ネパールの仏教

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ネパールの仏教では、ネパール仏教について記述する。

歴史[編集]

そもそも仏教の開祖である釈迦の故郷であるルンビニは、今日のネパール領内にあった[1]。仏教興隆に貢献したマウリヤ朝アショーカ王は、この地に仏陀生誕の地を示す石柱を建立し、近代に至って後にそれが決め手となってルンビニが再発見されることになる。

インドでグプタ朝が隆盛していた紀元後5世紀以降、ネパールに成立したリッチャヴィ朝によって、この地に仏教とヒンドゥー教が同時にもたらされることになった。7世紀に入り、王朝の支配者アンシュ・ヴァルマーは、娘ブリクティー吐蕃チベット)の王ソンツェン・ガンポに嫁がせ、から嫁いだ文成公主と共に、吐蕃(チベット)に仏教文化をもたらし、ラサトゥルナン寺ジョカン大昭寺)建立のきっかけを作るなど、後のチベット仏教の嚆矢となった。

チベット仏教と同じくインド後期密教が受容されていく一方、ヒンドゥー教、カーストにも強い影響を受けた社会環境の中で、ネパールの仏教は、グバージュと呼ばれる世襲の仏教特権階級を生み出しつつ存続してきた。

インド仏教がイスラム勢力の侵攻によって滅亡した13世紀以降、このネパール仏教がサンスクリット経典を継承する唯一の存在となった。1820年にネパール入りした英国の外交官B. H. ホジソンによってそれが発見され、1881年ラジェンドラ・ラーラ・ミトラの『The Sanskrit Buddhist Literature of Nepal』で紹介されて以降、欧米や日本の研究者によって、サンスクリット経典蒐集拠点としてネパールは注目されることになった。

日本のその分野の草分けである河口慧海のネパール・サンスクリット経典との関わりは、その著書『チベット旅行記』『第二回チベット旅行記』で詳述されている。

脚注・出典[編集]

関連項目[編集]