斉 (南朝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
斉 (南朝)
宋 (南朝) 479年 - 502年 梁 (南朝)
南斉・蕭斉の位置
斉と北魏。
公用語 漢語(中国語
首都 建康
皇帝
479年 - 482年 高帝
482年 - 493年 武帝
493年 - 494年 廃帝鬱林王
494年 - 494年 廃帝海陵王
494年 - 498年 明帝
498年 - 501年 廃帝東昏侯
501年 - 502年 和帝
変遷
より禅譲・建国 479年
に禅譲 502年
中国の歴史
元謀藍田北京原人
神話伝説三皇五帝
黄河長江遼河文明
西周
東周 春秋
戦国
前漢
後漢
三国
西晋
東晋 十六国
南北朝 北魏
西魏 東魏
北周 北斉
 
 
五代十国
北宋 西夏
南宋
北元
後金  
 
満洲 中華民国
 
中華人民共和国 中華民国
台湾
中国の歴史年表
中国朝鮮関係史
Portal:中国

(せい、479年 - 502年)は、中国南北朝時代江南に存在した国。南朝の一つ。北朝北斉春秋戦国時代などと区別するために南斉(なんせい)あるいは蕭斉(しょうせい)とも呼ばれる。

概要[編集]

始祖蕭道成は、の下級兵士から徐々に出世して、皇帝の廃立を決めるまでになり、479年順帝から禅譲を受けて斉を開いた。第2代武帝は、宋の末期からの荒れた政治を改革するために全国的な検地を行い、国力を上昇させた。

しかしその後の皇帝は、自らの皇太子の地位を守るために皇族たちを大量に殺すなど残酷な振る舞いが目立ち、天下の声望を失っていった。特に第6代廃帝東昏侯は、皇族のみならず官僚、民衆を虐殺してまわり、宮廷では過剰な奢侈をしたために政治は大きく乱れた。

宗族の一人である蕭衍は、兄を東昏侯に殺された事を大義名分として兵を挙げ、東昏侯を殺して和帝を立て、翌年に和帝から禅譲を受けてを建てた。

南斉の文化的な中心は、武帝の第2子である竟陵王蕭子良460年 - 494年)のサロンであった。彼の邸宅である西邸には当時の第一級の文人が集い、その代表的な8名を「竟陵の八友」と呼んでいる。蕭衍もその一人に数えられていた。

斉の皇帝[編集]

  廟号 諡号 姓名 在位 年号
宣帝
(蕭道成追崇)
蕭承之
1 太祖 高帝 蕭道成 479年 - 482年 建元479年-482年
2 世祖 武帝 蕭賾 482年 - 493年 永明483年-493年
世宗
(蕭昭業追崇)
文帝 蕭長懋
3 廃帝
鬱林王
蕭昭業 493年 - 494年 隆昌494年
4 廃帝
海陵王
蕭昭文 494年 延興494年
景皇
(明帝追崇)
蕭道生
5 高祖 明帝 蕭鸞 494年 - 498年 建武494年-498年
永泰498年
6 廃帝
東昏侯
蕭宝巻 498年 - 501年 永元499年-501年
7 和帝 蕭宝融 501年 - 502年 中興501年-502年

系図[編集]

宣帝承之
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1太祖高帝道成
 
安貞王道生
(景皇)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2世祖武帝賾
 
5高祖明帝鸞
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
文恵太子長懋
(世宗文帝)
 
7和帝宝融
 
6廃帝東昏侯宝巻
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4廃帝海陵恭王昭文
 
3廃帝鬱林王昭業
 
 
 
 
 
 
 

関連項目[編集]

先代:
中国の歴史
次代: