無明

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無明(むみょう、avidya)とは、仏教用語で、迷いのこと。また真理に暗いこと、智慧の光に照らされていない状態をいう。法性(ほっしょう)に対する言葉である。十二因縁の根源とする無明がよく知られるが、他にも無明、二明、三明から六明へと説くものがある[1]。後者は七明以後を説く経論もあるが、十二明で終えるものはない[2]

概要[編集]

十二因縁では、すべてのは、無明(迷い)を原因とする煩悩から発生し、智慧によって無明を破ることにより消滅すると説く。というものが存在するという見解(我見)が無明である。無常であるものを常住と見るが、それが失われると苦しみを生じる。すべての苦しみはこの無明を原因として発生すると説く。この苦しみを消滅する方法は、初期経典には定型文句として四諦八正道であると説かれている。この四諦、八正道を知らないことも無明である。

たとえば、闇(やみ)について、多くの人は「闇は存在する」と漠然と考えている。しかし、闇に光が当たると、闇はたちまち消えうせる。闇がどこか別のところに移動したわけではない。つまり、闇は始めから存在しなかったということである。闇は「光の欠如」ということであって、闇と呼ばれる「なにか」が存在するわけではない。

精神的な「苦しみ」についても、同じようにとらえることができる。智慧の光によって、苦しみはたちまち姿を消す。苦しみが、何か実体を伴って存在しているわけではない。

実際には無いものを有ると考えるのは無明である。

注釈・出典[編集]

  1. ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 無明 二明 三明, 無明~六明
  2. ^ 参考:大正新脩大蔵経テキストデータベース 無明~十明, 無明~十二明

関連文献[編集]

関連項目[編集]