACジャパンに差し替え。
  21. ^ 『news zero』と1日置きで提供。自主規制の関係上、CMは18時以降の放送となる。
  22. ^ ただし、放送時間が前倒しの場合は別のスポンサーに差し替え。
  23. ^ なお、2020年12月25日(金曜・P&G筆頭パート)・2021年9月29日(水曜・P&G筆頭パート)・11月22日(月曜・P&G筆頭パート)・2022年7月11日(月曜・ヤマダ電機パート)・12月16日(金曜・ヤマダ電機パート)はAC JAPANに差し替え
  24. ^ 2025年4月より同業者のアサヒビールも提供している。
  25. ^ 火曜についてはキリンビバレッジが提供継続もPT扱い。
  26. ^ 後半枠の後継は火曜がアメリカン・エキスプレス、水曜が月曜前半から中間枠に移動のグッドイヤー、木曜はトヨタ自動車
  27. ^ それまでだったアウディから引き継いだ。現在は大正製薬に交代。再びユピテルから引き継いだ、かつては同業の三和酒類が提供していた。
  28. ^ 2022年7月9日の2時間SP放送分では、ACジャパンに差し替え。
  29. ^ 作品・内容によって不定期でPT扱いの場合あり。アニメを放送する場合は2021年まで提供拒否となっていた。2022年以降はPT扱いとなる。
  30. ^ 2022年7月9日放送分は提供クレジット表示もACジャパンに差し替え。
  31. ^ 作品によってPT扱いになった。
  32. ^ 2017年4月から2019年9月までは隔日提供。
  33. ^ 番組の性質上、作品・放送内容等によっては提供クレジットの自粛あり。
  34. ^ 放送時間の関係上。
  35. ^ 2007年1月6日の放送から2017年3月までは一社提供。2017年4月から2020年3月までは損保ジャパンと、2020年4月から2022年9月まではHEBEL HAUSと共同提供。いずれも2分だった(最末期はキリンビバレッジと交互にCMを流していた)が2022年9月で降板。
  36. ^ サッポロビールは2008年から、サントリーは2009年から、アサヒビールは2013年から2015年にかけて順次「204径缶」を採用している

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 麒麟麦酒株式会社 第18期決算公告
  2. ^ キリンビール株式会社 | グループ会社一覧キリンホールディングス
  3. ^ a b 森田克徳「麒麟麦酒・磯野長蔵の起業家活動」『経営と情報:静岡県立大学・経営情報学部 / 学報』第13巻第01号、静岡県立大学経営情報学部、2000年12月1日、55-67頁。 
  4. ^ a b 山口一臣「日本ビール業界への警鐘:麒麟麦酒100年に見る日本ビール業界の課題」『成城大學經濟研究』第189号、成城大学経済学部、2010年7月、15-81頁。 
  5. ^ a b c 09年ビール日本一 キリンなのかアサヒなのか J-CAST 2010年1月21日
  6. ^ キリンHD / 日本綜合飲料事業の管理業務子会社キリンを吸収合併”. 流通ニュース. ロジスティクス・パートナー (2019年1月28日). 2019年7月1日閲覧。
  7. ^ ジャパン・ブルワリーの設立~ジャパン・ブルワリー重役会議事録”. キリン歴史ミュージアム. キリンホールディングス. 2024年8月10日閲覧。
  8. ^ キリングループの歴史”. キリングループについて. キリンホールディングス. 2025年10月7日閲覧。
  9. ^ 岩崎弥太郎は万太郎の救世主に? 三菱財閥2代目、キリンビールも創始 牧野博士も岩崎家から資金援助”. 高知新聞 PLUS DIGITAL. 高知新聞社 (2023年8月25日). 2023年9月3日閲覧。
  10. ^ 政治統制下でビールの商標が廃止される”. 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史. キリンホールディングス. 2025年10月7日閲覧。
  11. ^ 「トップインタビュー 日本シェーキーズ・代表取締役 高橋剛氏」『日食外食レストラン新聞』第117号、日本食糧新聞社、1996年12月16日、デイリー版、04面。
  12. ^ キリン「バドワイザー」製造終了”. テレ東BIZ. テレビ東京 (2018年7月24日). 2018年7月31日閲覧。
  13. ^ 「キリン、バドワイザーの日本での製造販売を終了へ」『産経新聞産経新聞社、2018年7月24日、夕刊。
  14. ^ キリンとヤクルトが健康・機能性食品の合弁会社設立 - 第1弾を通販ルートで販売”. 薬事日報. 薬事日報社 (2006年10月2日). 2006年10月30日閲覧。
  15. ^ 麒麟麦酒(株)「株式交換公告」『官報 平成18年本紙』第4384号、国立印刷局、2006年7月21日、28頁。 
  16. ^ キリンビールがメルシャンを子会社化へ”. Livedoor News. ライブドア (2006年11月17日). 2006年12月11日閲覧。
  17. ^ 「ハイネケン・ジャパン、「ハイネケン」缶を国産化」『日本食糧新聞』第9756号、日本食糧新聞社、2006年12月18日、デイリー版、03面。
  18. ^ a b キリンビール出荷首位…09年 YOMIURI ONLINE(読売新聞)2010年1月15日
  19. ^ 2015春、キリンの「スプリングバレーブルワリー」が東京と横浜に誕生!
  20. ^ “キリン、京都の古民家にクラフトビール専門店 関西初、7日開業”. 日本経済新聞. (2017年9月7日). https://www.nikkei.com/article/DGXLZO20801450V00C17A9LKA000/ 
  21. ^ a b SPRING VALLEY(スプリングバレー)”. springvalleybrewery-prod.cp-dev.net. 2021年3月27日閲覧。
  22. ^ 「SPRING VALLEY 豊潤<496>」、誕生”. キリン. 2021年3月27日閲覧。
  23. ^ a b “大好評の「氷結®mottainaiプロジェクト」が「モッタイナイ!を、おいしい!に。プロジェクト」に進化!” (Press release). キリンホールディングス. 23 April 2025. 2025年11月15日閲覧.
  24. ^ キリングループのシンボル・”聖獣麒麟”の歴史と秘密”. キリン. キリンホールディングス. 2024年8月8日閲覧。 “この「キリンビール」のラベルには、古代中国の伝説上の動物麒麟の姿が描かれています。当時、西洋から輸入されてくるビールには狼や猫などの動物を描いたラベルが多かったことから、三菱の重役であった荘田平五郎が「東洋には麒麟という霊獣がいるのだから、それを商標にしよう」と提案したと言われています。”
  25. ^ Vol.12 ラベルデザインの歴史|ヒストリークルーズ|キリン歴史ミュージアム”. キリンホールディングス. 2024年8月8日閲覧。
  26. ^ a b キリンマークのデザインに隠された秘密って? 広報さんに聞いてみた”. マイナビ (2013年3月23日). 2024年1月3日閲覧。
  27. ^ KIRIN「カンパ〜イ!!ラガー」History -歴史- (インターネット・アーカイブ)」
  28. ^ a b フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 1』講談社、2003年。 
  29. ^ a b c 神宮前六丁目 『原宿 1995』 コム・プロジェクト 穏田表参道商店会1994年12月25日発行 p70
  30. ^ a b キリンビール社およびキリンビバレッジ社の本社事務所移転について :グループシナジーの最大化に向けてキリン原宿本社に本社機能が集合! 麒麟麦酒株式会社のプレスリリース 2009年6月17日
  31. ^ グループ本社移転と国内グループ会社の本社組織拠点集約について - キリンホールディングス・2012年2月10日
  32. ^ 会社は絶対潰れないという前提で働いていないか? -キリンビール社長 磯崎功典氏 - PRESIDENT Online・2013年1月4日
  33. ^ 規模の拡大が質の向上に!原宿に日本最大級のリハビリテーション病院がオープン!
  34. ^ 長期経営構想「キリングループ・ビジョン2027」「キリングループ2019年-2021年中期経営計画」を策定』(プレスリリース)キリンホールディングス株式会社、2019年2月14日https://www.kirinholdings.co.jp/news/2019/0214_01.html2019年2月19日閲覧 
  35. ^ 事業所一覧 > 工場(キリンビール株式会社)
  36. ^ 工場見学Q&A(キリンビール株式会社)
  37. ^ 日本のビールの歴史年表(キリンビール株式会社)
  38. ^ a b キリンビール仙台工場の被災状況と操業再開にむけて(キリンビール 2011年4月7日)
  39. ^ キリン栃木工場最終ビール 「感謝を力に」ラベルで県内限定 - 下野新聞、2010年7月24日
  40. ^ 北陸工場閉鎖は9月末 キリンビール - 富山新聞、2010年7月13日
  41. ^ a b c 社団法人 横浜中法人会「横浜とキリンビールの縁(えにし)」
  42. ^ キリングループのサッカー支援 ~日本サッカー界のさらなる発展とサッカー文化の創造に向けて~ - キリンビバレッジ・2011年12月20日
  43. ^ 「日本サッカー協会オフィシャルパートナー」契約に基本合意”. キリンホールディングス. 2022年6月1日
  44. ^ キリン、JOC協賛契約更新せず 19年間支援 - 47News・2009年2月16日
  45. ^ KIRIN 地域情報:KPOキリンプラザ大阪閉館のお知らせ 20年間ご愛顧いただき誠にありがとうございました。(インターネット・アーカイブ)
  46. ^ 堤真一「みんなに飲んでほしいのよ」、キリン新CMでゲスト3人に「一番搾り」のススメ - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 2024年8月20日閲覧。
  47. ^ PUFFYが「のどごし」CM登場、温泉旅館で堺雅人らとカラオケ熱唱”. 音楽ナタリー (2016年3月1日). 2016年3月1日閲覧。
  48. ^ 「真のNo.1企業とは?」 - テレビ東京 2007年4月9日
  49. ^ 巨大ビール会社を大改造せよ! 変化を恐れないキリンの挑戦 - テレビ東京 2020年11月26日
  50. ^ 山根由起子「しりあがり寿さん、冨嶽三十六景のパロディーを伝授」『朝日新聞デジタル朝日新聞社、2020年8月19日。2024年1月5日閲覧。
  51. ^ 実はスゴイ入れ物 がっちりマンデー!!(TBSテレビ)2007年10月21日放送分
  52. ^ ビールびん「国内最軽量」に込めた思い alterna・2012年7月17日

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]