宋 (南朝)

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宋 (南朝)
東晋 420年 - 479年 斉 (南朝)
劉宋の位置
宋と北魏。
公用語 漢語(中国語
首都 建康
皇帝
420年 - 422年 武帝
422年 - 424年 少帝
424年 - 453年 文帝
453年 - 464年 孝武帝
464年 - 465年 前廃帝
465年 - 472年 明帝
472年 - 476年 後廃帝
476年 - 479年 順帝
変遷
東晋より禅譲・建国 420年
に禅譲 479年
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(そう、420年 - 479年)は、中国南北朝時代の南朝の王朝。代の諸侯国の趙匡胤が建てたなどと区別するために、帝室の姓から劉宋とも呼ばれる。

概要[編集]

420年劉裕(高祖・武帝)が、東晋恭帝から禅譲を受けて、王朝を開いた。

東晋以来、貴族勢力が強かったものの、貴族勢力との妥協のもと政治を行なった。文帝の治世は元嘉の治と呼ばれ、国政は安定したが、文帝の治世の末期には北魏の侵攻に苦しむようになった。

また、孝武帝以降の諸帝は乱れた政治を行なったため、479年順帝は、蕭道成に禅譲した。蕭道成は王朝を開き、ここに宋は滅亡した。

対外的には、北涼吐谷渾北燕高句麗冊封下に置き、北方の柔然とも結んで、華北で有力だった北魏に対抗した(ただし、吐谷渾と高句麗は北魏からも冊封を受けた)。倭の五王による南朝への入貢の大半は宋の時代におけるものである。

宋の皇帝の一覧[編集]

  廟号 諡号 姓名 在位 年号 備考
1 高祖 武帝 劉裕 420年 - 422年 永初 420年 - 422年  
2   少帝 劉義符 422年 - 424年 景平 423年 - 424年 武帝の子
3 太祖 文帝 劉義隆 424年 - 453年 元嘉 424年 - 453年 武帝の子
少帝の弟
      劉劭 453年 太初 453年 文帝の子
4 世祖 孝武帝 劉駿 453年 - 464年 孝建 454年 - 456年
大明 457年 - 464年
文帝の子
劉劭の弟
5   前廃帝 劉子業 464年 - 465年 永光 465年
景和 465年
孝武帝の子
6 太宗 明帝 劉彧 465年 - 472年 泰始 465年 - 471年
泰豫 472年
文帝の子
前廃帝の叔父
7   後廃帝
(蒼梧王)
劉昱 472年 - 476年 元徽 473年 - 477年 明帝の子
8   順帝 劉準 476年 - 479年 昇明 477年 - 479年 明帝の子
後廃帝の弟

系図[編集]

 
 
 
 
1高祖武帝裕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3太祖文帝義隆
 
2少帝義符
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6太宗明帝彧
 
4世祖孝武帝駿
 
劉劭
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8順帝准(準)
 
7後廃帝昱
 
5前廃帝子業

関連項目[編集]


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