14世紀

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千年紀: 2千年紀
世紀: 13世紀 - 14世紀 - 15世紀
十年紀: 1300年代 1310年代 1320年代 1330年代 1340年代
1350年代 1360年代 1370年代 1380年代 1390年代
ナスル朝アルハンブラ宮殿・二姉妹の間。
黒死病の犠牲者を運び出すフランドル地方のトゥルネーの人々。
百年戦争が始まり、イングランド軍優位のうちにクレシーの戦いでフランス軍は大敗北を喫した。
皇帝ハインリヒ7世を選出する七選帝侯。神聖ローマ帝国では諸侯の分権化が強く選帝侯を味方につけることで帝権は維持された。やがてこの選出方法は金印勅書で法制化されることになる。
教皇のバビロン捕囚。フランス王フィリップ4世の圧力で教皇クレメンス5世アヴィニョンに移された。画像はアヴィニョン教皇宮殿の正面入り口。
ダンテとベアトリーチェ。ダンテは地獄・煉獄・天国をまわる壮大な『神曲』を書いた詩人。画像は19世紀のヘンリー・ホリデーによるもの。
後醍醐天皇鎌倉幕府を亡ぼし建武の新政を行ったが、政権崩壊後には逃れて吉野に南朝を立てた。画像は清浄光寺所蔵の肖像画。
足利義満。室町幕府3代将軍で南北朝の統一を行い、将軍位を息子義持に譲ってからも法体で実際の政治を握っていた。画像は鹿苑寺所蔵の肖像画。
西アフリカのマリ王国の王マンサ・ムーサ。イスラム教徒としてメッカに巡礼に向かう旅路で黄金を惜しみなく使った逸話で知られる。
歴史家ラシードゥッディーン。その当時の知られていた世界の歴史を『集史』としてまとめ上げた。画像は彼が仕えたイル・ハン国の君主ガザンとオルジェイトゥの兄弟を描いた『集史』の挿絵。
モンゴル帝国の分裂後の中央アジア・西アジアをティムールが統一。図は1370年のバルフ包囲戦を描いたもの。
ヴィジャヤナガル王国の興隆。この王国の時代に南インドのヒンドゥー教も活気を取り戻した。画像はその都ヴィジャヤナガル(ハンピ)のヴィルーパークシャ寺院。
チベット仏教の改革者ツォンカパ。綱紀粛正に努め左道密教を退けて現在のダライラマに連なるゲルク派(黄帽派)を大成した。
明の洪武帝朱元璋。モンゴル人の元朝を北方に追いやり、漢民族の王朝を復興した。

14世紀(じゅうよんせいき)は、西暦1301年から西暦1400年までの100年間を指す世紀。この項目では、国際的な視点に基づいた14世紀について記載する。

14世紀の歴史[編集]

世界[編集]

14世紀のヨーロッパではペストにより人口が大きく減少(詳細は後述)した後、イタリアルネサンスにより、新しい時代へと大きく転換した。

13世紀にユーラシア大陸を覆っていたモンゴル帝国は弱体化し、アジア各地に明王朝ティムール朝など地域的な新しい国家が誕生、モンゴル帝国の元王朝は明王朝の脅威から逃れるため、大都を捨て北部モンゴル高原へ退去した(以後、北元と呼ばれる)。一方、13世紀末に成立したオスマン帝国も勢力を拡大した。

ペスト(黒死病)の大流行[編集]

正確な統計はないが、全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが、この大流行の背景にあると考えられている。

日本[編集]

14世紀の日本は、時代区分上では中世鎌倉時代後期から室町時代の初期(南北朝時代の全期間を含む)にあたる。

鎌倉時代[編集]

2度に渡る元寇を撃退し、得宗権力を強めた鎌倉北条政権であったが、武士たちに募る恩賞の不満や徳政令の発布、霜月騒動平禅門の乱などによる政治的混乱で政権への不満を招いていた。

南北朝時代・室町時代[編集]

後醍醐天皇の討幕運動に足利尊氏新田義貞らの活躍で鎌倉幕府は滅亡し、後醍醐天皇は建武の新政と呼ばれる天皇親政を開始する。新政は唐突な改革による混乱と恩賞などに対する武士層を中心とする不満を招き、離反した尊氏が京都室町幕府を開いて北朝を立てると、吉野に逃れた後醍醐天皇の南朝と対立する(南北朝時代)。

その後南朝の勢力は衰亡するが、尊氏と弟直義が対立する内紛(観応の擾乱)が起き、南朝は混乱に乗じて息を吹き返す。幕府内部での政治抗争は3代将軍足利義満の時代まで続き、抗争により有力守護大名が南朝に奔るといった状態が繰り返される。今川貞世が九州へ派遣されて平定を完了すると、室町幕府の権力は確立され、1392年に義満により南北朝の合一が行われる。これより前の1379年には室町幕府の政治事件「康暦の政変」も起こっており、以後義満は1391年に明徳の乱、1399年に応永の乱を自らの主導により誘発して対抗勢力を駆逐し、やがて天皇の権威にせまる将軍権力を確立する。

近隣諸国との関係・琉球の情勢[編集]

元寇により日本と元朝の公式の通商は途絶えたが、天龍寺船などの寺社造営資金の調達のための貿易船(寺社造営料唐船)の派遣や、留学僧の渡来など、ある程度の交流は続いていた。14世紀の東アジアには倭寇と呼ばれる海上勢力が活動しており(14世紀の倭寇は「前期倭寇」と呼ばれる)、中国で1368年に成立した明王朝では、日本に倭寇鎮圧を求めており、この頃九州に割拠していた南朝勢力である懐良親王は明の使節を迎えて冊封を受ける。15世紀に入って足利義満が冊封を受けなおして「日本国王」となり、大陸との交流は絶頂を迎える。

一方、当時の朝鮮半島でも倭寇征伐が行われており、その過程で名声を得た李成桂高麗王朝を倒し李氏朝鮮が成立する。

琉球では中山・南山・北山の三山時代を迎えて、いずれも明王朝に朝貢をし、高麗にも使節を送っていた。三山のうち中山が勢力を拡大し、15世紀に琉球王国の成立にいたる。

できごと[編集]


1300年代[編集]

1310年代[編集]

  • 1311年
  • 1312年
  • 1314年
    • バノックバーンの戦いで、イングランド軍がスコットランド軍に大敗し支配権を喪失。
    • フランスで「ネールの塔」事件が発覚する。国王フィリップ4世が死去。
  • 1315年
    • 北条基時が鎌倉幕府第13代執権に就任。
    • モルガルテンの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利。
  • 1315年-1321年頃
  • 1316年
  • 1317年
    • 鎌倉幕府が持明院・大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる(文保の和談)。
    • アヴィニョン教皇ヨハネス22世の回勅「クォルムダム・エクスィギト」により清貧論争が激化。
  • 1318年
    • 花園天皇が譲位し、第96代後醍醐天皇が即位。
    • イル・ハン国宰相であったラシードゥッディーンが処刑される。

1320年代[編集]

1330年代[編集]

  • 1330年
    • イングランド王エドワード3世が母后イザベラとマーチ伯を失脚させる。
  • 1331年。
    • 元弘の変( - 1333年)。
      • 8月 後醍醐天皇が三種の神器を持って笠置山に入る。
      • 9月 鎌倉幕府の奏請により、量仁親王が即位して北朝初代光厳天皇となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。
      • 10月 後醍醐天皇が神器を光厳天皇に渡す。
  • 1332年
    • 鎌倉幕府、後醍醐天皇を隠岐島に流す。
  • 1333年
    • 鎌倉幕府の滅亡。
      • 2月 後醍醐天皇が隠岐島を脱出し、船上山の戦いで幕府軍を退ける。
      • 5月 足利尊氏が六波羅探題を制圧する。
      • 5月 新田義貞が鎌倉を陥落させる。東勝寺で北条氏一族郎党が自害(東勝寺合戦)。
      • 5月 後醍醐天皇が、光厳天皇と正慶の年号を廃止する。
    • 建武の新政の始まり。
  • 1334年
  • 1335年
    • 北条時行中先代の乱を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に護良親王を殺害。
    • ハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハンによるヴィシェグラード会議。
    • イルハン朝のアブー・サイードが暗殺され、フレグ王統は断絶。
  • 1336年
  • 1337年
  • 1338年
    • 室町幕府の成立。
      • 5月 北畠顕家高師直らと堺浦石津に戦うが敗死。
      • 7月 新田義貞が斯波高経らと越前藤島で戦うが敗死。
      • 8月 北朝が足利尊氏を征夷大将軍とする。足利尊氏室町幕府初代将軍となる。
    • レンゼ選帝侯会議により、神聖ローマ皇帝の選出にローマ教皇の承認は不必要だと決定される。
  • 1339年
    • 8月15日、後醍醐天皇が譲位し、第97代後村上天皇が即位。翌16日、後醍醐天皇、52歳で没する。

1340年代[編集]

1350年代[編集]

1360年代[編集]

1370年代[編集]

1380年代[編集]

1390年代[編集]

1400年代[編集]

人物[編集]

キリスト教世界[編集]

ローマ教皇[編集]

フランス・フランドル[編集]

イタリア[編集]

神聖ローマ帝国[編集]

イングランド[編集]

スコットランド[編集]

東ローマ帝国[編集]

東欧[編集]

北欧[編集]

イベリア半島[編集]

イスラム世界[編集]

南アジア・東南アジア[編集]

東アジア[編集]

元・明[編集]

チベット[編集]

高麗・朝鮮[編集]

日本[編集]

フィクションのできごと[編集]

  • 1307年 - ウィルヘルム・テル(ウィリアム・テル)が息子の頭上のリンゴを射抜き、余勢をかってハプスブルク家の代官ヘルマン・ゲスラーを倒し、スイス独立の端緒となる(スイスの伝説)。
  • 1326年以降 - 鎌倉幕府の執権であった北条高時(相模入道)が田楽に興じていたところ「天王寺のやようれぼし(妖霊星)を見ばや」と歌う天狗たちに取り囲まれて前後不覚のまま翻弄される(『太平記』、河竹黙阿弥の歌舞伎狂言『北条九代名家功(高時)』)。
  • 1327年 - 北イタリアのカトリック修道院にて怪事件が連続して発生。その謎をバスカヴィルのウィリアムとその弟子のメルクのアドソが解き明かしていく(ウンベルト・エーコ薔薇の名前』)。
  • 14世紀後半から15世紀初頭 - オスマン朝のムラト1世からバヤジット1世の時代にかけてトルコ人トリックスターナスレッディン・ホジャが活躍し、ティムールとの交流も挿話として残っている(『ナスレッディン・ホジャ物語』。12世紀の人物だという説や、架空人物説もあり)。

脚注[編集]

注釈

出典

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10年紀と各年[編集]

1300年代 1300 1301 1302 1303 1304 1305 1306 1307 1308 1309
1310年代 1310 1311 1312 1313 1314 1315 1316 1317 1318 1319
1320年代 1320 1321 1322 1323 1324 1325 1326 1327 1328 1329
1330年代 1330 1331 1332 1333 1334 1335 1336 1337 1338 1339
1340年代 1340 1341 1342 1343 1344 1345 1346 1347 1348 1349
1350年代 1350 1351 1352 1353 1354 1355 1356 1357 1358 1359
1360年代 1360 1361 1362 1363 1364 1365 1366 1367 1368 1369
1370年代 1370 1371 1372 1373 1374 1375 1376 1377 1378 1379
1380年代 1380 1381 1382 1383 1384 1385 1386 1387 1388 1389
1390年代 1390 1391 1392 1393 1394 1395 1396 1397 1398 1399
1400年代 1400 1401 1402 1403 1404 1405 1406 1407 1408 1409

関連項目[編集]