聖求経

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聖求経[1](しょうぐきょう、: Pāsarāsi-sutta, パーサラーシ・スッタ、あるいは、: Ariyapariyesana Sutta, アリヤパリイェーサナ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第26経。

類似の伝統漢訳経典としては、『中阿含経』(大正蔵26)の第204経「羅摩経」や、『本事経』(大正蔵765)がある。

釈迦が、比丘たちに向かって、聖なる道(仏道)の探求について、自身の修行時代や2人の師(アーラーラ・カーラーマウッダカ・ラーマプッタ)に言及しつつ、説いていく。後半は梵天勧請のエピソードが記されている。

内容[編集]

出家に至る経緯[編集]

釈迦が、己がいまだ悟りを得ていない時代を回想している。

Ahampi sudaṃ bhikkhave pubbeva sambodhā anabhisambuddho bodhisattova samāno attanā jātidhammo samāno jātidhammaññeva pariyesāmi, attanā jarādhammo samāno jarādhammaññeva pariyesāmi, attanā byādhidhammo samāno byādhidhammaññeva pariyesāmi, attanā maraṇadhammo samāno maraṇadhammaññeva pariyesāmi, attanā sokadhammo samāno sokadhammaññeva pariyesāmi, attanā saṅkilesadhammo samāno saṅkilesadhammaññeva pariyesāmi.

比丘たちよ、私もまた正覚以前のころ、未だ正覚を得ていない菩薩であったとき、
みずからの法(ダルマ)を有する者でありながら生まれるものを求め、
みずから老の法を有する者でありながら老いるものを求め、
みずから病の法を有する者でありながら病めるものを求め、
みずから死の法を有する者でありながら死ぬものを求め、
みずから憂の法を有する者でありながら憂いを求め、
みずから煩悩の法を有する者でありながら煩悩を求めていた。

—  パーリ仏典, 26 Ariyapariyesana Sutta, Sri Lanka Tripitaka Project

これらの追求に対して、釈迦は疑問を懐いたのであった[2]

Tassa mayhaṃ bhikkhave etadahosi: "kinnu kho ahaṃ attanā jātidhammo samāno jātidhammaññeva pariyesāmi, attanā jarādhammo samāno jarādhammaññeva pariyesāmi, attanā byādhidhammo samāno byādhidhammaññeva pariyesāmi, attanā maraṇadhammo samāno maraṇadhammaññeva pariyesāmi, attanā sokadhammo samāno sokadhammaññeva pariyesāmi, attanā saṅkilesadhammo samāno saṅkilesadhammaññeva pariyesāmi,

比丘たちよ、そのとき私に、このような思いが起こったのだ。
「なぜ私は、みずから生の法を有する者でありながら生まれるものを求め、...(中略)...
 みずから煩悩の法を有する者でありながら煩悩を求めているのだろうか」と。

—  パーリ仏典, 26 Ariyapariyesana Sutta, Sri Lanka Tripitaka Project [2]

成道[編集]

釈迦はセニャニ村のウルウェラを訪れ、そこで解脱を得、輪廻からの解放を達成した。

akuppā me vimutti. Ayamantimā jāti. Natthidāni punabbhavo’ti.

わが解脱は達成された。これが最後の生まれであり、もはや二度と生まれ変わることはない。

—  パーリ仏典, 26 Ariyapariyesana Sutta, Sri Lanka Tripitaka Project

しかし悟りを経た直後の釈迦は、当初は教えを説くことに消極的であった[3]。釈迦は、自らが得た法(ダルマ)のことを「流れに逆らうもの(Paṭisotagāmiṃ)」と表現していた[4]

Kiccena me adhigataṃ halandāni pakāsituṃ,
Rāgadosaparetehi nāyaṃ dhammo susambudho.
Paṭisotagāmiṃ nipuṇaṃ gambhīraṃ duddasaṃ aṇuṃ
Rāgarattā na dakkhinti1 tamokkhandhena āvaṭāti2.

困苦して我證得せる所も
今また何ぞ説くべけん
に悩まされたる人々は
此法を悟ること易からず
これ世流に逆らひ至微にして
甚深・難見・微細なれば
欲に著し黒闇に覆はれし者は見るを得ず 

苦労して会得したものを、なぜ私が説かなければならないのか
(ラガ)と(ドーサ)に支配された人々が、この(ダルマ)をよく悟ることは難しい
これは流れに逆らうもので、見がたく甚深であるものだから
貪に支配され、暗闇に覆われた者には見ることができないのだ

—  パーリ仏典, 26 Ariyapariyesana Sutta, Sri Lanka Tripitaka Project および南伝大蔵経

梵天勧請[編集]

そこで梵天が現れ、一部の人たちは悟ることができるであろうから、教えを説くよう釈迦へ懇願したのであった(梵天勧請)[3][4]

Desetu bhante bhagavā dhammaṃ. Desetu sugato dhammaṃ.
Sanni sattā apparajakkhajātikā, assavaṇatā dhammassa parihāyanti.Bhavissanti dhammassa aññātāro"

世尊、願わくは法を説きたまへ
善逝、願わくは法を説きたまへ
有情にして塵垢少き者あり、若し法を聞かずばた退堕するも、聞かば法を悟り得べけん。

どうか教えを説いてください。
穢れの少ない者たちもおり、彼らは教えを聞かなければ堕落してしまうが、
教えを聞けば法を悟ることができるでしょう。

—  Ariyapariyesana Sutta および南伝大蔵経

釈迦はそれに応え、「流れに逆らうもの(Paṭisotagāmiṃ)」としながらも、その教えを説くことを決意したのであった。

Apārutā tesaṃ amatassa dvārā
Ye sotavanto pamuñcantu saddhaṃ
Vihiṃsasaññi paguṇaṃ nabhāsiṃ,
Dhammaṃ paṇītaṃ manujesu brahme ti.

甘露の門は開かれたり
耳ある者は聞け、己信を棄てよ
梵天よ、人々を、女堯惑せんかと思ひて
微妙の正法を説かざりき 

梵天よ、私はアムリタ(不死, 涅槃)の門を開くこととした。
耳を持つ者は聞け、私心を捨てよ。
説法では、皆の恐れを買わないよう注意深く言葉を選ぶので、
人々は高貴な言葉を得るであろう。

—  Ariyapariyesana Sutta および南伝大蔵経

日本語訳[編集]

  • 『南伝大蔵経・経蔵・中部経典1』(第9巻) 大蔵出版
  • 『パーリ仏典 中部(マッジマニカーヤ)根本五十経篇II』 片山一良訳 大蔵出版
  • 『原始仏典 中部経典1』(第4巻) 中村元監修 春秋社

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『南伝大蔵経』、『原始仏典』中村、『パーリ仏典』片山
  2. ^ a b 馬場紀寿 『初期仏教――ブッダの思想をたどる』〈岩波新書〉、2018年、23頁。ISBN 978-4004317357 
  3. ^ a b ひろさちや 『完全図解 仏教早わかり百科』、1999年12月1日、Chapt.1。ISBN 978-4391123951 
  4. ^ a b 魚川祐司 『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』 新潮社、2015年4月25日、30-31頁。ISBN 978-4103391715 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]