紀元前8世紀

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千年紀: 紀元前1千年紀
世紀: 前9世紀 - 紀元前8世紀 - 前7世紀
「カピトリヌスの雌狼」(カピトリーノ美術館蔵)。狼の乳を飲むロームルスレムスの銅像。ロームルスは伝承上の都市国家ローマの建国者。
「ディピュロンのアンフォラ」。ギリシア陶器の幾何学様式後期を代表する名品で現在はアテネ国立考古学博物館が所蔵している。
ホメロス。『イリアス』『オデュッセイア』をまとめたとされる盲目の吟遊詩人。画像はウィリアム・ブーグローによる歴史画「ホメロスと案内人」。
ウラルトゥ王国の繁栄と凋落。ウラルトゥの王サルドゥリ2世の時に勢力が最大となったが、隣国アッシリアに攻め込まれて衰退した。画像はウラルトゥの主神ハルディの像(アルメニアエレバン・エレブニ要塞博物館蔵)。

紀元前8世紀(きげんぜんはちせいき、きげんぜんはっせいき)は、西暦による紀元前800年から紀元前701年までの100年間を指す世紀

できごと[編集]

紀元前800年代[編集]

紀元前780年代[編集]

  • 紀元前780年 - 周で涇水・渭水・洛水の三川の水が涸れて岐山が崩れる大地震が発生(三川岐山地震)。

紀元前770年代[編集]

紀元前760年代[編集]

  • 紀元前763年

紀元前750年代[編集]

紀元前740年代[編集]

紀元前730年代[編集]

紀元前720年代[編集]

紀元前710年代[編集]

  • 紀元前719年 - の公子州吁が兄の桓公を殺害し君主となる。
    • 州吁は鄭の公子共叔段と組みと連合して、鄭の荘公を攻撃するが失敗し処刑される(東門の戦い)。
  • 紀元前717年 - アッシリア王サルゴン2世がカルフ(ニムルド)からドゥル・シャルキン(コルサバド遺跡)へ遷都。
  • 紀元前716年頃 - リュディアでヘラクレス家のカンダウレス王に代わり、メルムナス家のギュゲスが王になる。
  • 紀元前716年 - ローマ王ロームルスが死去し、サビニ人ヌマ・ポンピリウスが第2代ローマ王に選出される。
  • 紀元前714年 - アッシリア王サルゴン2世によりウラルトゥ王ルサ1世が大敗しムサシルが陥落する。
  • 紀元前713年 - アッシリア王サルゴン2世が新ヒッタイト系のタバル王国を制圧する。
  • 紀元前710年頃 - レラントス戦争によりハルキスエレトリアがエウボイアの覇権をめぐり激突( - 紀元前650年頃)

紀元前700年代[編集]

  • 紀元前709年
    • アッシリア王サルゴン2世がバビロンを陥落させ「バビロニア王」を名乗る。
    • 陘廷の戦いで、晋の分家である曲沃の姫称(後の晋の武公)が宗家の哀侯と小子侯を滅ぼす。
  • 紀元前707年 - 東周の桓王が蔡・衛・陳と連合して鄭を攻撃したが撃退される(繻葛の戦い)。
    • 鄭の荘公はこの戦いで威信を高め「春秋の小覇」と呼ばれた。対して周王室の力の衰えが明らかになった。
  • 紀元前706年 - スパルタのパルテニアイらによるタラス(イタリア半島南端の現タレントゥム)植民市の建設。
  • 紀元前705年 - アッシリア王サルゴン2世死去。後継のセンナケリブドゥル・シャルキンからニネヴェへ遷都。
  • 紀元前703年 - アッシリア王センナケリブがバビロニア王メロダク・バルアダン2世を倒し、傀儡政権を擁立するがバビロニアの政情は不安定。
  • 紀元前700年以前 - フリギア王国の都ゴルディオントルコのヤッスホユック遺跡)に「ミダス王の墓」が建てられる。
  • 紀元前700年頃 - ヘシオドスの『神統記』『仕事と日』が成立。

人物[編集]

中国[編集]

王政ローマ[編集]

ギリシア[編集]

オリエント[編集]

南アジア[編集]

技術・社会[編集]

  • この頃日本弥生時代が始まる(確定していない)。中国の戦乱の余波を受け、中国から日本に移住が続いたことが想定されている。

脚注[編集]

注釈

出典

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関連項目[編集]