三毒

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動物に擬せられた三毒(画像中央)。鶏は貪、蛇は瞋、豚は癡の象徴である。

三毒(さんどく、: triviṣa, トリヴィシャ)とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち(とん・しん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。

三毒は人間の諸悪・苦しみの根源とされている。ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られている概念である。例えば、最古の経典と推定される南伝パーリ語のスッタニパータに、を克服すべきことが述べられている。更に中部経典(マッジマ・ニカーヤ majjhima nikāya)においては「三不善根」(skt:akuśala-mūla, pali:akusala-mūla)として記され、3つがまとめて論じられている。三毒(三不善根)は悪の根源であり、それが展開されて十悪となる。

三毒を構成する煩悩[編集]

三毒 読み方 サンスクリット語 パーリ語 意味 象徴する動物
とん rāga, ラガ, राग lobha, ローパ 貪欲(とんよく)ともいう。むさぼり(必要以上に)求める心。一般的な用語では「欲」・「ものおしみ」・「むさぼり」と表現する。
しん dveṣa, द्वेष dosa, ドーサ 瞋恚(しんに[1])ともいう。怒りの心。「いかり」・「にくい」と表現する。
, 痴 moha, モハ, मोह moha 愚癡(ぐち)ともいう。真理に対する無知の心。「おろか」と表現する。 [2]

性欲(ラガ)に等しい火はない。
怒り(ドーサ)に等しい損失はない。
五蘊に等しい苦しみ(ドゥッカ)はない。
心の平安に勝る楽はない。

三毒を懺悔する経文として懺悔偈があり、真言宗・禅宗などでは読経の前に、浄土宗では読経の中で必ず唱えることになっている。

 大乗仏教[編集]

大乗仏教でも妙法蓮華経譬喩品第三の、いわゆる「三車火宅のたとえ」に「ブッダは、衆生の生老病死、憂い、悲しみ、苦悩、無知、混乱や三毒から解放する為に三界に姿を現したのだ」と説かれ、三毒などの煩悩を家についた火に喩えている他、般若経華厳経にも記載がある。

存覚が「貪欲を生じ瞋恚(怒り)をおこすことも、そのみなもとをいえば、みな愚痴(愚かさ)よりいでたり」と述べるように、三毒の根源は(愚かさ)であるとされる。

なお、別に三惑ともいうが、後世の天台宗学における三惑(無明惑・見思惑・塵沙惑)を指して呼称するようになったので、現在は三毒と呼称するのが常となっている。

大乗義章』五に「三毒通じて三界の一切煩悩を摂し、一切煩悩はく衆生を毒すること、それ毒蛇の如く、また毒龍の如し(三毒は三界の一切の煩悩を包んでいる。一切の煩悩が人々を毒するのは、毒ヘビや毒龍のようなものだ)」とある。また『法界次第初門』巻上には「毒は毒を以て義とす。(中略)出世の善心を壊すを以ての故に(三毒の毒とは鴆毒すなわち毒薬の意味である。解脱しようとする善の心を壊してしまうからだ)」とある。

三毒の誤解[編集]

俗に、「妬む、怒る、愚痴る」を「仏教の三毒」として紹介することがあるが、そのような用例は仏典にはなく、誤りである。これらも仏教では煩悩として克服すべきものだと考えられているが、この三つは大局的にはに包摂される煩悩である。また、は日本語での「愚痴をこぼす」ということではなく、もっと根源的な人間の「愚かさ」を表す概念である。チベット密教では「嫉妬」(妬み)は「無明」と「悪見」の二つを併せたものとされる。

注・出典[編集]

  1. ^ 一般の発音は「しんい」であるが、連声で「しんに」と発音することが多い。
  2. ^ 第一回高野山大学ラマ教文化調査団報告書 (PDF)”. 高野山大学. p. 21 (1977年). 2017年8月17日閲覧。
  3. ^ アルボムッレ・スマナサーラ 『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』 佼成出版社2003年、Kindle版, 3.6。ISBN 978-4333020447 

参考文献[編集]

関連項目[編集]