初転法輪
仏教用語 初転法輪 | |
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日本語 |
初転法輪 (ローマ字: shoten-horin) |
英語 |
Setting in Motion the Wheel of the Dharma, The First Turning of the Wheel |
初転法輪(しょてんぽうりん)とは、釈迦が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指す。そこでは仏教の中核概念である四諦、八正道、中道が説かれた[1]。
釈迦は菩提樹下で悟りを開いた後(成道)、ヴァーラーナスィー(波羅奈国)のサールナート(仙人堕処)鹿野苑(施鹿林)において、元の5人の修行仲間(五比丘)に初めて仏教の教義を説いた[1]。
経緯[編集]
梵天勧請[編集]
成道した直後の釈迦は当初、仏法の説明は甚だ難しく、衆生に教えを説いても理解されず徒労に終わるだろうと、教えを説くことをためらったとされる。『マハー・ワッガ』をはじめとする初期仏典には、沈黙を決した釈尊をサハンパティ梵天(brahmã sahampati)が説得したという伝説(梵天勧請)が記されている。
梵天の懇請を容れた釈迦は、世間には心の汚れの少ないもの、智慧の発達した者、善行為を喜ぶものもいることを観察した上で、最終的に法を説くことを決意した。(「甘露の門は開かれたり 耳ある者は聞け」に始まる有名な偈はこの時説かれたとされる。)
伝道の旅へ[編集]
釈迦はまず、修行時代のかつての師匠、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタに教えを説こうとしたが、二人はすでに死去していたことを知った[1]。そこで釈迦は、かつての修行仲間(五比丘)に教えを説こうとヴァーラーナスィーに向かった[1]。
ヴァーラーナスィーに向かう途中、アージーヴィカ教徒の修行者ウパカに対して無師独覚について話したが、軽く受け流されている。
yathā kho tvam āvuso pat ijānāsi arahʼasi anantajinoʼti:…mādisā ve jinā honti ye pattā āsavakkhayam, jitā me pāpakā dhammā tasmāhaṁ Upaka jino ʼti. evam vutte Upako ājīvako hupeyya āvuso ʼti vatvā sīsaṁ okampetvā ummaggam gahetvā pakkāmi.
(南伝大蔵経)
〔優波迦言へり〕、「汝の自稱するが如くば汝は無邊の勝者たるに適はん」。 〔世尊は偈を以て説いて言へり〕、
- 若し諸漏の滅盡を得ば我に同じく勝者なり
- 諸の惡法に勝てるが故に我は勝者なり優波迦よ
かくの如く説きたまへる時、邪命外道優波迦は「或は然らん」と言ひ、頭を振りて、別路をとりて去れり[2]。
(参考現代語)
〔(釈迦が無師独覚について語ったのをうけて)ウパカは言った〕 「あなたが言うとおりであれば、あなたは最上の勝者に値します。」 〔釈迦は偈を唱えて答えた〕 「煩悩を消滅させた者は、私と同様に勝者である。 私は諸々の悪い煩悩に打ち克ったがゆえに、私は勝者なのだ、ウパカよ。」 (釈迦が)このようにお説きになったのを聞いたウパカは、「友よ、そうかもしれませんね」と言って、頭を振ってから[注釈 1]、別の道へと去っていった。
— 大犍度
これは仏法を説いたことにはなっていない(なお、『パラマッタ・ジョーティカー』や『テーリガーター・アッタカター』によれば[注釈 2]、ウパカは後に、釈迦に帰依して出家したとされる[4])。
五比丘との再会[編集]
当初、この元の5人の修行仲間は、修行を捨てた釈迦が遠くから来るのを見て軽蔑の念を抱き、歓迎を拒むことを決めた[1]。彼らは苦行を放棄した釈迦を堕落したとみなしたためである[1]。
しかし釈迦が徐々に近づくにつれ、その堂々とした姿を見て畏敬の念を抱き、自然に立ち上がって座に迎えた[1]。自らが阿羅漢であり正等覚者(仏陀)であることを宣言した釈迦は、なお教えを受けることを拒む5人を説得して、最初の説法をなした。このとき説かれた教えは、中道とその実践法たる八正道、苦集滅道の四諦、四諦の完成にいたる三転十二行相、であったとされる。
5人の修行者は釈迦の説法を歓喜して受けた。また、この時、5人のうちコンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものである。」という法眼が生じた(悟りを得た)。伝統的に、これは四沙門果の第一、預流果に達したことと説明されている。釈迦による五比丘への教導は比丘が3人ずつ順に托鉢を行い6人が食する合宿式に続けられ、ワッパ、バッディヤ、マハーナーマン、アッサジの4名にも次々と法眼が生じた。釈迦は次に「無我相」の教えを説き、五人比丘に五蘊無我の修習を指導した。五人はじき阿羅漢果(四沙門果の第四)に達して、釈迦を含めて6人の阿羅漢が誕生した[1]。
彼らは釈迦と共に初期仏教教団を創設し[1]、インド各地で布教活動を行ったことから、「説法波羅奈」(せっぽうはらな)として釈迦の人生の4つの転機の1つに数えられている。
内容[編集]
釈迦は初転法輪において中道、四諦と八正道を教えたとされる[1][5]。
中道[編集]
Katamā ca sā bhikkhave, majjhimā paṭipadā tathāgatena abhisambuddhā cakkhukaraṇi ñāṇakaraṇī upasamāya abhīññāya sambodhāya nibbāṇāya saṃvattīti? Ayameva ariyo aṭṭhaṅgiko maggo, seyyathīdaṃ: sammādiṭṭhi, sammāsaṅkappo, sammāvācā, sammākammanto, sammāājivo sammāvāyāmo, sammāsati, sammāsamādhi, ayaṃ kho sā bhikkhave, majjhimā paṭipadā tathāgatena abisambuddhā cakkhukaraṇi ñāṇakaraṇī upasamāya abhīññāya sambodhāya nibbaṇāya saṃvattati. "
(南伝大蔵経)
比丘等よ、世に二邊あり、出家者は親近すべからず。何をか二邊と為すや。
一に諸欲に愛欲貧著を事とするは下劣、卑賤にして凡夫の所業なり、賢聖に非ず、無義相應なり。
二に自ら煩苦を事とするは苦にして賢聖に非ず、無義相應なり。
比丘等よ、如来は此二邊を捨てゝ中道を現等覺せり、
此、眼を生じ、智を生じ、寂静、證智、等覺、涅槃に資するなり。
(参考現代語)
— 大犍度
比丘たちよ、世の中には二つの極端がある。出家者はそれに近づいてはならない。何が二つの極端なのか。
一つめは、欲と愛欲や貪欲をよしとすることで、これらは下劣かつ卑賤、つまらぬ人間のやることで、無意味で無益である。
二つめは、自分に苦難を味わわせることは、苦痛であり、無意味で無益である。
比丘たちよ、如来はこの二つの極端を捨て、中道を認知したのである。
それこそが、観る眼を生じ、英知を得、證智をもち、定(サマーディ)、涅槃に至る道である。
四諦[編集]
四諦とは、生とは苦である、苦には原因がある、苦とは滅することができる、その方法は八正道である、という4点からなる。
苦諦[編集]
Idaṃ kho pana bhikkhave, dukkhaṃ ariyasaccaṃ: jāti’pi dukkhā. Jarā’pi dukkhā, vyādhi’pi dukkhā. Maraṇampi dukkhaṃ, appiyehi sampayogo dukkho. Piyehi vippayogo dukkho, yampicchaṃ na labhati, tampi dukkhaṃ. Saṅkhittena pañcupādānakkhandhā dukkhā.
(南伝大蔵経)
比丘等よ、苦聖諦とは、此の如し、
生は苦なり、老は苦なり、病は苦なり、死は苦なり、
怨憎するものに曾ふは苦なり、愛するものと別離するは苦なり、求めて得ざるは苦なり、
略説するに五蘊取蘊は苦なり。(参考現代語)
— 大犍度
比丘たちよ、苦(ドゥッカ)の真理(サッチャ)とは以下である。
すなわち、出生は苦である、老は苦である、病は苦である、死は苦である、
怨憎するものに会うことは苦である、愛するものと別居するのは苦である、求めて得られないのは苦である。
要するに五取蘊は苦である。
集諦[編集]
Idaṃ kho pana bhikkhave dukkhasamudayaṃ ariyasaccaṃ: yā’yaṃ taṇhā ponobhavikā nandirāgasahagatā tatra tatrābhīnandanī,
yeyyathīdaṃ: kāmataṇhā bhavataṇhā vibhavataṇhā(南伝大蔵経)
比丘等よ、苦集聖諦とは此の如し、後有を齎し、喜貧倶行にして随處に歓喜する渇愛なり、
謂く、欲愛、有愛、無有愛なり。(参考現代語)
— 大犍度
比丘たちよ、苦の集起についての真理とは以下である。
繰り返す有(再生)をもたらし、喜び(ナンディ)と貪(ラーガ)を伴って随所に歓喜する渇愛(タンハー)である。
つまりは、欲愛(カーマタンハー, 感官によって得られる刺激・快楽への渇愛)、有愛(バヴァタンハー, 存在への渇愛)、無有愛(ヴィバヴァタンハー, 存在しないことへの渇愛)である。
滅諦[編集]
道諦[編集]
Idaṃ kho pana bhikkhave, dukkhanirodhagāminī paṭipadā ariyasaccaṃ: ayameva ariyo aṭṭhaṅgiko maggo,
seyyathīdaṃ: sammādiṭṭhi, sammāsaṅkappo, sammākammanto, sammāājivo sammāvāyāmo, sammāsati, sammāsamādhi,(南伝大蔵経)
比丘等よ、苦滅道聖諦とは此の如し、八正道なり、 謂く、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定なり。(参考現代語)
— 大犍度
比丘たちよ、苦を滅する聖諦(四諦)とはこれである。 すなわち八正道であり、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- パーリ仏典, 律蔵犍度, 大犍度, 38 Mahakkhandhakaṃ, Sri Lanka Tripitaka Project
- 『南伝大蔵経』大蔵出版〈マハー・ワッガ 第3巻〉、1935年。doi:10.11501/1263549。
- 「転法輪経」『大正新脩大蔵経』巻2内
- 上田天瑞 著、高楠順次郎 編 『南傳大藏經』 3巻、高楠博士功績記念會、1938年 。2021年11月24日閲覧。
- 米澤嘉康 (2016). “初転法輪直前におけるウパカとの邂逅”. 智山学報 65: 165-176. ISSN 02865661 .
- “ブッダ、ウパカに初めての説法失敗「聖求経」④(しょうぐきょう)|えん坊&ぼーさん”. 北ノ坊勇樹 (2019年9月22日). 2021年11月24日閲覧。
外部リンク[編集]
- インド四大仏跡を巡る旅 【サルナート 初転法輪寺】
- 佐々木閑「ブッダの一生」(動画) - 第10回の8:40以降で梵天勧請、第15~22回で初転法輪を解説。