5世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
千年紀: 1千年紀
世紀: 4世紀 - 5世紀 - 6世紀
十年紀: 400年代 410年代 420年代 430年代 440年代
450年代 460年代 470年代 480年代 490年代
5世紀頃に築造された大仙古墳。全長は486メートルの最大級の前方後円墳で、伝承では仁徳天皇陵とされている。
フン族アッティラの侵入は東西ローマ帝国を驚倒させた。画像はラファエロレオ1世とアッティラの会見」。
ラヴェンナガッラ・プラキディア廟堂。ガッラ・プラキディアは西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世の母。初期キリスト教美術を代表するモザイク壁画が残されている。
仏教と道教の融合。政権が不安定だった六朝時代は儒教が不振で、深遠な形而上学を扱う仏教や道教が歓迎された。画像は江戸時代の曽我蕭白の「虎渓三笑図」でこの時代を代表する仏僧の慧遠と道士の陸修静と詩人の陶淵明の邂逅が画題となっている。
雲崗石窟北魏時代に都の平城大同市)から西方約20キロに位置する雲崗で造営された石窟寺院。
アジャンター石窟寺院の壁画。インドではこの時代にグプタ様式と呼ばれる表現が発達した。画像はパドマパーニ(蓮華手(観世音)菩薩)の像。
カルケドン公会議以後にキリスト論をめぐりキリスト教は分立した。「単性論派」と呼ばれる「非カルケドン派」にはシリア・エジプト・アルメニアの諸教会がある。画像は483年に再建されたアルメニア教会エチミアジン大聖堂。
ヒッポレギウスアウグスティヌス。異民族の跳梁する衰勢の西ローマ帝国にあって、神の救済の歴史を描き出す『神の国』を執筆した。画像は6世紀にローマラテラノ大聖堂に描かれた肖像画。

5世紀(ごせいき)は、西暦401年から西暦500年までの100年間を指す世紀。この項目では、国際的な視点に基づいた5世紀について記載する。

できごと[編集]


400年代[編集]

410年代[編集]

420年代[編集]

430年代[編集]

440年代[編集]

450年代[編集]

  • 450年
    • 北魏で国史の獄が起こり、崔浩らが処刑される。
    • 宋の文帝が北伐の軍を起こすが、北魏の太武帝の反撃により長江北岸まで奪取される。
  • 450年頃 - アングロ・サクソン族がブリテン島に移住。
  • 451年
  • 452年
    • 北魏の太武帝が宦官の宗愛により殺害される。
    • アッティラ率いるフン族がイタリアに進攻。マントヴァにてアッティラと教皇レオ1世の会見。
  • 453年 - アッティラが急逝。フン族の後継者争いが起こり、息子のエラックが勝利する。
  • 454年 - ネダオ川の戦いで、フン族の王エラックがゲピド族長アルダリックに敗北し、フン族の国家は崩壊する。
  • 455年

460年代[編集]

  • 460年 - 北魏で雲崗石窟の工事始まる。
  • 463年
  • 468年 - バシリスクス司令官率いる東西ローマ帝国連合軍が北アフリカのボン岬でヴァンダル王国に大敗。

470年代[編集]

  • 471年 - 埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した「辛亥年七月中」の干支銘を持つ金錯銘鉄剣が製作される。
  • 475年
  • 476年 - ゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位され、西ローマ帝国が滅亡する。
    • 帝位は東ローマ皇帝ゼノンに返上され、オドアケルはパトリキウスとしてイタリアを支配する。
  • 477年 - 倭国が宋に朝貢する(『宋書』順帝紀)。これより先、興没し、弟の武立つ。
  • 478年 - 倭王武が宋に入貢して上表する。「父祖の功績と父兄の志を述べ、高句麗の無道を糾弾し、自ら開府儀同三司と称し、正式の任命を求める。宋の順帝武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」とする(『宋書』順帝紀、『宋書』倭国伝)。
  • 479年 - 中国で南朝の宋に代わりが成立。

480年代[編集]

490年代[編集]

500年代[編集]

文化[編集]

人物[編集]

地中海世界[編集]

フン族の帝国[編集]

ゲルマン諸王[編集]

西ローマ帝国とその周辺[編集]

東ローマ帝国とその周辺[編集]

西アジア[編集]

南アジア[編集]

東アジア[編集]

五胡十六国[編集]

東晋[編集]

南朝[編集]

北朝[編集]

柔然[編集]

満州[編集]

朝鮮半島[編集]

日本[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

[ヘルプ]

関連項目[編集]