フランコ・ゼフィレッリ

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フランコ・ゼフィレッリ
Zeffirelli.jpg
元老院 (イタリア)
就任
1994年4月21日
選挙区 カターニャ
個人情報
生誕 (1923-02-12) 1923年2月12日(93歳)
トスカーナ州フィレンツェ
政党 自由の人民 (イタリア)
出身校 フィレンツェ大学
専業 映画監督
オペラ演出家
政治家
宗教 カトリック教会
兵役経験
所属組織 イギリス
部門 イギリス陸軍
軍歴 1942–1945
部隊 British 24th Infantry Brigade
戦闘 第二次世界大戦

フランコ・ゼフィレッリ(Franco Zeffirelli, 1923年2月12日 - )は、イタリアフィレンツェ出身の映画監督脚本家オペラ演出家政治家である。

来歴[編集]

仕立て屋の息子として生まれ、フィレンツェに住むイギリスの上流階級の人々のコミュニティで育つ。(イタリア人の少年とイギリスの婦人たちの交流を描いた「ムッソリーニとお茶を(Tea with Mussolini)」は彼の半自伝的映画である)。そのため英語が堪能であり、無党派だった彼は第二次世界大戦の際にはイギリス陸軍の通訳として働いた。

キャリア[編集]

ルキノ・ヴィスコンティのスタッフとして演劇界入りし、主に美術・装置を担当した。ヴィスコンティが映画に進出すると、その助監督も経験した。間もなく自らも映画監督を手掛けるようになった。古典劇をベースにした清爽な青春映画で知られる。1968年の『ロミオとジュリエット』では原作に忠実でオリビア・ハッセーレナード・ホワイティングティーンエイジの役者を主役に起用して世間を驚かせ、シェイクスピアの映画化としては最高のヒットを記録させた。1972年の『ブラザー・サン シスター・ムーン』は中世の修道士聖フランチェスコの物語を題材に、信仰に目覚めた若い日々に焦点を絞ることで青春映画の快作に仕立て上げた。

近年ではオペラ演出を活動の中心とし、ウィーン国立歌劇場ミラノ・スカラ座、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、ロンドン・ロイヤル・オペラハウスなど、世界各地の主要歌劇場で演出を行い、とくに自国イタリア出身の作曲家ヴェルディプッチーニなどの作品は知られている。読み替え演出全盛の現代ではオーソドックスな保守派に属するが、美術家出身らしい美しく豪華な舞台作りでファンが多い。また映画の題材にもマリア・カラスなど、オペラに関するものを選んだり、椿姫などオペラ映画も数多く手がけている。

プライベートではゲイであることを公にしている[1]

2016年、イタリアの歴史家による研究チームはレオナルド・ダ・ヴィンチの存命する血縁者約35人を発見したと発表し、その中にフランコ・ゼフィレッリも含まれていた。ダ・ヴィンチの遺体は16世紀に失われたためDNA検査を行うことはできないが、教会や地方議会などの文書を調べ家系図を作成した。ダ・ヴィンチ自身に子供はいないが多くの兄弟がおり、これらの人物が調査の対象となった[2]

主な監督作品[編集]

著書[編集]

[編集]

  1. ^ Smith, Patricia Juliana (2005年1月9日). “Zeffirelli, Franco”. glbtq: An Encyclopedia of Gay, Lesbian, Bisexual, Transgender, and Queer Culture. 2007年8月7日閲覧。
  2. ^ レオナルド・ダビンチの存命の血縁者を発見、文書調査で

外部リンク[編集]