ルキノ・ヴィスコンティ

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ルキノ・ヴィスコンティ
Luchino Visconti
Luchino Visconti
本名 ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ
Luchino Visconti di Modrone
生年月日 1906年11月2日
没年月日 1976年3月17日(満69歳没)
出生地 イタリア王国の旗 イタリア王国 ミラノ
死没地 イタリアの旗 イタリア ローマ
身長 185 cm
職業 映画監督脚本家舞台演出家
ジャンル 映画オペラ
活動期間 1942年 - 1976年
主な作品
山猫
ベニスに死す
ルートヴィヒ

ルキノ・ヴィスコンティLuchino Visconti, 1906年11月2日 - 1976年3月17日) は、イタリア映画監督脚本家舞台演出家

生涯[編集]

生い立ち[編集]

1906年11月2日イタリア王国ミラノで生まれた。実家はイタリアの貴族ヴィスコンティ家の傍流で、父は北イタリア有数の貴族モドローネ公爵であり、ヴィスコンティは14世紀に建てられた城で、幼少期から芸術に親しんで育った[1]。ミラノとコモの私立学校で学んだ後、1926年から1928年まで軍隊生活を送った[1]。退役後、1928年から舞台俳優兼セット・デザイナーとして働き始めた。1936年にはココ・シャネルの紹介でジャン・ルノワールと出会い、アシスタントとしてルノワールの映画製作に携わった。

キャリア[編集]

1942年、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で映画監督としてデビュー。原作の使用許可を得ていなかったため、原題は『Ossessione (妄執)』である。同作は現在ではネオレアリズモ運動の先駆的作品と称されることもある。ヴィスコンティは以後、ロベルト・ロッセリーニヴィットリオ・デ・シーカなどと共にネオレアリズモの主翼を担う存在として知られるようになった。その後、数年間は舞台オペラ演出家として専心した。また、第二次世界大戦中にはイタリア共産党に入党した。戦後、1948年南イタリアの貧しい漁師たちを描いた『揺れる大地』を発表し、6年ぶりに映画監督として復帰。同作は第9回ヴェネツィア国際映画祭国際賞を受賞した。以後、『ベリッシマ』(1951年)や『夏の嵐』(1954年)といったネオレアリズモに根差した作品を発表した。1957年にはドストエフスキーの同名小説を映画化した『白夜』を発表。第18回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。また、この頃に共産党から離党した。

1960年アラン・ドロンクラウディア・カルディナーレアニー・ジラルドらを起用したネオレアリズモの集大成的大作『若者のすべて』を発表。第21回ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞と国際映画批評家連盟賞を受賞した。ネオレアリズモが下火となった以後は、自身の出自でもある貴族の没落や芸術家を描いた重厚で耽美的な作風に傾倒した。1963年バート・ランカスターを主演に迎え、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサの同名小説を映画化した『山猫』を発表。第16回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した。1965年には『熊座の淡き星影』が第26回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した。1967年にはマルチェロ・マストロヤンニアンナ・カリーナを起用し、アルベール・カミュ同名小説を映画化した『異邦人』を発表した。

1969年ダーク・ボガードヘルムート・バーガーイングリッド・チューリンシャーロット・ランプリングらを配した『地獄に堕ちた勇者ども』を発表。ナチスが台頭した1930年代前半のドイツにおける製鉄一族の凋落を描いた。日本では三島由紀夫に激賞された。1971年には再びボガードを起用し、トーマス・マン同名小説を映画化した『ベニスに死す』を発表。第24回カンヌ国際映画祭で25周年記念賞を受賞した。同作はマーラー交響曲第5番第4楽章アダージェットを一躍有名にした作品としても知られる。原作ではマーラーをモデルにした主人公アッシェンバッハは作家であるが、ヴィスコンティはそれを作曲家に変更している。また、タッジオを演じたビョルン・アンドレセンは本作をきっかけにアイドル的な人気を博した。翌1972年にはヘルムート・バーガーを主演に据え、バイエルン王ルートヴィヒ2世の即位から死までを史実に沿って描いた歴史大作『ルートヴィヒ』を発表。ヴィスコンティは撮影中に病に倒れたが、過酷なリハビリをこなした末に同作を完成させた。しかし、左半身の後遺症は生涯残り、以後は車椅子での生活を余儀なくされた。これら3作品は19世紀後半から20世紀前半のドイツ圏の爛熟と崩壊を遡る形で描いた「ドイツ三部作」と呼ばれる。

1974年、バート・ランカスターやヘルムート・バーガー、シルヴァーナ・マンガーノを起用した『家族の肖像』を発表。ランカスターが演じた孤独な老教授はヴィスコンティが自身を投影した人物とされる。日本ではヴィスコンティの死後、1978年に公開され、異例のヒットを記録。キネマ旬報ベストテンの第1位や日本アカデミー賞外国語映画賞などを受賞した。1976年にはガブリエーレ・ダヌンツィオの同名小説を映画化した『イノセント』を発表。貴族映画の傑作として高く評価された。

同年3月17日ローマにて69歳で死去した。

人物[編集]

生涯に渡りバイセクシュアルであることをオープンにしており、アラン・ドロンとの関係の噂もあった。ヘルムート・バーガーに至ってはヴィスコンティの死後、「私はヴィスコンティの未亡人だ」と発言したこともある。父親もバイセクシュアルであったという。

愛用の香水英国のペンハリガンのハマム・ブーケ。また、ルイ・ヴィトンの鞄を愛用していたが、当時は同社が有名ではなかったので、出演者が勘違いして「さすがはミラノの御貴族だけある。トランクの生地にすらイニシャル(偶然の一致で同じL.V)を入れてオーダーするとは」と感嘆したという逸話がある。

生没年がキャロル・リードと同じである。

作品[編集]

長編[編集]

短編[編集]

  • Appunti su un fatto di cronaca (1953年) ドキュメンタリー
  • われら女性 Siamo donne (1953年) オムニバス
  • ボッカチオ'70 Boccaccio '70 (1962年) オムニバス
  • 華やかな魔女たち Le streghe (1966年) オムニバス
  • タッジオを求めて Alla ricerca di Tadzio (1970年) ドキュメンタリー

受賞・ノミネート[編集]

参考文献[編集]

著作[編集]

  • 『ヴィスコンティ秀作集』(全8巻 新書館1981年-1982年) 各シナリオ、対話、撮影日誌・解説ほか
  1. ベニスに死す
  2. 夏の嵐
  3. 山猫
  4. 地獄に堕ちた勇者ども
  5. 家族の肖像
  6. 若者のすべて
  7. 熊座の淡き星影
  8. 郵便配達は二度ベルを鳴らす

伝記・フィルモグラフティ[編集]

  • 『ヴィスコンティ集成 退廃の美しさに彩られた孤独の肖像』 (〈ブック・シネマテーク4〉 フィルムアート社、1981年)、写真多数の入門書
  • 『ヴィスコンティ・フィルムアルバム』 (カテリーナ・ダミーコ・デ・カルヴァロ、新書館、1981年)
  • 『ルキーノ・ヴィスコンティ ある貴族の生涯』 (モニカ・スターリング、上村達雄訳、平凡社、1982年)
  • 『ヴィスコンティの遺香 華麗なる全生涯を完全追跡』 篠山紀信撮影・編、(小学館、1982年)
  • 『ヴィスコンティ 評伝=ルキノ・ヴィスコンティの生涯と劇的想像力』 (ジャンニ・ロンドリーノ編、大条成昭訳、新書館1983年

作品研究[編集]

  • 『ルキーノ・ヴィスコンティ研究 1号-遺作「罪なき者」をめぐって』 (柳澤一博・ルキーノ・ヴィスコンティ研究会編、1977年-1979年
  • 『ルキーノ・ヴィスコンティ研究 2号-特集「ベニスに死す」』 (柳澤一博・ルキーノ・ヴィスコンティ研究会編、1977年-1979年)
  • 『ヴィスコンティ ルードウィヒ・神々の黄昏』 (新書館ペーパームーン、1980年)
  • 『ヴィスコンティとその芸術』 (柳澤一博他編、PARCO出版、1981年)
  • ユリイカ 詩と評論-特集ヴィスコンティ』 1984年5月号、青土社
  • 『ヴィスコンティ 壮麗なる虚無のイマージュ』 (若菜薫著、鳥影社2000年
  • 『ヴィスコンティ2 高貴なる錯乱のイマージュ』(若菜薫著 鳥影社、2006年
  • 『ルキーノ・ヴィスコンティ』 (エスクァイアマガジンジャパン、2006年)
  • 『ヴィスコンティを求めて』 (柳澤一博著、東京学参、2006年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b ルキノ・ヴィスコンティ”. KINENOTE. 2013年4月12日閲覧。

外部リンク[編集]