出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
劫 (kalpa)
ヒンドゥー教
時間
SI 1.36×1017
定義 1000マハーユガ = 4000ユガ = 神々の1200万年 = 43億2000万太陽年
テンプレートを表示

こう)は仏教などインド哲学の用語で、極めて長い宇宙論的な時間の単位。サンスクリット語のカルパ (kalpa कल्प) の音写文字「劫波(劫簸)」を省略したものである。

循環宇宙論の中で、1つの宇宙(あるいは世界)が誕生し消滅するまでの期間と言われる。また、ブラフマー(仏教では梵天)の1(半日とする説もある)に等しい。

西洋では、まれにイーオン (aeon) と意訳されることがある。

ヒンドゥー教[編集]

ヒンドゥー教の時間の単位。数値は秒(対数目盛)。上から2番目の Day of Brahma が劫。

ヒンドゥー教では、1劫(カルパ) = 1000マハーユガ (mahayuga)、1マハーユガ = 4ユガ (yuga) = 神々の12000年(4つのユガは不等長で、1ユガ =神々の4800、3600、2400、1200年)、神々の1年 = 360太陽年とされている[1]

つまり、1劫 = 43億2000万年である。

なお、マハーユガを神々のユガ、あるいは単にユガということもあるため、1劫 = 1000ユガとする資料もあるが、同じ意味である。

1劫はブラフマーの1日に相当する。1劫には14人のマヌが出現する。1劫が尽きると火(劫火)によって世界は破壊され、その状態がまた1劫にわたって続く[1][2]

ブラフマーの1年は360日(720劫)にあたり、一生(para)は100年[2]、すなわち72000劫 = 311兆400億年である。

現在は一生の半分に当たる50年(parārdha)が過ぎて51年目にはいったところであり、その最初のヴァーラーハ(vārāha、猪)という名の劫にあたる[2]

仏教[編集]

劫には大劫(mahākalpa)と中劫(antarakalpa。中間劫、もしくは小劫とも訳される)の2種類がある。中劫は大劫を均等に80分割したものであり、1大劫=80中劫である。

大劫がヒンドゥー教の劫に当たり、単に「劫」といえばほとんどは大劫である。しかし、仏教の劫はヒンドゥー教と違い、具体的な時間の長さは特に決められていない。

ただし、八大地獄の中で最も恐ろしいと言われる無間地獄の刑期は一中劫とされているが、これは人間界の6400年を1日とした場合の6万4000年を1日として6万4000年と言われ、人間界の時間では349京2413兆4400億年に当たる。これを1中劫とした場合の1大劫は、人間界の時間で2垓7939京3075兆2000億年になる。

一大劫は世界が生成される成劫(じょうこう、vivartakalpa)、世界が存続する住劫(じゅうこう、vivartasiddhakalpa)、世界が破壊される壊劫(えこう、saṃvartakalpa)、世界が存在しない空劫(くうこう、saṃvartasiddhakalpa)の4つの期間に分かれる。『阿毘達磨大毘婆沙論』によると、中間劫には人の寿命が無限から始まって10歳に減るまでの減劫、10歳から8万歳に増える増劫、10歳から8万歳に増えてまた10歳に減る増減劫の3種類があり、減劫1、増減劫18、増劫1の20中劫で世界が生成され、20中劫の間世界が存続し、20中劫で世界が破壊され、20中劫の間世界が空になる[3]

阿毘達磨倶舎論』によると、住劫で寿命が10歳に減ったとき、刀兵・疾疫・飢饉の小三災が起きる。また壊劫の末には火・水・風の大三災のいずれかが起き、64劫ごとに循環する(7つの火災のあと、1つの水災が起きる。ただし最後の64番目の劫では水災でなく風災が起きる[4])。四禅天のうち、火災では初禅天、水災では二禅天、風災では三禅天までが破壊される[5]

現在の劫を賢劫(げんごう、bhadrakalpa)と呼び、そのひとつ前の劫を荘厳劫(しょうごんごう、vyūhakalpa)、ひとつ後の劫を星宿劫(しょうしゅくこう、nakṣatrakalpa)と呼ぶ。千仏信仰ではひとつの劫に千仏が出現するとされ、釈迦如来は賢劫の4番目の仏にあたる(賢劫経を参照)。

仏祖統紀での定義[編集]

仏祖統紀』での劫の定義は上記と異なっていて、寿命が84000歳から始まって100年に1歳ずつ縮んでいき、10歳になった後、また100年に1歳ずつ増えていき、84000歳になるまでを小劫、20小劫を中劫、4中劫を1大劫とする[6]

譬喩[編集]

劫が長いことのたとえ話がいくつか知られているが、これらはあくまで比喩であって定義ではない。

大智度論』には「1辺4000(現代中国の換算比で2000km。漢訳時も大きくは違わない)のを100年に1度布でなで、岩がすり減って完全になくなっても劫に満たない」という話が載っている[7]。これを磐石劫と呼ぶ。このたとえは落語寿限無』にも「五劫のすり切れ」として登場する(五劫は、『無量寿経』において法蔵菩薩が阿弥陀如来になる前に行った思惟の長さ)。

同じく『大智度論』には「1辺4000里のケシ粒がぎっしり詰まっており、その中から100年に1粒ずつケシ粒を取り出していって、城の中のケシ粒が完全になくなっても劫に満たない」という[7]。これを芥子劫と呼ぶ。

法華経』化城喩品には、三千大千世界をすべて粉にして、それをある人が1粒ずつ千の国土をすぎて捨てていき、すべてを捨てるのにかかる時間が載っている。同じ『法華経』寿量品にも同様の説明があるが、五百千万億那由多阿僧祇の三千大千世界を粉にして五百千万億那由多阿僧祇の国土をすぎて捨てるのにかかる時間を述べている。これらは劫を説明したものではないが、前者を三千塵点劫、後者を五百塵点劫と呼ぶ。算術書『塵劫記』の書名はこの話に由来する。

道教[編集]

道教にも仏教から劫の概念が導入された。『隋書』には「延康・赤明・龍漢・開皇」の4つの劫の名が見える[8]。これに「上皇」を加えて、五劫と呼ぶ[9]。五劫は五行思想に結びつけて説明される[10]

南北朝時代の道教には甲申の年に災害が起きて世界が滅ぼされるが、「種民」と呼ばれる善人はそれを生き延びて太平の世の民になるという終末思想があった[11]

派生[編集]

現在、日常的に使われる億劫(おっくう)や永劫(えいごう)などの言葉は、この「劫」に由来する。億劫は本来「おくこう」と読むが、「おっこう」を経て「おっくう」に転訛したものである。これは百千万億劫の略語で、数式にすると100×1千×1万×1億となる。そのため、きわめて長く、ほぼ無限の時間を表すことから、一般的にわずらわしくて気が進まない様子を指して言うようになったものである。

囲碁で無限に繰り返すパターンのうち最も簡単なものをと呼ぶ。

脚注[編集]

  1. ^ a b Wilkins, William Joseph (1913) [1882]. Hindu mythology, Vedic and Purānic (3rd ed.). Calcutta: Thacker, Spink & co. pp. 364-365. https://archive.org/stream/hindumythologyve00inwilk#page/364/mode/2up. 
  2. ^ a b c Wilson, Horace Hayman (1864). The Vishnu Purán: a System of Hindu Mythology and Tradition. 1. London: Trübner. pp. 44-54. https://archive.org/stream/vishnupurnsyst01wils#page/44/mode/2up. 
  3. ^ 『阿毘達磨大毘婆沙論』巻135
  4. ^ 『阿毘達磨倶舎論』巻12「所説三災云何次第。要先無間起七火災、其次定応一水災起。此後無間復七火災。度七火災、還有一水。如是乃至満七水災、復七火災、後風災起。如是総有八七火災・一七水災・一風災起。」
  5. ^ 『阿毘達磨倶舎論』巻12「此三災頂為在何処。第二静慮為火災頂。此下為火所焚焼故。第三静慮為水災頂。此下為水所浸爛故。第四静慮為風災頂。此下為風所飄散故。」なお静慮は禅に同じ
  6. ^ 『仏祖統紀』巻30・三世出興志第十四
  7. ^ a b 『大智度論』巻5・大智度初品中菩薩功徳釈論第十「劫義、仏譬喩説、四千里石山、有長寿人百歳過、持細軟衣一来払拭、令是大石山尽、劫故未尽。四千里大城、満中芥子、不概令平。有長寿人百歳過一来取一芥子去、芥子尽、劫故不尽。」巻38・釈往生品第四之上にも同様の説明が見えるが、「四千里」でなく「百由旬」になっている。
  8. ^ 『隋書』経籍志四「道経者(中略)所以説天地淪壊、劫数終尽。略与仏教同。(中略)然其開劫非一度矣。故有延康・赤明・龍漢・開皇。是其年號。其間相去経四十一億萬載。」
  9. ^ 霊宝度人上経大法』巻四。「祖劫者、龍漢・延康・赤明・開皇・上皇也。」
  10. ^ 『双槐歳鈔』巻六
  11. ^ 横手裕 『道教の歴史』 山川出版社2015年、89-90頁。ISBN 9784634431362

関連項目[編集]