小業分別経

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小業分別経[1](しょうごうふんべつきょう、: Cūḷa-kammavibhaṅga-sutta, チューラ・カンマヴィバンガ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第135経。『鸚鵡経』(おうむきょう)[2]とも。

類似の伝統漢訳経典としては、『中阿含経』(大正蔵26)の第170経「鸚鵡経」や、『兜調経』(大正蔵78)、『鸚鵡経』(大正蔵79)、『仏為首迦長者説業報差別経』(大正蔵80)、『分別善悪報応経』(大正蔵81)がある。

釈迦が、婆羅門の青年スバ(須婆)に、に関する仏法を説く。

構成[編集]

登場人物[編集]

場面設定[編集]

ある時、釈迦は、サーヴァッティー舎衛城)のアナータピンディカ園(祇園精舎)に滞在していた。

そこに婆羅門トーデッヤの息子である青年スバが訪れ、釈迦に、人間に長命と短命、肥痩、美醜、強弱、貧富、貴卑、賢愚といった区別・優劣が生じる原因を問う[3]

Ko nu kho bho gotama, hetu ko paccayo, yena manussānaṃ yeva sataṃ manussabhūtānaṃ dissanti hīnappaṇītatā.
Dissanti hi bho gotama, manussā appāyukā, dissanti dīghāyukā.
Dissanti bavhābādhā, dissanti appābādhā.
Dissanti dubbaṇṇā, dissanti vaṇṇavanto.
Dissanti appesakkhā, dissanti mahesakkhā.
Dissanti appabhogā, dissanti mahābhogā, dissanti nīcakulīnā, dissanti uccākulinā. Dissanti duppaññā, dissanti paññavanto.
Ko nu kho gotama hetu ko paccayo, yena manussānaṃ yeva sataṃ manussabhūtānaṃ dissanti hinappaṇītatāni.

ゴータマよ、どのような因(hetu)、縁(paccayo)で、人々には優劣が見られるのでしょうか?
ゴータマよ、(世の中には)短命な人が見られる一方で、長命な人が見られます。
多病な人が見られ、健康な人が見られます。
醜い人が見られ、美しい人が見られます。
無力な人が見られ、影響力のある人が見られます。
貧しい人が見られ、財の多い人が見られます。
低い家系の人が見られ、高い家系の人が見られます。
愚かな人が見られ、智慧のある人が見られます。
ゴータマよ、どのような因、縁で、人々には優劣が見られるのでしょうか?

釈迦は(行い)によってそれらが生じていく様を詳細に説いていく。

Kammasakkā māṇava, sattā kammadāyādā kammayoni kammabandhu kammapaṭisaraṇā.
Kammaṃ satte vibhajati yadidaṃ hīnappaṇītatāyāti.

青年(スバ)よ、衆生は、業を自分のものとし、業を相続し、業を胎とし、業を親族とし、業をよりどころとする。
業が衆生を分類し、優劣をつける[3]

  • 自分のもの(kammasakkā)- 死によって失われるものではなく、来世についてくる所有物[3]
  • 相続する(kammadāyādā)- 身・口・意の三業から引き継がれる[3]
  • 生まれる(kammayoni)- 生命を生み出すのは、自ら行った行為からで、すべて業より生まれる[3]
  • 切り離せない(kammabandhu)- 生命は業との繋がりを切ることはできない[3]
  • よりどころとする(kammapaṭisaraṇā)- 生命のよりどころである[3]
  • 優劣(hīnappaṇītatāyāti)をつける - 生命に優劣をつける要素の一つである[3]

スバは歓喜する。

日本語訳[編集]

  • 『南伝大蔵経・経蔵・中部経典4』(第11巻下) 大蔵出版
  • 『パーリ仏典 中部(マッジマニカーヤ)後分五十経篇II』 片山一良訳 大蔵出版
  • 『原始仏典 中部経典4』(第7巻) 中村元監修 春秋社

脚注・出典[編集]

  1. ^ 『南伝大蔵経』、『パーリ仏典』片山
  2. ^ 『原始仏典』中村
  3. ^ a b c d e f g h チャンディマ・ガンゴダウィラ『新しい生き方を切り拓く7つの実践 『小業分別経』』Sukhi Hotu、2020年。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]