諸法無我

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諸法無我(しょほうむが、sarva-dharma-anaatman सर्व धर्म अनात्मन्)は、仏教の用語の一つであり、三法印四法印の一つであり、釈迦の悟った項目の一つである。

諸行無常といわれるように、一切のものは刻々変化している。「私」という存在も常に変化する存在である。そういう意味ですべてのものには「我」(が)がない(無我)。そしてすべてのものは繋がり(縁起)のなかで存在している。すべての存在は孤立しているわけではない。あらゆるものによって「生かされている」存在である。[1]

神の存在について[編集]

有為法だけでなく無為法を含めてすべての存在には主体とも呼べる我がないというのは、他の宗教に言われるような「神」などの絶対者もまた無我であることを意味する。これは絶対者の否定ではなく、神などもまた我々との関係の上にのみ存在することを意味している。 仏典の中にも神が出てくる場面が多いが、絶対者としての神ではなく、縁起によって現れたものと見るべきであろう。その意味で、仏教は他の宗教と根本的な違いを持っている。

脚注[編集]