アラン・ドロン

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アラン・ドロン
Alain Delon
アラン・ドロンAlain Delon
本名 Alain Fabien Maurice Marcel Delon
生年月日 (1935-11-08) 1935年11月8日(81歳)
出生地 フランスの旗 フランスオー=ド=セーヌ県ソー
国籍 フランスの旗 フランス
民族 フランス人
身長 184cm
職業 俳優
ジャンル 映画
活動期間 1957年 - 2017年
主な作品
太陽がいっぱい』(1960年)
生きる歓び』(1961年)
地下室のメロディー』(1963年)
黒いチューリップ』(1963年)
さらば友よ』(1968年)
レッド・サン』(1971年)
ビッグ・ガン』(1973年)
百一夜』(1994年)

アラン・ドロンAlain Delon1935年11月8日 - )はフランスの映画俳優1960年代から1980年代初めにかけ美男の代名詞的存在だった。身長184センチメートル

来歴[編集]

出生[編集]

1935年11月8日パリ郊外のオー=ド=セーヌ県ソーで生まれる。父は小さな映画館を経営、母は後に結婚するナタリーと雰囲気の似た美人で、薬剤師の資格を持っていた。

4歳で両親が離婚し[1]母方に預けられるも、再婚したシャルキュトリフランス語版(ハムやソーセージなど豚肉加工品専門の食品店)の義父と合わなかったこと、そして母親が新たに生れた娘(エディット)だけを可愛がったためにアランはのけ者とされる。さらに追い討ちをかけるように実父も再婚、息子ジャン=フランソワ(後にアランの映画の製作に参加)が生まれていた。それら家庭不和による愛情不足のため、女生徒とたびたび問題を起こして寄宿学校を転々とし、最終的には感化院に入れられ、一時的に鉄格子生活を経験するはめにもなった。その後14歳より前述の食品店で働き始めた。

自分の居場所を求めていたアランは苦肉の策としてフランス海軍へ志願。未成年者は保護者の承諾が必要だったが、母は義父の言うがままに承諾した。この一件で、母への憎しみが根深く残ることになり、次第に女性不信という形で表れていった。こうして17歳で入隊し、マルセイユより貨物船に乗せられ、カービン銃の扱いだけを教わって第一次インドシナ戦争へ従軍することになった。1955年休戦協定によって20歳で無事除隊後はアメリカとメキシコを放浪、1956年に帰国後はパリのモンマルトルなど方々を転々とし、サン=ジェルマン=デ=プレに落ち着いた。

銀幕へのデビュー[編集]

1957年の夏、女優のブリジット・オーベール英語版から「カンヌ映画祭が開催されるから、ぶらぶらしてみたら? あなたほどの美貌なら、監督の誰かから声が掛かるかもしれないわよ?」と言われた。それがきっかけで、帰国後パリで知り合ったジャン=クロード・ブリアリと2人で、暑かったので上半身裸のままカンヌを歩いてみると、過去にロック・ハドソンを発掘したハリウッドの一流エージェント、ヘンリー・ウィルスンに「君はいい体をしている…」とスカウトされた。その3日後にローマチネチッタ撮影所にて、映画『武器よさらば』撮影中のデヴィッド・O・セルズニックスクリーンテスト英語版を受け合格し、アメリカ合衆国での成功に太鼓判を押され、英語の習得を条件に7年間の契約を持ちかけられる。しかし「私はフランス人なので、まずはフランスで勝負をしたい」と保留、女優エステラ・ブランの紹介で、イヴ・アレグレ監督の『女が事件にからむ時』(共演:ジャン=ポール・ベルモンド)でデビューした。

1959年、『恋ひとすじに』で共演した西ドイツの若手スター、ロミー・シュナイダーと同棲し婚約するも、1963年に破棄。1960年ルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい[2]に主演。ニーノ・ロータの曲と共に大ヒットし、世界的にその名を知られる。その後もクレマン監督作品など、数多くのフランス映画・イタリア映画アメリカ映画に出演し、自身が出演する作品のプロデュースも手がけるなどして活躍。ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』にも出演している。その後も『シシリアン』[3]『冒険者たち』『さらば友よ』[4]『暗黒街の二人』『ボルサリーノ』『栗色のマッドレー』『地下室のメロディ』『レッドサン』『友よ静かに死ね』『ショック療法』『ル・ジタン』『アラン・ドロンのゾロ』ほか多数の映画作品に出演した。他には、ドロンがトロツキーを演じた珍しい作品も存在する。ジョゼ・ジョバンニ監督との名コンビは、よく知られている。音楽活動では1973年に、ダリダとアラン・ドロン『甘い囁き』がヒットした。

私生活:女性遍歴[編集]

ロミー・シュナイダーと破局した後には、1963年、ナタリー・バルテルミー(のちナタリー・ドロン)と出会う。ナタリー(本名はフランシス・カサノヴァ)はモロッコカサブランカ出身で、育った境遇が似ていたことや、人生経験豊かなところに惹かれ、親しくなった。1964年にナタリーと結婚、息子アントワーヌ(後にアントニー・ドロン英語版の名でデビュー)が生まれる。この年には3人でアメリカ合衆国ビバリーヒルズに滞在。いくつかの映画に出演したり、アカデミー賞のプレゼンターにも立った。ナタリー・ドロンは後に映画『個人教授』に出演した。

1966年フランスへ帰国。映画『サムライ』に出演したことにより、女優を続けたいと願うナタリーと対立し、やがて離婚。その後、ミレーユ・ダルクと長い愛人関係にあった。1987年にオランダ人モデル、ロザリー・ファン・ブレーメンフランス語版と出会う。彼女とは籍は入れず、アヌーシュカ英語版アラン・ファビアン英語版の2子をもうけるが、2002年に別れた。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとのアルバムがある、ドイツ人のモデル歌手ニコとの関係も有名である。ニコは1962年にドロンとの子供である長男クリスティアンを生むが、彼は未だに認知をしていない。クリスティアンはドロンの実母に育てられた。

引退[編集]

2017年5月9日、今後出演する1本ずつの映画と舞台を最後に、引退するとの意向を示した[5]

日本での反響[編集]

日本での人気は絶大で、美男子の代名詞ともなった。また、女性のみならず、前述の『太陽がいっぱい』『さらば友よ』そして『冒険者たち』『サムライ』『地下室のメロディー』などで幅広い層のファンを獲得した。彼のファッションや映画のセリフ、立ち居振舞い、サングラス煙草の吸い方などに憧れたり、真似をする男性たちが続出した。本国など欧米でももちろん人気俳優ではあるが、どちらかといえば「芸術映画」「社会派映画」に好んで出演するタイプの俳優であり、日本での大衆的、アイドル的な人気ぶりは世界でも異例であった。

1963年(昭和38年)、4月1日から4月10日まで東京・丸の内東京商工会議所ホールで開催された第3回フランス映画祭(後援は在日フランス大使館ほか)のため初来日。日本のファン達の大歓迎をうけた。他にドロンと共に映画祭に参加したのは、映画監督のフランソワ・トリュフォーセルジュ・ブールギニョン、女優のマリー・ラフォレアレクサンドラ・スチュワルトフランソワーズ・ブリヨンフランス語版らであった。

1963年4月6日と1964年(昭和39年)6月9日、フジテレビ『スター千一夜』に出演。同6月13日にはNHK『夢であいましょう』に出演。映像は現存しないが、司会を務めていたデザイナーの女性と番組セット内で撮ったカラー写真が現存する。

ドロンがマリアンヌ・フェイスフルと共演した『あの胸にもう1度』(1968)では、黒革のバイク・スーツを着たマリアンヌがそれを脱ぎ捨てると、ヌードだったというシーンが話題になった。 1975年の『ル・ジタン』では、当時最高峰の性能を持った3気筒のバイクに乗り、警官隊に囲まれた自宅から門を開けるとともにウィリー走行(前輪を上げた状態での走行)で脱出する姿を見せ、観客を感心させた[6]

2010年には生誕75周年を記念して、「アラン・ドロン生誕75周年記念映画祭」が東京や京都で開催された[7]

人物[編集]

  • 1987年、モロッコでの15年間の投獄の末、脱走したマリカ・ウフキルは逃走中に自分たちの事実を伝えるため政治家やアーティストに20通ばかりの手紙を送ったが、返事があったのはアラン・ドロンただ一人だった。モロッコと関係のあるアラン・ドロンは弁護士を通じて「政治的立場をとるつもりはないが、マリカ・ウフキルたちに友情を伝えてくれと言い、物資面の援助や裁判費用も払う用意がある」と伝え、マリカ・ウフキルはこの厚意に心底感動したと語っている。

その他の活動[編集]

1970年代より、自身の名をブランド名にした香水のプロデュースに注力している。男性用香水「SAMOURAI」・「SHOGUN」・「47SAMOURAI」は日本文化に感化されたネーミング・ボトルと、パッケージのデザイン・調香から日本でも人気を博している。

1993年スイスで行われた女優オードリー・ヘプバーンの葬儀に参列。それまで交流があったことは一切報じられておらず、また、日本では長年人気投票の外国男優・外国女優部門の1位を獲得してきた人気俳優同士だった。彼は「僕は彼女を尊敬していた」と交流を語った。

1998年公開の『ハーフ・ア・チャンス』を最後に映画からの引退を公言した(その理由を「映画でやりたいことは全てやりきったから」と発言) が、復帰してテレビドラマ映画舞台など幅広く俳優活動を継続しており、2007年にはベストセラー小説マディソン郡の橋』の舞台化作品への出演が決まっている。

アラン・ドロンの日本語吹き替えの声優野沢那智が長く務めていた。 1964年東京オリンピックのメインスタジアム(新宿区霞ヶ丘町)の落成式に出席し併せて国立代々木競技場を訪問した。また東京モノレールの開業前に昭和島車両基地を訪れ、そこで試運転車両に乗車した[8]

チョコレート好き。好きなチョコレート菓子はスフレ。 ソープランド街として知られる吉原を訪れたこともあり、その時のお相手は、丸千代嬢というソープ嬢であった。丸千代嬢が在籍していた店は、「世界一の二枚目が遊んだ店」として、たちまち有名店に。写真週刊誌に丸千代嬢がヌードで告白した記事が掲載され、有名なエピソードになった。

2007年10月8日フジテレビ)の番組に出演した。出演した理由を「50年経ったし、そろそろ日本に来てもいいかな、と思って」「(日本には)昼飯を食べるためだけに来た。」とユーモアたっぷりに語り、前日の夜に日本に到着し、撮影日の午後9時に帰途に発つ、という強行スケジュールだった。彼が料理絡みの番組に出たのは日本の料理番組に出演した一度だけで、「招待してくれてうれしい」とのことだった。また、番組内では各出演映画の名場面や上記の44年前の初来日の時の貴重なニュースフィルム(モノクロ)なども紹介された。

また、フィルムデビュー50周年を記念して、2007年11月8日の72歳の誕生日から、2003年 - 2004年にフランスとドイツ共同制作で製作されたドラマ『アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ』がWOWOWで放送された。

大の格闘技好きであり、ドロン自ら格闘技の興行を主催したこともある。また、同じフランス人のK-1トップファイタージェロム・レ・バンナとは友人であり、映画で共演したこともある。

三船敏郎を尊敬しており、三船をイメージしてsamurai(サムライ)という名の香水や映画を作った。

エピソード[編集]

  • 当時ヨーロッパにおいて大スターがCMに出演することはまれであり、彼は企業からの出演依頼を頑なに断り続けていたが、映画「レッド・サン」の撮影中、共演者である三船敏郎チャールズ・ブロンソンからの説得に応じ快諾、こうして1971年5月より日本でのCM撮影は始められた[9]
  • ドロンの友人であるジェロム・レ・バンナは、2006年9月30日にK-1 WORLD GP開幕戦のメインイベントでチェ・ホンマンと対戦予定だった。しかし、バンナはドロンと共に映画『アステリックス』シリーズの最新作に出演中であり、バンナのマネージャーがバンナ本人の承諾を得る前に「撮影が終わる11月2日までは格闘技の試合はもちろん、スパーリングなどの怪我しやすい練習もしてはいけない」という契約を映画会社と結んでしまったことによって欠場が濃厚となっていた。しかし、バンナは開幕戦の半年以上前から、K-1主催者とフジテレビに映画撮影のため、開幕戦に出場できないことを伝えていたにもかかわらず、フジテレビから「出場しなければ契約を解除する」という理不尽な通告をされ、K-1ファイター人生の危機に陥っていた。そこでドロンが「君は戦うために生まれてきた男だ。そんな契約は気にせず、日本で試合をしてきなさい。後のことはこっちで何とかするから」と言ってバンナを撮影地のスペインから送り出したことにより、何とか開幕戦当日の試合開始6時間前に来日を果たした。そしてホンマン戦で勝利した後、リング上でマイクを握ったバンナは「快く送り出してくれたアラン・ドロンに感謝します」とコメントした。しかし、通訳者はこの言葉を省略した。
  • フジテレビの番組で、もうすぐ72歳になるのに若いことに対して若さの秘訣を聞かれたところ、「女性だ」と即答した。また、「カッコイイ男性は?」と聞かれた時は「三船敏郎」と答えた後、「でも、カッコイイ男性より美しい女性ですよ」と答えた。ちなみに、好きになる女性のタイプは「容姿とかではなく心にくるかどうかで、人種や国籍は関係ない」という趣旨の発言をしている。


主な出演作品[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1957年 女が事件にからむ時
Quand la femme s'en mêle
ジョー
黙って抱いて
Sois belle et tais-toi
Loulou
1958年 恋ひとすじに
Christine
フランツ・ロブハイナー
1959年 お嬢さん、お手やわらかに!
Faibles Femmes
ジュリアン・フェナル
学生たちの道
Le Chemin des écoliers
Antoine Michaud
1960年 太陽がいっぱい
Plein soleil
トム・リプレー
若者のすべて
Rocco e i suoi fratell
ロッコ・パロンディ
1961年 生きる歓び
Che gioia vivere
Ulysse Cecconato
素晴らしき恋人たち
Amours célèbres
アルバート王子
1962年 太陽はひとりぼっち
L'Eclisse
ピエロ
フランス式十戒
Le Diable et les dix commandements
ピエール
1963年 地下室のメロディー
Mélodie en sous-sol
フランシス・ヴェルロット
山猫
Il Gattopardo
タンクレディ
1964年 黒いチューリップ
La Tulipe noire
ジュリアン/ギヨーム・ド・サンプルー伯爵(二役)
危険がいっぱい
Les Félins
マルク
黄色いロールス・ロイス
The Yellow Rolls-Royce
ステファノ
1965年 泥棒を消せ
Once a Thief
エディ
1966年 名誉と栄光のためでなく
Lost Command
ピエール・エスクラビエ
パリは燃えているか
Paris brûle-t-il?
ジャック・シャバン=デルマス
テキサス
Texas Across the River
ドン・アンドレア・バルダザール
1967年 冒険者たち
Les Aventuriers
マヌー・ボレリー
サムライ
Le Samouraï
ジェフ・コステロ
悪魔のようなあなた
Diaboliquement vôtre
Pierre Lagrange/Georges Campo
1968年 世にも怪奇な物語
Histoires Extraordinaires
ウィリアム・ウィルソン
あの胸にもういちど
La Motocyclette
ダニエル・コロニー
さらば友よ
Adieu l'ami
ディノ・バラン
太陽が知っている
La Piscine
ジャン=ポール
1969年 ジェフ
Jeff
Laurent 兼製作
シシリアン
Le Clan des Siciliens
ロジェ・サルテ
1970年 ボルサリーノ
Borsalino
ロッコ・シフレディ 兼製作
仁義
Le Cercle rouge
コレー
栗色のマッドレー
Madly
ジュリアン
1971年 もういちど愛して
Doucement les Basses
シモン・メデュー
レッド・サン
Soleil Rouge
ゴーシュ
帰らざる夜明け
La Veuve Couderc
ジャン
1972年 暗殺者のメロディ
The Assassination of Trotsky
フランク・ジャクソン
高校教師
La Prima notte di quiete
ダニエレ・ドミニチ
リスボン特急
Un flic
エドゥアール・コールマン
ショック療法
Traitement de choc
Docteur Devilers
1973年 スコルピオ
Scorpio
ジャン・ローリエ 通称スコルピオ
燃えつきた納屋
Les Granges brulées
Pierre Larcher
ビッグ・ガン
Les Grands Fusils
トニー・アルゼンタ
暗黒街のふたり
Deux hommes dans la ville
ジーノ・ストラブリッジ
1974年 個人生活
La Race des 'seigneurs'
ジュリアン・ダンディーユ
愛人関係
Les Seins de glace
マルク・リルソン
ボルサリーノ2
Borsalino & Co.
ロッコ・シフレディ 兼製作
1975年 アラン・ドロンのゾロ
Zorro
ゾロ / ディエゴ
フリック・ストーリー
Flic Story
ロジェ・ボルニッシュ 兼製作
ル・ジタン
Le Gitan
ユーゴ・セナール 通称ジダン 兼製作
1976年 パリの灯は遠く
Monsieur Klein
ロベール・クライン
ブーメランのように
Comme un boomerang
ジャック・バトキン 兼製作
1977年 友よ静かに死ね
Le Gang
ロベール 兼製作
プレステージ
L'Homme pressé
ピエール 兼製作
チェイサー
Mort d'un pourri
Xavier 'Xav' Maréchal
1978年 ナイトヒート
Attention, les enfants regardent
1979年 エアポート'80
The Concorde ... Airport '79
ポール・メトラン機長
未知の戦場/ヨーロッパ198X
Le toubib
Jean-Marie Desprée
1980年 ポーカー・フェイス/アラン・ドロン・ウィズ・ジャック・ドレー
3 hommes à abattre
ミシェル 脚本/出演/製作
1981年 テヘラン 43
Tegeran-43
Georges Roche
危険なささやき
Pour la peau d'un flic
シュカス 監督/脚本/出演/製作
1982年 最後の標的
Le choc
マルタン・テリエ 兼脚本
1983年
Le battant
ジャック 監督/脚本/出演/製作
1984年 スワンの恋
Un amour de Swann
Baron de Charlus
真夜中のミラージュ
Notre histoire
ロベルト セザール賞 主演男優賞 受賞
1985年 復讐のビッグガン
Parole de flic
ダニエル・プラッツ
1986年 デーモン・ワールド
Le passage
ジャン・ディアス
1988年 アラン・ドロン/私刑警察
Ne réveillez pas un flic qui dort
Eugéne Grindel 兼脚本
1990年 ヌーヴェルヴァーグ
Nouvelle Vague
ロジェ・レノックス / リシャール・レノックス
1992年 カサノヴァ最後の恋
Le Retour de Casanova
カサノヴァ 兼製作総指揮
1995年 百一夜
Les Cent et une nuits de Simon Cinéma
アラン・ドロン
1998年 ハーフ・ア・チャンス
Une chance sur deux
ジュリアン
2002年 アラン・ドロンの 刑事物語
Fabio Montale
ファビオ・モンタル テレビ・ミニシリーズ
2003年 - 2004年 アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ
Frank Riva
フランク・リーヴァ テレビシリーズ

ディスコグラフィ[編集]

  • 甘い囁き - ダリダとアラン・ドロン(1973年)

受賞歴[編集]

ゴールデングローブ賞
1964年 有望若手男優賞 『山猫』 - ノミネート
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞
1972年 特別賞 - 受賞
セザール賞
1977年 最優秀男優賞 『パリの灯は遠く』 - ノミネート
1978年 最優秀男優賞 『チェイサー』 - ノミネート
1985年 最優秀男優賞 『真夜中のミラージュ』 - 受賞
ベルリン国際映画祭
1995年 名誉金熊賞 - 受賞

関連項目[編集]

出典・脚注[編集]

外部リンク[編集]