歴史

歴史(れきし、英: history)は、主として人間の過去を対象とする、過去についての体系的研究である。また、一般には、何らかの事物が時間的に変遷したありさま、あるいはそれに関する文書・記録・叙述を指す[1]。歴史は、国家や文明など人間の社会を主要な対象としてきたが[2][3]、その対象は政治・経済・社会・文化・思想・環境など多方面に及ぶ。
学問としての歴史学は、証拠を収集・分析・解釈し、過去に何が起こったのか、またそれがなぜ起こったのかを説明する叙述を構成する営みである[4]。歴史家は、一次資料や二次資料を用い、史料批判によってそれらの真正性・信頼性を検討し、複数の証拠を統合して過去を再構成する[5]。歴史は社会科学に分類されることもあれば、人文学の一分野とされることもあり、両者の性格を併せ持つ学問とみなされることもある[6]。
定義
[編集]歴史という語は、少なくとも二つの意味を持つ。一つは、過去に実際に起こった出来事や変化そのものを指す意味である。この意味での歴史は、個人、社会、制度、国家、文明、自然環境などが時間の中で変化してきた過程を指す。もう一つは、そのような過去の出来事や変化を、一定の観点や方法に基づいて記述・記録・解釈したものを指す意味である。後者はより厳密には歴史叙述、すなわち史学史と呼ばれる[7]。
この区別は、過去そのものと、過去についての叙述との違いに関わる。過去そのものはすでに起こった出来事の連なりであり、変化しない。これに対して、歴史叙述は、史料の発見、既知の史料の再解釈、研究方法の変化、社会的関心の変化などによって変化しうる。したがって、歴史は単なる出来事の列挙ではなく、証拠に基づいて過去を解釈し、因果関係・文脈・意味を説明する知的営みでもある[8]。
history (ヒストリー)の語源である古代ギリシア語の historia (ヒストリア)は「探究」を意味し、歴史は過去の出来事の連続や総和だけでなく、それらの出来事の意味連関を探究する人間の作業としても理解される。この点で、歴史は出来事の記録であると同時に、それらを意味づけ、相互の関係を考察する営みでもある[9]。
年代記は、出来事を時系列に記録する形式であり、歴史叙述の重要な先行形態である。しかし、歴史は単に出来事を年代順に並べるだけでなく、それらの原因、背景、結果、相互関係を理解しようとする点で、年代記より広い説明的性格を持つ[10]。
意義と対象
[編集]歴史の対象は、人間社会の過去を中心とする。伝統的には、文字資料が残る有史時代の政治・戦争・王朝・国家制度などが主要な対象とされた。歴史は長く文字資料を中心に扱い、文字の発明以前の先史時代は考古学などの分野に委ねられる傾向があった[11]。しかし、20世紀以降、歴史研究の範囲は大きく拡大し、文字資料に残りにくい社会集団、日常生活、文化、ジェンダー、環境、感情、記憶、身体、移民、災害なども研究対象となった。また、考古学、人類学、自然科学などの成果を用いることで、文字の発明以前の人間の過去についても歴史的に検討されるようになった[12]。
ヴィルヘルム・ヴィンデルバントの科学分類によれば、自然科学が反復可能な一般法則を対象とするのに対し、歴史科学が対象とする歴史は、反復不可能な一回限りの個性を持つものとされる。この考え方は、歴史が自然科学のように普遍的法則を発見する学問であるのか、それとも個別的出来事の意味を理解する学問であるのかという、歴史哲学上の問題と関係している[13]。
また、現在に至るまでの経過や由来を指して「来歴」ということがある[14]。
歴史は、史学上の基準から逸脱する実践である疑似歴史(偽史)と区別される。疑似歴史は、争いのある証拠に過度に依拠したり、真の証拠を選択的に無視したり、歴史記録を歪めたりする実践を指す。多くの場合、特定のイデオロギー的目的に動機づけられ、歴史的方法を模倣しながら、厳密な分析や学術的合意を欠いた叙述を提示するものである[15]。
歴史の目的
[編集]歴史の目的や価値については、さまざまな見解がある。一つの立場は、歴史の第一の目的を、過去についての真理を明らかにすることに置く。この見方では、歴史研究は、神話、伝承、政治的宣伝、集団的記憶などを批判的に検討し、史料に基づいて過去の出来事をできるかぎり正確に理解する営みである[16]。
別の立場は、歴史の価値を、現在や未来に対する教訓に求める。過去の成功や失敗、制度の変化、戦争や革命、社会運動、経済危機などを理解することは、現在の意思決定や社会認識に影響を与えることがある[17]。また、歴史は、異なる文脈における人間行動の多様性を理解し、人間社会や人間行動についての一般的認識を深める役割も持つ[18]。
歴史はまた、集団の同一性や文化的記憶を形成する役割も持つ。国家、民族、地域社会、宗教団体、家族などは、共有された過去の物語を通じて自己理解を形成することがある[19]。ホイッグ史家やマルクス主義の影響を受けた歴史家として論じられることのあるE・H・カーを含む一部の研究者にとって、歴史は現在を理解する鍵であり、カーにおいては未来を形づくるための手がかりでもあった[20]。
歴史叙述の用途は一つではない。歴史は、現実の行動に対する教訓、未来を考えるための判断材料、先人の顕彰や記念、共通の過去記憶を確認して連帯を形成する手段などとして用いられてきた。こうした用途の違いは、歴史叙述の形式にも影響を与える。叙事詩的伝統を受け継ぐ物語風の歴史、救済史観や階級闘争史観のように何らかの理念の実現過程を描く歴史、大小の出来事を継続的に記録する年代記、個人や集団の由来を示す伝記・国民史・教会史・都市史などは、それぞれ異なる目的に応じて発展してきた[9]。また、何を歴史叙述の対象として選ぶかは、利用できる史料だけでなく、叙述者が自らをどのような共同体や主体に属するものとみなすかにも左右される。古代の戦争史、中世の救済史、近代の国民史、階級史観などは、叙述の対象と主体がしばしば密接に結びつく例である[9]。
その一方で、歴史は政治的・イデオロギー的目的のために利用されることもある。たとえば、特定の伝統や制度を正当化するために過去が強調されたり、過去の不正義を示すことで変革が促されたりする場合がある[21]。極端な場合には、証拠を無視または歪曲することによって、先述した疑似歴史や歴史否定主義が生じる[22]。その影響力の大きい例として、アルメニア人虐殺否認、ホロドモール否認などがある[23]。
このため、歴史研究では、史料に基づく検証、複数の視点の比較、叙述者の立場や文脈への自覚が重要となる。
語源
[編集]日本語の「歴史」
[編集]「歴史」という単語は、『三国志』巻47呉主伝の裴松之注に「雖有餘閒,博覽書傳歷史」とあるのが、現在確認できる古い例の一つである。また、『南斉書』巻40武十七王伝にも「積代用之爲美,歷史不以云非」と見える。しかし、中国では「歴史」という語は長く一般的な語としては広く普及せず、書名に用いられた例としては、明の袁黄が著した『歴史綱鑑補』が知られる[24]。
『歴史綱鑑補』は、司馬光の『資治通鑑』以下の通鑑類を合わせた書物であり、これが日本に移入されたことで、江戸時代の日本において「歴史」という用語が普及し始めた。林鵞峰は弟の林読耕斎への書簡で「古今を商量し、歴史を可否す」と記しており(1660年)、その後、日本では「歴史」を書名に含む書物が現れた。江戸時代には、「歴史」を書名に含む書物が20点出版されている[25]。
このような背景のもと、幕末に西洋語の辞書や翻訳書が作成される際、history の訳語として、「縁起」「記録」「史書」などの語とともに「歴史」も用いられるようになった。早くは堀達之助の『英和対訳袖珍辞書』(1862年)で、 history に「歴史」「記録」が当てられた。また、ジェームス・カーティス・ヘボンの『和英語林集成』(1867年)にも rekishi の見出しが登場する。さらに、フランス語辞書では『官許仏語辞典』(1871年)で histoire が「歴史、記録」とされ、ドイツ語辞書では『孛和袖珍字書』(1872年)で Geschichtsbuch が「歴史本」、Geschichtskunde が「歴史学」と訳された。こうして、西洋語の history に対応する訳語としての「歴史」が定着し、日本での訳語としての「歴史」は、清朝以降の中国語にも取り入れられていった[26]。
historia・history
[編集]
英語の history やフランス語の histoire は、ラテン語の historia を経て、古代ギリシア語の ἵστωρ(histōr、「学識ある者」「賢者」)および ἱστορία(historiā)に由来する。この語は本来、一般的な探究や証言と関係する広い意味を持っていた。ヘロドトスの著作『歴史』の原題 Ἱστορίαι(Historiai)は、この語の複数形である[27]。
ヘロドトスは、リディア王国以降のペルシア地方の発展を中心に、プラタイアの戦いにおいてギリシアがペルシア帝国の軍隊を破るまでを叙述した。そのため、古代における歴史叙述は戦争や政争と強く結びついていたが、時代が下るにつれて、より広範な事象を扱う語として一般化していった[28]。
ヘレニズム時代およびローマ時代には、historia の意味は、調査や証言そのものよりも、過去の出来事を叙述し表現する技法に重点を移した。中世ヨーロッパ諸語では、この語は「物語」「話」をも意味し、事実に基づく叙述と虚構の叙述の双方を含んでいた[29]。15世紀には、この語は過去についての叙述に加えて、過去を研究する知識分野を含むようになった[30]。18世紀から19世紀にかけて、歴史研究の専門化とともに、history は証拠に基づく過去の研究や事実的叙述を指す意味を強めた[31]。
このように、history に相当する語は、多くのヨーロッパ諸語において、過去そのもの、過去についての叙述、物語、学問分野としての歴史を重ねて意味する。フランス語の histoire、イタリア語の storia、ドイツ語の Geschichte も、同様に過去の出来事とそれについての叙述の両方を指しうる[32]。
方法
[編集]歴史的方法とは、歴史家が過去を研究し、解釈するために用いる方法の総称であり、史料の収集、評価、総合の過程を含む。狭義には、歴史的方法は史料の評価または批判に限定して理解されることもある[33]。歴史的方法は、歴史の証拠がどのように選択され、分析され、解釈されるかについて、学問的厳密性、正確性、信頼性を確保しようとするものである[34]。
歴史記録は、特定の時代・地域・制度・社会集団のなかで作成されるため、作成者の立場、目的、知識、価値判断、政治的・宗教的・社会的文脈を反映する。また、過去に存在した記録がすべて均等に保存されているわけではなく、失われた史料や、そもそも記録されにくかった経験もある。このため、歴史家は、史料の作成過程、伝来、保存状況、記述の偏りを検討し、複数の史料を照合しながら過去を再構成する必要がある[35]。
歴史研究は、多くの場合、研究課題から始まる。研究課題は探究の範囲を定める役割を持つ。研究課題には、ある出来事がどのように起こったのかを記述するものもあれば、なぜその出来事が起こったのかを説明するもの、既存の解釈を再検討するもの、新たな仮説を検証するものもある。研究課題が定まることで、扱う時代、地域、対象、史料の範囲が決まる[36]。
史料と史料批判
[編集]歴史研究は、過去を再構成し、解釈を支えるために、さまざまな史料に依拠する。歴史的証拠は通常、一次資料と二次資料に分けられる[37]。一次資料とは、研究対象となる時代や出来事に近い時点で作成された資料である。これには、公文書、書簡、日記、記録、目撃証言、新聞、写真、音声記録、映像記録、地図、統計資料などが含まれる。また、考古学、地質学、医学などで扱われる遺物、遺構、人骨、化石、環境資料なども、広い意味で過去を示す一次的証拠となる[38]。
文字資料だけが過去を伝える資料ではない。考古学的遺物、建造物、図像、道具などの物質資料や、口頭で伝えられてきた伝承も、人間の過去の営みやそれに対する人々の意識を知るための重要な資料となる。文字の使用は人類史全体から見れば限られた時代と社会の現象であり、文字を用いなかった社会にも、それぞれ固有の過去と歴史意識が存在した。そのため、文字資料を中心とする史料批判に加え、考古学、比較民族学、文化人類学、口頭伝承の採録・分析なども、過去を復元するための重要な方法となってきた[39]。

二次資料とは、他の資料に含まれる情報を分析または解釈する資料である[41]。歴史家による研究書、論文、概説書、事典項目などがこれにあたる。ただし、ある資料が一次資料であるか二次資料であるかは、その資料そのものの性質だけでなく、研究上どのような目的で用いられるかにも左右される。たとえば、ある歴史家が奴隷制について書いた研究書は、奴隷制そのものを研究する場合には二次資料であるが、その歴史家の思想や時代的背景を研究する場合には一次資料となりうる[42]。
利用可能な史料との整合性は、歴史叙述を評価する主要な基準の一つである。たとえば、新たな史料の発見により、歴史家はそれまで受け入れられていた叙述を修正したり退けたりすることがある[43]。一次資料や二次資料を探し利用するために、歴史家は文書館、図書館、博物館を参照する。文書館は、多数の原資料を保存し、体系的かつ利用可能な形で研究者に提供するため、歴史研究において中心的役割を果たす。技術の発展により、歴史家は特定の文書を検索・利用できる膨大なデジタルデータベースを備えたオンライン資源にも、ますます依拠するようになっている[44]。
歴史記録や史料は、ただ存在するだけで歴史的事実を直接語るわけではない。史料は特定の時代・地域・制度・社会集団のなかで作成されるため、作成者の立場、目的、知識、価値判断、政治的・宗教的・社会的文脈を反映する。また、過去に存在した記録がすべて均等に保存されているわけではなく、失われた史料や、そもそも記録されにくかった経験もある。このため、歴史家は、史料の作成過程、伝来、保存状況、記述の偏りを検討し、複数の史料を照合しながら過去を再構成する必要がある[45]。
史料批判とは、史料が提供する情報を分析・評価する過程である。レオポルト・フォン・ランケが史料評価を重視したことは、歴史研究の実践に大きな影響を与えた[46]。史料批判は大きく、外的批判と内的批判に分けられる。外的批判は、史料の真正性を評価する作業である。そこでは、史料がいつ、どこで、誰によって作成されたのか、作成者がその史料を作成した理由は何か、作成後に改変を受けていないかが問われる。また、原本、写本、偽作を区別することも含まれる[47]。
内的批判は、史料の内容を評価する作業であり、通常は史料に含まれる意味を明確にすることから始まる。そこでは、誤解されうる語句の意味を確定し、必要に応じて史料全体を翻訳・解釈する。歴史家は、史料の語が用いられた文脈や時代を考慮し、現代語とは異なる意味を持っていた可能性を検討する[48]。そのうえで、記述された情報が信頼できるものか、対象を誤って伝えていないか、重要な細部を省略していないかを問う。作成者が出来事を忠実に伝える立場にあったか、意図や偏見がどのように影響したか、他の信頼できる史料と照合したときに整合するかも検討される[49]。
史料批判においては、複数の史料を照合することが重要である。ある史料が特定の出来事を記していても、他の史料と矛盾する場合には、その理由を検討する必要がある。矛盾は、一方の史料が誤っていることを示す場合もあれば、異なる立場や目的から同じ出来事が記録されたことを示す場合もある。また、史料が存在しないこと自体も、歴史的に意味を持つ場合がある。記録されなかった人々、失われた文書、意図的に削除された記録、制度的に残されにくかった経験は、歴史研究において「沈黙」や「空白」として問題化される[50]。
口頭伝承と無文字社会
[編集]かつて歴史研究は、文字資料を残した社会を中心に構想されることが多かった。しかし、文字をもたなかった社会や、文字をもっていても記録を残す人々が少数に限られていた社会にも、人々の過去の経験、権力関係、移動、交易、宗教、記憶は存在した。こうした社会の歴史を考える場合、文字記録だけではなく、考古資料、建造物、図像、道具、地名、系譜、儀礼、神話、伝説、歌謡、語りなどを組み合わせて検討する必要がある[39]。
口頭伝承は、19世紀以降の民俗学の発展とともに、文字をもつ社会内部の地方史や生活文化を知る資料として注目されるようになった。ただし、文献史学では、同時代性や絶対年代の確定を重視する立場から、口頭伝承は長く補助的資料とみなされることも多かった。第二次世界大戦後、植民地の独立や文化人類学・民族学の発展に伴い、文字をもたない社会にも歴史があるという認識が広がり、口頭伝承の採録と分析は、無文字社会の過去を探る重要な方法として位置づけられるようになった[39]。
口頭伝承には、語り手や伝承環境の変化によって内容が変化しやすく、原形や年代を確定しにくいという限界がある。一方で、異なる伝承を比較し、伝承が語られる社会的背景を検討することによって、共同体がどの出来事を記憶し、どのように意味づけてきたかを知ることができる。口頭伝承は、単に文字資料を補うものではなく、過去の出来事そのものと、それをめぐる集合的記憶や歴史意識を分析するための史料でもある[39]。
史料の総合と叙述
[編集]史料の選択、分析、批判の結果、過去に関する多くの、しばしば相互に孤立した命題が検証される。次の段階では、歴史家は個々の証拠がより大きな物語の一部としてどのように組み合わさるかを検討する。この作業は、歴史的統合(歴史的総合)と呼ばれる。異なる史料が一見矛盾する情報を提供している場合、この総合はとくに困難になる[51]。
歴史的統合では、個別の出来事、人物、制度、地域、経済的変化、思想、文化的実践などを相互に関連づけ、全体として理解可能な説明を作ることが求められる。このような広い視野を構成することは、対象全体を包括的に理解するために重要である。歴史的統合は、何が起こったのかを再構成し、解釈し、説明する歴史叙述の創造的側面でもあり、異なる出来事がどのように結びついているかを示す[52]。このようにして歴史家は、どの出来事が起こったかだけでなく、それがなぜ起こり、どのような結果をもたらしたのかを扱う[53]。この統合作業のために普遍的に受け入れられた技法があるわけではないが、歴史家はさまざまな解釈上の道具や接近法に依拠している[54]。
歴史的統合においては、時代区分も重要な道具である。時代区分は、長い時間の流れを、一定の特徴を持つ複数の時期に分けて理解する方法である。たとえば、三時代法は、初期人類史を、支配的な材料や技術に基づいて石器時代、青銅器時代、鉄器時代に分ける伝統的な方法である[55]。ただし、時代区分は地域や主題によって異なり、どこで時代の境界を置くかは歴史家の解釈に依存する。
歴史的統合では、記録の空白も考慮される。記録の空白は、情報を秘匿または破棄する特定の理由があった場合に限らず、同時代人にとって記録するまでもなく自明であった情報についても生じることがある[56]。過去のすべての人々や出来事が均等に記録されたわけではなく、支配者、官僚、宗教組織、知識人などの記録が残りやすい一方で、奴隷、農民、女性、少数者、子ども、移民、被支配層の日常的経験は記録に残りにくい場合がある。20世紀以降の社会史、女性史、オーラル・ヒストリーなどは、こうした記録の偏りを意識し、従来の歴史叙述からこぼれ落ちた経験を再構成しようとしてきた。
史料の伝わり方には、石造建造物や遺物のように媒体そのものが長く残る場合と、口頭伝承のように媒体は交替しながら同じ内容が次世代へ伝えられる場合がある。文字記録はその中間に位置し、媒体としては比較的残りやすいが、保存・転写・選別の過程を経るため、歴史家は伝来の経路や記録の性格を検討する必要がある[39]。
他方、大規模なデータセットが利用可能な場合には、計量歴史学的手法を用いることができる。たとえば、経済史家や社会史家は、大集団に関わるパターンや傾向を明らかにするために、しばしば統計学における分析を用いる[57]。
学派と方法論
[編集]歴史研究には、さまざまな学派や方法論が存在する。異なる思想潮流は、歴史をどのように書くべきかについて、それぞれ方法論上の含意を伴うことが多い[58]。
実証主義は、歴史研究の科学的性格を強調し、経験的証拠に基づいて客観的真理を発見することを重視する立場である[59]。19世紀の歴史学では、史料批判と実証的研究が重んじられ、歴史を専門的な学問として確立するうえで大きな役割を果たした。レオポルト・フォン・ランケは、史料に基づいて過去を「実際にどうであったか」に即して理解しようとする姿勢を重視した歴史家として知られる。
これに対して、ポストモダニズムの影響を受けた歴史研究は、単一の客観的真理を提示すると主張するグランド・ナラティブを退け、歴史叙述の客観性、言語、物語性、表象、権力関係に注目する。ポストモダニズム的な立場では、歴史叙述は過去そのものを透明に映すものではなく、史料の選択、語り方、概念、視点によって構成されるものとされる[60]。この立場は、歴史研究における視点の多様性や、支配的な叙述から排除された経験に注意を向けさせた一方で、歴史研究の実証性や証拠に基づく議論をどのように維持するかという論争も引き起こした。
マルクス主義史学は、歴史的変化を、生産様式、階級闘争、経済構造、社会的対立との関係で理解しようとする。マルクス主義史学は、労働者、農民、社会運動、革命、帝国主義などの研究に大きな影響を与えた。政治的事件や支配者の行動だけでなく、社会構造や経済関係を歴史の中心に据えた点に特徴がある[61]。
アナール学派は、20世紀フランスで発展した歴史学の潮流である。従来の政治史や事件史に代えて、長期的な社会構造、経済的変化、地理的条件、集団的心性などを重視した。マルク・ブロック、リュシアン・フェーヴル、フェルナン・ブローデルらに代表されるこの潮流は、歴史学を地理学、社会学、経済学、人類学などの社会科学と結びつけ、歴史研究の対象と方法を大きく広げた[62]。
女性史やジェンダー史は、歴史叙述において長く周縁化されてきた女性の経験や、ジェンダーによって構成される社会関係を研究する。女性史は、女性の生活、労働、家族、教育、政治参加、社会運動などを対象とし、ジェンダー史は、男性性、女性性、身体、性別規範、権力関係などを含めて、性差が歴史的にどのように作られ、変化してきたかを問う。フェミニスト歴史家は、女性の経験を分析し、家父長制的な視点に問いを投げかけることに特に関心を持った[63]。
このように、歴史研究の方法は単一ではない。歴史家は、対象とする時代、地域、主題、利用できる史料に応じて、実証的分析、比較、計量的方法、思想分析、文化解釈、口述資料の分析、デジタル技術などを組み合わせる。
研究分野
[編集]歴史は、多くの分野を含む広い探究領域である。歴史研究の対象は、時代、地域、主題、方法によって分類されることが多い。ある研究は特定の時代に焦点を当て、別の研究は特定の地理的地域や社会集団、制度、思想、文化、経済活動などを対象とする。これらの分類は相互に排他的なものではなく、通常は組み合わせて用いられる。たとえば、古代エジプトの経済史は、時代的には古代史、地域的にはアフリカ史またはエジプト史、主題的には経済史に属する[64]。
広い範囲を対象とする研究では、一次資料の量が膨大となり、一人の歴史家がすべてを直接検討することは困難である。そのため、歴史家は研究範囲を限定したり、先行研究や概説的な二次資料も用いたりしながら、対象を理解する。研究対象の設定は、どの史料を用いるか、どの方法を採るか、どの範囲の出来事を説明するかに大きく関わる[65]。
時代別
[編集]時間による区分は、広大な歴史を理解しやすい単位に整理するための一般的な方法である。時代区分は、特定の時期を特徴づける政治的・社会的・経済的・文化的変化や、その始まり・終わりを示すと考えられる出来事に基づいて設定される。時代の長さは、数十年の場合もあれば、数世紀以上に及ぶ場合もある[66]。
人類史を大きく区分する場合、しばしば先史時代、古代、中世、近世、近代、現代といった区分が用いられる[67]。ただし、これらの時代区分は地域や主題によって異なる。たとえば、中国史では王朝を基準とする区分が長く用いられてきた[68]。また、アメリカ大陸史では、先コロンブス期、植民地期、独立後の時代といった区分が重要である[69]。したがって、時代区分は過去を機械的に分ける絶対的基準ではなく、歴史を理解するための分析上の枠組みである[70]。

先史時代の研究は、文字資料が存在しない時代の人類や人類に近い種の過去を扱う。そこでは、数百万年前のヒト族の進化から、約20万年前の解剖学的現代人、すなわちホモ・サピエンスの出現に至る過程が検討される[72]。その後、人類はアフリカを出て地球上の大部分に広がった。先史時代の末期には、新しく改良された道具という技術的進歩により、多くの集団が狩猟採集に基づく従来の遊牧的生活から、初期農耕に支えられた定住生活へ移行した[73]。文字資料がないため、先史時代の研究では、考古学、人類学、古生物学、地質学、遺伝学などの成果が重要となる[74]。
古代史は、初期文明の成立、文字体系の発達、都市、国家、帝国、宗教、哲学、法制度などを扱う。古代を研究する歴史家は、最初期の主要文明が、地域によっては紀元前3500年ごろから、メソポタミア、古代エジプト、インダス川流域、中国、ペルーなどに出現したことを検討する。農業の発達によって余剰食料が生じ、これらの文明はより大きな人口を支えることが可能となり、都市化、交易網の形成、地域帝国の出現が促された。古代の後半、しばしば古典古代と呼ばれる時期には、中国、インド、ペルシア、地中海世界の諸社会がさらに拡大し、文化、科学、政治の面で新たな高みに達した。同時に、ヒンドゥー教、仏教、儒教、ユダヤ教、ギリシア哲学など、後世に大きな影響を与える宗教体系や哲学的思想が形成された[75]。
中世史は、地域によって時期や内容が異なるが、500年ごろに始まるポスト古典期または中世史の研究では、歴史家は主要宗教の影響力の増大に注目する。仏教、キリスト教、イスラム教のような宣教宗教は急速に広がり、世界宗教として定着した。これは、他の信仰体系を徐々に置き換えていく文化的変化を示すものでもあった。一方で、地域間交易網が発展し、技術や文化の交流が拡大した。13世紀から14世紀にかけて、アジアとヨーロッパの多くの地域を征服したモンゴル帝国は、強大な勢力となった[76]。
近世史は、一般に15世紀末から18世紀頃までを中心とする。近世史に焦点を当てる歴史家は、ヨーロッパ諸国家がいかにして世界的な権力へ台頭したかを重視することが多い。ヨーロッパ諸国家は世界の大部分を探検し、植民地化した。その結果、アメリカ大陸は世界的なネットワークに組み込まれ、植物、動物、人間、病原体の大規模な生物学的交換が生じた。科学革命は大きな発見を促し、技術的進歩を加速させた。それは人文主義や啓蒙思想など他の知的発展を伴い、世俗化をもたらした[77]。
近代史は、18世紀後半以降の大きな社会変化を扱う。産業革命はより効率的な生産様式を導入し、経済と社会を大きく変容させた。西洋諸国は、工業化された軍事技術による優位を背景に、巨大な植民地帝国を築いた。商品、思想、人間の国際的交換の拡大は、グローバリゼーションの始まりを示した。さまざまな社会革命は、専制的体制や植民地体制に挑戦し、民主主義への道を開いた。科学、技術、経済、生活水準、人口などの分野では、かつてない速度で多くの発展が進んだ。これは、ヨーロッパの優位を弱めることで国際的な力関係を再編した二つの世界大戦による広範な破壊にもかかわらず生じたものであった[78]。

地域別
[編集]歴史研究は、対象とする地理的地域によって分類されることも多い[80]。地理は、食料生産、天然資源、経済活動、政治的境界、文化的相互作用に影響を及ぼすことを通じて、歴史において中心的な役割を果たす[81]。地域史は、村落や都市のような小地域を対象とすることもあれば、アフリカ、アジア、ヨーロッパ、アメリカ大陸、オセアニアのように広大な地域を対象とすることもある[82]。
アフリカ史は、ホモ・サピエンスの進化の検討から始まる[83]。古代史家は、紀元前4千年紀に古代エジプトで文字の発明と文明の成立が起こったことを記述する[84]。その後の数千年の間に、ヌビア、アクスム、古代カルタゴ、ガーナ王国、マリ帝国、ソンガイ帝国など、他の著名な文明や王国が形成された[85]。イスラム教は7世紀から北アフリカに広がり始め、多くの帝国で支配的な信仰となった。同時に、サハラ交易は活発化した[86]。15世紀以降、数百万人のアフリカ人が奴隷化され、大西洋奴隷貿易の一環としてアメリカ大陸へ強制的に移送された[87]。19世紀末から20世紀初頭にかけて、アフリカ大陸の大部分はヨーロッパ諸国によって植民地化された[88]。ナショナリズムの高まりの中で、アフリカ諸国は第二次世界大戦後に徐々に独立を獲得した。この時期には、経済的発展、急速な人口増加、政治的安定をめぐる苦闘が見られた[89]。
アジア史を研究する歴史家は、ホモ・サピエンスが約10万年前にアジアに到達したことに注目する[90]。アジアは文明のゆりかごの一つであり、メソポタミア、インダス川流域、中国では、紀元前4千年紀から3千年紀にかけて、最初期の古代文明の一部が成立した[91]。その後の数千年の間に、アジア大陸の諸文明は、ヒンドゥー教、仏教、儒教、道教、キリスト教、イスラム教など、主要な世界宗教と、複数の影響力ある哲学的伝統を生み出した[92]。その他の発展としては、ユーラシア各地の交易と文化交流を促進したシルクロードの形成や、モンゴル帝国のような強大な帝国の成立があった[93]。その後の数世紀にはヨーロッパの影響力が増大し、近代が到来した。その頂点は19世紀から20世紀初頭にかけてであり、アジアの多くの地域は第二次世界大戦の終結まで、直接的な植民地支配のもとに置かれた[94]。独立後の時代は、近代化、経済成長、急激な人口増加によって特徴づけられた[95]。
ヨーロッパ史の研究では、歴史家は、ホモ・サピエンスが約4万5000年前にヨーロッパへ到達したことを記述する[96]。また、紀元前1千年紀に古代ギリシア人が、西洋文化、西洋哲学、および西洋世界に結びつく政治に重要な要素をもたらしたこと、さらにその文化的遺産がローマ帝国および東ローマ帝国に影響を与えたことを検討する[97]。中世は5世紀の西ローマ帝国の崩壊に始まり、キリスト教の広がりによって特徴づけられた[98]。15世紀以降、ヨーロッパによる探検と植民地化は世界を相互に結びつけ、同時に文化的・知的・科学的発展が西洋社会を変容させた[99]。18世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパの世界的優位は、産業革命と大規模な海外植民地の形成によってさらに強められた[100]。しかし、それは二つの世界大戦の壊滅的影響によって終焉した[101]。その後の冷戦期には、ヨーロッパ大陸は西側と東側に分断された。冷戦後には、政治的・経済的統合が進められた[102]。
アメリカ大陸史を検討する歴史家は、最初の人類が約2万年前から1万5000年前に到達したことを記録する[103]。アメリカ大陸には、南アメリカのノルテ・チコ文明、中央アメリカのマヤ文明やオルメカ文明のような、最初期の文明の一部が存在した[104]。その後の数千年の間に、テオティワカン、アステカ、インカ帝国など、他の主要な帝国が出現した[105]。15世紀末以降、ヨーロッパ人が到来すると、新たに持ち込まれた疾病の拡大により、現地人口は急激に減少した。植民地化と相まって、これは主要帝国の崩壊を招き、人口構成と文化的景観を大きく変化させた[106]。18世紀から19世紀にかけての独立運動により、アメリカ大陸各地に新たな国家が形成された[107]。20世紀には、アメリカ合衆国が世界的な超大国として台頭し、冷戦における主要な担い手となった[108]。
オセアニア史の研究では、歴史家は、人類が約6万年前から5万年前にオセアニアへ到達したことに注目する[109]。彼らは、まずオーストラリアとパプアニューギニアに、のちには他の太平洋諸島にも、多様な地域社会と文化が形成されたことを検討する[110]。16世紀にヨーロッパ人が到来すると大きな変化が生じ、19世紀末までには、この地域の大部分が西洋の支配下に置かれた[111]。オセアニアは二つの世界大戦の時期にさまざまな紛争に巻き込まれ、戦後には脱植民地化を経験した[112]。
主題別
[編集]歴史研究は、特定の主題に基づいて分類されることも多い[113]。一部では、政治史、経済史、社会史という三つの主要主題に大きく分ける分類が提案されている。しかし、これらの分野の境界は曖昧であり、思想史のような他の主題別分野との関係も、常に明確であるわけではない[114]。
政治史は、社会における権力の組織を研究し、権力構造がどのように生じ、発展し、相互作用するのかを検討する。有史時代の大部分において、国家または国家に類する構造は、この研究分野の中心にあった。政治史は、政治制度、派閥、政党、指導者、政策、国家間関係などを扱う[115]。政治史は、ヘロドトスやトゥキュディデスのような歴史家によって古代から研究されてきたため、歴史の中でも最も古い分野の一つである。他方で、他の主要な下位分野の多くが確立したのは、20世紀以降のことである[116]。
外交史は、国家間の国際関係を研究する分野である。外交交渉、条約、同盟、戦争、国際機関、国際秩序、勢力均衡、植民地政策などが対象となる[117]。軍事史は、武力紛争の原因、経過、結果、軍事制度、兵器、戦略、戦術、兵站、戦争と社会の関係などを扱う。軍事史は、単に戦闘の経過を記述するだけでなく、戦争が国家、経済、技術、文化、記憶に与えた影響も検討する[118]。
経済史は、財貨やサービスの生産、交換、消費、分配の歴史を扱う。土地、労働、資本、技術、価格、賃金、貿易、金融、産業、経済成長、貧困、格差などが対象である。経済史では、個人の行為や判断よりも、インフレーションのような非人格的な力として現れる一般的傾向に焦点を当てることが多い。十分なデータが利用できる場合、統計分析のような計量的方法が用いられるが、近代以前の時代では資料が限られるため、断片的な記録や制度資料から経済活動を復元する必要がある[119]。
社会史は、社会現象を研究する広い分野であるが、その厳密な定義には議論がある。一部の理論家は、社会史を、政治と経済の領域の外側にある日常生活の研究と理解する。これには、文化的実践、家族構造、共同体の相互作用、教育などが含まれる。これに近い別の接近法は、活動そのものよりも経験に焦点を当て、社会階級、人種、ジェンダーのような特定の社会集団の構成員が、自らの世界をどのように経験したのかを検討する。他の定義では、社会史を、貧困、疾病、犯罪のような社会問題の研究とみなす場合もあれば、社会全体がどのように発展したかを検討する、より広い視点から理解する場合もある[120]。社会史は、政治史を中心とする伝統的な歴史叙述に対する反動として、20世紀に大きく発展した。社会史家は、支配者や国家制度だけでなく、労働者、農民、女性、少数派、家族、地域社会など、従来の政治史では十分に扱われなかった人々や集団に注目する[121]。
文化史は、過去の社会における意味、象徴、表象、価値観、習慣、実践を研究する分野である。対象には、宗教、儀礼、祭り、芸術、文学、音楽、衣服、食文化、身体、記憶などが含まれる。文化史は、人々が自分たちの世界をどのように理解し、表現し、経験したのかを明らかにしようとする[122]。文化史は社会史と重なり合う部分が大きいが、社会構造そのものよりも、意味づけや表象の仕組みに強い関心を向ける点に特徴がある[123]。
思想史は、思想、概念、理論、世界観が歴史の中でどのように形成され、変化し、受容されたかを研究する。対象には、哲学、政治思想、科学思想、社会思想などが含まれる。思想史家は、思想をそれ自体として分析するだけでなく、それが生み出された社会的・政治的・文化的文脈や、思想が人々の行動や制度に与えた影響も検討する[124]。思想史は、哲学史や科学史と密接に関係するが、思想を特定の時代や社会の文脈の中で位置づける点に特徴がある[125]。
科学史は、科学的知識、方法、制度、実践がどのように発展してきたかを研究する。対象には、個々の発見や理論の形成だけでなく、研究機関、教育制度、実験技術、観測機器、専門職団体、科学と社会の関係も含まれる[126]。科学史は、科学を単線的な進歩として描くのではなく、知識が特定の社会的・文化的条件のもとで形成される過程にも注目する[127]。
環境史は、人間社会と自然環境との相互関係を研究する分野である。そこでは、気候、地形、動植物、疫病、資源利用、農業、都市化、工業化、環境破壊、環境保護などが、歴史的変化の中でどのような役割を果たしたかが検討される[128]。環境史は、人間を自然から切り離された存在としてではなく、環境を改変し、同時に環境から制約を受ける存在として扱う[129]。
ジェンダー史は、歴史の中でジェンダーがどのように構築され、経験され、制度化されてきたかを研究する分野である。女性の経験に焦点を当てる女性史と密接に関係するが、ジェンダー史は、女性だけでなく、男性性、性別規範、家族、労働、身体、セクシュアリティ、権力関係などを広く対象とする[130]。この分野は、従来の歴史叙述が男性を標準的主体として扱ってきたことを批判し、歴史的経験の多様性を明らかにしようとする[131]。
世界史は、個別の国家や地域に限定されず、複数の社会や文明の相互関係、比較、交流を広い視野から研究する分野である。世界史は、交易、移住、帝国、宗教、技術、疫病、環境変化、植民地主義、グローバリゼーションなど、地域を越えて作用した過程に注目する[132]。世界史の接近法は、単一の文明や国民国家を中心に据える歴史叙述を相対化し、広域的な連関や比較を通じて人類史を理解しようとする[133]。
方法別
[編集]歴史研究は、対象とする時代・地域・主題だけでなく、用いる方法によっても分類される。比較史は、複数の社会、地域、制度、出来事を比較することによって、それぞれの共通点と相違点を明らかにする方法である。比較は、ある歴史的現象が特定の地域に固有のものなのか、より広い構造や過程の一部なのかを判断する助けとなる[134]。比較史は、類似した現象の異なる展開を説明したり、異なる社会に共通する条件を探ったりする際に用いられる[135]。
数量史は、数量化された資料や統計的方法を用いて歴史を研究する分野である。対象には、人口、価格、賃金、貿易量、土地所有、選挙結果、犯罪件数、識字率などが含まれる。数量史は、大量のデータから長期的傾向や集団的パターンを明らかにする点に強みがある[136]。一方で、利用可能なデータの偏りや欠落、数値化できない経験や意味をどのように扱うかという問題もある[137]。
オーラル・ヒストリーは、インタビューなどを通じて、過去を経験した人々の記憶や証言を記録・分析する方法である。これは、文字資料に残りにくい個人の経験、地域社会の記憶、労働者、女性、少数者、移民、被災者などの声を歴史研究に取り入れるうえで重要である[138]。ただし、記憶は時間の経過や語りの状況によって変化しうるため、オーラル・ヒストリーでは証言の主観性を欠点として単純に排除するのではなく、それ自体を歴史的分析の対象として扱う[139]。
マイクロヒストリーは、個人、家族、村落、事件など、比較的小さな対象を詳細に分析することによって、より広い歴史的構造や文化的意味を明らかにしようとする接近法である。小さな事例を精密に検討することで、通常の大規模な歴史叙述では見落とされがちな社会関係、価値観、権力、日常生活の仕組みを明らかにできる[140]。マイクロヒストリーは、対象の小ささそのものではなく、細部の分析を通じて広い歴史的問題に接近する点に特徴がある[141]。
デジタル・ヒストリーは、デジタル技術を用いて歴史資料を収集、保存、分析、公開する分野である。対象には、デジタル化された文書、画像、地図、データベース、ウェブアーカイブ、地理情報システム、テキストマイニング、ネットワーク分析などが含まれる[142]。デジタル・ヒストリーは、大量の資料を検索・分析し、視覚化し、広く公開する可能性を広げた一方で、資料の保存、権利、真正性、技術的偏り、長期的アクセスといった課題も伴う[143]。
歴史叙述の発展
[編集]歴史叙述は、神話や伝承を交えた過去の語りから、史料の収集・批判・解釈を伴う叙述へと発展してきた。初期の記録は、必ずしも後世の意味での「歴史」を意図して作成されたものではなかった。行政、宗教、王権、戦争、暦、系譜など、特定の実用的目的のために作られた記録が、後に過去を知るための重要な史料となった[144]。
歴史叙述の伝統は、古代ギリシア、中国、インド、ローマ、イスラム世界、ヨーロッパ、日本など、複数の地域で異なる形で発展した。歴史は、神話を交えた叙述に代わる探究の分野として古代に成立し、初期の重要な伝統は古代ギリシア、古代中国、のちのイスラム世界などに生まれた[145]。19世紀には、大学、文書館、専門学会、学術雑誌などの制度が整備され、歴史研究は専門的な学問として制度化された[146]。20世紀以降は、政治史中心の叙述に加え、社会史、経済史、文化史、女性史、環境史、記憶研究、グローバル・ヒストリーなどが発展し、歴史研究の対象と方法は大きく広がった[147]。
初期の記録とリスト
[編集]歴史の記述は、当初から包括的な過去の叙述として始まったわけではない。記述には文字が用いられるが、最も古く、資料も豊富な古代メソポタミア文明の楔形文字粘土板には、税、戦利品、収入、配給、役人の給与など、行政上の財務収支を記したリストが多く含まれる。これらには、やがて人口調査、地名、人名なども加わった[148]。
エジプトの呪詛文書も、敵対する部族や首長の名、居住地名などを記した資料である。こうした記録は、作成時点では後世の歴史叙述を目的としていたとは限らない。しかし、特定の目的のために作られた記録が蓄積された結果、後世の研究者にとって重要な歴史資料となった[149]。
初期の歴史記録は、王や国家の包括的な物語ではなく、行政、宗教、経済、軍事、儀礼などに関わるリストや記録として現れた。歴史叙述は、こうした断片的な記録が蓄積され、出来事の順序、支配者の系譜、年ごとの事件、社会の記憶と結びつくことで発展していった。
古代の伝統
[編集]
古代ギリシアでは、過去についての叙述は、詩や神話を中心とする伝統から、調査と批判を伴う叙述へと展開した。ヘロドトスは、ペルシア戦争を中心に、諸民族の習俗、伝承、政治的事件を広く記録した。その著作『歴史』は、聞き取り、観察、伝承を組み合わせ、異文化への関心を含んだ叙述であった[151]。
トゥキディデスは、ペロポネソス戦争を同時代の出来事として扱い、神話的説明を避け、政治的判断、戦争原因、軍事的展開を分析しようとした。トゥキディデスの叙述は、証拠、因果関係、政治的判断を重視する歴史叙述の先例となった[152]。古代ギリシアには循環的時間論も存在したが、トゥキディデスは将来において類似の事態が起こった際に役立つものとして、自らの叙述を位置づけたとされる[153]。
ヘロドトスの叙述には、事件の経過を再現しようとする姿勢だけでなく、諸民族が置かれた地理的条件や生活のあり方を考察する探究の意志も含まれていた。トゥキュディデスは、戦争の記録を通じて、歴史を動かす人間の資質や判断に関心を向け、歴史への探究から将来の行動に対する準則を学び取ることができると考えた。さらにポリュビオスでは、歴史叙述の実用性や教訓性がより強く意識された[9]。
古代ローマの歴史叙述は、ギリシアの伝統から強い影響を受けた。ローマの歴史家は、出来事の記録だけでなく、人物や国家の徳、制度、政治判断に対する評価を叙述に含めた。初期には年ごとの出来事を記録する年代記的形式が用いられたが、後にはより物語的・分析的な歴史叙述が発展した[154]。ローマ史学における倫理的判断の側面は、ヘロドトスやポリュビオスを含むギリシアの歴史家にも一定程度見られる[155]。ローマの歴史叙述では、自国の過去と現在を市民に接近しやすい形で叙述し、正当化や批判を含む価値評価を強く介入させる傾向も見られた[9]。
中国史学は、古代において高度に発展した歴史叙述の伝統の一つである。中国では、殷代の卜辞や金文にすでに過去の出来事や王の行為に関わる記録が見られ、日・月・年を表す紀時法も早くから発達した。周代以降、史官による記録や口頭伝承の集成が進み、のちには儒家の経書解釈と結びついて、歴史叙述は政治秩序や統治理念を考える基礎となった[156]。
中国の歴史叙述では、編年体の記録、王朝の系譜、政治的事件、制度、人物伝などが重視され、史料による検証と継続的な記録が重要な役割を持った。司馬遷の『史記』は、紀伝体の形式を確立し、国家の動向と人物の運命を複数の叙述形式で描く方法を後世の正史に継承させた。中国の歴史叙述は儒教思想と結びつき、また支配王朝が前王朝の正史を編纂するという形で、政府とも密接に関係していた[157][156]。
中国では、経書と史書との関係も歴史叙述の発展に大きく関わった。儒家の伝統では、六経が歴史的記録を含むものとして理解されることがあり、とくに『春秋』は、過去の事件を簡潔に記すだけでなく、政治的・倫理的判断を読み取る対象とされた。史書はやがて経・史・子・集の四部分類の一部である「史部」として独立した領域を形成し、正史、古史、雑史、起居注、職官、地理、譜系など、多様な種類の文献を含むようになった[156]。
史書が独自の分野として発展すると、史書をどのように読むか、またどのように書くかという史学論も生まれた。南朝宋の裴松之による『三国志』注のように本文を補う注釈や、唐の顔師古による『漢書』注のような語句解釈は、史書の読解を支える営みであった。さらに、唐の劉知幾『史通』や清の章学誠『文史通義』は、史書の方法や歴史叙述の意義を論じた著作として、中国における史学論の展開を示している[156]。
古代インドでは、歴史的叙述は宗教的・叙事詩的伝統と密接に結びついていた。『マハーバーラタ』のような作品では、事実に基づく記憶、系譜、伝承、神話的・宗教的要素が混在している[158]。インドを中心としたヒンドゥー教的世界観では、時間が巨大な周期として理解されることがあり、世界の創造と破壊が循環するという観念が歴史意識に影響を与えた。
もっとも、古代インドに歴史意識が欠如していたと単純にみることはできない。古代インドには、ギリシアや中国の正史に相当する継続的な史書が乏しかったため、「史書なきインド」と表現されることもあったが、碑文には歴年、王家の系譜、場所、事件などが記され、行政文書や寄進記録も歴史資料となる。プラーナ文献、マハーバーラタ・ラーマーヤナの二大叙事詩、仏教・ジャイナ教の伝承にも、王朝史、宗教史、系譜、偉人伝に相当する記述が含まれていた。さらに、スリランカの仏教史・政治史を編年史的に記した『島史』・『大史』や、古伝承・古写本・碑文などを用いたカシミールの王統史『ラージャタランギニー』も知られる[159]。したがって、循環的時間観を持つ社会が必ずしも歴史記録を残さなかったわけではなく、時間観と歴史叙述の関係は地域や資料の性格に応じて慎重に検討される必要がある。中世以後には、ムスリム王朝のもとでペルシア語による王朝史・年代記が著され、近代にはヨーロッパの歴史研究法も導入された[159]。
王名表と編年記録
[編集]文明の発展に伴い、社会ではさまざまな事件や出来事が記録されるようになった。初期には、年を特定の出来事名で表す方法が用いられた。古代エジプトやウル第三王朝以後のメソポタミアでは、年ごとの重要事件を年名として記録する方法が一般的な記録形式となった[160]。
たとえば、ハンムラビの治世43年間には、すべての年に名称が付けられていた。第37年目は、「ハンムラビがマルドゥクの威光を得てトゥルック、カクム、スパルトゥの国々を打倒した年」と記録された。古代エジプトでも、年ごとの出来事を記した象牙や木製の札が作られ、ファラオが交替するとパピルスに転記されて記録として保存された[161]。
このような年ごとの記録は、アメリカ大陸の先住民社会にも見られる。たとえば、ラコタの人々は、一年ごとの出来事を絵文字で水牛の皮などに記した「ウィンター・カウント」を残した。このような記録は、文字文化の有無にかかわらず、共同体が過去を記憶し、出来事を年代順に整理するための方法であった[162]。
年ごとの独立した記録では、特筆すべき出来事がない年は空白になりやすい。しかし、記録はしだいに、王名と在位年数、前王との系譜を示す王名表に沿って作成されるようになり、より連続的な歴史記録へと発展した。バビロニアではカッシート時代から、エジプトでは王名表石碑であるパレルモ石が作られたエジプト古王国第5王朝期には、王名表を基準とする記録が用いられていた[163]。
王名表や編年記録は、支配者の正統性を示す政治的機能を持つ一方で、後世の歴史研究にとっては、年代、王朝、政治事件、制度の変遷を復元する重要な手がかりとなる。
中世の伝統
[編集]中世ヨーロッパでは、歴史は主として聖職者によって年代記の形で記録された。キリスト教の歴史家は、古代ギリシア・ローマとユダヤの伝統を受け継ぎつつ、過去を宗教的視点から再解釈し、神の摂理を示す物語として叙述した[164]。エウセビオス、アウグスティヌス、ベーダ・ヴェネラビリスらの著作は、キリスト教的歴史叙述の形成に大きな影響を与えた[165]。
キリスト教的歴史観では、歴史は始原から終末に至る有限の時間として理解され、すべての事件はその時間展開の中で位置と意味をもつものと考えられた。エウセビオスの『教会史』は、教会の発展、殉教、組織の整備、教会内部の対立などを、キリスト教的視点から意味づけようとした。また、アウグスティヌスは『神の国』において、人類の全史を神の摂理の具体化と救済への過程として捉える歴史観を示した[9]。
中世ヨーロッパでは、アダムとイブによる人類の始まりから同時代に至るまでを叙述する世界年代記も作られた。そこでは、アウグスティヌス以来の救済史観と、地上で生起した諸事件とが並行して語られ、世界史に対する普遍的な視野が導入された。こうした叙述様式は、都市年代記、王国年代記、修道院や教会の歴史、十字軍や伝道の記録にも影響を与えた[9]。
イスラム世界においても、歴史叙述は宗教の影響を受けつつ発展した。前イスラム期のアラブ社会には、部族間の戦いを伝えるアイヤームや、部族の系譜を示すアンサーブの伝承があった。メディナでは、これらの伝承が預言者ムハンマドの戦いを記録するマガージーへと発展し、さらに預言者伝であるシーラへと展開した。8世紀後半以降には、部族伝承や征服の記憶が収集・記録され、伝承を集めたアフバールという歴史叙述の形式が発展した。これは、イスラム教徒の関心がムハンマドの生涯だけでなく、その後のイスラム共同体の発展や共同の経験へも広がったことを示している[166]。
9世紀には、イスラム世界で歴史意識が高まり、征服史や世界史的年代記が著された。とくにタバリーの『預言者と諸王の歴史』は、神学的歴史観に貫かれ、後の年代記の模範となった。ヤアクービーやマスウーディー、ビールーニーらは、歴史と地理を関連づけながらより広い世界への関心を示した。イブン・ハルドゥーンは、歴史変化を形づくる社会的要因や、歴史的真理の限界、史料批判の必要性について考察し、歴史哲学・社会理論の先駆的存在として評価されている[167][166]。
イスラム史学では、ハディース学における伝承経路の確認とも関わって、伝記集の伝統も発達した。伝承者の居住地、年代、師弟関係などを明らかにする必要から、イブン・サードの『タバカート』に代表される伝記集が作られ、のちには法学者、スーフィー、文学者、医学者など特定分野の人物を扱う専門伝記や総合的な人名事典も編まれた。また、地方史や王朝史も重要なジャンルとなり、13世紀以降には年代記的世界史の伝統が再興した。ペルシア語による歴史叙述では、イル・ハーン期のラシード・アッディーン『集史』が、世界史的視野を備えた代表的著作として後世の模範となった[166]。
中国では、唐の成立後、歴史叙述の制度化がさらに進んだ。629年には史書編纂のための官庁が設けられ、標準的な国史の基礎となる記録が作成された。唐代の歴史家は、過去に実際に起こった出来事と、それらの出来事が歴史文書にどのように記録されるかとの違いを重視した[168]。宋代には、百科全書、伝記、歴史小説など、多様な歴史ジャンルが発展し、歴史は科挙制度における学習科目としても重要な位置を占めた[169]。
日本における歴史叙述
[編集]日本では、中国・朝鮮との接触を通じて文字、暦、紀年の知識が受容され、大和朝廷の正統性と、日本の独自性を主張する過程で自国の歴史を考える意識が形成された。古代日本の修史は、天皇の系譜や王権の由来を示す帝紀・旧辞の伝承、『天皇記』などの記録を前提とし、やがて『古事記』や『日本書紀』の編纂へとつながった。『日本書紀』は、中国の正史を受容しつつも、日本神話を冒頭に置いて天皇の正統性を示し、紀伝体ではなく歴代天皇の実録を編年体で記すなど、中国の正史とは異なる性格をもっていた[170]。
8世紀初頭から律令国家によって編纂された『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』は、後に六国史と総称される。これらはいずれも「日本」を書名に含み、国史編纂の意識を示している。平安時代には、国家的な修史事業に加えて、紀伝道の学問、先例を集める類書、歴史記事を抄出・編年した『類聚国史』『日本紀略』『百錬抄』などが作られ、国史は公家社会における儀式・制度・先例を確認するための知識としても用いられた[170]。
中世には、国史の外に置かれていた雑事や周縁的な出来事への関心が高まり、物語、説話、軍記物、日記、寺社縁起などが歴史叙述の世界を広げた。かな文学の発達は、漢文による国史とは異なる歴史叙述の形式を生み、『栄花物語』や『大鏡』は和文による歴史叙述の流れを形成した。説話集や寺社縁起は、仏教的世界観、末法思想、三国世界観、地域社会や寺社の由緒を背景として、国史に収まりにくい出来事や人々の記憶を伝えた[170]。
軍記物は、合戦を政治の表れとして捉えることによって中世的な歴史叙述を展開した。『平家物語』や『太平記』は、武家の台頭、政権の変動、戦乱の記憶を物語として叙述し、歴史認識の形成にも影響を与えた。また、慈円の『愚管抄』や北畠親房の『神皇正統記』は、武家の台頭に対して公家の立場を守ろうとする中で、国初以来の歴史を再確認し、社会のあるべき姿を見いだそうとした著作であった。鎌倉幕府の歴史を伝える『吾妻鏡』や、公家の日記・有職故実の書も、政治秩序や先例を知るための歴史資料として重要な役割を担った[170]。
近世には、江戸幕府や諸大名が自らの政治的立場を儒教思想によって正統化し、歴史編纂を通じてそれを示そうとした。幕府による『武徳大成記』や林羅山らの『本朝通鑑』、水戸藩で編纂された『大日本史』などは、武家政権や朝廷との関係を歴史的に位置づける試みであった。水戸学は、大義名分論を基礎に日本史を捉え直し、幕末の尊王思想にも影響を与えた[170]。
同時に、新井白石の『読史余論』や『古史通』は、儒教的合理主義や実証的関心をもって日本の古代史や政治史を再検討した。古学派や国学の展開も、歴史理解に影響を与え、国学では古典の本文研究を通じて日本固有の古代像が追究された。近世後期には、頼山陽『日本外史』のような史書が広く読まれ、歴史知識は武士や知識人だけでなく、より広い読者層にも共有されるようになった[170]。
近代には、天皇を中心として日本史の独自性を主張する伝統的な歴史観と、文明の発展という普遍的な視点から日本史を理解しようとする歴史観とが併存・対立した。明治時代の近代国家形成とともに、国史は国民意識や歴史教育の形成に深く関わり、大化改新、建武中興、明治維新を大きな改革として位置づける見方も広まった。一方で、田口卯吉『日本開化小史』や福沢諭吉『文明論之概略』のように、文明史的・社会史的な視点から日本の変化を説明しようとする著作も現れた。こうして近代日本の歴史叙述は、国家主義的歴史観、国粋主義的歴史観、近代的な人文・社会科学としての歴史研究のあいだで展開していった[170]。
ルネサンスと近世
[編集]ルネサンスと近世には、異なる地域の歴史叙述の伝統がしだいに接触するようになった[171]。14世紀以降のヨーロッパでは、ルネサンス・ヒューマニズムの影響により、古典古代への関心が高まり、古文書や古典作品の本文批判が発展した。人文主義者は、古代ギリシア・ローマの文献を精査し、より世俗的で批判的な歴史理解を広げた。これは歴史叙述の世俗化にも寄与した[172]。
活版印刷の発明は、歴史書や古典文献の普及を促し、歴史への関心を聖職者や貴族の外にも広げた。15世紀から17世紀にかけて、歴史は、政治的判断の教訓、国家や都市の由来、支配の正当化、宗教改革・反宗教改革における論争など、さまざまな目的で用いられた[173]。
18世紀の啓蒙時代には、歴史叙述は合理主義と懐疑主義の影響を受けた。歴史家は、伝統的権威や教義を批判的に検討し、過去の中に社会発展の型や法則を見いだそうとした。また、政治事件だけでなく、社会、経済、文化、文明の比較にも関心が広がった[174]。
中国の明代には、歴史書に対する一般の関心と入手可能性が高まった。官撰史家による実録の継続に加えて、民間の学者による非公式の著作が盛んになった。これらの学者は、より創造的な文体を用いる傾向があり、ときには正統的な叙述に異議を唱えた[175]。イスラム世界では、サファヴィー朝、ムガル帝国、オスマン帝国などで、それぞれ王朝史、年代記、伝記などの歴史叙述が発展した[176]。
アメリカ大陸では、ヨーロッパの探検者や宣教師が、先住民社会の口承、系譜、記憶、絵文字的記録を収集・解釈した。植民地化の進行に伴い、アメリカ大陸に関する記録は増加したが、その多くは植民者の視点を反映していた。そのため、近年の研究では、先住民自身の記憶、記録、口承、物質文化を用いて、植民地化以前および植民地期の歴史を再構成する試みが進んでいる。
19世紀の専門化
[編集]19世紀には、歴史研究は大きく専門化した。大学、文書館、専門学会、学術雑誌などの制度が整備され、歴史は専門的訓練を受けた研究者によって担われる学問分野として位置づけられるようになった。とりわけレオポルト・フォン・ランケは、史料に基づく厳密な研究と、過去を「実際にどうであったか」に即して理解しようとする姿勢を重視したことで、近代歴史学の形成に大きな影響を与えた[177]。
この時期の歴史研究は、国家形成や国民意識とも深く結びついていた。多くの歴史家は、国家の起源、制度、英雄的人物、戦争、憲法、政治的発展を叙述し、国民的アイデンティティの形成に寄与した。ヨーロッパ各国では、歴史学が大学教育や公教育の中に組み込まれ、国民国家の正統性や連続性を説明する役割を果たした[178]。同時に、歴史研究は政治史・外交史・軍事史を中心とする傾向が強く、国家と支配層の行動が主要な対象となった。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、歴史研究はさらに多様化した。経済、社会、文化、思想、宗教、法制度などへの関心が拡大し、国家政治だけに限定されない歴史の書き方が模索された。また、考古学、言語学、文献学、民族学などの隣接分野の発展も、歴史研究の方法と対象を広げた。植民地帝国の拡大は、非ヨーロッパ世界に関する知識の蓄積を促したが、その多くは植民地主義的な視点とも結びついていた。
20世紀以降
[編集]20世紀には、歴史研究の対象と方法が大きく拡張した。政治史中心の歴史叙述に対して、社会史、経済史、文化史、女性史、労働史、環境史、日常生活史などが発展し、従来は周縁化されていた人々や集団の経験が研究対象となった。歴史家は、支配者や国家制度だけでなく、労働者、農民、女性、植民地化された人々、少数者、地域社会、家族、身体、感情、記憶などにも関心を向けるようになった[179]。

20世紀前半には、フランスのアナール学派が、政治的事件や著名人物を中心とする歴史叙述に代えて、長期的な社会構造、経済的変化、地理的条件、集団的心性を重視する接近法を発展させた。マルク・ブロックとリュシアン・フェーヴルに始まるこの潮流は、フェルナン・ブローデルらによって展開され、歴史を社会科学と結びつける方向を強めた[180]。
マルクス主義史学も20世紀の歴史研究に大きな影響を与えた。マルクス主義史家は、階級関係、生産様式、経済構造、社会的対立を歴史変化の主要な要因として分析した。この接近法は、労働者階級、農民、社会運動、革命、帝国主義などの研究を促し、政治史中心の叙述とは異なる歴史像を提示した[181]。
20世紀後半には、ポストモダニズムや言語論的転回の影響により、歴史叙述の客観性、物語性、言語、表象、権力との関係が問われるようになった。歴史家は、過去そのものと過去についての叙述との違い、史料の沈黙、記憶と忘却、歴史叙述における視点の位置をより強く意識するようになった。同時に、こうした潮流に対しては、歴史研究が証拠に基づく学問であることを損なうべきではないという批判も提起された[182]。
20世紀末から21世紀にかけては、グローバル・ヒストリー、トランスナショナル・ヒストリー、ポストコロニアル研究、記憶研究、デジタル・ヒストリーなどが発展した。これらの接近法は、国民国家を単位とする歴史叙述を相対化し、移動、交流、帝国、植民地主義、環境変化、知識の流通、記憶の形成などを、複数地域にまたがる過程として捉えることを重視する。また、デジタル化された資料や計算的手法の普及により、大量の文書・画像・地図・データを分析し、視覚化する可能性も広がっている。
関連分野
[編集]歴史は、歴史学、歴史哲学、教育、政治、考古学、人類学、言語学、宗教学、社会科学、人文学など、多くの分野と関係している。歴史研究は過去そのものを対象とするだけでなく、過去をどのように知り、記録し、解釈し、社会の中で用いるのかという問題とも関わる。
史学史・歴史叙述研究と歴史哲学
[編集]史学史や歴史叙述研究は、歴史研究の方法、実践、発展を研究する分野であり、歴史家が過去をどのように調査し、解釈し、叙述してきたかを扱う。個々の過去の出来事そのものだけでなく、それらがどのような方法によって研究され、どのような叙述として構成されてきたかに関心を向ける[183]。
史学史・歴史叙述研究は、歴史研究における証拠と推論の基準を中心的主題とする。研究者は、歴史家が史料を用いて過去についての叙述を構成する方法を検討し、その背後にある解釈上の前提を分析する。関連する問題として、歴史書の文体や修辞的提示も扱われる[184]。また、異なる歴史家の著作を比較することにより、研究者は、研究方法、前提、文体を共有する学派を特定する[185]。
歴史哲学は、歴史の性質、歴史的知識、歴史叙述、歴史変化の意味を哲学的に検討する分野である。歴史哲学では、歴史的知識がどの程度客観的でありうるのか、歴史叙述は過去をどのように表象するのか、歴史に方向性や法則があるのか、歴史的説明において因果性をどのように理解すべきか、といった問題が扱われる[186]。
歴史哲学では、歴史に秩序を与える原理をどのように考えるかも問題となる。キリスト教的救済史観では、歴史は神の摂理のもとに位置づけられたが、近代以後には、摂理に代えて、進歩、発展段階、法則、社会構造、経済的条件などによって歴史変化を説明しようとする見方が現れた。こうした見方は、歴史を単なる出来事の連続ではなく、一定の秩序や方向性をもつ過程として理解しようとする点で共通している[9]。
また、歴史は科学であるのか文学であるのかという問題も、歴史叙述をめぐる重要な論点である。歴史研究は史料批判や検証可能性を重視する点で科学的性格を持つが、個別の出来事を選択し、因果関係や意味を構成し、読者に理解可能な叙述として提示する点では、物語や文体を伴う人文学的営みでもある。このため、歴史叙述では、証拠に基づく厳密さと、過去を意味ある形で構成する叙述性との両方が問題となる[9]。
歴史上の出来事とその原因・結果を結びつける因果関係の性質は、歴史哲学の重要な主題である[187]。歴史には、自然科学における自然法則と同様に、出来事の進行を決定する一般法則が存在するという見方がある。これに対して、歴史的出来事は一回的であり、複数の偶然的・個別的要因によって形づくられるとする見方もある[188]。
歴史の進行についても、さまざまな理解がある。一つの見方では、歴史は循環的であり、十分に大きな規模で見れば、個別の出来事や一般的傾向が反復するとされる。別の見方では、歴史は一定の目的や終点へ向かう直線的かつ目的論的過程であるとされる。さらに、歴史には単一の方向性や普遍的な発展法則はなく、地域や社会ごとに異なる複数の歴史が存在するとする見方もある[189]。
歴史哲学と史学史・歴史叙述研究は、いずれも歴史的思考の基準に関心を持つため、主題が重なり合う。史学史・歴史叙述研究は通常、具体的な史料、方法、研究史、叙述の変化を扱う。これに対して歴史哲学者は、歴史的知識の成立条件、因果性、客観性、物語性、時間性など、より一般的な問題を検討する傾向がある[190]。
歴史的推論は、哲学や他の諸分野において、現象を説明する方法として用いられることもある。この接近法は歴史主義と呼ばれ、あるものを理解するには、それに固有の歴史、またはそれがどのように発展してきたかを知る必要があると主張する。たとえば、真理に関する歴史主義は、真理が歴史的状況に依存するとし、歴史を超越した真理は存在しないと考える[191]。
歴史と時間
[編集]歴史と時間は、概念として密接に結びついている。歴史は時間の中で生じた変化を扱うが、歴史における時間は、単なる物理的時間や時計によって測定される時間と同一ではないと論じられることがある。
歴史的時間については、歴史を循環的に理解する見方と、起点と終点をもつ有限の時間軸として理解する見方がある。前者は「歴史は繰り返す」という命題に近く、古代ギリシアにもそのような循環的時間観が見られた。後者は、キリスト教救済史観、進歩史観、マルクス主義史観などと結びつき、個々の出来事を歴史的時間の中の位置によって意味づけようとする。さらに、歴史を進歩として捉える見方、終末へ向かう過程として捉える見方、現在を過去の蓄積や過去の蘇生として捉える見方も、歴史意識の重要な類型である[9]。
歴史を進歩として捉える見方では、時代が進むにつれて何らかの基準に即した向上が達成されると考えられる。これに対し、終末観では、過去の理想的状態からの堕落や、最終的な破滅、あるいはその後の根本的な改変が強調される。循環史観は、出来事や社会形態が一定の形式で反復するとみるのに対し、一回性を重視する歴史意識は、歴史上の出来事を取り返しのつかない固有の出来事として捉える。これらの見方は相互に排他的とは限らず、歴史叙述の中では、進歩、没落、循環、一回性が複合的に組み合わされることもある[9]。
三木清は、歴史的時間を、自然的時間や自然科学的時間と区別した[192]。この見方では、歴史的出来事には、現在性、一回性、不可逆性がある。とくに歴史における「現在」は、物理学における四次元時空の時間軸上の任意の一点ではなく、過去を解釈し、未来を構想する基点として特別な意味を持つとされる[192]。
三木はまた、歴史的時間には方向性があるとし、「過去」から「未来」への因果論的見方と、「未来」から「過去」への目的論的見方という二つの方向性を示した[192]。前者は、過去の出来事が現在や未来を生み出すという理解であり、後者は、未来における目的や可能性が過去の意味づけに影響を与えるという理解である。
歴史と時間の関係は、時代区分、進歩史観、循環史観、終末論、記憶、予測、歴史意識とも関係する。たとえば、古代インドの宗教的宇宙論では、世界の創造と破壊が巨大な周期として理解されることがあった。一方で、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの一神教的伝統では、世界の創造、救済、終末を含む直線的な時間理解が強調されることがある。歴史叙述は、こうした時間理解の違いを反映しながら発展してきた。
歴史と記憶
[編集]歴史は記憶とも密接に関係している。記憶は個人の経験に関わるだけでなく、家族、地域社会、宗教集団、民族、国家などの集団によって共有されることがある。このような共有された記憶は、集合的記憶と呼ばれる。
フランスの社会学者モーリス・アルヴァックスは、記憶は個人だけでなく、家族、友人、学校、宗教的集団、国民など、それぞれの集団にも存在すると考えた[193]。アルヴァックスは、このような集合的記憶を歴史記述と対立するものとして捉えた。すなわち、歴史が過去そのものに関心を持つのに対し、集合的記憶は「現在の集団の需要や利益」に応じて選択的かつ再構成的であるとした[193]。
アルヴァックスは、集合的記憶が集団の同一性と密接に関わり、宗教上の伝説のようにフィクションが混入することもあるのに対して、歴史は歴史家が積み上げた過去の情報の総体であり、中立的であると考えた[193]。しかし、こうした歴史を中立的なものとする見解は、アライダ・アスマンなどから疑問視された。アスマンは、すべての歴史記述は同時に記憶の作業でもあり、意味付与、党派性、アイデンティティの確立といった条件と不可避に結びついていると指摘した[193]。
アルヴァックスの集合的記憶論は、集合的記憶と歴史を対立させる立場で提唱されたが、アスマンはその枠組みを再構成し、記憶を「機能的記憶」と「蓄積的記憶」に分け、両者が互いに補完するものと捉えた[193]。このような記憶研究は、歴史が単に過去の事実を扱うだけでなく、過去が現在の社会でどのように記憶され、忘却され、語り直されるかを問う分野として発展している。
歴史認識と政治
[編集]歴史認識は、イデオロギー、国民的アイデンティティ、政治的正統性と深く関係している。過去の出来事をどのように理解し、どのように叙述するかは、現在の政治的立場や社会的価値観と結びつくことがある。そのため、歴史は、教育、外交、記念行事、博物館、公文書管理、慰霊、領土問題、戦争責任などの場面で論争の対象となる。
歴史記述において、過去の全貌を漏れなく記述することは不可能である。執筆者の知見、価値観、時代的背景、利用できる史料、研究方法、叙述の目的などが、歴史叙述に影響を与える。E・H・カーは『歴史とは何か』において、歴史家と事実との関係を重視し、歴史叙述が単なる事実の集積ではなく、歴史家の問題意識と過去の事実との相互作用によって成立することを論じた[194]。
「歴史は勝者によって書かれる」という表現は、歴史叙述がしばしば権力や支配の側から形成されることを示す言葉として用いられる。陳舜臣もこの趣旨の表現を述べている[195]。ただし、近現代の歴史研究は、支配者や勝者の記録だけでなく、敗者、被支配者、少数者、民衆、周縁化された集団の記録や記憶を検討することによって、単一の支配的叙述を相対化しようとしてきた。
歴史理論は、政治的決定に直接影響を与えることがある。たとえば、ある国家が他国の領土を併合しようとする失地回復主義的な試みは、しばしば、係争地が過去に自国に属していたと主張する歴史理論に依拠する[196]。
歴史認識は形成に時間がかかるため、外交文書などを積極的に公開する国は、自国に有利な情報を後世に伝えることが可能となり、長期的には「歴史記録による覇権」、すなわちアーカイバル・ヘゲモニーを得るという見方もある[197]。この問題は、公文書管理、情報公開、アーカイブ、外交史、国際関係史と関係している。
歴史が政治的・イデオロギー的目的に利用される場合、過去の一部が強調され、別の部分が省略されることがある。極端な場合には、証拠を無視または歪曲して、偽史や歴史否定主義が形成される。これに対して、歴史研究では、史料批判、出典の明示、複数の証拠の比較、異なる視点の検討が重要とされる。
教育・宗教・他分野との関係
[編集]歴史は教育とも密接に関係している。歴史教育は、過去についての知識を伝えるだけでなく、史料を批判的に読む力、異なる視点を理解する力、因果関係や変化を考える力を育成することを目的とする。学校教育における歴史は、地域社会、国家、世界についての理解を深め、文化的遺産や社会的価値を次世代に伝える役割を担う[198]。一方で、歴史教育は、国民的記憶、政治的価値観、社会的対立とも関わるため、どの過去をどのように教えるかが論争の対象となることがある。
歴史は宗教とも関係している。いくつかの宗教では、中心的教義が特定の歴史的出来事と結びついている。たとえば、キリスト教では、イエス・キリストの生涯、死、復活をめぐる出来事が中心的な意味を持つ。このように、中心的教義が特定の歴史的出来事と結びついている宗教は、「歴史宗教」と呼ばれることがある[199]。
歴史研究は、他の学問分野の知見にも依拠する。考古学は、文字資料が乏しい時代や社会を研究する際に重要であり、遺跡、遺物、人骨、環境資料などを通じて過去を復元する。人類学は、社会構造、文化的実践、儀礼、親族関係などを理解するうえで歴史研究に貢献する。歴史言語学は、言語の時間的変化を研究し、古文書の解釈だけでなく、移住のパターンや文化交流についての情報を提供することがある[200]。歴史家はさらに、物理科学、生命科学、社会科学、人文学に属するさまざまな分野の証拠にも依拠する[201]。
また、さまざまな分野には、それぞれの過去を研究する歴史分野がある。例として、科学史、数学史、哲学史、美術史、文学史、医学史、法制史、宗教史、技術史などがある[202]。これらは、個別分野の知識がどのように形成され、制度化され、社会と関わってきたかを明らかにする。
脚注
[編集]出典
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