苦 (仏教)

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仏教用語
ドゥッカ
英語 suffering, pain, unsatisfactoriness, etc.
パーリ語 dukkha
(Dev: दुक्ख)
サンスクリット語 duḥkha
(Dev: दुःख)
ベンガル語 দুঃখ dukkhô
ビルマ語 ဒုက္ခ
(IPA: [doʊʔkʰa̰])
中国語
(ピン音)
日本語
(ローマ字: ku)
クメール語 ទុក្ខ
(Tuk)
韓国語
(ko)
シンハラ語 දුක්ඛ සත්යය
チベット語 སྡུག་བསྔལ།
(Wylie: sdug bsngal;
THL: dukngal
)
タイ語 ทุกข์
ベトナム語 khổ / Bất toại

仏教における(く)とは、パーリ語サンスクリット語ドゥッカ: dukkha: दुःख, duḥkha)に由来する概念。中国仏教においてと漢訳された。精神や肉体を悩ませる状態を指す[1]

語源[編集]

「ドゥッカ」の「ドゥッ」(duḥ = dus)は、「悪い」という意味、「カ」(kha) は「空間」、「」の意味である。ウィンスロップ・サージェント(Winthrop Sargeant)によれば、「ドゥッカ」という言葉は車軸が真ん中を通っておらず、乗り心地の悪い様に由来するという。サージェントによれば、ドゥッカとは、もともと「悪い車軸の穴」というような意味をもち、転じて「不快」を意味した[2]

概要[編集]

アルボムッレ・スマナサーラによると、釈迦の説く「苦」は、現代語の「苦」とは別物である。現代語の苦は具体的には、肉体的な苦痛と精神的な苦痛とがあるが、アルボムッレ・スマナサーラによれば仏教で説く「苦」とは例えば原始仏教では「苦しい事」の他、「虚しい事」、「不完全である事」、「無常である事」を指すという[3]それら精神的な側面を苦(ドゥッカ)と表現しているのである。[要出典]したがって、覚りを得たからといって、病気や肉体的な苦痛が無くなる訳ではない。仏典や伝承には、肉体的な苦痛に耐える釈迦が描かれており、釈迦が病死したことは間違いないとされている(大乗仏教では仏の方便として演じたものとして教えている)。

二苦[編集]

このような精神的な苦と肉体的な苦とは、人間自身の内的な苦であるから、これを内苦といい、他人から迫害されたり、自然の力によって悩まされたりするなどの苦を外苦とよぶ場合もある。

苦諦[編集]

このように一切は苦なりという仏教の根本的立場が確立され、苦諦(くたい)とよばれる。苦諦とは「苦(ドゥッカ)が諦(サティヤ)である」ということで、それは苦であることが真理(サティヤ、satya)であり、人間の生存そのものが苦であるという。その意味では、苦とは哲学的意味をもった苦である。[独自研究?]

しかし、四苦といわれる、加えて八苦といわれる愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦をみても、実際には具体的な現実苦を示すことは注意すべきである。[独自研究?]

三苦[編集]

これは一般に後世、苦を説明する時にいわれる三苦にもよく示される。三苦とは、苦苦、壊苦(えく)、行苦の三つである。

苦苦[編集]

苦苦(くく、duḥkha-duḥkha) とは、「苦痛を苦とする状態」を意味する。「苦事の成るによって成立する苦」などと説明され、「によって生ずる苦」といわれるから、外的な、感覚的な苦である。このような苦が人間にとって第一段階の苦で、自然的、基礎的なものである。[独自研究?]

壊苦[編集]

壊苦(えく、vipariṇāma-duḥkha) とは「壊滅の苦の状態」である。「ヴィパリナーマ」とは「悪い方へ変化する」という意味であるから、好もしくない状態をあらわすのである。「楽事の去るによって成ずる苦」とも説明される。「壊滅」とは、その点で「楽境壊滅」(らくきょうえめつ)の意味であるという。すなわち、人間にとって好もしいと感ずる対象が、次々とこわされてゆく時に感ずる苦である。この第二の苦の中に、人間が一般に感ずる苦は含まれる。[独自研究?]

vi+pariṇāmapariṇāmaは、唯識でいう「識の転変(vijñāna-pariṇāma)」とほぼ同じ意味で使われていることからも、この壊苦は「心の変化に応じて生ずる苦しみ」の事を指している、と考えられる。[独自研究?]

行苦[編集]

行苦(ぎょうく、saṃskāra-duḥkha) とは「生起の苦の状態」といわれる[要出典]。「行」の意味は、「作られたもの」ということで、生存していること自体を指しているから、一切の存在が無常であることによって遷り流れてゆくところに感じとられる苦である。とくに、人間生存の無常という事実の中に感ずる苦であるから、生存苦、生きること自身が苦であることを示した。[要出典]

したがって、苦苦も壊苦も、この行苦を根本として起ってくるといえる。[独自研究?]その意味で、行苦や五蘊盛苦は、人間の根本的な苦を示す。仏教は、根本的には生きていること自体が苦であるという形而上学的な考え方をもととして、人間の「自分が」という我執こそ苦の根本であると言う。

脚注[編集]

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  1. ^ 「苦」 - 大辞林 第三版、三省堂
  2. ^ Sargeant, Winthrop , The Bhagavad Gita, SUNY Press, 2009. p.303
  3. ^ アルボムッレ・スマナサーラ 『苦の見方』 サンガ (出版社)2015年、127頁。ISBN 978-4865640199

関連項目[編集]