紀元前15世紀

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千年紀: 紀元前2千年紀
世紀: 紀元前16世紀 - 紀元前15世紀 - 紀元前14世紀

紀元前15世紀(きげんぜんじゅうごせいき)は、西暦による紀元前1500年から紀元前1401年までの100年間を指す世紀。この項目では、国際的な視点に基づいた紀元前15世紀について記載する。

出来事[編集]

ボアズキョイハットゥシャ)の獅子門。ボアズキョイは紀元前17世紀から紀元前13世紀にかけて繁栄したヒッタイト王国の都。
ハトシェプスト女王葬祭殿。ハトシェプスト女王の側近で建築家でもあるセンムトによってルクソールに建てられた。デル・エル・バハリ(アラビア語で「北の修道院」)とも呼ばれる。
クノッソス宮殿の女性壁画「パリジェンヌ」。神に仕える巫女を描いたと考えられるがその現代風な小粋な横顔から「パリジェンヌ」の名がつけられている。

紀元前1500年代[編集]

紀元前1470年代[編集]

  • 紀元前1479年頃 - エジプトでトトメス2世が死去。
  • 紀元前1475年頃 - カッシート王ウラム・ブリアシュがバビロン第2王朝を滅ぼしバビロニアを統一。
  • 紀元前1470年頃 - ハトシェプストによるプント交易。
    • ソマリアにあったプントは香料(乳香没薬)の産地として知られていた。
    • プント王パラフと王妃アティの肖像もハトシェプスト葬祭殿壁画に残っている。

紀元前1450年代[編集]

  • 紀元前1458年頃 - ハトシェプストが死去。
    • トトメス3世の単独統治が始まり、記念碑からハトシェプストの記録は抹消される。
  • 紀元前1457年頃 - メギドの戦い
    • トトメス3世率いるエジプト軍とカデシュ王率いるカナン連合軍とが戦う
  • 紀元前1450年頃
    • クレタ島のミノア文明は新宮殿時代末期。
      • クノッソス宮殿の女性壁画「パリジェンヌ(La Parisienne イラクリオン考古学博物館蔵)」がこの時代のもの( - 紀元前1350年)。
    • ミケーネ文明のコイネー期( - 紀元前1250年頃)、ギリシア各地が征服され、アナトリアまで進出。
      • この時期までにギリシャ本土からクレタ島を含むエーゲ海諸島の王宮で線文字Bが使用され始める。
    • エジプト王トトメス3世がキプロス島を支配下に置く。
      • キプロスはこの当時アラシアと呼ばれ銅の生産地として有名であり、後にキプロス(Cyprus)は「銅(copper)」の語源となった。
    • トゥドハリヤ1世が即位しヒッタイトは新王国時代を迎える。
      • この時期ヒッタイトは、ミタンニ・カシュカ・アルザワ・アヒヤワ・アシュワと戦い領土を拡大。

紀元前1440年代[編集]

紀元前1420年代[編集]

  • 紀元前1427年頃 - エジプト王アメンホテプ2世が即位( - 紀元前1401年)。

紀元前1400年代[編集]

  • 紀元前1401年頃 - エジプト王トトメス4世が即位( - 紀元前1391年)。
    • ヒッタイトに対抗するためミタンニと同盟を結び、ミタンニ王アルタタマ1世王の王女と結婚する。
    • 「夢の碑文」によるとこの王のもとで砂に埋もれていたギザの大スフィンクスが掘り起こされ修復される。

人物[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

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関連項目[編集]